59.王都の食事事情
王都1日目でナンテを一番驚かせたのは、街並みでも人の多さでも無かった。
「あのこれは一体……」
「おや、うちの宿の食事は気に入らなかったかい?
済まないねぇ。お貴族様用のお洒落な料理ってのは扱ってないんだ。
味は保障するからまあ食べてごらんよ」
宿の食堂で出された食事は、白パン2つに牛肉の炒め物にニンジンやブロッコリーなどの具が沢山入ったシチュー。
そのどれもが辺境伯領ではまずお目に掛かることの無いものだった。
贅沢過ぎるという意味で。
辺境伯領なら今目の前にある分だけでも3日分の食事になる。金額で言えば1週間分を超えるかもしれない。
「王都ではこのような食事を皆さん摂ってらっしゃるのですか?」
「まあだいたいそうだろうね」
「朝食も食べるんですよね?」
「そうだよ。
明日はパンとベーコン、スクランブルエッグにサラダの予定さ。
飲み物はお茶かミルクの好きな方を選んでおくれ」
さも当然だという感じで宿の女将さんは答えてくれるけど、ナンテにとっては衝撃的な内容だった。
王都の人口は辺境伯領全体の人口よりも多い。
それだけの人が毎日これだけの食事を摂っている。
恐らく貴族は更に豪勢な食事をしていることだろう。
平時ならそれでも問題はない。
ナンテからしてみたら食べ過ぎだろうとも思うけど、それで問題なく食料不足になっていないのだから供給が間に合っていたのだろう。
しかし今年の冷害を考えると、こんな食事を続けられたら王都だけで国中の食料を食べ尽くしてしまいそうだ。
「あの、今年は冷夏ですよね。
食料品の物価が上がってると思うんですけど大丈夫ですか?」
「そこだよ。困ったもんだね」
どうやらちゃんと危機意識を持ってくれているようだ。
これなら何かしら対策を用意していそうだ。
「物価が上がった分、宿代も上げるしかなかったものだから常連のお客さんからは苦情が殺到してるんだよ」
「それじゃあ食事の量とかは前と同じなんですか?」
「そうさ。この宿に泊まったお客さんにはお腹いっぱいになって行って欲しいからね」
その心意気は素敵だと思う。
だけど供給が減っているのに需要が変わっていないことになる。
これが嗜好品の類なら「明日からは我慢しよう」と思えるが、食料品でそれは難しい。
そして食料品はお金で買えるけど、そもそも食料品が無くなってしまうとお金では何もできなくなる。
そうなる前に何とかしないと。
「お父様。私達に出来る事はあるのでしょうか」
「正直これ以上は厳しいだろう」
2年前からの領内での食糧の増産を始め、既に出来る手は打って来ているのだ。
これ以上となると国そのものを動かすしかなく、それが出来るのは国王だけだ。
「明後日の謁見の際に私から陛下に進言しておくとしよう」
「私の【倉庫】に入っている……」
「いや、それは最後の手段に取っておきなさい」
ナンテの言いかけた言葉は父によって止められた。
若干納得していない雰囲気のナンテに父は優しく語り掛けた。
「いいかいナンテ。
困っている人に手を差し伸べてはいけないとは言わない。
でも困っている人が自分で改善する機会を奪ってはいけないよ。
それは持つ者の傲慢と言うものだ。
同様に、困りそうだからと先回りして何でもかんでも解決して回るのも良くないね」
「え、それじゃあ今回の冷害で色々動き回っていたの良くなかったのでしょうか」
「いや。それに関しては違う。
何故ならものによっては気付くのが遅れれば手遅れになるからだ。
今年の、それも夏になってから冷害に気付いても打てる手はほとんど無かっただろう」
「ふぅむ、難しいですね」
助けてはいけない訳ではない。
でも助け過ぎては行けない。
特に困る前に助けても相手は助けられた事に気付くことすらない。
今ナンテが【倉庫】に入っている食料を全放出すれば王都は来年の春まで何事もなく過ごせるだろうけど、それでは王都の人達は飢饉に対処する術を学ぶ機会を奪われることになる。
「ということは私達がすべきことは」
「王都を見ておきなさい。
物価の事もあるし、人は往々にしてナンテが思っていた通りには動かないものだ」
「はい!」
翌朝、たっぷりの朝食を食べた後、ナンテはひとりで王都の平民街を散策していた。
目的は物資の買い付けもあるが、父に言われた通り道行く人達の声を聞くことだ。
「今年は涼しくて良いよね~」
「毎年こうだったらいいのにね~」
(いやこんな冷害が2年も続いたら農家は全滅だよ)
女性たちの呑気な会話に思わずツッコミを入れそうになってしまった。
「最近パンが値上がりしてるよな」
「え、そうなの?」
「飯なんて嫁に任せてるしなぁ」
「そう言えば行きつけの飲み屋もつまみの値段があがってたな」
「俺は酒の値段が上がらなければいいさ」
男達はそもそも日頃の食費に無頓着なようだ。
他の人達も「物価が上がった」という話はしていても飢饉が近付いている不安は感じられない。
もしかしたら気付いていないのかもしれない。
もちろん商人なら気付いているだろうが、彼らが自分たちの商機をわざわざ他人にばらす愚行はしない。
一般市民と商人。それともう一つ。
王都に居を構えている貴族達はどうだろう。
彼らはほとんど貴族街から出てこないので平民街では話を聞く事が出来ない。
貴族街に行けばと思うかもしれないが。
「君。ここから先は貴族街だ。あっちに行きなさい」
「あの私は」
「ほら行った行った」
ナンテの服装は平民と遜色ないもの、というより下町の子供に近い。貴族の下男でももうちょっとお洒落な格好をしている。
当然、平民街と貴族街を繋ぐ門を警備する兵士にはナンテは平民の子供にしか見えない。
なので門前払いにされて終わってしまった。
これが実は大貴族の子供がお忍びで外に出ていたんだ、と言う話なら彼らは後で酷い叱責を受けるのだけど、そういう子供は大抵常連なので顔が知られている。
追い返されたナンテは特に落ち込むことなく次の行き先を考える。
「貴族街がだめなら下町に行ってみようかな」
ということで下町ないしスラム街へとやって来たナンテ。
ここなら服装的に目立つこともない、こともない。
服の質が似通っていても綻びも無ければ洗濯もされている清潔な格好をしていれば下町の子供には見えない。
誰もが遠目にナンテを見るだけで声を掛けようとはしない。
「うーん、来てみたは良いけどここからは、そうだ。食堂に行ってみましょう」
下町にだって食堂はある。
もしかしたらここならと思ったのだけど。
「黒パンにスープね」
宿の食事に比べると質素で量も少ない。
これくらいなら辺境伯領でも平時なら有り得る食事だ。
まあ食堂で食事が出来るだけ収入がある人は下町の中でも豊かな方だ。




