10.領主たちの失念
幼いナンテが楽しく自分の畑創りに勤しむ影でナンテを見守る者が居た。
幾ら貧乏領主とはいえ従者は居るのだ。まだ5歳の愛娘を一人にする訳がない。
ただその従者、ジーネンは現在48歳。
ナンテが生まれる前から家に仕えており、彼女の事を孫のように愛していた。
要するに孫馬鹿であった。
「おぉ、ナンテお嬢様。街の皆さんに愛されて素敵でございます」
「あぁこんな長距離を軽々と踏破するとは流石ナンテお嬢様でございます」
「鍬を持つ姿も様になっております。恰好良うございます!」
「何やら独り言を言いながらも大地を耕す姿も愛らしい!!」
ナンテのやることなすこと全てが魅力的に映っていた。
結果として領主に対する報告もそれを反映したものとなっていた。
「ナンテお嬢様は日々元気に畑創りに勤しんでおり、全く問題は起きておりません。
最近では街の子供たちも従えて活発に行動しております。
あれぞ正に領主の娘の鑑でございます」
「そうか、流石我が娘だな。そうは思わないかお前」
「ええ。やはり私達の教育に間違いはなかったのですね、あなた」
「あはははっ」
「うふふふっ」
両親も親馬鹿なので娘を褒められて喜んでばかりだ。
そしてナンテが誕生日を迎えて1月が経った頃。ナンテが籠いっぱいの野菜を持って帰って来た。
「お父様、お母様。
見てください。私の畑で採れた野菜第1号です!」
「おぉ」
「素敵ね。今夜は豪勢になりそうだわ」
普段は質素な食卓だが、愛娘が収穫してきてくれた野菜はなによりのご馳走になることだろう。
その夜はいつも以上に楽しいひと時が流れた。
「それにしてもナンテは天才だな。
こんなに早く食べられるものを育てられるとは思わなかったぞ」
「きっと素敵な畑が出来ているのでしょうね」
「はい!
ですがまだ創りかけですから見に来るのはもう少し待ってくださいね!」
「そうか。だが出来るだけ早く私達を招待してくれよ」
「ええ楽しみにしていてください」
ナンテは言葉通りの意味で言っていたが、両親としては慌てて直接見に行かなくてもジーネンから日々報告を受けている。
だから何も問題はなく順調にナンテが愛らしく楽しそうに過ごしていることも知っていた。
そのせいで安心しきっていた両親は致命的な問題に気付くのが更に遅れる事になった。
問題に気付いたのは誕生日から3か月も経った後。それも畑とは別の事でだ。
ある日の昼過ぎに、警備隊の男性が領主館に駆け込んできた。
「領主様、大変です。魔物の森からゴブリンの群れが近付いて来ております!」
「何だと!? 警備隊はどうしている?」
「既に準備を終え出撃しております」
「そうか。なら安心だな」
「いえそれが、森にほど近い場所になぜか畑があり、そこにナンテお嬢様がいらっしゃるそうです」
「なっ!?」
どういうことだ。
ナンテは今頃自分の畑で農作業の真似事をしているはずだ。そう自分の畑で……。
そこではたと気が付いた。
「おい、ナンテはいったいどこに畑を作ったか聞いているか?」
「あら、そう言えば聞いておりませんでしたわ」
「まさか領都の北側に作っていたのか?
