85.経済バブルの兆し
2日後の朝。朝食の席でマネイ達は揃って今日の内に帰路に就く事を告げて来た。
「予定よりも長居してしまったからな。
国に帰ったら決裁書類が山になっていそうで怖いよ」
「ほっほっほ。
儂らはもう息子夫婦に全部丸投げしてあるから気楽なものよ」
「今頃あの子たちは『お父様達だけズルい』とか言ってそうですけどね」
「くっ、私もさっさと次の代に明け渡してしまうべきか」
などと軽口を言い合えるくらい両者の仲は良好だ。
これならアウルム帝国とヒマリヤ王国の関係も安泰と言えるだろう。
間に挟まっているアンデス王国とは温度差があるが。
「みなさんにお土産を用意しました。
こちら私の畑で先月採れたものです」
ナンテはそう言いながら両手で抱えるサイズのバスケットを差し出した。
その中身は当然ジャガイモ。
普通なら結婚式の参加者への返礼品としてジャガイモは最低どころか舐めているのかと怒られる所だけど、受け取ったマネイ達は喜色満面だ。
「おぉ! これは例のジャガイモだな。
ナンテ嬢。これを売ってもらう事は出来ないのかい?」
「残念ながら今年は売れる程残っていないんです」
「そうか……」
ナンテの答えにガクリと項垂れるマネイ。
こうして贈答用に出せるのだからまだ在庫は残っているのだろうけど無理は言えない。
飢饉から脱したとはいえ、恐らくネモイ辺境伯領の食糧備蓄はほぼゼロ。
何かの拍子に想定外の食糧が必要になることもあるので、これから冬を迎えるこの時期に売るのを控えるのは当然の事だ。
「でも来年以降であれば多少はお売りできると思いますよ」
「それは良いことを聞いた。
ならば今の内から予約を入れておきたい」
「待て待て。儂らだって欲しいのだ。独り占めはいかんぞ」
「ヒマリヤ王国なら自国内で生産できるだろう。こっちに寄越せ」
「馬鹿を言う出ない。この品質の作物が早々出来るはずなかろう」
ナンテの一言から言い争いが発生してしまった。
流石にどちらも立場のある者なので殴り合いには発展していないが、ナンテでは止めようがない。
こういう時に強いのは肝の据わった女性だ。
「ほらあなた達、いい加減になさい。ナンテさんが困ってしまっているわ!」
カラの老婦人とは思えない力強い呼びかけに男たちはばつが悪そうに口を噤んだ。
その隙にカラはさっさと話を纏めてしまう。
「商談は後日、そうね来年の春頃が良いかしら。
それと両国から大使館のようなものを設置させて頂いて、じっくりと腰を据えて協議していきましょう。
こちらとは今後とも長い付き合いになりそうですし」
「え、えぇ。辺境伯家としては問題ありません」
ナンテの父もこのタイミングを逃さずに同意した。
大使館とはまた大きく出たなと思うものの、友好国として付き合うならあればかなり便利になる。
使者の滞在も主にそちらを使って貰えば領主邸の負担も減るので助かる。
ただこの事を知ったら王家が色々と文句を言ってきそうだが、まぁ彼らがわざわざここまで足を運ぶことは滅多に無いので伝わるのはだいぶ先になるだろう。
「では帰りますよ」
「うむ、最後に見苦しい所を見せて済まんな」
「来年を楽しみにしているよ」
そうしてマネイ達はテキパキと支度を整え、自分たちの国へと帰っていった。
それと同時に両国から来ていた他の客人たちも足並みを揃えるように帰って行き、ここ数日のお祭り騒ぎもようやくお開きとなった。
「何やら一気に静かになりましたね」
「彼らに付いて来た護衛や当初招待していた貴族達も合わせると100人近く減ったことになるからね。
さて、彼らが外貨を落としていってくれたお陰で今この領地は未曽有の好景気な訳だが、それに浮かれていてはお金なんてものはすぐに無くなってしまうものだ。
分かるね、ガジャ」
「はい。今回手に入った資金は領地の発展の為に使います」
「よろしい」
馬鹿な貴族であれば懐にお金が舞い込んできた瞬間、富豪になったつもりで豪遊しだすところだ。
もしガジャが同じようなことをし出したら縄でぐるぐる巻きに縛って屋敷の屋根から吊り下げてでも反省を促すところだ。
ガジャの後ろに控えるように立つチュリも異存は無いようで安心だ。
こうして領主一家は落ち着いたのだけど、問題は市井だ。
街の人達はお祭り騒ぎこそ終わったものの、一部の者たちは手元に残った大金に困惑していた。
そこへハイエナのごとく南部の商人達が、普段のネモイ辺境伯領では手に入らない高価なものを携えてやって来た。
「さあさあそこの美しいお嬢様方。
あなた方にピッタリの光輝く宝石類をご用意致しましたよ。
一度手に取ってみてください」
「こちらは王都で名を馳せる新進気鋭の画家パーロの作品だ!
家に1枚あれば拍が付くってものだよっ」
「王都で大人気の占いの館ポルルの出張営業です。
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普段贅沢などとは無縁の人達だ。
都会の輝かしい売り物を見て我も我もと散財していった。
領主としては出来る事なら貯蓄しておいてほしいとは思うが、彼らを止める口実が無いので見守る事しか出来ない。
それと全てとは言わないがそう言った珍しいものの殆どがまがい物か贋作だ。
王都に持って行けば1日の食事代くらいにしかならない。
まあ彼らが王都に行く機会はまず無いのでその事実が露見することも無い。本人達が納得していればいちいち規制して回ることも出来なかった。
ただそれでも領民を守るためにお触れを出した。
『ネモイ辺境伯領内での借金、賭博、生命の売買を禁止する』
借金と賭博は言葉の通りだ。
生命の売買というのは要するに奴隷や人身売買の事だけどそう言わなかった理由は「人じゃなければ問題ないだろう」という言い逃れをさせない為だ。
現在のネモイ辺境伯領には森の民を始め若干容姿が独特な人達が居る。
そう言った人達を人間と似て非なる種族『亜人』と称して差別し人権を認めようとしない者が居る。
ナンテ達に言わせれば頭がおかしいんじゃないかって話だけど、国の上層部にもそう言った思想の人達が居るのも事実だ。
そしてそう言った人に限って他に用も無いのにやって来て文句を言いに来るものだ。
「いざとなったら街道に検問を設置して人の出入りを制限しよう」
「懇意にしている貴族や領主の紹介状を持たない商人の出入りを禁ずる、とかでも良いかもしれませんね」
「うむ。来年の春までには準備を済ませたいところだ」
こうしていつもなら冬はのんびりできるネモイ辺境伯領は慌ただしく動き続けるのだった。




