31.襲撃
一夜明けて魔物の森の朝。
日の出間もない時間だがルーカレの3人は、美味しい匂いに誘われて目を覚ました。
「おはようございます。この匂いは?」
「おうおはよう。朝飯の匂いだ。
もうすぐできるからそこの水桶で顔を洗うといい」
「はい」
のそのそと起き出して顔を洗ったところでふと、あのお嬢様はまだ寝てるのかなと洞窟の奥に目を向ければそこはもぬけの殻だった。
周りを見てもその姿はない。
「あのお嬢は?」
「ジーネン殿と周囲の散策に出ている」
「って、大丈夫なんですか!?」
ここは魔物の森の奥地だ。
10歩歩けば魔物に出くわすと言っても過言じゃないくらいの危険地帯。
そこに大人同伴とは言えハンターでもない子供が歩き回っていてはどうぞ襲ってくださいと言っているようなものだ。
慌てたオニギだったが、警備隊の2人は呑気なものだった。
「まあ心配要らないだろう。
お嬢様は魔物の気配に敏い。
それにこの肉だってお嬢様が獲って来たものだ」
焚き火に掛けられていた串焼肉。どうやらこれが先ほどの匂いの正体のようだ。
「ほれ焼けたぞ」
「あ、どうも。ってこれ、何の肉ですか?」
「美味かったぞ」
「はぁ」
どうやら聞いても教えてくれないようだ。
しかし毒は無いだろうと思いそのまま齧り付いた。
味は魚と鳥の間のような淡泊だけど噛み応えもあって美味しかった。
そうこうしているとナンテ達も戻って来た。
「おはようございます。みなさん」
「あ、ああ。朝早いんだな」
日の出すぐのこの時間、普通起きているのはパン屋か警備隊か下女くらいだろう。
貴族の娘ならあと2時間くらい後に起きて来ても普通だと思う。
「ええ、農家は朝早いのよ」
(いやお前領主の娘だろ)
オニギはのどまで出かかった言葉を何とか止めた。
ハンターであるオニギは知らなかったが農家は確かに朝早い。日の出と共に働き出して夕暮れには帰宅するのが普通だ。
その普通にナンテを当てはめて良いかは分からなかったが。
「それよりも食事が終わったら出発しましょう。
急げば昼過ぎには目的地に辿り着けるかもしれないわ」
「分かった」
準備を終えた一行はナンテの誘導に従い森の中を突き進む。
幸い午前中は魔物と遭遇することもなかった。
あまりに平和な事にオニギが首を傾げる。
「……どうなってるんだ。
森の奥の方が魔物が少ないのか?」
「そうでもないだろう。
周囲の木の幹には幾つも魔物の爪痕が残っている。
形状からしてゴブリンよりも大型の魔物が多く居そうだ」
熟練のハンターでなくても分かるくらいはっきりと傷が付いた幹に手を付いてコリブが答えた。
その傷は身長180センチ近いコリブの目の高さに付いている事からコリブと同じかそれ以上のサイズの魔物が付けたものと考えられる。
「なんにせよ、このまま魔物に遭わないに越したことは無いさ」
「そうだな」
その会話が呼び水になった訳ではないだろう。
それまで鼻歌交じりに歩いていたナンテが急に足を止めた。
「魔物が来ます。それも大きい」
「なに!?」
ナンテの警告に慌てて武器を構える一行。
しかし周囲を見回してもそれらしい気配は感じない……と思った所で奥の方からバキバキと枝をへし折るような音が、それもこちらに向かって近づいて来た。
「ちっ、ここまで楽した分のツケが回って来たってか」
「音からして走って来てるみたいだ。もうすぐ見えるぞ。
お嬢様たちは下がって」
油断なく弓を構えながらキャジンが皆に警戒を呼び掛ける。
その目が森の奥で動く緑色の影を捉えた。
「あれは、まさかトロルか!
