66.食料不足との戦い
12月になりナンテ達の住む大陸に冬が来た。
今度こそ本当の冬だ。
気温も例年通りでコロちゃんの話によると冬将軍は無事に大陸を離れたらしい。
だけどまだ肩の荷を下ろす訳にはいかない。
むしろ今年はこれからが戦いだ。
来年の春まで今ある食料+植木鉢の野菜で乗り切らなければならないのだから。
ネモイ辺境伯領の倉庫はほぼ空だ。
ナンテの【倉庫】にも来年植える為の種を除けばもう何も入っていない。全て隣国への支援として渡してしまった。
隣国への支援はそれで終了。十分と言う意味ではなく出せるものがもうないという意味で。
流石にナンテ1人では2国の食卓を賄うのは到底無理である。
それでも相当な人数がナンテのお陰で助かるだろう。
「「いただきます」」
「はい、召し上がれ」
ネモイ辺境伯家で囲む夕食は熱々のスープだ。
スープの具はジャガイモ1つと植木鉢で採れた菜っ葉が少々。
それが一家で食べる今日の食事の全てだ。
平時なら貧しい平民でももうちょっと食べてるだろう。
「……みんなひもじい思いをさせて済まないな」
ついそんな言葉が父の口から漏れてしまう程、辺境伯家としても質素な食生活だ。
しかしナンテも母も嫌な顔一つせず夕食を囲んでいた。
「大丈夫です。農村に暮らしている人達はもっと辛い状態でしょうから贅沢は言えません」
「あ、あぁ。そうだな」
実の所ほんとうにそうかは分からなかった。
どこの家でも多少なりとも蓄えがあるものだ。
特にネモイ辺境伯領では領主が強制徴収しない分、裕福と言えないまでも餓死する程貧しくもない。
だからもうちょっとくらいマシな食事をしている可能性は十分にあった。
しかしそれを言っても娘を悲しませるだけなので父は口を噤んだ。
そして何とか年を越えて新年を迎えた元旦は街の広場でお祭り、というか炊き出しを行いナンテの父が挨拶をした。
「新年あけましておめでとう。
こうして皆と無事に年を越せたことを嬉しく思う。
領内では今の所、餓死者の報告は届いていない。
これも日々皆が節制に努め、耐え忍んでくれたからこそだ。
本当にありがとう。
あと3か月。
春になれば南部の領地で採れた野菜が出回るだろう。それまでの辛抱だ。
共に乗り越えていこう」
集まった人たちは、配られたスープに具がほとんど入っていないことに驚きつつも嬉しそうに食べていた。
どの顔も、精悍と言うよりもやつれ気味ではあるが、誰一人悲壮感に囚われた人はいなかった。
そして1月が過ぎ、2月になった。
ここまで来ると空腹も限界に近くなってきていた。
そこでナンテ達一家が取った行動は、余計なカロリーを消費しない様にと家に引き籠るのではなく、むしろ街を周って人々のところへ挨拶をして回ることだった。
「やあピクルさん。そちらは大丈夫かい」
「はい何とか。むしろ領主様こそちゃんと食べていらっしゃるのですか?」
「あぁ。昨夜も塩の効いたスープを頂いたよ」
塩の効いたスープというのはつまり塩以外にほとんど何も入ってないお湯と言う意味だ。
答えながら辺境伯のお腹がぐぅ~と鳴った。
「はっはっは。食べ物の話をしたものだから腹がまた食べたいと催促してきたよ」
「いやいや、今の音は私のお腹の音ですよ。ほっほっほ」
笑い合っているがお互いの顔を見れば全然満足に食べていないのは丸分かりだ。
普通の貴族なら、こんなみっともない姿を下々の者に見せられないと思うだろう。
しかしナンテ達は全く逆の事を考えた。
こうして直接街の人達と触れ合う事で連帯感を持ってもらうと同時に、我慢しているのは領主も同じなんだと言う事を知ってもらおうと思った。
それをしないと辛いのは貧しい平民だけなんだと誤解されてしまう危険がある。
特に空腹というのは思考を悪い方向に持って行きやすい。
実際に同時期、他のいくつかの領地で領主館に民衆が暴徒となって押し寄せる事件が発生していた。
「俺達は1日にパン1切れしか食べられないのに、領主は贅沢な食事をしているに違いない」
「うちなんて赤ちゃんに満足にミルクも飲ませてあげられないのに許せないわ」
