46.トロゲン辺境伯の末路
ネモイ辺境伯領を後にしたフォラスは、難民たちの事は兵士たちに任せ自分は信頼できる側近と共に街道から離れた森へとやってきていた。
その手には捕虜として引き取って来た者たちに繋がる縄が握られている。
「ん”ん”~~!」
「うるさい。黙って歩け」
きつく猿ぐつわが嵌められているのでくぐもった声しか出せない捕虜3人の背中を蹴り飛ばしながら一行は森の奥へと進んでいく。
そして見晴らしの良い場所に辿り着いたところで猿ぐつわを外した。
「はぁっ。き、貴様ら、こんなことをしてただで済むと思っているのか。
私はトロゲン辺境伯であるぞ!」
地面に膝を突きながら何とかフォラスを睨み上げたトロゲン辺境伯に対し、フォラスはゴミでも見るような目を向けた。
「なるほど。まだ状況を理解出来ていないと見える」
「なんだと!?くそっ、どいつもこいつも。
アンデス王国の馬鹿どもも私達を奴隷のように扱いおって。
領地に戻ったら兵を挙げて攻め滅ぼしてくれるわ!」
息まく辺境伯だったが、仮に領都に戻って残存兵力をかき集めてアンデス王国に攻め入った場合、恐らく国境線を越える事すら出来ずに敗退するだろう。
それは実際にトロゲン辺境伯軍と戦ったフォラス達がよく分かっている。
あの弱兵でよく国境線や魔物の森からの脅威を防いでいたなと感心する程だった。
対してアンデス王国のネモイ辺境伯の兵士達は、見かけた兵士の数こそ少ないもののゴブリンやトロルの群れに襲撃されても余裕で撃退出来る程の強者たちだった。
恐らく今フォラスと一緒に居る精鋭とも互角に渡り合えるだろう。
もっとも今回の事もあるしフォラス達がネモイ辺境伯と事を構えることは無さそうだが。
「そもそもの話、お前達は無事に帰れると思っているのか?」
「当然だ。私に手を掛けたと分かれば皇帝陛下が黙ってはいないぞ」
「それはお前がトロゲン辺境伯だったらの話だな」
「ど、どういうことだ」
「今俺達の目の前に居るのはトロゲン辺境伯の名を騙った罪人だ。
当の本人は領都を出た後、盗賊か魔物に襲われて行方不明。隣国に辿り着く事も無かった。
という筋書きだ」
自分たちはトロゲン辺境伯の名を騙った罪人を隣国から引き取ってきただけ。トロゲン辺境伯本人には会えなかったと報告する予定だ。
「それに新しいトロゲン辺境伯は既に居る」
「まさか、あのバカ息子が裏切ったのか!!」
「いやむしろ彼が居てくれたお陰で辺境伯領は保っていたんじゃないか?」
領地に残された今年で22歳になる長男。
彼は遊び惚けている父達に代わり一人で辺境伯領を切り盛りしていた。
今回の戦争でも被害が最小限になるように裏で動いていたし、辺境伯を早々に領都から逃げるようにと勧めたのもこの男だ。
彼は辺境伯を追い出した後すぐに単身でフォス男爵の元に向かい停戦を申し込んできた。
(もしかしたら今回の件は全て彼の差し金だったのかもしれないな)
領内を荒らされたとは言っても微々たるものだ。
敗戦の代償が高く付くかもしれないが、当時の辺境伯は行方不明なのでそこまで責任を追及されることはないだろう。
それに今回の内戦は、ここに居る者たちを討ち取る事こそが目的だったので、それが達成できればフォス男爵側も穏便に済ますつもりだ。
「お前は自分の犯した罪を理解しているのか?」
「罪だと? 一体何のことだ」
「半年前の夜会でのことだ。忘れたとは言わせん!」
「あぁ、お前達が連れて来た女に怪我をさせた件か。
女に怪我をさせた程度、何だというんだ」
「!!」
辺境伯の言葉にその首を叩き切りそうになったが寸でで思い留まった。
彼らを楽に死なせる気はないのだから。
今回の内戦、発端は半年前に行われた夜会だった。
その夜会で酒に酔ったトロゲン辺境伯とその次男は、事もあろうにフォス男爵夫人を客室に連れ込み襲おうとした。