それも5体も居るぞ」
トロル。地方によってはトロル・ジャイアントとも呼ばれる魔物。
身長は3メートル前後。体毛や鱗はないが肉は硬く、切り傷程度なら数分で回復してしまう程の生命力を持つ。
動き自体は速くはないが、その巨体から振り下ろされる拳は前衛の盾役でも防ぐのは厳しい。
つまり。
盾役のコリブを中心に剣と弓で戦う【ルーカレ】パーティーとは相性が悪い。
多分1体を相手にするのがやっと。それも致命傷を与えられずに追い返すのが精々かもしれない。
それくらいトロルというのは厄介な魔物だ。
倒すなら一刀両断出来る大剣や重量のある斧を持ってくるか、火炎魔法を始めとした傷の回復を阻害出来る魔法を使うのが効果的だ。
なので自分たちが今取れる行動はこれしかない。
「逃げるぞ!」
「はい!」
トロルが相手なら走れば逃げ切れる。
そう思っての行動だったが、魔物の森はそんなに甘くなかった。
逃げた先にも魔物の影があった。
「くそっ、今度はゴブリンの群れだ」
「トロルよりましだ。一気に殲滅しろ」
「だめだ、こいつら上位種だ。それもかなり強い」
魔物だって成長する。
この森で長く生きればそれだけ多くの経験を積み、上位種の更に上位種に進化している個体も居るだろう。
強さだけで言えば森の入口付近に出るゴブリンとは雲泥の差があった。
(これは私のミスね)
昨日の午後から今に至るまでナンテが魔法を使って魔物と遭遇しないようにしていた。
そのせいで急に魔物が強くなってしまったのだ。
段階的に強くなっていたのであればルーカレの3人もここまで苦戦することは無かったかもしれない。
そして足止めを食らえば当然後ろから追って来た者たちに追いつかれる。
「ウガーーッ」
「まずい、追いついてきた」
既にトロル達はこちらを視認している。
ナンテは素早く前後を確認し指示を飛ばした。
「警備隊の2人はハンターの援護を」
「はっ!」
この期に及んで異論を挟んでいる暇はない。
素早く全力でゴブリンを討伐して逃げるのが唯一の生き残る道だろう。
警備隊もハンターもそう考えたが、ナンテの考えは違った。
「ジーネン。トロルは私達で相手しましょう」
「わかりました」
ゴブリンの相手は皆に任せてふたりだけでトロルと相対した。
子供のナンテに比べるとトロルの身長は倍以上だ。
まさに見上げる程の巨人。
しかしそれを前にしてもナンテの目に怯えは無かった。
「魔法は、多分効かないわね」
冷静に相手の力量を測る。
仮にここが自分の畑であったなら畑の土を使って魔法の槍を生み出しトロルを串刺しに出来ただろう。
しかし手付かずの森の中では威力は半減、消費は倍増。このトロル相手では心許ない。
ならば日頃から畑仕事で鍛えた自分の肉体を信じる。
「全力【身体強化】! ていっ」
魔力で強化した状態でナンテは鍬を振り下ろした。
それは狙い過たず、ナンテを握りつぶそうと前かがみになったトロルの太い首へと吸い込まれていった。
サクッ。ドサッ。
「あ、あら?」
大した手応えも無く、ナンテの鍬はトロルの首があった場所を通過した。
トロルの頭は胴体と切り離され、そのままどさりと崩れ落ちた。
少し待っても再生する様子はない。どうやら倒せてしまったようだ。
「トロルって意外とやわらかいのね」
「そのようです、な」
拍子抜けした感じのナンテの横でジーネンも鍬の一撃でトロルを叩き伏せていた。
噂やオニギ達の様子からして相当強敵だと思っていたのだけど、見掛け倒しだったようだ。
動きも速くないしこれなら問題ないなと思ったナンテは、唯一のネックである身長差を埋める為に近くの木の枝に飛び乗ってトロルへと襲い掛かった。
「てっきり、岩よりも、硬いのかなって、思ってたの、だけど」
サク、サク、サク
木々の間を跳び回り鍬を振り下ろしていく。
するとまるで何かを収穫するかのようにトロルの頭がごろりと転がり落ちていく。
数分後にはナンテ達を襲撃してきたトロルの群れは全て倒されたのだった。
なかなかに凄惨な光景だけど、普段から畑に襲撃してきたゴブリンを返り討ちにしているナンテとしては見慣れたものだ。
なので気持ち悪いとかよりも別の疑問を持ってしまった。
「ところで」
「なんでしょう」
「トロルって食べられるのかしら」
「さぁ。美味しいという話は聞いたことがありません」
「そうなのね」
これだけの巨体なのだから食用に出来るなら良いなと思ったのだけど、臭いからしてゴブリン寄りの不味さの可能性が高い。
まぁそれならそれで畑の肥料にすれば良いかなと思い直すナンテだった。




