遺言(3)
『乗客の皆様に連絡いたします。ただ今、当飛行機にてエンジントラブルが発生。エンジントラブルが発生。乗客の皆様は速やかに着席致しますようお願いいたします。ただ今、飛行機の安定を試み…ブツッ』
そこで、アナウンスは途切れた。
飛行機が大きく揺れてから、不規則な間隔で揺れは続く。
それは、子供の結芽にとって、とても恐ろしく感じていた。
「席れと言ったって、こんな場所に席なんかある訳ないじゃないか……」
女性は近くの手すりにつかまり、なんとか体勢を立て直しながら、結芽をぎゅっと抱きしめる。
「あの……」
「大丈夫、安心して。君の席はどっちの方だい?」
「あっち」
「よし、私と同じだ。このまま一緒に戻ろう」
そう言って、座席へと戻ろうとする。
「お客様!」
すると、すぐ近くの個室からキャビンアテンダントさんの声がした。
先程近くを通りかかった人だ。心配になって様子を見に引き返して来たのだろうか。
「お客様! 今動くのは危険です。こちらのスタッフルームへ」
「しかし、この子の親が心配しているはず」
「お任せください! 無線で座席の方へ緊急アナウンスでお伝えします」
「……そうか、ではそちらへ」
結芽は言われるがまま、お姉さんと共に個室へと誘導される。
奇跡的にも、個室にいたキャビンアテンダントは一人だけで、座席も足りていた。
すぐさまシートベルトの着用をし、両親がいる方へと連絡をしてもらう。
しかし、こちらもすぐに通信が切れてしまった事に、彼女の表情から伺えた。
安否の確認を取ることはできたと、キャビンアテンダントの女性が言われ、ひとまず安心する。
「ぐすっ、……お母さん、お父さん」
「怖いかい?」
母親たちを呼びながら震えていると、隣に座るお姉さんが手を握ってくれた。
「大丈夫、きっと助かるよ」
お姉さんの手が冷たくなっていることが、握られた手から伝わってきた。
不安なんだ。お姉さんも。
「すー、はー」
少しでも落ち着けるように、深呼吸を繰り返す。
「……信じる」
そう心にも言い聞かせて、何とか涙は収まった。
『まもなく、着陸体制に入ります! 揺れに備え、しっかりと捕まっていて下さい。この機体は、当初予定しておりました。空港への着陸体制へと入ります。乗客の皆様は着陸に備えてください!』
「着陸って、このままかっ!」
お姉さんがアナウンスに向かって叫ぶが、もちろん返事はない。
同乗するキャビンアテンダントさんも何も言わずに押し黙っている。というより、答えられないのかもしれない。
多少揺れは落ち着いたものの、今のアナウンスから考えるに、無事に着陸できる可能性は極めて低い。
お姉さんは、それが何を意味するのか理解していた。
ーーーつまりは、不時着だ。
途中で、飛行機の体制が戻るかもしれないがそれが叶うほど、現状は甘くない。
結芽は心の中でずっと、無事を願うことしかできなかった。
そして、その時はあっという間にきた。
車窓から飛行機がもう間も無く、地面へと接触するのが分かる。落下の速度も五分と五分だろう。
「……車輪くん。持ってくれよ」
「え?」
すると、お姉さんはベルトで体を固定されたまま。結芽を抱きしめてきた。
「お、お姉さん!?何してっ……」
そして、視界が暗闇に飲まれた。
「ううっ、」
どうなったのか。暗闇に飲まれてからのことは、覚えていない。
身体中が痛い。暗闇の中からゆっくりと瞼をあげる。
どれくらいの時間が経ったのだろう。
目の前に座っていたはずのキャビンアテンダントさんも、その空間もろとも、居なくなっていた。
目の前には柔らかみのあるエアバックのような物が。落ちる前に着用させられたライフガードと同じ色のものが目に入った。
飛行機はどうなったのだろう。
「……うぐっ!」
痛くて、身体は動かせない。時間が経つにつれ、朦朧だった意識もはっきりとしてくる。
それと同時に、身体の激痛も露わになった。
「よかっ……た」
「⁉︎」
すると、後ろから声がした。
「おばさん!」
「ばか……、お姉さんだ、っての。ゴホッゴホッ」
何とか首を捻り、後ろを見ると、先程まで一緒だったお姉さんが頭から血を流していた。
しかし、その表情は笑っていた。
「そんな、どうして……こんな」
「う……ん。それだけ、話せ、……意識が、あれば、命は大、丈夫だな」
目の前にあったのは、エアバックなんかじゃなく、ライフガードそのものだったのだ。
この女性は、結芽のことを着地する寸前に抱きしめてから、ずっと離さず守ってくれていたのだ。
衝撃で身体がボロボロになりながらも。
「なんで、私、なんかを」
「こらこら、これから……の、未来がある、君が、そんなこと、ゴホッ、……言うな」
「そんな、おばさんも! おばさんも、死なないでよ!」
「はは、それは、ちと……難しいな。身体も、もう、言うことを聞かない。痛みすらも、麻痺してきてる」
どうして。さっきまで元気な姿だったこの人が、今はこんなに弱って。
「でも……君は、救助が来るまでは大丈夫、そうだ」
「おばさん!」
「すまないな。君を、両親のもとへ、連れて行くのも。今の私には、できそうに、ない」
「ねぇっ!おばさん!」
今は、自分のことより目の前の女性のことでいっぱいいっぱいだった。
「おばさん、おばさんって、まだ、私は、三十半ば……あ、じゃあ、もう充分おば、さんかぁ、はは」
喋るにつれて、どんどん声が遠くなっていく。
「君、名前、は?」
「ゆめっ!柳結芽!」
「ゆめ、ちゃんか。ゆめ、ちゃん。君、にひとつ、お願い、したいことが……ある」
「なに!」
耳を済ませてよく聞こうとする。一言一句、聞き逃さぬよう。
「私、の息子と……夫に、伝えて欲しい事があるんだ」
「伝える! 伝えるけど、おばさんもしっかり生きなきゃっ!」
「はは……それは、約束……でき、ないな。じゃあ、……まず、夫の方から」
そうして、結芽はゆっくりと時間をかけて、覚えられる限り、その女性の声を聞いた。
……その女性の最後の時まで。