夫人はなんとか魔の手を振り払うことに成功したがその部屋は3階。逃げ道はベランダしかなく、再び捕まって犯される訳にはいかないと決死の覚悟で飛び降りた。
その結果、一命は取り留めたものの脊椎を損傷してしまい今も寝たきり状態だ。
治療には特殊な魔物の素材が必要だが手に入る目途は立っていない。
この事件を知ったフォス男爵はトロゲン辺境伯に猛抗議を行ったが、たかだか新興の男爵風情の話など聞く気はないと無視された。
力ない男爵ならこのまま泣き寝入りと言う事もあっただろう。
しかしフォス男爵は武功を挙げて土地と爵位を与えられた武門の一族だ。
愛する家族を傷付けられた対価は命を持って償ってもらうと兵を挙げるに至った。
「お前が傷付けた俺の母は皆から愛される優しい人だった。
あの人の幸せを奪ったお前達には苦しみながら死んでもらう」
スッと剣を抜き一歩近づけば、流石の辺境伯達もこれからどうなるのか分かったのだろう。
「ま、まて。話せばわかる。謝れというなら謝ろう。
あれはそこに居る息子がやろうと言い出したことで私に罪はないんだ」
「子の罪は親の罪だ。それにお前も嬉々として襲ったのだろう?
そこにいる女も、聞けば母を客室に連れ込む手伝いをしたそうじゃないか」
普通に考えて既婚者であっても男女二人きりで客間に行く事などない。
しかし同性の更に身分が上の辺境伯夫人に例えば「折り入って相談があるの」と言われたら断れないだろう。
まさか自分の夫のおもちゃにする為に呼び出したなど思いも寄らないだろうし。
「よってお前達3人同罪だ。
……やれ」
「はっ」
「ぎゃあっ」
トロゲン辺境伯達はフォラスの側近達によって足首を切られ、見晴らしの良い丘の上から蹴り落された。
丘の傾斜からしてこれだけでは死なないだろうが、足を切って歩けなくしたし手枷は付いたままだ。それに夜には氷点下になるこの時期、朝まで生き残れるかどうかと言ったところだろう。
よしんば生きていても森の獣に襲われるか魔物に潰されるか。
どちらにしろ生き残れる可能性はない。
「撤収する」
「はっ」
フォラス達は何事も無かったかのように森を出て、先行していた難民たちを送る部隊に合流を果たした。
「はぁ。まったくこんな事をしても母の傷は癒えないんだがな」
虚しい復讐を終えたフォラスは小さく呟き今後の事を考える。
とは言っても、戦後の交渉などは父のフォス男爵の仕事だ。
自分は戦争で荒れた村を周ったり、戦争に乗じて増えた野盗を討伐していくことになるだろう。
と、難民を護送していた兵士の一人がフォラスの元へとやってきた。
「フォラス様。少し宜しいでしょうか」
「ああ、どうした?」
「こちらを預かっております」
言いながら背負っていた真っ赤な石を差し出した。
受け取ってみればほのかに暖かく、そして強い魔力を感じる。
魔石、それもかなり貴重なものだ。
「こんなものを一体誰から預かったんだ?」
「それがその、国境付近での待機中、炊き出しを行っていた少女の手伝いをしていた時に世間話で奥方様の怪我の事を話したところ、これが役に立つかもしれないと言って渡してくれました」
「……」
待機中に何をやってるんだと言うべきか、おいそれと内情を話すなと怒るべきか。
しかしそんな事より大事なのはこの石だ。
「母の傷を癒すのに必要なのは高い再生能力を持った魔物の素材だ。
この魔石はいったいどんな魔物から取り出したものなんだ?」
「すみません、そこまでは聞いてはいませんでした」
「そうか。しかし折角の好意だ。試してみよう」
そうして逸る気持ちを抑え、無事に難民たちを送り届けた後にフォラスは母の元に向かい、その魔石の力によって母の傷を完治させることに成功した。
治療に当たった魔導士に依れば使用した魔石はドラゴン級の魔物のものであり、値段にすれば男爵領の年間予算の数倍に相当するだろうという話だった。




