72.辺境伯領の夜
ナンテ一行が向かったのは北の森。
通称、魔物の森とも呼ばれる危険な場所で、普段は魔物ハンター以外は入ったりしない。
しかしナンテはまるでピクニックにでも行くかのように軽い足取りで入っていった。
「あ、あの。ナンテさん。危険はないのですか?」
「大丈夫ですよ」
あっけらかんと答えるナンテを見て、実は噂は過去のもので今はもう魔物の森とは名ばかりの普通の森になったのかなとチュリは期待した。
だけど続くナンテの言葉に血の気が引いた。
「浅い所にはゴブリンくらいしか出ないですから」
「ゴブリンは出るんじゃないですか!」
チュリは学園時代、実習で王都近郊の森に行きゴブリンを討伐した経験はある。
しかしその時はちゃんとした武装もしてたし何よりベテランの魔物ハンターが引率に付いてくれていた。
対して今は普段着だし武器になるようなものも午前中に使ってた鎌くらいしかない。
そもそもチュリは前衛ではなく後衛。魔法使いポジションなのだ。
生粋の都会っ子に比べたら体力はある方だけど、魔力を増幅させる杖もなしに魔物と戦うのは不安が残る。
それに今は自分よりも幼い少女が一緒なのだ。この子を護りながらでは厳しいこと間違いなしだ。
そんなチュリの心配を他所に、ナンテは明るい声を出した。
「あ、ゴブリンが居ました」
「グゲゲッ」
「ちょっ、嘘でしょう!?」
ナンテが元気な声を出すものだから、速攻でゴブリンからも見つかってしまった。しかも相手は5体。
(どうにかして逃げないと!)
そう考えていたのはチュリだけで、ナンテはまたまた元気よく右手をゴブリンに向けて突き出した。
「よし、行け!」
「え」
まるで犬をけしかける仕草だ。
いや実際にそうだったのだけど。
「ブモモ」
「コケーッ」
ナンテの号令を待ってましたと言わんばかりに、後ろに付いて来ていたホルスティーヌとウコッケー達が一斉にゴブリンに飛び掛かった。
ホルスティーヌは四つ足で猛然と駆け寄ると、衝突の直前で立ち上がり、その勢いのままゴブリンにラリアット。食らったゴブリンは茂みの向こうに飛んでいってしまった。
ウコッケー達は翼をバタバタと羽ばたかせたと思えば、その丸っとした体型からは想像出来ない急加速を見せ、その額に付いている角でゴブリンを串刺しにした。
「すごい……」
5体居たゴブリンはあっという間に殲滅されてしまった。
その光景にチュリは呆然と呟くことしか出来ない。
しかし。
「駄目じゃないホルスティーヌ。
折角の獲物が何処かに飛んでいってしまったわ。
ちゃんと自分で回収してくるのよ」
「ぶ、ぶもっ」
「ウコッケー達も突き刺して満足しないの。
心臓への一突きは強力だけど、それで息があったら反撃されてしまうわ」
「コッ」
まさかのダメ出しである。
魔物たちにそんな事を言って大丈夫なのか。怒ってその牙を自分達に向けられたら今度こそ終わりだ。
そうチュリは心配したけど、彼らは大人しいものだ。
どうしてだろうと疑問に思っていたが、その答えはすぐ近くに居た。
「さあ、次のゴブリンが来たわ。
今度は私が行くからよく見てて」
ナンテの言葉通り、再びゴブリンがお互い見える所に居た。
流石は魔物の森。こんなに頻繁に魔物に遭遇するなんて。などとチュリが感心していたらなんと、今度はナンテがゴブリンに飛び掛かって行くではないか!
「体重を乗せた一撃は真横ではなくてやや下に叩き落とす!」
ドグッ
ナンテの振るう鍬が先程のホルスティーヌのラリアットのようにゴブリンに叩き付けられたが、ゴブリンは吹き飛んでいかずに地面に押し潰された。
「角突きは一撃離脱を心掛けて。
突く。そして蹴り飛ばして引き離す。
これの繰り返しよ。
もしくは脇や首筋を掠めるように切り裂くのが効果的よ」
今度は鎌をウコッケーの角に見立てて実践してみせる。
流れるような演武。
ホルスティーヌもウコッケーも鼻息荒く観戦していた。
「じゃあ次のゴブリンが見つかったら実践よ」
「ぶもっ」
「こけっ」
言葉だけ聞いてれば師匠と弟子の心温まる修行なのだけど、実際には少女と魔物達の会話である。
チュリは悪い夢でも見ているのではないかと頭を押さえた。
それを見たナンテが盛大に勘違いした。
「すみませんお義姉さま。退屈でしたよね。
次のゴブリンはお義姉さまに譲りますから安心してください」
「いや無理ですからね!」
突然何を言い出すのかと怒鳴ってしまった。
だけど実際問題、チュリはゴブリン3体と死闘を繰り広げる自信がある。つまり苦戦どころの騒ぎではないのだ。5体相手なら死ねる。
チュリに怒られたナンテはしょんぼりしていた。
自分としては良かれと思って言ったのだけど、何かが彼女を怒らせてしまったらしい。
その何かは分からないけど怒らせたのなら謝らねば。
「ごめんなさい、お義姉さま」
「いえ、こちらこそ怒鳴ってしまってごめんなさいね」
謝るナンテの姿を見てチュリも冷静さを取り戻した。
「だけど私はハンターではないから魔物との戦いは、出来ないのよ」
一瞬「遠慮するわ」と言おうかと考えたけど、この子なら言葉通り遠慮してるだけなんだと取りかねないと思い直し、明確に「出来ない」と伝える事にした。
そしてそれが正解だったらしく、その後は常にウコッケー2体が護衛に付くことになった。
チュリからしたらウコッケーも魔物なのでちょっと怖いのだけど。
ともかく無事に散歩も終わり魔物たちを厩舎に戻した後、ナンテとチュリは帰宅した。
「ただいま戻りました」
「あらお帰りなさい。
チュリさんは初日で大変だったでしょう。
すぐにお夕飯の準備が出来ますからね」
「はい、お気遣いありがとうございます」
迎えてくれたナンテの母にお礼を言いつつチュリは充てがわれた客間へと向かった。
それを見送ったナンテと母は少し心配そうだ。
「無理をさせ過ぎたでしょうか」
「そうかもしれないけど、ここで生きていくなら早めに慣れてもらった方がいいわ」
多分ナンテ以上にハードな毎日を過ごしている人はこの領地に居ない。
それに付いていければ辺境伯夫人としても立派にやり遂げられるだろう。そんな期待もある。
そしてその日の夕食は肉と野菜の入ったスープ。以上。
一応肉が入っている分、豪勢な方だ。
「この野菜は今日チュリさんが収穫してくれた物なのよ」
「おお、そうなのか」
「美味しいよ、チュリ」
「あ、ありがとうございます」
思いがけず自分のことが話題に挙がってチュリは今日の苦労が少し報われた気がした。
しかし。
「この調子で明日からも頑張れそうかな?」
「え、えっと」
この問いかけには思わず言い淀んでしまった。
だけどそれを咎める人は居なかった。
ナンテもガジャも両親も、ゆっくりと次の言葉を待っていた。
それは信頼と期待の現れ。
だからチュリはお腹に力を入れて頷いた。
「はい、よろしくお願いします!」
それを聞いた皆も嬉しそうに頷いた。
だけど翌朝。
「おはようございます、お義姉さま。
朝の畑に行きましょう!」
まだ空が明るくなる前の時間に起こしに来たナンテを見て、チュリは選択を誤っただろうかと早くも後悔し始めるのだった。




