7.昔は食べるものにも苦労したものです
学院の2年生というのは、ある意味最も自由な学年である。
1年生の時は入寮に始まり、初めての事だらけのカリキュラムをこなし、たった1、2歳差なのに神と下僕とでも言うかのように威張る上級生の相手をしなければならなかった。
まあもっとも、その新入生の中でもナンテは畑を耕したり好き勝手やっていた方ではあったが。
そして3年生になると卒業後の進路を考えなくてはならなくなる。
各家の長男であればほとんどの場合、家を継ぐことになるのでそれに向けての勉強と人脈作りが主になるし、それ以外の男子なら王宮勤めの文官であったり騎士団であったりと自分の能力に見合った働き先を見つけないといけない。
女子の場合はボチボチ本命の婚約者を捕まえる必要があり、今度は土壇場で破棄されないように周囲や親元への根回し、水面下でのライバルの蹴落とし合いを行う事に奔走することになる。
その点、2年生はある程度学院の事も知っていて、3年生ほど将来に焦ることもない。
だから各自の好きな事に想いを馳せたり行動したりできる。
それでもやっぱり年頃なので話題の一つに恋バナが挙がる。
「ナンテさんは学院内に気になる男性とかはいらっしゃらないんですか?」
「ん~今の所は居ないかな」
ムギナの質問に軽く答えるナンテ。
「正直、婚約破棄ゲームを楽しんでる男子に興味は無いし」
「ご実家からは何も言われないんですか?」
「全然。家は何も問題が無ければ兄さんが継ぐし、私は好きにしていいって言われてるわ。
政略結婚する必要もないし。
そういうムギナは将来を誓い合った許嫁が居るもんね」
「はい。今年新入生としてこの学院に入って来たオム君です」
オム君。本名はオオムというそうだけど、その彼とムギナは領地も隣どうしで生まれる前から家族ぐるみの付き合いがあるそうだ。
聞いた限りでは素直で優しくてムギナの事を姉のように慕ってくれているという。
「今年入学ってことは悪い先輩に捕まって無ければ良いけど」
「オム君に限って大丈夫ですよ。それに」
「それに?」
「悪い虫はきちんと追い払ってますから。ふふふっ」
どことなく黒い笑みを浮かべるムギナだったけど、ナンテはムギナが邪魔ものの排除だけでなくしっかりとオム君に愛想を尽かされないように頑張っているのを知っているのでそこまで心配はしていない。
むしろ相思相愛すぎて二人が一緒に居る所に出くわすとその幸せオーラが眩しくて大変なのだ。ナンテとしては早く結婚しろと言いたい。
「そういえば例の転入生が婚約なさったそうですよ」
「あら。相手は誰かしら」
「確か公爵家のタケコさんだとか」
「あぁ、あの人ね」
時々ナンテに婚約破棄はまだかと言って揶揄ってくるお嬢様だ。
彼女とは学院に入ってから知り合った間柄で、特に親しい訳でも逆に喧嘩している訳でもない。
きっと向こうからしたら田舎臭いナンテが目に付くだけなのだろう。
「私てっきり転入生はナンテさんが目当てだと思ってたのですけどね」
「いやいや、そんな訳無いから」
「そうですか? でも今隣国と最も繋がりのある貴族と言えばネモイ辺境伯でしょう。
その令嬢であるナンテさんが在籍している学院に転入していらしたのですから」
「確かにそう繋げて考えるとそうね」
6年前に起きた大陸規模の大飢饉。
過去の文献を遡れば60年近く前にも同規模の飢饉が起きており、数百万人が餓死したとも言われる程の惨状であったという。
なので本来なら今回も冬を越せずに餓死する者が後を絶えないと思われていた。
しかしそこへネモイ辺境伯が食糧支援を申し出たお陰でアンデス王国内の餓死者は数千人程度で治まった。
「……本当なら餓死者はほぼゼロになる可能性だってあったんだけど、ね」
餓死者が出たのは各領主が領内の各村への食料配布を絞ったのが主な原因だ。
とは言ってもあまりその領主を責めることも出来ない。
