42.うわさのあの人
翌日、いつものようにナンテは夜明け前から活動を開始した。
(特に書置きとか置いて来なかったけど、お父様なら分かるよね)
目が覚めたら娘のベッドが空になっているなんて、普通の貴族の家だったら誘拐とかを心配するレベルだ。
しかしナンテが夜明け前に家を抜け出す事なんて日常茶飯事。朝食が出来上がる時間になったタイミングで一仕事終えて戻ってくることもあった。
昨日のうちに畑を見に行くと伝えてあるし、きっと大丈夫だろう。
そうして、ナンテが町の郊外にある農地に辿り着くと、そこにはただの土の地面が広がっていた。
今の季節は秋を過ぎて冬。
ちらほらと雨の代わりに雪が降り始めている。
だから当然、収穫すべきものは全て収穫し終わっているので特に見るものも無い。
しかしそれは農業に疎いものが見たらの話だ。
ナンテに掛かれば幾つも分かることがある。
「やっぱり」
予想していた通りの光景にナンテは眉を寄せた。
気を付けながら畑の中に踏み入り、屈んで土を掴み具合を確認する。
その土は、残念ながら栄養豊富とまではいかない。痩せているという程でもないが。
「ちょっとそこのあんた。畑の中で遊んではダメだよ!」
日が昇って来て近所の家の人が起き出してきたのだろう。
畑の中に居る見かけない子供を見つけて声を掛けて来た。
ナンテは土で汚れた手を払い、やってきたおばさんに挨拶をした。
「おはようございます。
勝手に畑に入ってごめんなさい。
ところで、この辺りで育てていたのは小麦ですか?」
「あら、よく分かったね」
畑を見て最初に確認したかったのがこれだ。
見たところどこの畑でも大部分で小麦を育てていた形跡がある。
昨夜の食事にパンが出て来た時からそうじゃないかと思っていた。
「北方のこの地方なら小麦よりもジャガイモの方がよく育つと思うのですが、なぜ小麦を育てているのでしょうか?」
「それはもちろん高く売れるからさ」
「あぁ」
確かにジャガイモと小麦では小麦の方が高く売れる。
そして売り先は多分、国内ではなく国外。
なにせ国内では南方の領地の方が小麦の生産が盛んだし出来も良い。
わざわざ他の領地がネモイ辺境伯領の小麦を買う必要が無い。
だから売り先は農業よりも鉱業を優先しているアウルム帝国だ。
向こうに小麦を売って代わりに外貨や金属製品を手に入れ、更に南方に輸出することで領地経営を行っているのだろう。
このことはきっとナンテの父親も承知の事だ。
(隣国の内戦はどう影響してくるだろう)
戦争は多くの食料を消費する。
なぜなら空腹の兵士は十分な実力を発揮できないからだ。
だから軍を擁する領主は多少高値になろうとも食料を集める。
きっと今年はいつもより高く小麦が売れて景気が良くなっているだろう。
問題は内戦が終わった後だ。
仮にトロゲン辺境伯が負けた場合、今まで通りの交易が出来るかは分からない。
いや多分交易量は減って小麦の価格も元に戻るか下がるか。
そうなればこの町の経営は厳しくなる。
(お父様には来年はジャガイモの耕地面積を増やすように進言しよう)
そう心に決めながらナンテはもう一つ気になっている事を聞くことにした。
「最近は魔物の死体を肥料に使っているのですよね?」
「おや、そんなことまで知ってるのかい」
この反応。確かにこの辺りで魔物を肥料にしているのだろう。
しかしそれにしては畑の状態は宜しくない。
これにも何か理由がある筈だ。
使っている魔物が違うのか、それとも他の何かか。
だけど肥料とは言え魔物の死体の事をあれこれと尋ねる見知らぬ少女はあまりにも怪しい。
なのでナンテは聞く相手を変える事にした。
「すみません、私はこれで失礼しますね」
「はぁ。(随分礼儀正しい子ねぇ)」
おばさんは平民の子らしからぬ振る舞いに首を傾げながらナンテを見送った。
そして農地を後にしたナンテはとある施設へとやって来た。
扉を開けつかつかとカウンターに向かい受付へと話しかける。
「おはようございます。