「きっと領主の倉庫には食料が沢山残っているに違いない」
事実がどうかは玄関扉をぶち破って領主の顔を見ればすぐに分かる。
中には民衆と同じかそれ以上にやつれた領主と対面して、すごすごと解散していくところもあったが、やはり肌艶も良く身体の輪郭もふっくらとしていて明らかに贅沢な食事を摂っている領主も居て、その場合は地下に隠されていた食料を根こそぎ奪われるなど大変な事態になっていた。
ただし、奪った食料をわざわざ小分けにして食い繋ごうと考える律儀な者なら暴動など最初から起こさない。
彼らは数日のうちに手元の食料を食べ尽くしてしまい、再び空腹地獄へと突き落とされることになった。
そして、2月も終わりを迎える頃。
ネモイ辺境伯家の領主館に民衆が集まってきていた。
といっても別に領主館を襲撃しようというのではない。
むしろ心配になって見に来たのだ。
「領主様! こ、この臭いはなんですか!?」
「まるで肥溜めにお湯を注いでかき混ぜたような、酷い臭いだ」
領主館から領都の住宅街までは少し離れているのだけど、それでも風向きの関係で臭いが届いてしまったらしい。
ただあまりにも臭すぎるこれの元が何かが分からなかった。
彼らは鍵のかかっていない正門を抜けて中庭へとやって来た。臭いはそこから来ているようなのだ。
そして彼らが見たものは、寒いのにわざわざ外でたき火をして大鍋をかき混ぜているナンテの姿だった。
「ナンテお嬢様。その鍋は一体何ですか!?」
「あら皆さん。
ごめんなさい、もしかしてそっちまで臭ってしまったかしら」
「え、えぇ」
皆を迎えたナンテは臭いなんて気にした風でもないが、恐らく鼻が馬鹿になっているだけだろう。
そんなことより問題は鍋だ。
近づくと異臭は更に酷くなり中身を確認する事も出来ない。
「これはね。今手元にあるもので食べられそうなものがあったから試しに料理してみてるの。
焼くのとどっちがいいか迷ったのだけど煮るのは失敗だったかもしれないわ」
「え、食べるんですか、それ。
というか何を煮てるんですか?」
「ゴブリンの手足よ」
「ごっ!?」
ナンテは事も無げに言っているが普段は畑の肥料に使っている、魔物の中でも特に不味いという噂のそれだ。
だけど裏を返せば誰かが食べたことがあると言う事だし、毒ではないと言う事を意味している。
トングを持ったナンテは鍋の中から緑というより黒くなったゴブリンの足を取り出すと、徐に一口齧り付いた。
「もぐもぐ。……うっ(くらっ)」
「お、お嬢様。大丈夫ですか!?
今すぐ吐き出した方が」
「だ、大丈夫よ。余りの不味さにクラっと来ただけだから」
意識を失う程の不味さは大丈夫ではない気がするが。
気を取り直してもう1回口に含みながら、ナンテは今度こそ倒れることなく飲み込んだ。
そしてちょっと引き攣った笑顔で皆の方を向いた。
「例えるならそう、汚い言葉になってしまうけど『クソ不味い』とか『クソ喰らえ』って感じね」
実際にそれを食べた事は無いが、どっちが美味いかと聞かれたら悩むレベルだった。
味も臭いも最悪。食感も泥を齧ったようなぐちゃっとしたもので今すぐ口の中を濯ぎに行きたい。
「それでも毒性は無いらしいし、肥料になるってことは栄養もあるってことだもの。我慢して食べてみるわ。
それに、もしかしたら美味しく調理する方法があるかもしれないし」
「は、はぁ。がんばってください」
若干青い顔をしながらも笑顔を見せるナンテに、集まった人たちは決して自分たちも食べますとは言わず、静かに解散していった。
その後ろ姿を見て、ナンテは(まだ大丈夫なのね)と胸を撫で降ろしていた。
そして。
「おや皆もう行ってしまったのかい?」
「そうみたいです、お父様」
「じゃあ私達だけで頂きましょうか」
「はい、お母様。
ジーネン達も倒れる前に食べて」
「くっ。はい、お嬢様!」
主人がこんなものを食べなければならない無念に涙するジーネンを含め、屋敷で一緒に暮らす人たちで「なるほどこりゃクソ不味い」と苦笑いしながらゴブリンの肉を喉の奥に流し込むのだった。




