65.領主としては支援出来ないが
ヒマリヤ王国のリモンとアウルム帝国のフォラスが揃ってネモイ辺境伯の元を訪れた理由。
それはもちろん、食料を求めての事だった。
もしかしたら、かなり早い段階で今年の冷害を予見していたここなら。
そうやって一縷の望みに賭けてやってきたのだ。
だけどネモイ辺境伯は彼らに応える事は出来なかった。
「残念だが辺境伯家としてはまず自国の安寧の為に動かなければならない。
辺境伯として一昨年から貯え続けていた備蓄は、全て国内の飢餓に苦しむ地域へと分配する手はずになっている。
なのでアンデス王国の辺境伯である私はジャガイモ1つおふたりに譲ることは出来ない」
「そう、ですか」
「国を支える貴族としては当然だと思います」
辺境伯の言葉にやっぱり無理かと意気消沈しながら素直に頷く2人。
家にはダメで元々、麦1粒でもあれば僥倖だと言って出て来たので、怒ったり暴れたりすることはなかった。
しかしここでひとり、ナンテだけは力の籠った眼で父である辺境伯を見ていた。
父が繰り返し『辺境伯としては』と言った真意に気付いていたからだ。
「あの、お父様。一つお聞きしてもよろしいでしょうか」
「何だい?」
「辺境伯家は個人で蓄えている食料を徴収しますか?」
「いや、それをする気はない」
「では個人がその食料をどう扱うかはその人の自由ということですね?」
「ああ、そうだ」
父もナンテの言葉の意味を正しく理解していた。
だから自分の言っていた言葉が娘に伝わったことを嬉しく思い、その言葉に頷いた。
しかしリモンとフォラスは首を傾げるばかりだ。
もしかしたら街の家を1つ1つ訪問して物乞いをして来いと言っているのだろうか。
流石にそれは貴族として超えてはいけない1線のように思える。
やるとしても自国でだ。
そんな風に考えた。
だけど父から目を離し、ふたりを見据えたナンテの口からは思いも寄らない言葉が飛び出してきた。
「私の畑で採れた分のジャガイモで良ければお譲りしましょう」
「ナンテの畑で?」
「ほんの僅かでも頂けるなら嬉しいが」
ここで若干だけど2人の反応に違いがあった。
それはナンテの畑を見たことがあるかどうかの差だ。
リモンは以前ここを訪れた時にナンテの畑を見ている。その広さも採れる作物の味も知っている。
対するフォラスは領都まで来たのはこれが初だ。当然ナンテの畑を見た事は無い。だからほんのまだ10歳の少女が管理する畑など、家庭菜園の域を出ないだろうと考えた。
だけど幸いにして判断を誤ることはなかった。
2人は揃って席から立ち上がるとナンテのすぐ横に移動し、膝を折りながら深々と頭を下げた。
「どうか我が国にお恵みをお与えください」
「ナンテ様のお慈悲を賜りますようお願い申し上げます」
貴族としての最敬礼。
通常なら王を前にした時や特別な儀式の時にするそれを10歳の少女に向けて行っていた。
フォラスが迷いなくそう出来たのは以前彼の母がナンテによって救われたからだ。
そのナンテが今度は国を救うために手を差し伸べようと言っているのだから、見た目は小さなその手からどれ程のものが乗せられているのか慮ることすら烏滸がましい。
彼らの礼を受けてナンテもひとつ頷いた。
「分かりました。私に出来得る限りの支援を致しましょう。
ですが決して私腹を肥やす事無く、出来るだけ多くの民を等しく救うために使うと約束してください」
「はい」
「必ずや」
その光景を隣で見ていたナンテの父は、まるで姫と騎士、もしくは聖女と勇者のようだなと思っていた。
そんな父の感慨をよそに、ナンテは椅子から立ち上がると淑女の礼を取った。
「それでは私はどれくらいの食料を渡せるか確認して参ります。
お父様。倉庫を使わせて頂いても宜しいですか?」
「ああ、好きにに使うと良い」
「ありがとうございます。
それでは準備が出来たら呼びに来ますね」
そう言ってナンテは部屋を出ていった。
その背中を見送った後、辺境伯は2人にひとつ釘を刺すことにした。
「おふたりに1つ頼みがある」
「はい、何でしょう」
「娘の事は他言無用で願いたい。もちろんそちらに控えている護衛の方々もだ」
「それは……理由をお聞きしてもよろしいですか?」
「娘を護るためだ」
一瞬、娘の功績を横取りする気かと頭を過ぎったが、そんなことをする人物ではなかった。
説明を聞けば納得のできる話だ。
これからナンテから渡されるジャガイモによってどれ程の国民が助かるかはまだ分からない。
だけど大勢の人が助かった後、その食料はどこから出て来たのかと問題になるのは目に見えている。
その時ナンテ個人に目を向けられるとどうなるか。
感謝してお礼が言いたいだけなら構わない。
しかしその有用性に気が付き自分たちのものにしようと画策されると困るのだ。
最悪、拉致されてしまうかもしれない。
「しかしそれではどうすれば良いでしょう。
王に問われれば答えない訳には行きません」
「その時は『アンデス王国から支援してもらった』と答えれば良いだろう。
知恵の回る者であればお二人の交友関係からネモイ辺境伯領へと結びつけられるでしょうが、そこから10歳の娘に繋げて考える者はなかなか居ないはずだ」
「……そうだと良いのですが」
辺境伯の言葉にフォラスは曖昧に答えた。
仮に諜報員がこの領都に来た場合、ナンテの噂はすぐに掴んでしまうだろう。
そこからナンテ個人が凄いと正解を引き当てるか、領主の娘を持ち上げる為に周りの大人たちが喧伝して回っているのだと誤認するかは賭けだと思う。
特にナンテの姿を見た後では分の悪い賭けに思える。
ただ同時にナンテを害せる者がこの世にどれだけ居るのだろうかと考えれば、実は問題ない気がしてくるから不思議だ。
そして1時間後。
準備が出来たと呼びに来たナンテに連れられて向かった先で、倉庫に満載されたジャガイモを見て『報告されてもこれを一人の少女がやったと信じる者はまずいないな』と確信しつつ、ナンテに対する評価を10段飛ばしで跳ね上げることになった。




