覚えるだけが勉強じゃない
記憶が曖昧なまま、朝食を済ませた後、自室へと戻り、初めての現国の授業時間となった。
「さぁ、つーくん私からの授業を始めるわよ」
「うん。……それはいいんだけど」
テーブルの上に教科書を広げてペンを持つ。これがベーシックな勉強への姿勢であることは間違いないだろう。
ただ、一つの点を除けば。
「歌恋、ちょっといいかな」
「どうかしたの?」
「勉強を教えてくれるのはありがたいんだけど」
「けど?」
「俺の横に来てくれると嬉しいんだけど……」
現在俺は、あぐらをかきながらテーブルの前に腰をかけている。
歌恋はそんな俺の足の上に腰を下ろして、すっぽりと足と足の間に収まっているのだ。
「そう? 正面からの方が見やすいのだけど」
「さっきこういう事はしないって……」
「別にからかったりしてるわけじゃないわ」
言われてみれば、からかわれるというよりは、普通に懐いてくれている感じなのか?
「ダメよ、つーくん」
「だめ?」
「すぐにいやらしい事を考えちゃ。いくら思春期でも限度があるわ」
「いや、そういう事を気にしてるわけじゃないんだけど」
身体が密着してることに対して、まったく意識していないわけじゃないけど、なにぶんコレは勉強がしづらい。
あらぬ誤解をされるのはこちらとしてもいい気はしないが、視線をテーブルに落とそうとすると、歌恋の後頭部があって少し手元が見えづらいのだ。
「じゃあ、何かしら?」
「こうしてると、教科書がちょっと見にくくて」
「あら、……それはごめんなさい」
あれ?反論してくるかと思ったのに、歌恋は俺に素直に謝って、腰を浮かして立ち上がる。
ちょっときつく言い過ぎたかな。
「んっ!?」
そんな心配をしていたのも束の間。
歌恋は立ち上がって、座っている俺の後ろに回り、あろう事か首筋に後ろから手を回してきた。
いわゆる、おんぶしてるような格好だ。
「あの、歌恋さん。これはいったい」
「これなら手元が見えないなんて事はないでしょ? 私も正面から見れるし」
「それはそうなんだろうけど」
歌恋の暖かさと共に、なにやら良い匂いがする。それが頭にチラついて、視界は良好となったが、集中力が削られそうだ。
「立っていたら疲れない?」
「大丈夫よ。勉強中に休憩は挟むし、今はつーくんに寄りかからさせてもらうから」
歌恋の体が俺の背中にぴったりと密着する。
これ以上何を言っても体制を変えてくれる気はなさそうだな。
まあ、俺さえちゃんとしていれば問題はない、か。目の前の事にだけ集中しよう。
「それじゃあ、つーくん。中間テストの問題を試しに解いてもらえる?」
教科書を開く動作に入ると、触れていなかった中間テストの問題用紙に指を差す。
「えっ、教科書を使うんじゃないの?」
「わたしが教える現代国語は、数学や英語とは違って公式とかが無いから理屈云々より、実践していく事が大事なのよ」
確かに、他の二つの教科と違い漢字の書き取りを除けば現代国語に公式や文法は無い。文章で答える事が多い現代国語の正解は、一つでは無く多種多様。捉え方によってもそれは変わってくる。
当然、漢字を覚えたりもするけど、公式や文法といったものを覚える事は現代国語においては少ないだろう。
「だから、つーくんが普段からどういう風に問題と向き合っているのか。それが知りたいのよ」
「分かった。やってみるよ」
俺はさっそく、中間の問題用紙に手を伸ばし目を通す。
同じテーブル上には別途の回答用紙があるが書いてある殆どが間違っているため、見たとしても意味はない。
「ふむ」
最初の大問は、物語を読んで、その後のいくつかの問題に答えよというものだ。
俺は自分の後頭部に若干柔らかいものが当たっているのを感じながらも、物語にじっくりと読み進める。
「………………」
「………………」
「………………」
「……ねぇ、つーくん」
しばらく読む事に集中していると、その長い沈黙を歌恋が破る。
「もしかして今、普通に最初から最後まで長い文章を読もうとしていない?」
「えっ」
上の方からする声に反応する。
頭を抱きしめられて顎を置かれているから顔を向けられないので、頭は動かさずに歌恋に、今の言葉の真意を問う。
「う、うん。先に上に書いてある文章が目に入ったから」
ていうより、いつもそうしているのだけど。
俺が見ている一枚目の用紙には、上の3分の2程のスペースを使い、物語の文章がずらずらと並べられている。そして、残りの3分の1の空間に問題文が書かれていた。