私はネモイ辺境伯の長女ナンテです。
お聞きしたい事があるのですが宜しいでしょうか?」
「ナンテ様。ようこそハンターズギルドへ。
それで聞きたい事というのはどう言った事でしょうか」
「この町の近隣で討伐している魔物の種類と、肥料として買い取っている魔物の状態についてです」
「なるほど」
通常魔物の討伐と言えばハンターズギルドに所属している魔物ハンターだ。
だからここに来れば知りたい情報が知れると考えた。
それにギルドは民間企業だけど行政とも密接に連携している。
なので子供であっても領主の娘を無碍にはしない。
「ここでは何ですから奥の応接室に行きましょう」
「はい」
場所を移してお茶を出した後、受付嬢は紙束をもってやって来た。
「こちらが今年討伐された魔物の一覧です。
といってもほとんどゴブリンですが」
「トロルが3体。残りはゴブリンなのね」
「はい。去年はオークも確認されていましたが今年に入ってからは目撃されていません。
それとゴブリンと言っても上位種が多数出現しています」
「ふむ、討伐数は決して少なくは無さそうね」
領都のハンターズギルドに問い合わせた訳ではないが、先日魔物の森を訪れた時を考えればそれほど違いは無いだろう。
魔物の森はネモイ辺境伯領の北側全域に留まらず隣国にまで広がっている。
特別どこか1カ所がゴブリンまみれになっているのではないのだろう。
それならこの町の畑もナンテの畑と同程度の栄養状態であってもおかしくはないのだが。
「続いてこちらが納品された魔物の資料です」
「えっと、ゴブリンの腕が20本、足が22本。こちらは12本ずつ?」
その他も同様に腕と足ばかりが納品されていた。
腕と足の本数が違うのは何故かは分からないけど、これであの畑の状態の理由は分かった。
「あの、頭や胴体部分は納品されていないのですか?」
「はい」
「理由をお聞きしても?」
「それらは見た目も臭いも宜しくありませんからハンターも回収したがりません。
対して手足は血抜きをするだけで処理が完了し、持ち運びも容易ですから」
魔物に致命傷を与えるにはどうしても頭や胴体を大きく損傷させることになる。
すると人の死体同様に血や内臓が飛び散ってしまうので中々に酷い惨状になってしまい、あまり触りたくないものだろう。
だけどだ。
「肉よりも内臓の方が栄養価は上です。
多分胴体1つで手足10本分以上の価値はある筈です」
「そんなにですか!?」
「ええ。だから出来る事なら回収してきて欲しいです」
もっと言えば血液だって肥料としては欲しい。
ナンテの畑ではそれら全てが使われているからあれだけ元気な畑が出来上がっているのだ。
だけどハンターにそこまで求めるのは難しい。
せめて何かしらメリットを提示して少しでも回収してもらえるように出来れば良いのだけど。
「胴体部分の買い取り価格を手足の2倍とかにしたらどうでしょう。
その分のコストは行政に掛け合えば出して貰えるかもしれません」
「そうですねぇ。協議してみないと何とも言えませんが、査定に手間取りそうなのが問題ですね」
魔物の肉や皮が素材として役に立つ場合、それらの損傷具合によって査定額を算出する。
しかし肥料にするだけなのでどれだけ傷付こうと問題ではない。
ならば、バラバラになったものも傷ひとつないものも同額で買い取ることになりそうだが、バラバラな場合は1体分をどう判断すればよいのか。
「その辺りは要検討ですね。
ただまずは手足のみではなく、それ以外も肥料として有用であると周知してください。
それによって来年以降の町の収穫高は数割増しになると思いますし、そうなれば結果として町の財政も潤うはずです」
「分かりました。貴重な情報ありがとうございます。
流石は噂の『ネモイの畑姫』ですね!」
「……はい?」
感心したように頷きながら聞き覚えのない二つ名でナンテの事を呼んだ。
響きからして蔑称ではなく尊称っぽいが、いつの間にそんな呼ばれ方をされていたんだろうと首を傾げるナンテだった。




