18.王都からの帰還
冬は農業は休みだが、その分貴族の大人は社交が活発に行われる季節でもある。
普段はほぼ国から忘れられたようなネモイ辺境伯であってもその当主は王都に行き、夜会を始め幾つか社交会に出席する必要がある。
その年もナンテの父は冬の始まりに領地を出て行き、そして冬の終わりの雪解けが始まる前には戻って来た。
「お帰りなさいあなた」
「お帰りなさいお父様」
「父上、お疲れ様でした」
「ただいま皆。変わりはないか?」
少し痩せて帰ってきた父親を家族全員で出迎える。
疲れた父親を労うために今日ばかりは豪勢な食卓だ。
「見てお父様。このコロッケはわたしが作ったのよ」
「おぉ、ナンテ。少し見ない間に料理まで出来るようになったのか」
「そっちの鳥はお兄様が狩ってきてくれたの」
「そうかそうか。
ガジャも腕を上げたな」
はしゃぐナンテに相槌を打つ形で夕食は賑やかに進んでいった。
話題は今食べている料理の事から最近の勉強の様子など尽きる事はない。
ただ時々分からないものも出て来る。
「それでね、あともうちょっとで【倉庫】の魔法が出来そうなのよ。
それが出来れば私が収穫したジャガイモの山を家の倉庫からどかせそうなの」
「倉庫の魔法? なんだいそれは」
「さあ何でしょう」
名前からして魔法で倉庫の代わりを作るように思えるがそんな魔法は聞いたことが無い。
この中で一番魔法に造詣の深い母親も知らない魔法だった。
良くは分からないが親として確認しておかなければならない事がある。
「ナンテ。それは危険は無いのかい?」
「もちろん。収穫した農作物を収納するだけの魔法だから」
「そうか、危険が無いなら良いんだ」
(収納する魔法? ……いやまさかよね)
一瞬脳裏にそういう空間魔法があったなと思い浮かんだけど、空間魔法自体かなり難易度の高い魔法だ。
数十年魔法の研究を行った魔導士や、神によって召喚されるという勇者くらいしか使い手はいない。
いくらナンテが天才と言ってもそれは無理だろうなと忘れる事にした。
「さて良い子で留守番をしていた子供達にはお土産があるぞ」
「本当ですか父上」
「わぁありがとうお父様」
食事が一区切りついたところで王都土産を披露すると言えば年相応の子供らしさで喜ぶ子供達。
ちなみに長男のガジャは今年13歳になった。今年6歳になるナンテとは7歳差だ。
「ガジャには狩猟用の弓と、護身用の剣だ」
「ありがとうございます。やった!」
やはり男の子だけあってこういった武器を見ると嬉しいらしい。
受け取った剣を両手で持って刀身をキラキラした目で見ている。
「ナンテには可愛いウサギのぬいぐるみだ」
「わ、わーい」
30センチくらいのデフォルメされたウサギのぬいぐるみを受け取るナンテ。
普通の6歳の女の子ならとても嬉しい贈り物だろう。
もちろんナンテも嬉しくない訳ではない。
だけどもっと欲しい物があったな、なんて思いが顔に出てしまった。
折角のプレゼントなのに喜んでもらえなければ渡した側はがっかりするだろう。
しかしそこで父はニヤリと笑った。
「それと鍬を始めとした農具を買い込んできた。
いくつかはナンテの畑で使えるように手配しよう」
「ほんと!? お父様素敵!!」
「まぁこの子ったら」
下げて上げる父親の戦略にまんまと嵌ったナンテは嬉しさのあまり父親に抱き着いた。
父も大好きな娘に喜んでもらえてにっこりだ。
ただ農具を貰って喜ぶのはナンテだけだろうなと母親は呆れていた。
「さあさ、お父様は帰って来たばかりで疲れているの。
今日は早めに休ませてあげましょうね」
「「はーい」」
母親の号令で楽しい団らんの時間は終わりを告げ、あとは夫婦の、というよりも領主とその妻の時間が来るのだった。
