69.チュリ
チュリから見てガジャの実家だという辺境伯のお屋敷は、大きめの民家という印象だった。
装飾の類はほとんど無く、貴族の屋敷なら幾つもある筈の美術品も見当たらない。
実家の伯爵家とは何もかもが違った。
(実家なんて言ったら怒られるのでしょうね)
チュリの母親は伯爵家に仕えるメイドの一人だった。
その母が侯爵伯爵に見初められて、と言うよりも戯れに弄ばれた結果出来てしまったのがチュリだ。
伯爵は女癖が悪く、同じような境遇のメイドが屋敷には数人居たのでチュリを身籠っても母を責める者はいなかった。
物心付く頃にはメイド見習いとして母の手伝いをする日々を過ごしていたチュリに転機が訪れたのは10歳の時だ。
幸か不幸か、チュリに魔法の適性があることが判明してしまったのだ。
それからは正式に伯爵の血を引く子供として教育を受ける事になった。
当然他のメイドやその子供からは嫉妬混じりの視線を浴びせられることになった。
「亜人混ざりのくせに」
「容姿なら私の方が整ってるのに」
それでも嫌がらせを受けずに済んだのはそれまでのチュリが優しく頑張り屋であったことと、立場が変わっても他の人への接し方が変わらなかったお陰だ。
もしこれで傲慢な性格になっていたら屋敷での生活は大変なものになっていただろう。
そしてそれは母の教えのお陰でもある。
「良いですかチュリ。
周りの人たちがあなたをどう扱うかは彼らの勝手です。
それに流されてはいけません。
あなたはあなた。それを忘れないで。
また、力を手に入れたと思っているかもしれませんが、それ以上の力を持つ者など幾らでも居ます。
力に溺れ傲慢になればその者たちに潰されてしまうでしょう」
最初に魔法が使えると知った時は万能感を覚えたものだけど、自分よりも凄い人が居ると教えられ、勉強する中で上位存在などという手の届かないモノ達まで存在すると知ったチュリは、すぐさま自分は特別ではないんだと心を落ち着ける事が出来た。
それからは貴族としての教養と魔法の勉強と、メイド見習いとして母の手伝いをする日々が続いた。
「伯爵様がどういうお考えなのかは分かりません。
ですが1人でも生きていけるように知識と技術はあった方が良いでしょう」
そう言いながら母はチュリにメイドとしての技術は勿論のこと、なぜか魔力の扱い方のちょっとした裏技みたいなものも教えてくれた。
「お母さんはどうしてそんなことまで知ってるの?」
「それはね、あなたのお祖母さんも魔法使いだったからよ」
チュリは会ったことがなかったが祖母が居たらしい。
母が魔法を使っている所を見たことが無いから恐らく隔世遺伝というものだろう。
そのお陰で今満足な教育を受けられているのだから心の中で感謝の祈りを捧げた。
しかしそんな優しい母もチュリが13歳の冬に風邪をこじらせて亡くなってしまう。
翌年、母の葬式にも顔を出さなかった伯爵の指示で王都の学園に通うことになった。
『魔法を使った領地改革の方法を中心に学んで来い』
なるほどどうやら伯爵はチュリにそう言った事をさせたいと考えているらしい。
伯爵自身には思うところはあるが、学費は出して貰えるのだから文句はない。
ただ、学園はチュリが思う程簡単なところではなかった。
礼儀作法や学力はなんとか及第点。魔法に関しても中のやや上と言った所だった。
貴族も多く通う学園ではほとんどの人が魔力を扱えて、なるほど自分だけが特別じゃなかったんだと改めて母の教えに感謝した。
しかし勉学そのものよりも問題は学園という閉じた世界にあった。
そこは所謂、貴族社会の縮図。
子は親の鑑などというが、親のマネをしたがるのが子供と言うものだ。
「おぉ、そこの麗しい姫君。もしよろしければ侯爵家の僕と婚約を結んでは貰えないか」
「まあ素敵。これが運命の出会いと言うものね」
などという会話がなされた翌月には、
「残念だが君との婚約は破棄させてもらうぞ」
「ふんっ、二股野郎などこちらから願い下げですわ!」
という真逆の会話がなされていて何を信じて良いのかさっぱり分からなかった。
ただそういった婚約のお誘いはチュリには来なかった。
それはチュリの外見と、なにより出自が影響していた。
「知っていて? あのチュリって子、伯爵がメイドに産ませた庶子なんですって」
「あぁだから所作がぎこちないのか」
「ちょっぴり魔法が使えるから道具として学園に送り込まれたそうよ」
婚約と破棄を繰り返す彼らであっても、誰と婚約したかは一種のスコアのようなものだ。
そこにわざわざ汚点とでも言うべき庶子の名前を加える必要もない。
次第にチュリは学園内で孤立していった。
だけどどこにでも例外は居る。
ある日の昼休みに他の生徒から押し付けられたジャガイモを手の中で弄んでいたら男子から声を掛けられたのだ。
「ねえ君。それってうちのジャガイモだよね!!」
なぜかジャガイモを見て嬉しそうにしている男子。
ジャガイモなんて庶民のそれも下層の人くらいしか食べないものだ。
この男子だってここに居ると言う事は貴族か裕福な家の子供のはずだから、むしろジャガイモを知らなくてもおかしくない。
だけどこの反応。
もしかしたら偏食家とかグルメ(ゲテモノ)ハンターと呼ばれる趣向の人なのかもしれない。
「あの、良かったら貰ってください」
「えっ、いいの!? いやぁありがとう。嬉しいなぁ。
あ、そうだ。折角だからすぐに調理して半分こにしようか」
「え、あの」
ジャガイモを受け取った男子はチュリの返事も聞かずに、魔法で水球を生み出してジャガイモを包み、更に火魔法で水球を熱することでジャガイモを茹でてしまった。
普通、火魔法も水魔法もこんな使い方はしない。
授業ではどちらも攻撃魔法として的に向かって射出するものだと習った。
それを即席の調理道具がわりにするなんて。
男子はジャガイモがゆで上がった所で水を捨て、風魔法で切り分けると、どこからか取り出した塩を振りかけてからチュリに半分差し出した。
「さあどうぞ。熱いから気を付けて」
「は、はい」
受け取ったジャガイモの熱さに驚きながら、男子と同じようにジャガイモに齧り付いた。
するとすぐに口の中に広がる甘味。ほろほろと口の中で崩れる食感と合わさってお菓子のような味わいだった。
「おいしい」
思わず口から出てしまった言葉を聞いて男子はまたにっこりと笑った。
「そういえばまだ名乗って無かったな。
俺はネモイ辺境伯家のガジャ」
「あ……」
男子の名乗りを聞いてジャガイモの味は何処かに行ってしまった。
一瞬チュリは自分の出自を秘密にしようかとも思ったけど、どうせすぐにばれるだろうと明かすことにした。
「私は伯爵家の庶子でチュリと申します」
「そっか。じゃあチュリ。これからよろしく!」
「え?」
ガジャはチュリの事を聞いても一切態度を変えずに握手を求めて来た。
その日以来、ガジャは頻繁にチュリの前に現れてはご飯に誘ってくれたり一緒に勉強するようになった。
「ガジャ君は私の出自とか気にならないの?」
チュリが思い切って聞いてみたらガジャは何てこと無いように答えた。
「全然。それ言ったらうちは辺境伯とは名ばかりのジャガイモ畑しかないど田舎だし。
それに、ジャガイモを美味しく食べる人に悪い人は居ないからな!」
どういう基準なんだろうと思う反面、彼らしいなと笑ってしまった。