なにせネモイ辺境伯から各地に配給された食料は、元々各領地で非常用にと確保しておいた食料と合わせて何とか冬を越せる程度の量しかなかった。
なのでそもそも食料の備蓄を行っていなかった領は本気で切り詰めてギリギリという状態だったし、春になってすぐ食料が手に入る保障も無いとなれば多少なりとも手元に残しておきたいと思ってしまうもの。
それに普段普通に食事をしている貴族に自主的に貧民並みに切り詰めろというのも難しい。
結果的に南部の領地にある小さな村を中心に餓死者が出てしまった。
そして、飢饉に襲われたのはアンデス王国だけではない。隣国のヒマリヤ王国やアウルム帝国もだ。
それを知ったネモイ辺境伯は両国にも食料支援を行った。
この行動が国内に知れ渡ると自国でもまだ食料が不足しているのに何を考えているのかと大問題となり、一時は国家反逆罪で一族郎党極刑に処すべきだ、という声さえ上がったほどだ。
しかし翌年の夏には両国からネモイ辺境伯に感謝状が届けられたことで、辺境伯の処分は保留となった。
こうしてネモイ辺境伯は国内はともかく、隣国からの評価は高い状態になっていると思われる。
「縁の出来たネモイ辺境伯の子供と婚姻関係を結んで、両国間の関係改善を図ろうって考えても不思議ではありませんわ」
「言われてみればありそうね。
でもそれなら真っ先に私に会いに来ると思うわ」
「そうですわねぇ」
ナンテがその転入生に会ったのは、転入生が来たという噂が流れた少し後。つまり数日は経っている。
しかも顔を合わせた時、向こうはナンテの事を知らない風だった。
普通に考えれば顔はともかく名前くらいは調べているだろう。
だからきっと最初からナンテに用があった訳ではないと考えるのが自然だ。
「それはともかく、2年生はもう少ししたら実習が増えるって」
「最近は魔物が増えているそうですし、それ対策も兼ねているのでしょうね。
つい先日も学院近くの森でゴブリンが確認されたそうです。
今頃冒険者が依頼を受けて巣の捜索をしている頃でしょうか」
「うん、小さい巣だったし見つかったらすぐ潰されるでしょうね」
「あらまあ」
まるで見て来たかのように言うナンテに、ムギナは苦笑した。
そう言えばゴブリンの噂を聞いた日の午後、ナンテはちょっと用事が出来たと言って部活を休んでいた。
かと思えばその翌日は良い肥料が手に入ったと言って早朝から休耕地を鋤き込んでいた。
その肥料というのが魔物の、特に食用にも適さない毒にも薬にもならないゴブリンなどの魔物の死体を加工したものらしい。
……貴族がその事実を知ったら苦情が殺到しそうなので大っぴらには口外しない方が良さそうな話だ。
ナンテ曰く、北の辺境伯領ではずっと前から、他の領地でも農家なら知っていて当たり前の事らしいが。
「うちの領地は元々やせ細った荒れ地だったんだ。
耕しても大した作物は出来ないし、出来ても森から出てきた魔物に荒らされる事も多かったし。
ある時、畑を荒らしに来た魔物を討伐して畑に撒いたところ、そこの作物が他よりも元気に育つことが確認されたの。
以来、魔物は畑の肥やしにするようになって、今では肥料にする為に森に入って魔物を討伐してくる程よ」
「魔物とは言え死体を畑に撒くのよね。誰も嫌がったりしなかったの?」
「農家にそんな余裕ないもの。
特に私の所って食べ物を選べるほど裕福じゃないから。
昔、というか飢饉の時は飢えを凌ぐ為にゴブリンの肉も食べていたわよ」
「うわぁ」
ゴブリンという魔物は体臭が酷いことで有名だ。例えるならゴミ溜めで生活する浮浪者のような感じだ。
その肉は腐りきった豚肉のようだったととあるゲテモノハンターが語るほど食えたものではない、むしろ食べるなキケンな代物だ。
それでもなお飢えを凌ぐ為に食べたというのだからどれ程過酷な状況だったのか。
「今は収穫高も安定したし、飢える事は無くなったけど、小さい頃は大変だったわ」
そう言ってナンテは過去に思いを馳せるのだった。