場所を寝室へと移動しつつ、酒瓶とつまみを用意して話をする。
そこには先ほどまでの楽しそうな雰囲気は欠片も無かった。
「この国の未来は、もう長くは無いのかもしれない」
「まあそんなにですか」
開口一番に告げられた夫のその言葉に、ある程度は覚悟していた妻も驚きを隠せなかった。
夫は強めの酒をグイッと呷ると話を続けた。
「王都では現在、浮気や不倫が当然のように横行している。
私達が学生の頃も婚約破棄が頻繁に行われていたが、更に悪化した形だ。
あれではどの家庭でも夫婦仲が良い筈もなく、父親は常に子供に自分の血が流れているのか疑うことになるだろう。
親に愛されずに育った子供が親や家を愛する訳もない。
彼らはきっと金と爵位と力を大事にして他人への情を失っていくだろう。
心を失った人間など獣と変わらない。到底国や領地の統治など出来なくなっていく。
そうなれば待っているのは圧政に反発した民衆の蜂起。それに合わせた他国の侵攻。この国は地図上から消えてなくなる」
「風紀の乱れが国の乱れに繋がるって言っていたレンギョさんの通りになる訳ね」
「大半の人達が風紀なんてって馬鹿にしてたけどな」
昔のクラスメイトの話を出して自嘲気味に笑う。
今なら彼女の言葉を本気で受け止める人も居るだろう。
なにせ過去を遡ってみても大国が亡びる原因はそのほとんどが内部からの崩壊だ。
アンデス王国も遠くない未来でそれらの国と同じ道を辿る可能性が高い。
これが他の国の話なら笑い話で済むのだが残念ながら自分の国の話だ。
ただ悪い話ばかりではない。
「幸いにして同じく危機感を持っている貴族は居る。
今後は彼らと協力して領地の安定を図っていくことになるだろう」
領地の、と言っているのは国そのものを変える力はないので、せめて自分たちの領地は守っておき何かが起きても落ち着いて対応できるようにしておくということだ。
本来国の行く末を考える立場にある王家やその周辺には期待できない。
「それとジャガイモの件だが、他領には話は漏れていないようだ。
というよりもほとんどの貴族はジャガイモを食べないらしい」
「そんな!?……あ、いえ。
言われてみれば私もここに来るまで実家ではジャガイモを食べる習慣はありませんでしたわ」
彼女は元々子爵家の次女だった。
そこは当然ネモイ辺境伯領よりも南に位置するので小麦が育つ。
なので主食は小麦のパンで、ジャガイモは平民のそれもあまり裕福ではない家が食べていた。
今考えればこんなに美味しいジャガイモを食べないなんて、随分と勿体ない生活をしていたものだと思う。
ただ南に行けば行くほど、この小麦至上主義は強くなる。恐らく南方の領地ではジャガイモは生産すらされていないだろう。
なので多少美味しいジャガイモが発見されたとしても貴族の食卓に上がる可能性は低い。
「ではナンテのことも?」
「ああ。気にしている者は居ないだろう。
そもそもナンテが居ることを知っている者がいるかどうかも怪しい」
「そうでしたか」
ふたりの脳裏には元気に畑を駆け回り多くの子供達に囲まれて共に汗を流している娘の姿が浮かんだ。
あの子の笑顔を守る為なら腐り始めたこの国を何とかしてやろうと気になってくる。
「そうそう、最近ではガジャもナンテに触発されて勉強を頑張っているんですよ」
「はっはっは。うかうかしていたら7つも離れた妹に色々と追い抜かされそうだからな。
兄として負けるわけにはいかないだろう」
ナンテが異常に聡明なだけで、長男のガジャも同年代の子供と比べれば十分に優秀だ。
将来この領地を継ぐ子供たちが真っすぐ育ってくれている。
それだけが二人の希望となっていた。