領都の北には魔物の森があることはあの子も知っている筈。
わざわざそちら側に畑を作るとは思えん」
「……いいえ、あの子の事です。
もしもの時は街の防壁代わりになる覚悟なのかもしれません。
思い返せば誕生日の少し前に北の警備に関する話をしていたでしょう?」
「ううむ、私達の苦労を少しでも減らそうと考えた訳か。
愛情深いあの子なら有り得なくはない」
本人から直接聞いた訳ではないので真実は分からない。
だがそれを確認するのは後だ。
今は兎に角ナンテの身を守ることが最優先だ。
「こうしてはおれん。私も出るぞ」
「お待ちください。
ご領主様自ら動くなどあってはなりません」
「何を言う。娘の命が掛かっているのだぞ」
「相手は所詮ゴブリン。今からでは現地に到着する頃には戦いは終わっております」
「しかしだな」
伝令の必死の引き留めを振り払おうとしていた所で玄関の扉が開いた。
「お父様、ただ今戻りました」
「おおナンテ!」
元気のない様子のナンテを父親はがしっと抱きしめた。
あまりの勢いにナンテの足は宙に浮いてしまった。
「ナンテ怪我は無いか!?」
「うぎゅぅ、苦しいですお父様」
「おぉすまない」
ナンテを地上に降ろしてパタパタと服の埃を落としながら怪我が無いかチェックをする。
幸いにも怪我どころか服のほつれも無いようでやっと安心出来た。
「無事で何よりだ」
「はい。領民含め怪我人は1人も居ません。ただ」
「なにかあったのか?」
「畑がダメになってしまいました。
折角お父様達に豪勢な食事を召し上がって頂けてたのに残念です」
「あぁ、なんだそんなことか。
心配しなくても良い。お父さん達は前の食事でも元気に暮らせていたし、畑はまた耕せば良い。
それより大変だっただろう。お母さんと一緒に奥で休みなさい」
「はい」
妻にナンテを預けた後、後ろに控えていた警備隊とジーネンから事の経緯を聞くことにした。
まず警備隊によると彼らが魔物発見の報せを受けて駆け付けた時には既に魔物は壊滅していたという。
残っていたのは荒れ果てた畑とバラバラになった魔物の死体。そして畑の手前に立つナンテとジーネンの姿だったという。
続いてジーネンに話を聞こうとした所。
「領主様、報告は場所を移したく」
「む、分かった」
場所を移すというのはつまり人払いをして欲しいという事だ。
これからする報告がそこまで重大な話なのか疑問に思ったがジーネンが意味も無くそんなことを言うはずもない。
執務室へと移動し2人きりになったところで改めてジーネンは報告した。
「お嬢様は精霊の愛し子かもしれませぬ」
「なに、それは本当か?!」
『精霊の愛し子』。
それは上位存在と契約を結んでいない状態でその力を使役出来る者のことを言う。
基本的に上位存在と何らかの契約を結ばなければその力を使役することは出来ない。
ただ一部例外があるのだ。上位存在の方から積極的に力を譲渡された場合だ。
上位存在と言っても様々居るが、そんなことをするのは精霊か霊獣くらいなもので、霊獣なら基本的に姿が見える。
なので何もいなかったとなれば精霊の仕業だろうという事でそう呼ばれている。
「はい。魔物の接近をいち早く感知したお嬢様はまず、一緒に農作業をしていた領民の子供たちを通報がてら街に逃がしました。
私はお嬢様も一緒に逃げるように説得したのですが頑として聞き入れてくださらず、代わりに雄々しく鍬を構えたのでございます。
そして魔物が畑に足を踏み入れた瞬間、まるで生き物のように畑の土が動き出し、あっという間に魔物を倒してしまったのです。
あのようなこと、宮廷魔術師でなければ通常の魔法では起こせません。
きっと近くに居た精霊様がお嬢様に力をお貸しくださったのでしょう」
「そうか」
近年この国を始め大陸中で精霊術師が減っている。
精霊の愛し子とは、精霊術師の卵であると言われており、王家の耳に入れば国家機関で管理するから国に預けろと言われかねない。
だが大事な娘の人生を一生、国の為に使い潰させる訳にはいかない。
だからこの話は誰にも漏らす訳にはいかないのだ。
幸い、ここは北の果ての辺境伯領。そう簡単に南部の王都に情報が届く事はない。
ふたりは顔をも合わせてしっかりと頷くのだった。