54.約束
場所を移したナンテ達はまずは周囲に敵が居ないかを見て回ることにした。
『ここに地上の生き物が来ることは出来ぬぞ。
勇者も神の助けが無ければ辿り着けぬだろう』
「念には念を入れてね」
ここもさっきまで居たのと同じような雪山だ。
冬将軍の言う通り生き物の気配は全くない。
あるのは雪と空。そして先の見通せない穴。
「って、ここにもダンジョンの入口があるの?」
『いかにも。
これらダンジョンを利用した掃除こそが我がここに来た理由だからな』
どうやらダンジョンがあるのは偶然ではないらしい。
「先ほども仕事と言ってましたけど、その内容を聞いても良いですか?」
『うむ、別に秘密でもないしの。
我の仕事とはマナの澱みを散らすことだ。
流れぬ水が腐るように、吹き溜まりの風が濁るように、マナもまた同じ場所に留まり続ければ澱んでいくのだ。
澱んだマナは特定の魔物のみを生み出し、その魔物は周囲の環境を汚染する。
故に我はダンジョンを使い魔物共々澱んだマナを一度ひとところに集め撹拌し、自然な状態に戻して放出しているのだ』
言われて思い当たる節はある。
ここ数年のゴブリンの異常増殖と他の魔物の減少。
恐らく先ほどのダンジョンで出たゴブリン、トロル、ゾンビが澱んだマナによって生み出された魔物だったのだろう。
「ということは、冬将軍が居なくなったら大変な事になるんじゃない。
神と勇者はどうして冬将軍を邪魔者扱いしたんだろう」
先ほどの勇者たちが冬将軍を討伐してしまったら大陸中がゴブリンで溢れかえるのではないか。
そう危惧しての言葉だったが、冬将軍は首を横に振った。
『そうとは限らぬ。
我が居なくなれば誰かが代わりにするであろうしな。
それにそもそも、澱んだマナで満たされた大地もまた、この世界の在り様の1つと言える』
ゴブリンが溢れかえった世界と魔物が居ない世界。
人間からしたら後者の方が住みやすい世界かも知れない。
だけど前者は言わば人類の共通の敵が居る状態なので人類が手を取り合いやすい世界だ。
歴史を振り返れば外敵や天災が無い時代ほど人間同士の戦争は多い。
『それに我が来たことで困っているものも少なからず居るはずだ。
我は冬と共に移動するのでな』
「そうですね。お陰で今年はどこも冷害です」
冬将軍が来たことによる冷害で飢饉が起こり餓死する人数と、冬将軍が来なくて溢れかえった魔物により殺される人数。どちらが多いだろうか。多分前者だ。
そうやって考えていくと確かに冬将軍が居なくなった方が人類は平和なのかもしれない。
先ほどの勇者たちや神もそう考えたからこそ冬将軍を討伐しに来たのだろう。
『どうだ。我を倒したくなったか?』
どこか試すようにナンテを見る冬将軍。
しかしナンテは迷うことなく首を横に振った。
「全然そんなことはないわ」
『何故かね』
「幸いにして私や私の大切な人達に直接の被害は無いから」
これがもし冬将軍を倒さないと両親が死ぬという話であればナンテは冬将軍と敵対しただろう。
しかし実際はかなり苦労はさせられているものの命が係っている訳ではない。
もしかしたら多くの領民の命が危ないかもしれないが、その人達と冬将軍の命を天秤に掛けたらどちらが重いかはナンテには分からない。
でも誰かを助ける為に別の誰かを殺すのは最終手段だ。
他に助ける手があるのだからそちらを選択する。
『そうか。後悔はしないかね?』
「しないわ」
迷いなく頷くのは自信の表れか若さ故か。
真っすぐな瞳に冬将軍はそれ以上問いかける事を止めた。
代わりに先ほど中断した話をすることにした。
『そういえばダンジョンの掃除をしてもらった礼をまだしていなかったな。
ナンテは何か欲しいものはないか』
「欲しいもの?」
急にそんなことを言われても困る。
元々ここに来る目的は冬将軍に会ったことで達成されている。
領地に戻れば冷害対策の為にまだまだやることはあるけど冬将軍にしてもらう事ではない。
欲しい事は無いと言うのは簡単なのだけど、以前会った魔物の森の民のように貸し借りを嫌う場合があるかもしれない。
冬将軍もまたコロちゃんみたいにいつでも会える相手ではないのだから。
だから出来る事ならキッチリ清算した方が良い。
(いやむしろ逆かもしれない)
ふと閃いたナンテは思い付いたことを冬将軍に話してみた。
「例えば次に冬将軍がこの大陸に来る際に事前に連絡をして頂き、再会の際にはまたそのお身体をもふらせて欲しい、というのはどうでしょうか」
『ふむ、そんなことで良いのか?
