76.流れる噂話
辺境伯が王宮でゴブリン料理を振る舞っている頃。王宮の外、王都ではどこからともなく臭ってくる異臭に乗って噂話が広がっていった。
「なあなあ、この臭いの原因知ってるか?」
「知る訳無いだろ。なんだこの悪臭。どこから流れて来るんだ?」
「どうやらこれ、北のネモイ辺境伯が王宮に持ち込んだゴブリン料理の臭いらしいぞ」
「はあ!? ゴブリンだって!!
というかこの臭いのが食えるのか??」
「去年からの飢饉を乗り切るためになりふり構わなかったらしいな」
「俺だったらこんな臭いもの食べるくらいだったら餓死する方を選ぶな。
それとも臭いだけで味は真面だったりするのか?」
「いや、聞いた話では味もクソ不味いらしい。
むしろクソの方がまだましってレベルらしいぞ」
「マジかよ。俺王都暮らしで良かったよ」
「それな。ネモイ辺境伯領の奴ら、マジご愁傷様って感じだ」
こんな感じの会話がそこら中で交わされていた。
憐み、同情、そして侮蔑と嘲笑。そう言った感情が辺境伯領へと向けられていた。
それはもちろん偶然などではない。
ネモイ辺境伯が事前に仕組んだことだ。
「よし、あらかた噂は広まったな」
「ああ。しかしもうちょっとマシな内容じゃなくて良かったのか?」
「むしろもっと同情を引くくらいでも良かったかもね」
数人の男女が路地裏で成果を確認し合う。
彼らがこの噂を流した張本人だ。
普通なら王宮から異臭が漂って来たからってネモイ辺境伯と紐づける人はいない。
まして異臭の原因がゴブリンを料理したからだなどと想像すら出来ないだろう。
すると様々な憶測が飛び交う。
そうなる前に意図した噂を流したのだ。
「これで少しは恩が返せたかな」
「受けた恩に比べたら微々たるものさ」
「そうね」
彼らは地方領地の生まれだ。
今は王都に出稼ぎに来ているが家族は実家に居る。
その地域は今回の飢饉でネモイ辺境伯から食糧支援を受けていた。
親からの手紙ではその支援が無ければ村から大勢の犠牲者が出ていただろうし自分達も危なかったらしい。
だから今回、辺境伯からこの依頼を聞いて二つ返事で受けた。
その内容が辺境伯の醜聞を流す事だったけど。
「でも、私達が流してる噂って事実なのよね」
「そうなんだよなぁ」
「嘘を語らせる訳にはいかないからって。
そこまで気を遣わなくても良かったのに」
『辺境伯は他の領地に支援し過ぎて自分達が食べる分が無かった』
『辺境伯領ではゴブリンを食べて飢えを凌いでいた』
『今回は王宮でゴブリン料理を披露するためにやってきた』
最初聞いた時は彼らも耳を疑った。
何というか何もかも想定外というか。
「まさか辺境伯がそんなことになってるなんてな」
「それでこの後俺達はどうする?」
「出来る事なら他にも何かしてあげたいけど、私達もあまり余裕ないから」
食糧難で地方は食べ物そのものが無かったけど、王都では物価が数倍に跳ね上がっていた。
だから彼らの懐事情もギリギリだ。
最近は春野菜が流通し始めたし南部では早くも小麦の収穫も始まっているので、少しずつ物価は戻りつつある。
秋には例年通りに戻るはずなのでそれまでの辛抱だ。
「よし、じゃあ後は噂が変な方向に行かないようにしよう」
「そうだな!」
こうして彼らの努力の甲斐もあり、元々のネモイ辺境伯が王都に召喚された原因である反逆説や他国との共謀説は聞こえなくなった。
ちなみに王宮で振る舞われたゴブリン料理はネモイ辺境伯以外、誰一人手を付けることなく廃棄されることになった。
ただ、謁見の間ではその後しばらく悪臭がこびり付いたままだったという。
そして無罪放免でネモイ辺境伯は王都を出る事が出来た。
またそれと入れ替わりで王宮には他国からの使者が到着する。
「お初にお目にかかります。
私、ヒマリヤ王国外務大臣のベルベット・カルサイト侯爵でございます」
「アウルム帝国のタンタル辺境伯家ニオベ・タンタルです。
皇帝陛下から書状を預かっております」
東西の隣国からの使者が続けざまにやってきた使者。
彼らの目的は同じだった。
「昨年末のこちらからの食糧支援のお陰で多くの民が救われました」
「あれが無ければ帝国は半内戦状態に陥るところでした」
「「心から感謝申し上げます」」
要するにネモイ辺境伯領から齎された支援に対する謝礼。
通常なら感謝状と返礼品が届けられて終わりになるものだけど、両国でもかなり上の立場の貴族が直接乗り込んできて王への謁見を求めて来た。
それだけ気合が入っている証拠だ。
ただ、それにしてはどちらも返礼品を持って来てはいなかった。
(礼品については後日、国内の食糧事情が安定してからということか?)
アンデス国王は内心でそう考えつつ使者へと挨拶を返しておく。
だけど、続く使者からの言葉にギクリとすることになる。
「ところで、支援頂いた食糧が北方の地から回されたそうなのですが、なぜなのでしょう。
流通経路を考えれば中央の交易路を使う方が楽だったでしょうに」
「む、それはだな」
「それと支援頂いた内容が小麦などが無く、代わりにジャガイモばかりだったと聞いています。
こちらの国ではジャガイモが主食だったのでしょうか」
「いや、そういう訳ではないのだが」
ここで実はアンデス王国ではジャガイモは家畜の餌だとは言えない。言えば間違いなく外交問題に発展して最悪戦争になる。
「支援頂いたジャガイモはもうすべて食べ尽くしてしまったのですが、もう一度あの味を堪能したいという声が多く寄せられておりまして。
季節的に今年はまだ収穫が出来ていないと思いますが、収穫出来たらまた分けて頂けないでしょうか。
また同時にお勧めの料理法などあれば教えて頂きたく思います」
「ちょ、調理法か。
それは料理人に確認してみるとしよう」
王宮の料理人ではジャガイモの調理法を知らない可能性が高い。
知っているとしたらネモイ辺境伯だろうか。
(ぶるぶるぶるっ)
ネモイ辺境伯の事を考えた途端、先日のゴブリン料理の事を思い出して悪寒が走った。
それ程までに国王のトラウマになる事件だった。王妃など数日寝込んでいる。
あんなものを食べる奴を紹介して良いだろうかと悩むが、他にジャガイモ料理に精通していそうな者も居ない。
しかしこうなるとネモイ辺境伯を罰する訳にはいかなくなった。
いくら何でも罪人を隣国に紹介することは出来ない。




