正式な依頼
電話を終えて、再びリビングへと戻る。
そこでは、千尋さんと結芽たちが楽しそうにお茶会をしていた。子供達は先程同様オレンジジュースを嗜んでいる。
テーブル上には、千尋さんの手作りクッキーが残り数枚だけ残っていた。
「ツカーサ!おっそーイ!」
「ごほっ!?」
こちらに気づくやいなや、ミーシャが飛びついてくる。
「司くんもお茶どうぞ。お菓子も食べてください」
三人も俺に気づき、千尋さんが席を譲ってくれる。
「はい、頂きます。それとミーシャ離れてくれると有難いんだけど」
「ハーイ」
断る理由もないので、俺もありがたく同じ空間へと混ぜてもらう。俺以外が女性というのは、なんだか少し緊張してしまうな。
「司さん、お聞きしたい事が」
「ん?」
「私たちの件、どうされますか?」
親父と喋って乾いた喉を潤すために、まずはお茶を頂く。しかし、一口飲んだ所で、不安そうな顔を浮かべた結芽に問われる。
そうだよな。一服する前に話しておくべきか。ミーシャはともかく、結芽も歌恋もそわそわしたように伺えるし、心配していたのだろうな。
「家庭教師のこと、改めてお願いするよ。やれるだけやらせて欲しい。頼めるかな?」
「……っ! はいっ! もちろんです」
俺の答えに安堵の表情を浮かべる結芽。
三人の中では一番落ち着いていて、一際大人っぽそうに見えた彼女だけど、こうして顔に出るところは子供っぽくて、見ているこっちも安心する。
「ふふっ、良かったわね。結芽ちゃん、さっきまで不安そうだったものね」
「そ、そんなことはありません。私よりも歌恋の方が落ち着きがなかったようにも思えますが?」
「だってわたしは、つーくんに断られるかもしれないって、不安だったんだもの。それは当然でしょ?」
「うぐ、そ、それは、そうかもですけど……」
「素直になれない結芽ちゃんとは違うわ」
「なっ!なぜいつもあなたはそう言う事をっ!」
なんだか急な言い合いが始まったな。あんなにも冷静だった結芽が、今では歌恋の手の上で転がされているような扱いだ。
もしかすると、三人の中では歌恋が一番やっかいな子かもしれない。とはいえ、歌恋も安心してくれた様子なのは確かだ。ミーシャなんか、バンザイしながら、わーい! と、身体全体で喜びを表現してくれている。
そんなに嬉しいことなのかな?
俺はそんな微笑ましい光景を見物しながら、クッキーを口へと運んだ。
「ん! やっぱり千尋さん、お料理上手ですね。すごく美味しいです」
「ほんとうですか? 良かった、気に入って頂けて。また作りますね!」
クッキーの感想を述べると、千尋さんは嬉しそうに、約束をしてくれた。
うん。本当に美味しい。お店に並べられてもおかしくない出来だ。絶妙な砂糖の甘さの加減がすごくいい。
親父と長々と喋ってないで早く戻ってくるべきだったかな。そうすれば、もう少しこのクッキーが食べれたかもしれないのに。
「ふぅ、ご馳走でした」
そうして、最後のクッキーを食べ終え、お茶を啜る。
それを待っていたとばかりにミーシャが立ち上がった。
「オーケー! さっそく、お勉強しヨっ!」
ミーシャは俺の腕をぐいぐいと引っ張って、リビングを出ようとする。
……お散歩に出かけたい犬みたいだな。
「早くツカーサのお部屋見てみたいっ。案内しテっ」
そっちが本命か。
でも確かに、残り時間のことを考えると、すぐに取り掛かった方がいいかもしれない。
学園側の条件が三教科だけとはいえ、レベルがレベルだからな。基礎からやることを視野に入れると少しの時間でも惜しい。
「まちなさいミーシャ。まずはスケジュールを決めないと」
しかし、結芽がそこに割って入る。
「えー、いいよ。順番に教えていけばいいんデショ?」
「そんな単純な話ではありません。ちゃんとスケジュールを組んで計画的にこなさなくては」
「もー、ユメは細かいナ!そんなだから、身長も小さイ」
「それは関係ないでしょ!」
と、ツッコミを結芽が入れる。
俺も正直、それは関係ないと思うに一票だな。
「ミーシャちゃん。計画的に進めていかないと、後々大変になることもあるのよ」
すると、歌恋も結芽側に加わり、ミーシャを説得する。
「スケジュール……」
確かに、これからの予定を組んでいた方が、やりやすそうではあるよな。
一日の間でどこまでやるか。決めおけば、当日までに、一通りの基礎から勉強し直すこともできるかもしれない。
「エー、でも」
「ねぇミーシャ。ここは二人の言う通りにしてみよう。もちろん部屋には案内するからさ」
「ウーン、……ツカーサが言うなら」
「うん。ありがとう」
俺は、やや不本意そうなミーシャの頭を軽く撫でる。
良かった。素直に言うことを聞いてくれる子で。教えられるのは立場上俺だから、三人には頭が上がらないけど、年齢だけでいえば、俺の方が上なんだし、こういったところで年長者としての役割を務めさせて頂こう。
そうしないと、これから先、子供に教えられていくなんてやっていける気がしないからな。
「それじゃあ、スケジュール調整は、つーくんのお部屋でやらせてもらおうかしら。勉強もそこで行うのだろうし」
すると、ミーシャにしがみつかれた方の腕とは反対側に来て、歌恋は手を繋いできた。
「歌恋!あなたまで司さんに迷惑をっ」
「あら。司くんモテモテですね」
そんな姿に、千尋さんは柔らかい笑みを送ってくる。
「ほら、行きましょう。つーくん、案内をお願い」
「うん。分かった」
そう言って、リビングの外へと連れ出される。
「あれ?」
「………」
歌恋の行動を途中から黙って見ていた結芽は、未だリビングで立ち竦んでいる。
「結芽」
「は、はいっ」
「おいで」
この空気に入りづらそうにしていた結芽に俺は声をかける。
すると、すぐに彼女は持ってきていた荷物をまとめて、こちらに駆け寄って来る。
俺が教えてもらうはずなのに、この保護者のような気持ちはなんだ?
「頑張って下さいね。後でお菓子とか持っていきますから」
椅子に座る千尋さんの呼びかけにお辞儀で応え、リビングを出てすぐの階段を上っていく。
ミーシャも歌恋も、会って間もないと言うのに、こうして懐いてくれたのは意外だった。案外、第一印象が良かったのかもしれないな。でなければ、こんな風にくっついてくる事も普通では考えられないだろう。
ただ、その仲に入れずにいる結芽を見ると、申し訳なく思えてくる。もう一本腕があれば二人のように手を繋いであげられるのだが。
でも、クールな結芽は嫌がるかもしれない。
「ん?」
ふとそんなことを考えていると、背中越しに服の裾を掴まれていたことに気づく。
そっと後ろを振り返ると、結芽が空いていた方の手で俺の服を掴んでいるではないか。
「ふふっ」
どうやら、嫌われているわけではなさそうだ。
それを知って安心する。約二週間の付き合いとはいえ、コミュニケーションが取れないと、勉強もままならないだろうからな。
よし! 頑張ろう。
そう心で呟き、もう一度俺は自分に喝を入れた。