88.引継ぎ
そして時は流れ、ナンテの15歳の誕生日を1月前に控えた2月。
ナンテはポテイト村で村人たちを集めて会議の場を開いていた。
ナンテの隣には兄嫁のチュリも居る。
それとチュリの腕の中には今年1歳になる子供も居た。
「皆さんおはようございます。
今日集まってもらったのは重要な連絡があるからです。
以前から何度か口にしているので知っている人も多いと思いますが、私は4月から3年間王都の学院に行くことになります。
ここから王都までは片道10日掛かりますので緊急時を除いて戻ってくることは出来なくなります」
集まっていた人達はもうそんな時期になったのかと感慨に耽っていた。
彼らの前にナンテが姿を現わしたのはナンテが5歳の頃だ。
最初は領主様の娘が道楽、というよりおままごと気分で遊んでいるのだろうくらいの気持ちで見ていた。
しかしいつの間にか立派な畑が出来ていて、領都の普段は遊んでばかりの子供達を手伝わせ始めた。
子供たちの親は最初こそ領主様のお嬢様がやることに文句は言えないと我慢していたが、その子供たちが毎日楽しそうに笑顔で帰って来て、しかも自分たちが収穫した野菜を誇らしげに持ち帰ってくるものだから、単純に親としても喜ばしいことだし家計としても大助かり。むしろ参加していない子供に遊んでる暇があったら手伝いに行ってこいと穴を叩いて送り出す始末だ。
そして手の空いた大人たちも手を貸すようになり、畑しかなかった(といっても既にそこらの農村よりも立派な畑が広がっていたが)その場所に納屋や倉庫を始めとした小屋が建ち始めた。
続いて街まで行かずとも農具の修繕が出来た方が良いだろうと鍛冶場が造られた。
料理だって一度に全員分作った方が手間が省けると食堂が出来た。
これは少し後になってからだけど怪我人の手当が出来るようにと薬屋兼診療所が出来たり、乳児を預けられるようにとお婆ちゃん達が詰める託児所も用意された。
元はただの荒れ地だったのに気が付けば立派な村になっていたのだ。
あれからもう10年近くが経ち、幼女だったナンテもすっかり立派な女性に成長していた。
(お転婆なところは変わらないけどな)
(元気のないお嬢様とか想像できん)
(俺もだ)
古参のメンバーは親か兄のようにナンテのことを見守っていた。
そんな眼差しに気付くことなくナンテは話を続ける。
「私が居ない間の村の管理はこちらのチュリお義姉様にお願いすることになりました。
最初はジーネンに頼もうと思ったのだけど、もう歳だからと断られてしまいました」
「「ははははっ」」
ジーネンは元々辺境伯家に仕える執事だった。
しかしナンテが自由に走り回るようになり、そのお目付け役を仰せつかる事になった結果、なかなかに忙しい毎日を送ることになってしまった。
そのジーネンも最近では執務室で辺境伯の手伝いをするのが忙しくなり、ナンテのそばに居ない事が多くなっていた。
そのせいか歳のせいかは分からないが最近は運動不足で足腰が弱って来たなんて言いだす始末だ。
それに断ったのはそれだけが理由ではない。
『今更このおいぼれが出しゃばる必要もありますまい』
ナンテの頭を撫でながらジーネンは優しく笑っていた。
そしてジーネンがダメならと白羽の矢が立ったのがガジャ夫婦だ。
ガジャの方は辺境伯家の次期当主として父から仕事を学んでいる真っ最中なので、妻のチュリがやることになった。
「ただお義姉様は子育てに忙しいですし、週に1度くらいの頻度で村の様子を見て回ることになるでしょう。
また農作業についても詳しくは無いので、相談事を持ちかけるのは構いませんが無理難題を言わないように。
特に先日のような問題は起こさないようにお願いします。
……大丈夫ですよね?」
「「はい! 問題ありません!!」」
一瞬、ピシリと空気が張りつめた。
先日、村内で家庭内暴力や堕落の果てに離婚騒動が起きたのだが、その時のナンテの静かな怒りは今でも村人たちの胸に突き刺さっている。
『精霊は多くの恵みをもたらしてくれるが、裏切れば一夜にして村は枯れ果てる』
そんな諺があるが、ナンテの信頼を裏切ることもそれと同じくらい恐ろしいことなんだと自覚させられる事件だった。
真っ当に生きる。ただそれだけで良いのだけど、意外とそれが難しいのが人間だ。
最近では村人同士でのコミュニケーションを増やし、相互監視に近い形で平和を維持している。
「さて、みなさんも知っての通り、ネモイ辺境伯領はこの数年で大きく発展しています。
領都は人口だけ見ても5年前に比べて3割近く増えているそうです。
そして領都のすぐ隣にあるこの村も他人事では無いでしょう。
今でこそどこにでもある普通の農村ですが、今後どうなるかは分かりません」
(おい、今の笑う所か?)
