本当に怖いのは……
通学路の途中にある一件の廃屋、殺人事件があったとか、その家の息子が自殺したとか、そんな噂話が立つほどには、有名な家だった。
「あの家、前からなんかおかしいんだよね」
お昼休み、お弁当を食べ終えすることもなく、ぼーっとしていると、隣に座っているクラスメイトが、唐突にそんなことを言い出した。
「変って?」
「夜中にさ、変な声が聞こえるんだ。猫の鳴き声かと思ったんだけど、違うみたいだし、それに……」とわざとらしく言葉を止める彼女に私は、「それで?」と続きを促した。
「時々、窓に影が映るんだよ。誰かが覗いているみたいに」
「へえ……、どんな影なの?」
「それがさ、よく見えないんだ。ちらっと黒い影みたいなものが見えるだけ。でも、絶対誰かの目だと思うよ。だって、こっちをじっと見てるんだもん。気味悪いでしょ?」
くだらないと心の中で呟きつつ、「ふうん、そうなんだ」と適当に相槌を打つ私だったけど、彼女は気にした様子もなく、一人で話を続ける。
「ねえ、知ってる? あの家、昔、殺人事件があったんだって。一家惨殺ってやつ。犯人は捕まっていないらしいよ」
「それはただの噂でしょ? 私は息子が受験ノイローゼの果てに自殺したって聞いたけど」
大体そんな殺人事件なんかが起こっていたら、たとえどれだけ昔の話だろうが、もっと大々的に取り上げられているはずで、誰も知らないなんてありえない。
しかし彼女はそうは思っていないようだ、性格なのか彼女は陰謀論的なものが好物らしく、大々的に取り上げられなかった理由があるはずだと主張し始めた。
「みんな、隠してるんだよ。きっとね、犯人はまだ捕まってないんだ。そして、今もあの家に潜んでるに違いないよ!」
これがなければこの子もいい子なんだけどなぁ、なんて思いながらも、私は適当に相槌を打ちながら彼女の話に付き合うのだった。
放課後、私は一人自宅への帰り道を歩いていた。特に用事があるわけでもないし、部活にも入っていなければ、塾に通っているわけでもないので、授業が終わるとすぐに帰宅することになる。
しばらくすると、例の廃屋が見えてきた。
友達の話が気になったからというわけではないけれど、私はなんとなしに廃屋の前を通ってみることにした。
一見すると、何の変哲もない普通の民家だ。特別大きいというわけでもなく、かといって小さいということもない、ごくごく普通の一軒家。ただ、窓が一つ残らず締め切られていて、中の様子が全く分からないことを除けばだが。
この中に誰かいるのだろうか、そう思って玄関口に回ってみるものの、ドアにはしっかりと鍵がかかっていて、中に入ることはできそうにもなかった。
試しに玄関のドアをノックしてみる。コンコン、と乾いた音が周囲に響いた。
当然、返事はない。物音一つしなかった。
「……やっぱり、誰もいないよね」
我ながら馬鹿なことをしているな、と思いながら、踵を返す。その時だった。
おぎゃああぎゃあ……という赤ちゃんの泣き声のようなものが、どこからか聞こえてきたのだ。
いや、気のせいかもしれない。そう思い直し、再び歩き出す私だったが、やはりおぎゃああああと、今度ははっきりと赤ん坊の声が耳に入った。
まさか、この家の中から……? そう思うと同時に、私の足は勝手に動き出していた。ガチャリとドアを開け、家の中へと入る。中は真っ暗で何も見えない。
家の中に一歩足を踏み入れると、足元でパキリと何かが折れる音がした。どうやら木の枝か何かを踏んでしまったらしい。
ビクビクしつつ暗闇の中、恐る恐る歩みを進める私。
結構奥まった一室までやってきた時だ、不意に、目の前に何かが現れた。驚いて足を止める私に、その物体は突進してくる。
「っ!!」
声にならない悲鳴を上げ尻もちを突く私、その物体は私の体の上に飛び乗ってきたかと思うと、そのまま顔に覆いかぶさってきた。
ペロッと頬を舐められた感触、それから獣臭さが鼻をつく。
ん……? これって……。
私は両手を伸ばすと、顔に覆いかぶさるそれをむぎゅっと掴んだ。
柔らかい毛の感触、短い手足、そして生暖かい体温を感じる。
「なんだ、あなたかぁ……」
私は安堵のため息を漏らしつつ、『そいつ』の額に自分の額をくっつけた。