それに対して、彼女が言う通り、俺は先に文章の方に目を走らせていた。
「ちょっと聞くけれど、前の中間テスト」
後ろから指を刺された過去の解答用紙には、空欄があった。分からずとも埋めていた前半部分とは違って、後半の方はほとんどが無回答。もしくは山勘で書いて外れたものばかり。
「最後の方に手が回っていないのは、なぜ?」
「えっと。時間が足りなくて解けるとこだけやってたから……かな」
「やっぱりね」
やっぱり?という事は、俺のやり方が時間が足りなくなる原因を作っているのか。
「つーくん、確か現国は三教科の中では一番自信があるのよね?」
「あるといっても、赤点だけどね。ははっ」
つい笑ってしまった。得意なのに赤点というのは、やはりおかしいよな。
確かに、現国は三教科の中でも点数が一番良かったけれど、他と大した差はない。
「わたしが今のつーくんを見る限りでは、漢字の書き取りをしっかりとやって覚えて、時間配分さえ上手くやれれば赤点を取る事はなかったと思うの」
「えっ、嘘!?」
歌恋からは意外な返答が。
時間配分が悪いというのは、薄々気がついていたけど、それと漢字だけで本当に赤点から逃れられたのだろうか。
「嘘なんてつかないわ」
「でも、本当にそんなことだけで?」
「ええ」
歌恋の声色から、嘘を言っているようには思えなかった。
でも、本当にそれだけで解決できるというのも考えられない。
「つーくん。このテスト、まず大問が三つあって、一つ一つの中に5つくらいの問題があるでしょ。そして最後の方に漢字の読み書き問題が10問くらいなのは分かる?」
「う、うん。そりゃあ」
それくらいのことはテスト用紙を見るだけで分かる。
大問1から3は、それぞれが今解いていた様な文章を読んで答えるもので、1つの物語に対して、それを読んでからの問題が5つ程ある。
それが3個あるので、漢字の問題と合わせれば総問題数は25問くらいだろう。
おそらく、期末テストなんかもこれに数問足したくらいのもので、で問題量はそう変わらないはず。いわば、うちの学校の中間テストは期末へ向けての模擬テストみたいなものだ。と、担任の水橋先生は言っていたな。
だからこそ、俺は中間テストが終わって、期末を前にしたこの時期に退学を宣告されたのだろう。
中間でこんな結果を出して、期末なんかはより酷い結果を招きかねない。という意味も込めて。
「つーくんが、ちゃんと文章を読んでいたのは大問2の途中までといったところじゃないかしら?」
「た、確かにそうだったかもしれない」
テストを受けていた時のことを思い出す。
確か、こんな感じだった。
俺は、自分の姿勢を正しながらペンを持つ手に力を入れる。テストを受けていた時と同じ体勢をとりながら、その時の事を、より鮮明に思い出そうとする。
「それから時間が少なくなってほとんど集中して解けなかった」
時計を見ると、残り時間がもう半分もなくて、ほとんど流し読みで問題に挑んでいた気がする。焦っていたから記憶も曖昧だけど。
「それが原因ね」
「歌恋。具体的に教えてくれる?」
「ふふっ、いいわよ。上手くいけば、わたしがつーくんを仕上げるのに二週間もいらないわ」
歌恋は自信ありげな表情で話しを続ける。後ろにいるから顔は見えないけど、そんな気がした。
「中間テストの解答を見ると、つーくんがしっかり文章と向き合って解いた大問1は、5問中4問正解してるわね。外したところもちょっとしたケアレスミスみたいだし、落ち着いていればこれくらい解けるはずよ」
「うん。それは返却された時に俺も思った」
数字や英語と違って、いくら文章が複雑だとしても日本語なんていうのは、普段から使っているものだ。だからこそ、幾分かは現国の問題に対応できていたのかもしれない。
「理解してるなら話は早いわ。つーくんは現国の授業はちゃんと聴いてる?」
「一応、他の教科と比べると分かりやすいから、だと思う」
それに居眠りなんてしたら、内申点も下がって余計に俺の首を絞めてただろうし。
「なのに、点数に結びつかないのはなぜだと思う?」
「……しっかりと問題と向き合えてないから?」
「そう、正解」
すごいな。今の話の流れを聞いて、自然と口からその答えが出た。
歌恋の誘導する様な話し方が、俺をそうさせているのかもしれない。
