45.捕虜の返還
亡命してきた一家との会談の内容は、聞くに堪えないものだったという一言で割愛する。
少なくとも他人に助けを求めて来た者の態度では無かった。
会談を終えたナンテの父は、再び会議室へと戻って来て疲れた様子で椅子にどっかりと座った。
「まったく、権力に溺れた者の末路を見せられた気分だ。
あれでよく今まで交易が出来たなと行商人たちの苦労が偲ばれるよ」
「お疲れ様でした。それで向こうから彼らの引き渡しを求められたらどう対応しますか?」
「そうだなぁ」
こちらとしては匿う義理は一切ない。先ほどの会談で庇い立てする気も無くなった。
さりとて他国からの要求に二つ返事で応えたら足元を見られかねない。
かと言って変に渋ればこれもまた関係の悪化に繋がる。
悩ましい問題だが、簡単な解決策はある。
「……よし。トロゲン辺境伯一家はこちらに亡命してきてはいないと言う事にする」
「よ、よろしいので?」
「ああ。誇りある帝国貴族が自領を捨てて逃げ出すなどあるはずがない。
よって亡命を申し出てきた者たちは偽物か影武者のどちらかだ。
もし帝国が引き渡しを求めて来たらそう答えつつ身ぐるみ剥いで捕虜として引き渡す。
いいな」
「はっ、畏まりました」
貴族なら丁重に扱わないといけないだろうが、偽物なら何の価値もない。
それを引き渡したところで問題にはならないだろう。
「ところで、ナンテはどこに行ったのだ?」
部屋の中を見渡してもナンテの姿は見当たらない。
会談に付いてくるなとは言ったが、それ以外に特に指示は出していなかった。
「それが『私は私の出来る事をしてきます』と言って出て行かれました」
「そうか。まああの子は賢い。危険な事はしていないだろう」
そう言っては見たものの、どこか嫌な予感がする。
念のため呼び戻すべきかと考えたところで伝令がやって来た。
「ご報告します」
「む、ナンテの身に何かあったのか!」
「は? あ、いえ。
国境線にフォス男爵軍の旗を掲げた兵士100名が近付いています。
また先触れより書状を預かりました」
「そうか。書状をこちらに」
「はっ」
書状の内容は思った通り辺境伯一家がこちらに来たはずなので引き渡しを求めるとのこと。
予想よりも大分早く迎えが来たようだ。
対応の速さからしてフォス男爵はなかなかに切れ者に違いない。
なにせタイミング的に領都に軍が到着するより前にこちらに兵を差し向けたのだから。
これがもうちょっと早ければトロゲン辺境伯達は国境を超える前に捕まったに違いない。
「他国の兵を入れる訳にはいかない。
代表とその護衛5名までの入国を許可すると伝えよ」
「ははっ」
手早く返信の書状を書いて伝令を送り返した。
そしてその1時間後。
連れて来た兵士を国境に残しやって来たフォス男爵軍の若き指揮官と応接室で会う事になった。
「アウルム帝国フォス男爵家の長男、フォラスです。
急な訪問を受け入れて頂き感謝します」
「アンデス王国ネモイ辺境伯当主のホクトです。
遠い所をようこそ」
朗らかに挨拶を交わしつつ、お互いに内心で相手を値踏みしていた。
(まさか当主自らがこの地に来ていたのか。
交渉が早くまとまるのは助かるが、分が悪い。
見た目は誠実そうに見えるが、彼も貴族。
それも国境を任されているのだから相当な狸と見るべきか)
(ふむ、20歳そこそこで軍だけでなく交渉まで任されているのか。
フォス男爵は良い後継ぎを育てたようだ)
初手の挨拶は互角。
しかし片や辺境伯当主、対するフォラスは男爵本人ならまだ良かったがその嫡男では身分的に劣る。
更にフォラスはトロゲン辺境伯の身柄を求める立場だ。強気に出る事は出来ない。
いやいっそのことアウルム帝国の軍事力をちらつかせるかという考えが頭を過ぎったがすぐにそれは悪手だと撤回した。
「さて此度はトロゲン辺境伯の身柄を引き渡して欲しいということでしたな」
「ええ、そうです」
(しまった、先を越された!)
話の流れをコントロールするなら自分から切り出した方が良かったのに、あれこれ考えている間に先手を取られてしまった。
ならば次はどんな見返りを求めて来るのかと身構えたところで期待とは違った言葉が出て来た。
「残念ながらそれは出来ない」
「なに、それはトロゲン辺境伯を庇うということですか!?」
怒りの感情を面に出すフォラスを見て、ネモイ辺境伯はまだ若いなと思うと同時に何か事情があるのだろうと気付いた。
とは言っても手を緩めるつもりはないのだが。
「まあまあ、私は何も身柄を渡したくないと言っているのではない。
渡したくても出来ないと言う事だ。
なぜならトロゲン辺境伯はこちらには来ていないのだから」
「しかしトロゲン辺境伯を乗せた馬車がこちらに向かったという情報がある」
「なるほど。しかし考えてもみて欲しい。
誇りあるアウルム帝国の貴族が自領を捨てて逃げ出す様な事をするだろうか。
仮に逃げ出したのならそれはもう帝国貴族ではないのではないかね?」
「!」
ことさら強調して言ってみれば、フォラスもその意図に気付いたようだ。
保護した貴族を引き渡すとなると相応の手続きや対価が必要になるが、それらはいらないと言ってくれているのだ。
ならばその話に乗るべきだろう。
「なるほど、確かに帝国貴族が敵に背を向けて逃げるなどあり得ぬことです」
「そうでしょう。
時に、そちらから逃げて来た捕虜数名を預かっている。
その者たちで良ければ渡しましょう」
「おぉ。こちらとしても手ぶらでは帰れないところでした。
して引き渡しの対価は如何ほどをお考えでしょうか」
「いやそれには及ばぬ。
代わりに国境付近に居る難民たちも連れ帰って欲しい」
「それくらいお安い御用です。
彼らは帝国民なのですから」
そうして会談は無事に終了し、フォラスの元にボロ布と手縄に猿ぐつわを付けた3人が連れて来られた。
その様はまるで罪人だが、フォラスは口元に小さく笑みを浮かべて頷くと何も言わずに連れて行った。
そして国境で待機していた部隊に指示を出して難民たちに帰郷を促していく。
遠目にその様子を窺っていたネモイ辺境伯の元に、トコトコとナンテがやってきた。
「おやナンテ。何処に行ってたんだい?」
「難民の方々の所に。
皆さん寒そうにしていたのでお湯と僅かですがスープを配ってきました」
「そうか、それは良いことをしたね」
「はい!」
見れば難民の多くがナンテに向けて大きくお辞儀をしてから帰って行く。
その足取りは決して軽くはないが、ナンテの差し入れが無ければ立ち上がる気力も起きなかったかもしれない。
そうなればフォラス達もなかなか撤収出来なかっただろうし、こちらとしてもそれが終わるまで監視し続けなければならなかった。
ナンテの行動はここにいる全員を救っていた。
ただ。
「不思議とフォス男爵軍の兵士たちもこちらに手を振っているようだけど、何かしたのかい?」
「はい。折角なので皆さんにも熱いお茶を配っておきました」
「そ、そうか」
敵対している訳ではないとはいえ、他国の兵士に不用意に近づいて何かあったらと思うと心配になるが、この天真爛漫な姿もナンテの美点なので叱るのは思い留まった。
そして無事に難民たちを含めたアウルム帝国の人達が去ったのを見届けてナンテ達もネイトクの町に戻ったのだった。
ここに来て遂にナンテの父の名前が明らかに(笑)




