3.コロちゃん
肩に乗るコロちゃんを指で撫でながらナンテは思った。
学院で教えている精霊学は的外れなことばかりだな、と。
例えばこれが神学なのであればまだ分かる。神と呼ばれる上位存在はまずもって人の前に姿を現わさないからだ。
神の情報はそのほとんどを神殿が管理している。
それでも神の声を聞くことが出来る神子や神の力を使役出来る聖者聖女がいつの時代も数人居るので神の存在そのものを疑う人はいない。
だけど大した情報も無い、姿も見たことも無ければ声も聞いたことが無いでは学問として発展しようもない。
その点、精霊はその姿は見えるし言葉も交わせる。
最近でこそ精霊と契約を結んだ精霊術師が減ってしまい、学院内にコロちゃんの存在に気付けるのは自分だけのようだけど、昔は小さな村にも1人2人は精霊術師が居てその村を守っていた。
だからその精霊術師に話を聞けば簡単に精霊の事を知れると思う。
でも実際には精霊術師以外の人が結果を元に精霊とはこういうものだろ言うという話ばかりだ。
『精霊は嫌いなやつの前には姿を現わさない。
そして嫌いなやつに自分の事を知られるって嫌だろ?
だから大抵の精霊術師は精霊の気持ちを慮って口を閉ざしてくれる』
なるほど、コロちゃんの言う事は尤もだ。
赤の他人が自分のプライベートな情報をあれこれ知っているって考えるだけで気持ち悪い。
しかもその他人が自分の事を利用しようと画策しているのであれば猶更だ。
『僕達精霊はそういう相手の嫌がることをする奴には近づかないのさ』
(ということは私は大丈夫だって思って貰えたってこと?)
『もちろん』
(私コロちゃんと初めて会ったのって3歳くらいの時だけど)
ナンテが初めてコロちゃんに会ったのは父親と一緒に領地の視察に出ていた時だった。
その日は春のうららかな日差しが気持ちよく、行き先も領主館のすぐ近くで危険は何もない場所だったのでまだ小さかったナンテも一緒に出掛けようという話になったのだ。
視察先に到着し、馬車から降りたナンテの視界に入ったのは一面のジャガイモ畑だった。
畑の畝からジャガイモの若葉がにょきにょきと規則正しく伸びている姿は小さなナンテの心を揺さぶった。
「あまり遠くに行くんじゃないぞ」
「はーい」
父親の注意を背中に受けながらナンテは畑の中に入り、畝と畝の間の細い道をえっちらおっちらと歩いては太陽の光で輝く新緑に感動のため息をついていた。
そんなナンテの姿を見た父親も、あの子は将来領地を愛する素敵な娘になるに違いないと親ばかを患わせていた。
畑での小さな探検を楽しむナンテは葉っぱを突いたり止まっている虫をじっと眺めたりと忙しいが実はただ遊んでいる訳ではなかった。
(きょうは、おとーさまのおしごとのおてつだい)
出がけに父親から領内の視察に行くという話を聞いていたナンテは小さいながらも何かしたいと思っていた。
もっとも、何か知識がある訳でもないのでおままごとの範囲ではあったが。
「はっぱさんがキラキラしてるってことはげんき、なんだよね」
『うん、そうだよ』
「!?」
ナンテの呟きに誰かが返事をした。
驚いたナンテは周囲を見回すが父親たちはずっと離れている。
それに聞こえて来た声も父親のものとは違って子供っぽい声だった気がする。
『こっちだこっち』
呼ばれた方を見れば小さなナンテよりももっと小さい人が立っていた。
ナンテはしゃがみ込んで視線を合わせながら話し掛けた。
「こんにちは。わたしはナンテよ。よろしくね」
『僕はコロちゃんだ。
それより君、僕の声だけじゃなくて姿も見えるんだね!』
「わたし目も耳もわるくないのよ?」
『ははっ、そうみたいだ』
何が面白いのかコロちゃんは楽しそうに笑っている。
釣られてナンテも笑っていた。
「それでコロちゃんは何をしているの?
おとーさまみたいにしさつなのかしら」
『いやいや。ここは僕の庭みたいなものだからね。
今日は天気も良いしお散歩中なのさ。
ただ、人間で言うお忍びというやつでね。
僕のことは他の人には内緒にしておいてもらえるかな?』
「わかったわ。みつかったらおこられちゃうの?」
『怒られはしないけど、びっくりはされるんじゃないかな』
「それはよくないわね!
わたしもこの前、おかーさまをびっくりさせてしまって、だいじなお皿を1枚わってしまったの」
『なるほど、それは大変だったね』
コロちゃんはナンテの話を聞いて大仰に頷いた後、こほんっと小さく咳ばらいをした後、どこか芝居がかったポーズを取った。
『さて、僕ら精霊の声どころか姿も見える少女ナンテ。
君は僕の力を欲するかい?』
それは精霊の契約の儀式。
契約の条件は精霊から認められ、精霊と言葉を交わすことが出来る素質を持っていること。
ここで頷けばナンテは幼いながらも精霊と契約を交わした精霊術師になれる。
ナンテは知る由もないことだが、アンデス王国では精霊術師は宮廷魔術師に並ぶ地位が約束されており、現在は1人も王宮付きの精霊術師が居ないので相当なVIP待遇が受けられる。
望めば王族との婚約だって結ぶことが出来るだろう……婚約破棄される可能性はあるが。
そしてナンテの回答はあっさりしたものだった。
「いらないわ」
『それはどうして?
言葉の意味は伝わっているはずだよね』
契約とは対等なもの。
精霊は相手が幼い事を良い事に一方的に交わすようなことはしない。
だから先ほどの問いかけの時に契約を交わせばどんなに凄い力が手に入るのかイメージも一緒に伝えている。
それでもナンテは悩むことなく首を横に振った。
「おとーさまが言ってたわ。
かりもののちからにたよってはいけないって。
ほしい物はがんばって手に入れるのよ」
『なるほど。良いお父さんだね』
「じまんのおとーさまとおかーさまなの」
えへんと胸を張るナンテにコロちゃんもにこにこ顔で頷いた。
「そんなものより、わたしコロちゃんとおともだちになりたい。
おかーさまは良くしんらい出来るおともだちをたくさん作りなさいって言うわ。
だからコロちゃん、わたしのおともだちになって」
『それくらいお安い御用だよ』
ナンテが差し出した手の指をコロちゃんが両手で掴んで握手を交わした。
その日以来、コロちゃんはふらりとナンテの所に来てはお喋りをしたり庭を散歩したり、一緒にお昼寝するようになった。
その関係は10年以上経った今でも変わらない。
『ねぇナンテ。君は僕と契約を結びたいとは思わないのかい?』
「全然思わないわね」
『ふふっ、そっか』
様々な知識を得て、人間社会の汚れた部分を多少なりとも見て来た今でもなおナンテの答えは変わらない。
その事にコロちゃんは心から嬉しく笑うのだった。