少女の過去(2)
「そうですか。司さん、あの時の事件のことを」
「うん。結芽たちがうちに来た日に親父から電話で聞いた」
結芽が夕食を食べ終えた後、俺は歌恋から聴いたことを話した。
「黙ってて、ごめんね」
「いえ、司さんが私たちのことを考えて言わなかったのは分かっていますから」
結芽も薄々気づいてはいたんだろうけど、改めて俺の口から結芽たちについて知っていることを話した。
事故が起こる前の出来事についても。もちろん、歌恋の口から聞いたことは伝えていない。あくまで親父から聞いたことにしている。当然、親父も結芽が母親と喧嘩別れをしている事は知っている。それは、階段を上がって来る前に歌恋から聞いて確認済みだ。
「結芽たちも知ってたんだよね?俺の本当の母さんの事」
「……はい」
いつも通り、この後は英語の勉強の時間が待っている。そのため、俺は自分の入浴時間を勉強の後に回すことにした。こうして結芽と話す時間を作るために。今頃は、歌恋とミーシャは入浴中だろう。
千尋さんはというと、結芽がまだ入らないのであれば、私が代わりに入ると言って、今は歌恋たちと共にお風呂に居るはずだ。とは言ったものの、子供三人だけならまだしも、大人一人と子供二人では流石にうちのお風呂は少々狭いのではないかと思う。
だけど、今なら二人だけでゆっくりと話す事ができるはずだ。
「司さんは、私たちのことを恨んでいたりはしませんか?」
「えっ、どうして?」
いざ話そうとした瞬間、先に結芽が口を開いた。
「あの事故で、司さんのお母様は亡くなられて。それなのに、私たちは今もこうして生きていて、突然生き残った私たちが司さんの前に現れた。そんな私たちを見て、恨まれてもしょうがない事だと、私は思います」
そんな事を考えていたのか……。
「恨んでなんかいないよ」
「どうしてですか? 普通なら、他人の私より自分のお母さんが帰って来ることの方がよっぽど、」
「結芽」
俺は結芽の名を呼んで、言葉を止めさせた。
途中で分かった。今の質問は、俺に向けてだけじゃない。
自分が犠牲になれば、俺の母さんは生きていたかもしれない。そう言っているんだと思う。でも、それは他の二人にも当てはまる事なんだ。
自分が犠牲になる事で、ミーシャ、歌恋のどちらかの家族は助かっていたかもしれない。もしくは両方共。あんなに仲の良い三人が、一緒に過ごしていたらそういう考えに行き着くこともあるのだろう。おそらく、ミーシャも歌恋も。しかし、二人はそれを乗り越えた。だからこうして、三人は各々壁を作らずに仲良く暮らせている。
「他人なんて言わないでくれよ。俺は、そんな事を思った事ないよ」
「嘘です! 」
結芽は、自身の正座する太ももの上で両手をギュッと握る。
「教授だって本当はっ」
「そんな事ない。親父も俺も結芽のことをそんな風には見てないよ」
「でもっ……でもっ! ……っ」
結芽の声は震え出し、消え入るように潰れていった。目元からは涙が溢れ出している。
溜め込んでいたんだろうな。うちに来てから。いや、親父と会った時からかもしれない。
「私は、お母さんに謝れなかった。それはもう、叶う事はありません。だから、」
多分結芽は、お母さんと別れて、自分は生きて。でも、こんなに苦しい思いをするなら。
「私の命が助かるより、他の人の命が助かった方が、きっと幸せだったはずなんです!」
「……っ」
耐えられなかった。
結芽があまりにも俺にとって、悲しい発言をしたから。これ以上、苦しむ彼女を見ていられなかった。
「っ!?」
俺は強く、結芽を抱きしめた。
結芽が戸惑っているのが、腕の中を通して伝わってくる。でも、今の俺にはこうする事が精一杯だった。
「……司、さん?」
「そんなこと言うな!」
俺は自分の思いを吐き捨てるように言い放つ。
「結芽が俺や親父のことをどう思っていようと関係ない! 俺は、結芽のことを恨んだこともなければ、いなくなればとも思ってないよ! 俺は、結芽たちが来てくれた事で、頑張ってみようと思えた。また学校に通いたいと思えた。君たちは、俺にとってもう他人じゃない!そういう存在なんだよ」
結芽は、じっと俺の言葉を聞いている。
「私が助からなければよかった? ふざけんなっ! 本当にそう思ってるなら、さすがの俺でも怒るぞ!」
「でもっ、あの事件に関わった家族の大勢は……」
「もし結芽にそんな事を言うような奴がいたら、俺がぶん殴ってやる! 謝らせてやる! だから、そんな事を言うな。結芽に出会えて、生きていてくれて良かった。俺はそう思ってる。俺にとって、結芽も、ミーシャも歌恋も!三人は大切な存在なんだよ!!」
我ながら、大きな声を出しすぎた。
「けほっ、けほっ」
慣れない事をしたせいか、少々喉が痛い。
それに、結芽に対してこんなにも怒鳴り散らしたのは始めてだ。嫌われてしまったかな?
