少女の想い(2)
歌恋の唇が近づいてくる。
つまりこれは、朝の続きなのか!?
しかも、今はまだギリギリ勉強の時間、結芽たちが部屋に入ってくるとは思えないし、本当にまずい!
「ま、まって! ほか、他のことでお願いします!」
力を振り絞って、抵抗を告げると歌恋の動きが止まる。
よ、良かった。分かってくれたみたいだ。
「……なの?」
「な、なに?」
何だろう、聞き取れなかった。歌恋にしては珍しく声が小さい。
「ミーシャちゃんは良くて、わたしはダメなの?」
「えっ!」
歌恋の顔を見ると、悲しそうな表情を浮かべていた。こんな顔もするんだな。いや、俺がさせちゃったのか?
「あれは、不可抗力だったというか」
あの時のことはほとんど覚えてないんだけど。結芽がミーシャに怒っていたのが確かなのは覚えている。
「それに結芽ちゃんとだって、いちゃいちゃして」
「そんな、いちゃいちゃなんて」
「してたわよ! わたしは今日から勉強を教えるからって、ずっと我慢してたんだからっ!」
温厚な歌恋からはあまり想像ができない大きな声。
それが俺の耳に響く。
そういえば。いちゃいちゃは置いておいて、昨日は数学と英語だけだったから、二人と比べれば歌恋と過ごした時間は短かったんだよな。
寂しい思いをさせちゃったのかな。
この年頃の子は、そういった人間関係に難しい時期だと聞いた事がある。
「でっ、でもさ、やっぱりこういうのは好きな人とか。心に決めた相手とするべき、だと思う」
今朝のことを考えると、歌恋は俺の事を好いてくれているみたいだ。決して自意識過剰などではないと思う。
でもそれはきっと、ミーシャが抱いてくれているような「お兄ちゃん」みたいな存在としての好きだろう。
なら、そういう時こそ俺みたいな年長者が分からせてあげないとだよな。
「……なの」
歌恋は再度、細い声で呟いた。
すると、息を大きく吸って顔を近づけられる。
「好きなのっ! わたしはつーくんのことが! どうして分かってくれないの!」
部屋中に響く告白。
冷静さを失うように声を荒げながら、歌恋は言い放つ。
ど、どうしたんだ。
急に発せられた歌恋らしからぬ大声が、耳の中でこだまする。
「か、歌恋。落ち着いて」
俺はそれをなだめようと、仰向けの状態のまま肩に触れる。
しかし、その手は歌恋により振り払われた。
「いやっ、やめない! わたしはつーくんが好き!」
「そんな……。だって、俺たちは、昨日会ったばかりじゃないか」
「つーくんはそうでも、わたしは……っ!」
そこで、歌恋の声は止まった。
俺を抑えていた歌恋の手が、彼女自身の口を塞いだのだ。
「と、とにかくっ!わたしは、つーくんとぎゅってしたり、ミーシャちゃんみたいに……キスもしたい。 勉強中だけじゃなくてずっと一緒にいたい! 」
そこで歌恋の叫びは終わった。
「わたしは、つーくんの事しか考えられないんだから……」
歌恋は両手で顔を覆う。
隠された中で泣いている事が、彼女の啜り泣く声で分かった。
でも、俺には分からない。どうしてこんなにも歌恋が俺の事を想ってくれているのか。
それでも、こんなになりながら俺にぶつけられた言葉は、決して嘘を言っているようにも思えなかった。
だから、歌恋が言ってくれた事を無下にする事だってできない。理由は分からないが、今のが歌恋の本当の気持ちだとするなら。
その真意を知らぬまま逃れてきた今までの行動は全て、彼女に対して失礼な事に値する。でも、本当の意味で「好き」だと言われるなんて微塵も思ってなかった。
未だ、歌恋のぎゅっと瞑られた目尻からは涙が溢れている。
涙を流すほど俺の事を想ってたって事なんだよな。
それに、たとえ相手が子供でも。
「こんな風に女の子に告白されるのなんて、初めてだ……」
「……へ?」
しまった!?つい思った事を口に出してしまった。
俺はすかさず、自分の口を塞いだ。
「つーくん、今のって、ほんとなの?」
「…………そうだよ」
恥ずかしながら、俺は今までの人生で恋愛経験は皆無だ。
初恋も、幼稚園の頃の先生で、それ以来本気で好きになった女の子も居なければ、告白された事なんてなかった。
「歌恋。それより、君は本当に俺なんかを好きになって良いのか?」
「……!つーくんは」
何かを言おうとしていたが、俺は自身の掌を見せて制止させる。
「最後まで聞いてほしい」
そう告げると、歌恋は小さく頷いてくれた。
「これから先、きっと色々な出会いだってたくさんある。それに大きくなったら、俺なんかよりも、もっと好きな人だってできるかもしれないよ?」
彼女はふるふると、俺に乗っかったまま首を横に振った。
「歌恋に好きって言われたのは、素直に嬉しいよ。だけど、こういう大切な事はもっと大きくなってから考えるべき……っ!?」
すると、次は俺の口が歌恋の人差し指で塞がれる。
「それじゃ、良いのね。つーくんの事を好きで居ても」
ん?それはどういう事だ?