しかし我が次に来るのは大体50年後だ。
人間のそなたには相当な時間であろう』
「そうですね」
50年後と言う事はナンテは60歳だ。
良き縁があれば結婚して子供どころか孫も居るかもしれないし、病気や老衰でこの世を去っている可能性もある。
50年と言うのはそれだけの時間だ。
だからそんな未来の約束をしても意味がないのではないかと考えたがそうではない。
「人間は忘れやすい生き物ですから、何もなしに50年も経つと冬将軍のことを忘れてしまうかもしれません。
その点、約束があれば覚えていられると思うんです」
ナンテの父曰く古い記録を掘り起こせば確かに50年前にも同じような冷害の記録は見つかったし、記憶を辿れば祖父から当時の思い出話を聞いたこともあったらしい。
しかしナンテから言われるまですっかり忘れていたそうだ。
仮にナンテを含め精霊術師たちも冬将軍の到来を予見しなかったらどうか。
対策が全くできずに大陸中で大勢の人が冬を越せずに餓死するだろう。
だからこの約束で次回も確実に対策が取れるようにするのは凄く価値がある。
『分かった。では次回来る際には事前に風の精霊などを通じて連絡することにしよう』
「ありがとうございます」
冬将軍にお礼を言えばこれでここに来た目的は十二分に果たした。
慌ただしいけれどナンテは帰路について考える事にした。
なにせここは何もない雪山だ。
かまくらを作れば1晩くらいは泊まれるかもしれないが長居は出来ない。
ポテイト村の面倒を任せてきているしナンテの畑はもうすぐ収穫の時期だ。
だから帰りたいのだけど。
「ここから帰ろうと思ったらどっちに行けばいいのかしら」
勇者たちの争いから逃れる為に元の山とは違う山に来てしまった。
さっきの場所に戻るとまだ勇者たちが居るかもしれないので戻れない。
『ふむ、そこのダンジョンを通って行けばよかろう』
「だけどあれって来た時に通ったダンジョンとは別ですよね。
なら出る場所も別なのでは?」
『そうだが、そこまで離れてはいないはずだ』
「あ、そうなんだ。なら大丈夫かな」
具体的にどこに出るかは分からないが、ナンテにはコロちゃんが居るので迷子になる事は無いだろう。
最悪北を目指して歩いて魔物の森にぶつかったら東か西に行けばネモイ辺境伯領に辿り着ける。
人のいる町に辿り着けたら馬車に乗ることも出来るだろう。
「では冬将軍。また会いましょうね」
『うむ。さらばだ我が友ナンテ』
ナンテは別れの挨拶を短く済ませるとダンジョンの中へと飛び込んでいった。
その後ろ姿を見送った冬将軍は、さてと最初に居た雪山の方を振り向いた。
『あの勇者たちは友の姿を見ていたはずだ。
彼女に塁が及ばないようにあれも掃除しておくか』
そう呟いた次の瞬間、冬将軍の姿はその場から消え去った。