それでもいい。今俺の言ったことは嘘偽りもない真実だ。
「結芽は、俺の事、ずっとそんな風に見てたのか? あんなに楽しそうに笑ってても、心の奥底ではずっと、」
ちょっとだけ、意地悪な言い方をした。
「結芽は、生き残った後、ミーシャと歌恋。親父や千尋さん、俺にも会ってさ。生きるんじゃなかった。そう思ってたのか?」
以前にも、結芽は三人がうちに来たことに対して、俺が不満なんじゃないかと気にしていた事を打ち明けた。その時俺は、結芽の不安を取り除けたはずだと思っていた。いや、思い込んでいた。
取り除けてなんかいなかったんだ。結芽の不安はまだ。心の中に住み着いたまま。
「そんな、……そんな事ありません!」
すると、今度は結芽が声を荒げる。
「私だって、ここに来てからずっと楽しかった! 夢なんじゃないかって思うくらい」
顔をあげる結芽と、視線が重なり彼女の本音が聞かされた。
「でも、本当に良いのかって。楽しんでて良いのかって。司さんの本当のお母様が暮らしていたお家で。それを思うと、苦しくて。司さんは笑ってくれているけど、それを向ける相手は私で良いのかなって。色々考えてしまって……」
「そっか」
結芽は俺の服を強く握りしめる。俺はぽんぽんと優しく頭に触れた。まるで小さな子供をあやすように。
「もういいんだ。気にしなくて。結芽の好きなようにしてくれていいんだよ。嘘なんかついてないから。笑っていてよ。そうしてくれてれば、俺も幸せだから」
何だろう。告白してるみたいですごく小っ恥ずかしい。顔を見られながら話す事じゃなかったな。きっと真っ赤だろうから。
「えぐっ……うぐっ、ぐすっ、うわああああん!」
結芽は声を出して泣いた。あの事故から、何度も泣いたんだろう。誰にも見られないようにしながら。
でも、何も気にせず目一杯泣いていいんだ。声を出しても。ミーシャや歌恋の前では我慢して、声を押し殺していたのかもしれない。本来、親がいれば受け止めてくれるだろうけど。その役目を果たせる人が今までいなかった。俺は親にはなれないけど、家族みたいな存在にはなれると思っている。それは前からもずっと考えていた。だから、考えるだけじゃなくて実現させられるように、これからはしていくことにしよう。
俺は腕に込めていた力を、少しだけ強くして結芽が泣き止むまで、ずっと抱きしめた。
「すんっ。ごめんなさい、司さん。それから、ありがとうございます」
鼻をすすりながら、謝罪と感謝を伝えてくれる結芽。でもどこか振り切れたような清々しさがあるように思える。
「ううん。こっちこそ、怒鳴ったりしてごめん。ほんと大人気ないよなぁ」
「いえっ、司さんは私のために怒ってくれたんです。何も悪くありません。私の方が先生なのに」
「ははっ」
「ふふっ」
そう言って、お互いに笑みを交わす。
うん。やっぱりこの子達は笑顔が一番似合う。
「それよりも」
俺、こんなに純真無垢な女の子をさっき突然抱きしめたんだよな。
絶対に自分からそんな事はしないと思っていたのに。仕方ない事とはいえ、やってしまった。
「通報だけは勘弁してください」
「何の事ですか?」
うん。子供だからこそ、俺がしでかした事については理解していないみたいだ。けど、側から見れば、犯罪スレスレだったよなと、改めて思う。
「……私、お母さんと仲直りはできませんでしたけど。お母さんが私のことを大事に思ってくれていたことは知っていますから」
俺がそんな葛藤をしていると、結芽はゆっくりと話しをする。
「……強いね。結芽は」
本当に強い。さっきは弱さを見せたけど、事故に遭ってから今まで我慢していたんだ。
こんなに小さい子がだぞ。そんなの強いとしか言いようが無いじゃないか。
「そんなことないです。時々不安になって泣いちゃいますし、司さんにも迷惑かけて。でも、事故の後、お母さんの遺品から私に向けてこっそり録画していたビデオレターが出てきたんです。当時の私に向けた誕生日のお祝いの物を。準備していたんでしょうね。それを見て、吹っ切れたと思っていたのに、全然でした」
そんなことがあったんだな。
俺なんかは母さんが持っていた荷物が発見されたけど、そうしたものは出てこなかったな。
「司さん」
「ん?」
そんなことを思い出していると、結芽が俺の方を見て言った。
「司さんに、伝えたいことがあります」
「ん?」
伝えたいこと。確か、歌恋もそんなことを言っていたような。
「2つ、これからお伝えします」
「2つ?」
「はい」
なんだろう。今までの流れだと、事件に関係する事は確かだよな。
「まず一つは、気づいてないみたいですけど、私たちと司さんは、私たちが初めてこの家に来た時よりもずっと前に、一度だけ会っているんです」
「えっ」
突如として明かされる、俺が知らなかった過去。
それが、結芽の口から告げられた。