(いやお嬢様の場合、素で言ってるだろう)
(ここって普通の農村だったんだなぁ)
(いやいやいや)
「?」
予想外のタイミングで村人たちがざわついたのでナンテは何か変な事を言っただろうかと内心首を傾げたが、気にせず続ける事にした。
「もしかしたら3年後に私が帰ってきたら、ここは第2の領都と呼ばれているかもしれませんね」
「「……」」
こっちが本来の笑うポイントだと思っていたのだけど、今度は神妙な顔をして頷かれてしまった。
いやいや、ただの農村が3年で大都市になるとか無理に決まってるじゃないか。だよね~みたいな感じに。
あれ、そうじゃなかったのかな。なんて逆にナンテの方が不安になってしまった。
「それと去年まで私が耕していた畑ですが、一部を除いて皆さんに管理をお願いしたいと思います。
希望者はこの後で名乗り出てください。
20人くらいで分担した方が良いかなと思っています」
(それってつまり、今までお嬢様1人で20人分の仕事をしてたって事だよな)
(いやお嬢様基準で20人だぞ? きっと50人でやってもまだ足りないって)
他にも幾つか仕事を引き継ぎ、村人とチュリとの顔合わせを済ませたナンテは1人の男性を連れて村の北端へとやってきた。
そこにはナンテが耕し続けて来た畑と、ホルスティーヌ達魔獣の厩舎があった。
「みんなこんにちは。今日はしばしのお別れを言いに来たの」
「ぶもっ!?」
「くけっ!?」
ナンテの言葉に驚く魔獣たち。
一応彼らにも以前から学院に行くことは伝えていたのだけど、そもそも学院が何かを理解されていなかったのかもしれない。
ナンテは魔獣たちを宥めながら言葉を選んだ。
「そうね。修行の旅に出ると言ったら分かりやすいかしら。
3回冬を越えるまでの間、私はこの地を離れるの。
その次の春には戻ってくる予定よ」
「うもぉ~」
これはちゃんと伝わったらしい。
獣に近い習性の魔獣は子供を産み育てる事も出来るし、子供を強く育てる為に過酷な環境に送り出す事もあるらしい。
だからナンテが修行に出ると言われて理解したのだろう。
ここまで話が理解出来たところで、連れて来た男性を隣に立たせる。
彼こそこの厩舎で魔獣の面倒を見て来た責任者だ。
「ゼフの事はみんな知ってるわよね?
彼には引き続きみんなのお世話をお願いしているから安心してね。
ただ、3年の間にどんなことが起きるか私にも分からないの。
もしここに留まるのが無理だと思ったり身の危険を感じたら迷わず北の森に逃げなさい。
そこに住む森の民なら皆の事を護ってくれるはずよ。
それも無理そうなら、自由にしても良いと思うわ」
ここに居る魔獣たちには野生の魔獣と区別出来るように首に赤いスカーフを巻いてある。
森の民ならそれを知っているので見つけたら面倒を見てくれるだろう。
それに流石に魔物の森の中までは改革の波は届かないはずだ。
「ゼフも皆の事をお願いね」
「はい、お任せください」
「もしもの時はあなたもちゃんと逃げるのよ」
これは決して村人たちの事を信じていない訳ではなく、3年という月日は今ある常識が全部ひっくり返る可能性があるくらい長いということだ。
事実、領都の方では以前では考えられなかったほど大きく変化している。
こうしてナンテは皆に必要な事を伝えて回り、王都への出発の日を迎えるのだった。




