89.出発。そして第一の関門
ナンテの15歳の誕生日を過ぎた3月20日。
その日は朝から全員で領主邸の前に集まっていた。
「それではお父様、お母様、皆さん。行ってきます」
「うむ、気を付けてな」
「あまり大きな声では言えませんが現在の中央貴族は信用なりません。
が、全員が悪という訳ではないでしょう。
正しく相手の本質を見極めるように」
「ここでずっと過ごしていたナンテには色々刺激になるだろう。
頑張っておいで」
「はい!」
皆に見送られながらナンテは元気よく出発した。
目指すは王都の学院だ。
片道10日の道のり。貴族であれば馬車を使うのが普通だ。
だけど多少豊かになったと言ってもネモイ辺境伯家では徒歩で向かうのが伝統だ。
ただ昔と全てが同じとはいかない。
領都を出て街道を道なりに南下したナンテが目指した場所も5年前には無かったものだ。
「こんにちは」
「これはナンテお嬢様。ようこそおいでくださいました」
ナンテが顔を出したのは街道沿いに建てられた検問所だ。
領都から馬で4時間ほどの場所にあり、3交代制で街道およびその周辺を監視している。
主な業務は街道を通る商人や旅人のチェック。
ちょうど今も南から行商人の馬車がやってきたようだ。
馬車の横を歩いている若い男女4人は護衛だろうか。
検問所の近くまで来たところで担当の兵士が槍を持って街道を塞ぐ。
「そこの馬車、止まってください。
我々はネモイ辺境伯家の兵士です」
辺境伯家の紋章を見せながら呼び掛ければ、馬車はゆっくりと止まった。
それを確認してから御者の元へと近づく。
「通行許可証はお持ちでしょうか」
「許可証?なんですかそれは」
「残念ながら持っていない場合はお通しできません」
兵士の言葉は丁寧だけど、最低限の情報だけを伝えていた。
相手は手練れの商人なので、あまり話し過ぎるとこちらの内情を探られたりするかもしれない。なのでそうするようにと徹底されていた。
しかし当然これで納得して引き返してくれる人は少ない。
「ちょっと待ってくれ。
私はネモイ辺境伯領の為に遠路はるばる食糧を運んでやって来たんだ。
怪しい者じゃない」
「怪しいかどうかの判断はしていません。
許可証を持っていないのならお引き取りください」
「そう言わずに。
護衛も雇ってしまったしここまで来るのに結構金が掛かっている。
手ぶらじゃ帰れないんだ。
せめてそう、許可証はどこで手に入るのかを教えてもらえないか」
「残念ですが私達はそれを知りません」
これは本当だ。
知らなければ情報を漏らすことも無いということで、検問所に詰める兵士たちに許可証を誰が発行しているかは伝えられていない。
この中で知っているのはナンテだけだがもちろん教えてあげる気はない。
そしてまだ諦められない商人が他に何かないかと考えを巡らせていた所で、詰所の中から偉そうな男性が出て来た。
「おい、これは何の騒ぎだ?」
「隊長。この商人が通行許可証を持っていないと言う事でお引き取り願っていた所です」
「ふむ、そうか」
隊長と呼ばれた男は慇懃な態度を崩さず、ゆっくりと商人の近くまで歩いて行った。
その様子を静かに見守りながら商人も内心でこれは好機だと喜んでいた。
そして1歩分の距離まで近づいたところで隊長は上から目線で問いかけた。
「積み荷はなんだ?」
「は、はい。小麦を中心に、あとは王都近郊で採れる果物を積んでます。
(他に宝石類を少々)」
「ほう」
最後の宝石の部分は声を小さくして後ろに控えている兵士達には聞こえないようにしていた。
その様子を見て隊長はにやりと笑い、同じ笑みを商人も浮かべた。