ぺろりっ、とまた頬を舐められる感触がした。
「もう、くすぐったいってばぁ」
思わず笑みがこぼれる私、そう、私に覆いかぶさって来たのは、一匹の黒猫だったのだ。
発情期の猫と言うのは赤ちゃんのような鳴き声を発することがあると言うが、まさにその通りだったわけだ。
「幽霊の、正体見たり枯れ尾花ってね。あの子が言ってた噂もきっと猫の仕業だったんでしょ、ねえ?」
私は猫に語り掛けるように呟いた。もちろん猫は私の言葉なんてわかるはずもないので、首を捻るだけだけど。
私は立ち上がると、服についた砂埃を払い、乱れた髪を手で整えてからもう一度猫の頭を撫でてやった。ごろごろと喉を鳴らすその姿はとても愛らしくて、つい頬が緩んでしまう。
そんな時、ふと背後に人の気配を感じた気がした。
振り返ると、そこには一人の女性が立っていた。
女性は私と目が合うと、にこりと微笑み、「こんにちは」と言った。
「こ、こんにちは……」
反射的に挨拶を返してしまう私、しかしすぐに我に返ると姿勢を正し、彼女に尋ねる。
「あ、あの。どうしてここに?」
私の質問にしかし彼女は肩をすくめ答えた。
「悲鳴が聞こえたから駆けつけてみたのだけれど? あなたこそ、こんなところで何をしていたのかしら」
ああ、そうか、そうだよね。よく考えたら私も不法侵入をしてることになるんだよね。
「ええと、中から赤ちゃんの泣き声っぽいのが聞えてきて……。それで……。でも、この子だったみたいです」
私はそう言って、足元に擦り寄ってくる黒猫を抱き上げた。
「まあ、そうだったのね。でも、どんな理由があったとしても無暗に人の敷地に入ってはいけないわ。それに、今回は猫だったからよかったけれど、不審者や変質者だったらどうするの? 危ないでしょう」
もっともなことを言われぐうの音も出ない私。しかし、女性はくすりと笑うとこう続けた。
「なんて、私も人のことは言えないけどね。ともかく、一緒にここを出ましょう?」
言われて私は猫を抱きなおすと、女性と共に家を出た。
「ここでのことは秘密よ? お互い不法侵入で警察から怒られたくはないでしょう?」
「あはは、そうですね……」
そんな会話をしつつ、分かれ道まで来たところで私が、「じゃあ、私の家はこっちなので……」と切り出すと、女性は、「そう、こっちがあなたの家なのね……」と意味ありげに微笑んだ後、「では、ここでお別れね。くれぐれも気をつけて帰るのよ」と言って去っていったのだった……。
*
「それのどこが怖い話なんですか? ただ、廃屋で親切な女の人に出会った話じゃないですか」
先輩からとびっきりの怖い話を聞かせてあげると言われ、期待半分不安半分で耳を傾けていたあたしだったが、聞いたのは微妙な話だった。
家から赤ちゃんらしき泣き声が聞こえてきたあたりでは「おおっ」と思ったものだが、それも結局猫だったし……。しかもその後の女性との出会いのエピソードに至ってはもはやただの世間話じゃないか……。
肩透かしを食らった気分になりガッカリするあたしに、先輩はニヤリと笑みを浮かべると言った。
「怖いのはここからよ。それから一か月後、その家から死体が発見されたの、死後一か月ぐらいの母親と赤ちゃんの他殺体がね」
「え、ええええっ!?」
突然の展開にあたしは驚き声を上げた。そんなあたしに構わず話は続く。
「貧乏で行くところがなく、こっそりと廃屋に住み着いていたそうよ。その家で目撃された人影、謎の声、おそらくすべてその親子のものだったんでしょうね」
「な、なるほど……」
つまり先輩は危うく死体と遭遇してしまうところだった、ということなのだろう。確かにそれは怖いなとあたしは納得をする。
「幽霊に遭遇するより、死体に遭遇する方が怖いわよね? でも、私が心底恐ろしかったのは、『そのこと』に気づいた時だったわ」
「えっ、それってどういう……」
首を傾げるあたしに、先輩は真剣な表情になるとこう言った。
「私、あの時悲鳴なんて上げてないのよ……。私が聞いた赤ちゃんの泣き声、本当に猫の鳴き声だったのかしら……?」
先輩のその言葉に、背筋がゾクッとするのを感じると共に、ああ、だから先輩この町に引っ越してきたんだとあたしは思ったのだった……。