哀しさと食欲と
ーーーコンコン。
「結芽? 」
俺は、自室のすぐ隣にある部屋の扉をノックする。結芽たち3人が寝泊まりしている部屋だ。
しかし、返事はない。
「ご飯できたけど、食べれる?」
現在俺の手には、飲み物とサラダの入った皿とカレーライスが乗せられたお盆がある。
結芽がリビングに顔を出さないため、食事だけでもと思って個人的に持ってきたのだ。
こういうことは稀にあることだから、そこまでしなくてもいいと歌恋は止められたけど、俺はもはや無関係の立場とは言えない。
だから、少しでも力になれるのであれば何かしてあげたいと思ったんだ。勉強のお礼とかじゃなくて、俺自身の意思で。
結芽が部屋に籠ってからしばらくして、千尋さんが町内会の集まりから戻ってきた。
その後すぐに夕飯の支度に取り掛かり、今は歌恋達と共に下で食事を摂っている。
「あのな、結芽。今日の夕飯みんなで作ったんだ。まあ、ほとんどは千尋さんが作ったんだけど」
俺たちも微力ながらお手伝いをさせてもらった。
ミーシャと歌恋に刃物を持たせるわけにもいかないので、切る工程は俺が担当して、彼女たちはサラダ用のレタスを頑張ってちぎってくれた。
そうして出来た夕飯は、普段とは違う特別なものだ。千尋さんも心配してくれて、大盛りでカレーを用意してくれたのである。
「このサラダなんかは、ミーシャと歌恋も手伝ってくれてさ。無理にとは言わないから少しでも食べてくれると嬉し……」
ガチャ。
途中、扉が少しだけ開いた。
その隙間からは、結芽の姿が見える。
「……司さん」
か細い声が、俺の名前を呼んだ。
その目は、少し赤い。普段の結芽からは考えられない姿に俺は息を呑んだ。
「ほらっ、カレー持ってきたんだ。少しでいいから食べないか?」
手元のお盆を結芽に見せた。
「……お腹、空きました」
その言葉と共に、結芽のお腹から可愛らしい小さな音が鳴る。
よかった。よく、食事が喉を通らないというけれど、彼女の腹の虫は正直だった。
まぁ、このカレーの匂いは食欲をそそられるので無理もない。
「うん。じゃあ、中まで運ぶから扉開けてくれる?」
そう言うと、結芽は扉を開けて中に入れてくれた。
結芽たちがこの部屋を使い始めてから、入るのは初めてだな。期間限定とはいえ、女の子の部屋だし、そう何度もお邪魔する機会はなかった。
見たところ、部屋の様子が変わっているのは、壁の隅に置かれた三つの布団と、テレビの前にあるテーブルが増えた事くらいだろう。
それ以外で以前と変わったところは見当たらない。
強いて言うなら、部屋が女の子の部屋らしい香りに包まれたということだ。って、なんか気持ち悪い感想だなそれは。
「あの、こちらにお願いします」
テーブルに進められ、お盆を置く。
「すぐ並べるから、ちょっとまっててな」
「すみません、食卓にも顔を出さず。あとで先生の奥様にも謝罪を」
「いいって、いいって」
俺はそう言って、皿を並べていく。
配膳を済ませると、彼女もテーブルの前に腰を下ろした。
「はい、どうぞ。食べ終わったら部屋の前に置いててくれればいいからね。無理して部屋から出なくても……」
と、立ち上がろうとするが服の袖を引っ張られる。
「結芽?」
どうしたのかと思い尋ねると、結芽は眼を伏せた。
「あの、食べ終わるまで、一緒にいてくれませんか?」
「え、でも」
「司さんの顔を見たら、少し落ち着いたので……。今は一人でいたくなくて」
「そうか。分かった。じゃあ、もう少しお邪魔させてもらうね」
上げ掛けた腰を再び下ろして彼女の隣に座りなおす。
「いただきます」
結芽はさっそく手を合わせて食べ始めた。
カレーをすくったスプーンを口へと運ぶ。
「ん、おいしいです」
そう言うと、少しずつペースを上げながら食べ進めていく。
よほどお腹が空いていたんだな。こんなことならもう少し早く持って来てあげるべきだった。
「このサラダは、ミーシャたちが?」
「そうだよ。結芽の分は特別に二人が味付けしてくれたんだ」
味付けと言っても、ドレッシングと胡椒を軽く振りかけた簡単なものだけど。
「変な物は、入ってませんよね?」
「……たぶん」
ごめん。そこまで注視してなかったから確証はないけど、流石に悪戯好きな二人でも、今はそんな事していないだろう。……おそらく。
「そうですか。…………うん。これもおいしい」
「よかった。どんどん食べな」
そうして、みるみる内にお皿の上の料理がなくなっていった。
「ふう。ごちそうさまでした」
あんなに盛られていたお皿をあっという間に完食した結芽は、お腹をさすりながら満足そうな表情を浮かべた。
その小さな身体の何処にあんな食欲があるのか、正直気になる所ではある。
「よかった。元気になってくれたみたいだね」
「あっ、すみません。心配をおかけして、それに夕食の支度も手伝えなくて」
「いいよいいよ。俺も結芽の気持ち分かるから」
「司さん?」
ああ。こんな事を自分から話すのは初めてかもしれないな。
結芽の気持ち、正直すごく分かる。夕飯の前に、歌恋から聞かされた結芽の過去の話。それを聞いて彼女の気持ちが痛いほど伝わった。
俺は、その時の会話を思い出す。




