73.荒唐無稽な非難
朝。ナンテがチュリを伴って出掛けたのを見送った後、ガジャと父は執務室へと向かった。
そして向かい合って座りながら重いため息を吐く。
「父上、早急に手を打たねば危険です」
「分かっている」
それはガジャからの報告で明らかになった事だ。
「まさか中央の貴族どもが私達の排斥を訴え出すとは思わなかったな」
発端は去年の冷害。それに対する辺境伯の行動が国を、ひいては王家を軽んじている。更には翻意を持っているのではないかと言うのである。
「まったく、何を根拠に言っているのか」
そう言ってみたものの、中央のバカ共の言いそうなことは大体分かっている。
まず王家に対しての食糧支援を夏の1回しか行わずに以降の要請を断った事だろう。
「我が領の作物といえばジャガイモだ。
それも彼らが毛嫌いして見向きもしないものだ。
差し出しても彼らが食べたかどうかは怪しい所だろう」
「しかし、他の穀倉地帯に比べ、王家に献上した量が少なかったのは事実です」
「ガジャよ。ここはいつから穀倉地帯になったのだ?」
「……」
父の言葉に思わずガジャは押し黙ってしまった。
辺境伯領はそもそも穀倉地帯などではない。むしろ1年を通じて気温があまり上がらず、麦もほとんど育たず、土も痩せた、人が生きるには厳しい土地なのだ。
栄養失調が原因の体調不良で亡くなる人だって、飢饉など無くても毎年何人も出してしまっていた。
近年やっとナンテのお陰で潤ってきたが、元は貧乏貴族の筆頭と馬鹿にされる程だったのだ。
そんな領地に支援を求める方が間違っている。むしろ支援してほしいのはこちらの方だ。
「しかし、それでは地方に支援を行った事と矛盾します」
「中央が動かないから仕方なくなけなしの食糧を配ったに過ぎん。
それも中央で消費された量から比べれば微々たるものだ。
彼らに節制させ余剰分を配った方が余程有意義だったろう」
以前王都の宿で食べた食事を思い出せば、どれだけの食料が王都を始め主要都市で消費、いや浪費されたかは想像に難くない。
他人に求める前にまずは自分達で出来ることを考えろと声を大にして言いたい。
「それが出来るなら最初から苦労はしないでしょう」
「まあな。
ともかく、奴らが垂れ流す流言を打ち破らなければならん」
「私達の味方になってくれる貴族は居ないのですか?」
「内々では居るだろうが表立っては厳しいだろう」
ネモイ辺境伯に恩義を感じているのは、主に今回の飢饉で支援を行った先。つまり地方の貧乏小貴族だ。
彼らは例外なく寄親となる大貴族が居てその意向に逆らう事は出来ない。
一応昔から付き合いのある貴族も数人居るが、いずれも中央に意見が出来るほど大きくはない。
「チュリの親元も頼れなくなりましたからね」
「そこは最初から当てにしていない。
我が家に嫁に来てくれただけで僥倖だ」
チュリの親はとある地方の伯爵家だったのだけど、去年の冬に領地で暴動が起きて領都邸が焼き討ちに遭った。
その際、チュリの父であった伯爵が死んでしまい、今は長男が後を継いだらしい。
その新領主は父親の好色っぷりに嫌気が差していたらしく、正式に正妻側妻として認められて居なかった女性とその子供は伯爵家の者ではないと追い出してしまった。
当然、使用人の子供だったチュリも縁を切られたので帰る家は無くなった。
「お前と会えたのが縁を切られる前で良かったな」
「本当に」
父の言葉にガジャは深く頷いた。
仮にもし、チュリが家から絶縁された後にガジャに近付いていたら。
ガジャでなくても保身のために自分にすり寄ってきたのかと警戒しただろう。
そうなれば当然親からの覚えもよろしくない。
嫁に迎えるには厳しい条件が課せられただろう。
「……ナンテは上手くやっているでしょうか」
「さあな。ただ一つ言えるのは、あの子に付いて行けて、あの子の周りが問題無いと判断したなら大丈夫だということだ」
「やはりナンテには精霊が憑いているのですか?」
「ほぼ間違いない。
あの子が精霊から聞いたであろう情報が無ければ、私達も今回の飢饉を乗り越える事が出来なかっただろう」
残念ながらナンテの口から精霊の事を伝えられた事はない。恐らく精霊との契約で話せないのだろう。
しかしナンテの力は尋常ではないし、時折誰かと話している姿も目撃されている。
状況証拠は揃っているのだ。
「一体どれ程力のある精霊なのでしょう」
「分からん。
が、仮に領地一帯を取り仕切る大精霊だと言われても納得出来るよ。
だから決して怒らせてはならん」
過去の文献を読み漁れば幾つも神や精霊といった上位存在が齎した天変地異の話は見つかる。
そしてそれまで善性だと思われていた精霊が暴れた裏には決まって人間が精霊を怒らせる何かをしていた。
例えばそう、契約していた精霊術師に危害を加えたとかだ。
「まあチュリさんの事はもう少し様子を見よう」
「はい。
それで父上。『ネモイ辺境伯は隣国と通じている』という噂も聞いたのですが」
「懇意にしている貴族はいる。それは事実だ」
「秘密裏に食糧支援を行っていたという噂もありますが?」
「それは根も葉もあるが事実ではない」
「……つまり、ナンテが関わっていると」
「そう言う事だ。
あの子が個人として支援を行っていたのを黙認しただけだ。
幸い我が領地には『自分の財産を自由にしてはならない』という法は無いからな」
「ふむ、なかなかに詭弁ですね」
普通に考えれば親が子供の財産を管理したり使い道に口を出したりすることは良くあることだ。
特にナンテはネモイ辺境伯の娘。つまり貴族だ。
貴族ならば国の為に尽くす義務がある。ただしそれも成人していたらの話だ。
「幸いナンテは年齢的にはまだ子供だ。
貴族として何かを押し付けられる事は無い」
「仮にその保有している資産が中小貴族を上回っていても、ですね」
「違うな。大貴族を上回っていてもだ」
仮に今回ナンテが隣国に渡した食糧に金額を付けたとすると、侯爵家の年間予算に匹敵するかもしれない。
それ程までの量の食糧をたった4,5年で生み出していたのだから驚きである。
「ガジャはまだナンテの農村を見ていなかったな。
明日にでも一度見て来ると良い。驚くぞ」
「はい。しかしそれを聞くとナンテに付いて行ったチュリの事がますます心配になってきました」
「はっはっは。帰ってきたらしっかり労ってあげなさい」
昨夜も随分とぐったりした様子だったし、相当ナンテに連れ回されたのだろう事が窺えた。
慣れない辺境暮らしと合わさって心が折れてしまわないように自分が支えねばと思うガジャだった。