尋ね返したいのは山々なのだが、指で唇を抑えられて喋る事ができない。
「つーくんは今、わたしが大きくなったらって言ったわよね?それなら、大きくなってもつーくんの事を好きだったら、真剣に考えてくれる。そういう事でしょ?」
そっと口元から指を離される。
「いや、だから俺が言いたいのは」
『こういう大切な事は、もっと大きくなってから』
「!?」
「言質はとったからね」
そう言って出されたのは、緑色のスマートフォン。そこからは、たった今、俺が話したセリフそのものが流された。
「約束よ。わたしが、つーくんと同じくらいの歳になった時。気持ちが変わっていなかったら、真剣に考えてもらうわよ」
その言葉を最後に歌恋はようやく俺の上から腰を上げた。
「まぁ、この気持ちが変わる事なんて、絶対にありえないから。覚悟してね」
先程の泣き顔は嘘のように、にっこりと笑う歌恋。
泣き止んだのは良かったけど、とんでもない弱みを握られたようだ。
「肝に銘じておくよ」
そして、俺も自由になった体を起こした。
「ふふっ、ありがとう。つーくん」
顔を下げたまま歌恋の声に耳を傾ける。
「それじゃあ、わたしが大きくなったら答えを聞かせてね」
『まだ応えられない』
それが、現状の俺からの歌恋への答えだった。
どうしよう、もし数年後も歌恋が俺の事を好きでいたら。
でも、歌恋達との年齢差は客観的に見ればあまりないから大人になってからで考えれば普通なのか?
……いや、考えるのやめよう。
「でも、ライバル多そうだなぁ。つーくんは」
「えっ?」
そんな事を考えているうちに、歌恋の言葉を聞き逃してしまった。後ろで何かをぼそっと言っていた気がしたんだけど。
「何でもな〜い」
でもよかった。いつも通りの歌恋に戻ってくれたようだ。
ふに。
「ふに?」
何だろう。今頬っぺたに何か柔らかいものが当たった感触が……、ってまさか!?
「……!」
ばっ、と振り向けば、後ろで手を組みながら立つ歌恋の姿があった。
俺と目が合うと、彼女は悪びれもせず、てへっと小さな舌をこちらに見せる。
「かっ、歌恋。今、俺に一体何を?」
俺は左手で感触が残る頬に触れる。
「ふふっ、内緒よ」
何でそんな嬉しそうなの!
その反応を見るに、あらかた何をされたのか予想がついた。
朝にミーシャの事があって、すぐにまたこのような事態になるとは。
「あらあら仲良しさんね〜」
「⁉︎」
すると、明らかに歌恋とは違う声が耳に届く。
この状況を一番見られたくない相手の声がドアの方から聞こえた。
「ち、千尋さん!」
そこには、いつもの優しい笑みを浮かべた千尋さんがいた。
「お昼ご飯がそろそろ出来るので、呼びに来たんですけど」
「あの、ちなみにノックとかは?」
「もちろんしましたよ。でも、反応がなかったから。もしかして、お邪魔でしたか?」
全然気づかなかった……。
お、落ち着け。落ち着くんだ司!まださっきのを見られたと決まったわけじゃない。
頑張れ俺!
「千尋さんは、いつからそこに?」
「そうですねぇ。『歌恋に好きって言われたのは、素直に嬉しいよ。』ってところからですかね」
「ほとんど全部じゃないですか!!」
何てこった! テストとかそんな事を言ってる場合じゃない。
両手に輪をかけられる地獄ルートに立たされている事を、俺はようやく理解した。
「ねー、歌恋ちゃん」
「は、はい。お母様」
「歌恋ちゃんなら、いつでも本当の娘になってくれて構わないからね。いっそ三人とも司くんのお嫁さんに」
「ちょっ! 千尋さん冗談はやめて下さい!」
「そうですよ〜。つーくんのお嫁さんはわたし一人だけで充分ですから」
「いや、そういうことじゃないからね!?」
振り返って、もう一度見た歌恋からは、溢れ出した涙も、悲しそうだった表情も完全に消えてなくなっていた。
本当に三人の中じゃダントツで敵に回したくない女の子だよ……。