どうやらこの隊長は話の分かる人のようだ。
「(ここを通してくださるなら幾つかお譲りしますよ)」
「なるほどなるほど、それなら問題あるまい」
「ほっ」
隊長が問題ないというのだから許可証の事は見逃して貰えると言う事だ。
ちなみに用意していた宝石類は最初からこういった時の賄賂用だ。
商人は素早く手持ちの宝石の中でこの男なら下から2番目くらいで十分か、などと皮算用を始めていた。
そんな商人の考えなど露知らず、踵を返し兵士たちの所に戻っていった隊長はさっと右手を上げた。
するとなぜか兵士達は槍を商人に向け、さらに詰所の中から増援が数人出て来たではないか。
それを見て焦るのは商人だ。
「あ、あの。通して頂けるのでは?」
「いや。実力行使でお引き取り願っても問題ないと判断しただけだ。
残念だがその程度で買収出来ると思ってもらっては困る。
さあ今すぐ引き返すのなら見逃そう。それが嫌なら死んでもらう。
後ろの護衛の諸君も武器を抜くのならこの男と同じ末路を辿ってもらうぞ」
それを聞いて護衛達は武器を構えるのを止めた。
相手は盗賊などではなく正規兵なのだ。
問題を起こせば生きて帰っても今後仕事を貰えなくなるどころか捕まるかもしれない。
それなら依頼主の商人に睨まれる方がまだましだ。
「くそっ。私達商人を無碍に扱えばどうなるか思い知らせてやるぞ」
商人もこれ以上は無理だと判断して捨て台詞を吐いて引き返していった。
彼らが見えなくなったところで隊長は肩の力を抜いた。
「はぁ。やっぱ肩凝るわこれ。なんで俺が隊長の時に来るかなぁ」
「お疲れ隊長~」
「だいぶ板に付いて来た感じがするな」
「ま、運が悪かったってことで」
実は一連の流れは『ごねる商人が来た場合の対応マニュアル』に沿ったものだ。
最初に頭の固い兵士が対応して、後からいかにも偉そうな隊長が出て来る。
そこで商人が賄賂を持ちかけて来たら今のように叩き返し、誠実な態度で「せめて足の早い作物だけでも何とかしたい」みたいなことを言い出したら兵士たちの裁量でその場で買い取って領都で売り捌いたりしている。
まぁ大体が賄賂をちらつかせてくるのだけど。
そして隊長が槍持ちの兵士達と詰所に戻ろうとして、ナンテと目が合った。
ナンテの隣に立っている兵士はポリポリと頬を掻いていた。
「こんにちは、隊長さん。実に良い対応だったわ」
「はっ。お褒め頂きありがとうございます!」
ナンテの言葉にビシッと敬礼する隊長さん。
それを見ながらナンテはにっこり笑った。
「そう畏まらなくて大丈夫よ。
最近は本当に賄賂を貰っちゃう人も居ると聞いていたから安心したわ」
「ハハハ、もちろんここではそんな不正はさせませんよ」
「期待しているわ」
「それでお嬢様はどうしてここに?」
「王都に向かう途中なの」
「あぁ、なるほど」
隊長たちも15歳になった貴族の子女が王都の学院に通う事は知っているので、それだけ聞いて事情を理解した。
「それであれば少々ルートを変えた方が良いかもしれません。
このまま行けば先ほどの商人に遭うかもしれませんし、他にもお嬢様を狙う輩が潜んでいないとは限りません」
「そ、そう?」
ナンテは自分なんか狙う理由がないのでは思うが、辺境伯領の内情を少しでも知っていればナンテ以上に重要な人物は居ないのではと思うのだ。
警備隊から今回ばかりは王都まで護衛を付けた方が良いと進言もあったが、結局ナンテは一人で行くことになったようだ。
「道中お気をつけて行ってらっしゃいませ」
「ええ、ありがとう。
みなさんもお仕事頑張ってください」
ナンテは詰所の兵士たちに見送られながら王都へと向かった。