現国の担当をしてくれるのも納得だ。これが彼女の長所。三者三様の家庭教師だけど、三人ともやる気を出させてくれたり、ちゃんと力になる事を教えて伸ばしてくれる事に変わりはないんだ。
その中でも、歌恋は言語能力が三人の中ではダントツで高い。だから俺もすぐにからかわれたり、あの物静かな結芽でさえも取り乱す様な発言をしたりできるのだろう。
つまり言葉を巧みに扱うのがすごく上手ということだ。
取り乱させることに関しては、ミーシャも得意そうだけど、あれは子供ながらの無意識といったものか。意図的な歌恋とは違う。
「でも、テストの制限時間は自分の意思ではどうにもできないわ。なら、テストへの向き合い方を変えたら、それも変わるとは思わない?」
「あっ」
それを聞いて、先程の歌恋の言葉を思い出す。
『最初から長い文章を読んでない?』
ということは。
俺は長文で書かれた物語ではなく、問題の問いの方へと視線を向けた。
「テストを受けた時と、違うやり方で問題を解く」
「そうそう。分かってくれたみたいね」
歌恋の小さな掌が俺の頭を撫でる。
なんだか恥ずかしいな。けれど、原因がはっきりと分かった。
「詳しく説明すると、こういった問題に向かう時は、最初に問題文を読んだ方が効率がいいの」
最初に問題用紙を見た時、「この長い物語から問題が出る」。という事を先に考えてしまう。
だから俺も、問題用紙を一目見た時に、物語の最初の一文からじっくりと読んでしまっていた。
「でもね、全部の問題に目を通すよりは、一つの問題を読んでから、文章を読む方が頭の中で整理しやすいと思うの。この辺りを読めば答えが分かりそう、とかね」
「最初に問題が分かっていれば、文章の途中で答えに辿り着いて最後まで読む必要もなくなりそうだな」
「そうね。じゃあ、さっそくやってみましょうか」
言われた様に、俺は問1の問題文を読んでからすぐに文章を追う。
問題の内容は、
『物語の導入から、最初の主人公の気持ちが現れている部分を抜き出せ』というものだった。
俺は文中にそれが当てはまりそうな所へ線を走らせた。
「これ、かな?」
「……うん! せいかーい。じゃあ、次の問題を見てから文章を読んでみて」
ほぼ一目見ただけで判別したよな。歌恋って、速読とかも得意だったりするのだろうか?
……いや、それも気になるけど今は問題に集中しよう。
「ん、………………あれ?」
「気づいた?」
再び文章を続きから読んでいて、ある事を感じた。
「うん。もしかして、俺が今までしてたやり方ってだいぶ時間の無駄?」
「んー。無駄とは言わないけど、つーくんがそれだけ真面目だって証拠だからね。でも、時間配分の原因はそこ」
たぶん、今まで通りにしていたら気づかなかったかもしれない。こんな、簡単な事なのに。
「こういった問題ってね、つーくんの言う通り、文章を全部読もうとしなくてもいいのよ。問題文を最初に読んでおけば必要な箇所がどの辺りか、文章を読み始めれば一目瞭然だし、問題の答えは文章中に大体あるはずだから、それを見つけることができる洞察力が大事なの」
「その手助けするのが、この文を読む順番ってこと、だよね」
「ええ」
つまり、歌恋はオブラートに包んではいるけど。こういった問題はショートカットして解けよ、ってことなのだ。
文章の中に答えはあるけど、文章全部が答えじゃない。必要な部分さえあればいいのだから、作者には失礼かもしれないけど、テスト中においてだけは、余計な文を読む必要もない。解けるまでの時間も大きく変わる。
「それさえできれば、赤点を取ることはないはずよ。ただ、」
「うん。学園側の条件は90点以上を取ること」
そう。今回の期末テストに至っては、赤点を取らない様にするだけじゃダメなのだ。高得点を取ること。それが最終目標だ。
「わたしが教えると言うより、これは数をこなすしかないわね。色々な問題を解いて、実践に慣れる様にしましょう」
「うん。分かった」
「分からない所は後で教えるから、今はとりあえずやってみましょう」
確か、結芽も問題を作るって言ってたような。
ほんと先生みたいだよな。俺からしたら、みたいじゃなくて、本当に家庭教師の先生なんだけどね。
「こっちで持ってきたいくつかの参考書からも、問題をピックアップしておくから、今はその問題を解きましょう。もちろん、今やってみたやり方でね」
「ん、了解」
冗談はさておき、俺は引き続き問題へと向き合った。




