小さなお客さん(1)
休日明けの最初の登校日。
だるいながらも頑張って行った学園から言い放たれたのは、事実上の退学。
「……あ、ゲームオーバー」
そんな人物が平日の真昼間からする事といえば、家でこうしてゲームをする事くらいだろう。よく分からない数式をずらずらと並べる先生を前にせず、常にくつろぐことができる環境。これ以上最高な空間なんてあるはずがないじゃないか。
まさに不登校男児の理想の生活。最高かよ。
友人との時間や楽しい学校生活。実に結構。そんなもの、普通に学校へ通う者からすれば、当たり前の事なのかもしれない。今現在、俺がこうしている間にも、クラスの連中は楽しくやっている事だろう。
リア充? 知るかそんなもの。
学校に行ったところで、今月中の退学は決まっている。今更そんな所に行ったところで何があるというんだ。
学園長室に呼ばれ、退学を言い渡されてから早数日。俺はこうして不登校となり、毎日だらけた生活を送っていた。
最初は自分からも抗議はしたさ。けど、それを聞き入れてくれるほど、俺の状況は良くなかった。退学の原因は俺自身にある。ずばり、成績が著しく悪かったのだ。
神聖学園大学附属高校。
名前の通り、大学に附属している高校だ。
大学に附属するだけあって、かなりの学力を誇る学舎である。大学や高校だけじゃない。小学校から大学院までもがこの領地内には存在している。敷地だけで見ても、とんでもなく大きい学校だ。
通う生徒たちもかなりの実力派揃い。全国からありとあらゆる分野の天才が集まってくる。しかも、そのほとんどは小学生の時からこの学園に通っている。それだけこの学校の生徒達のレベルはすごい。幼少期からその才能を開花させているのだから。
俺がそこに数ヶ月だけでも通えていたのは、奇跡と言っていいかもしれない。
もともと、俺はここの生徒ではなかった。
中学までは普通の学校に通い、成績も学年で下の方から数えた方が早いくらいだった。
そんな俺がなぜ、神聖学院に入学できたのか。ぶっちゃけ、半分以上は父親のコネのようなものだ。いや、もはやほとんどそれが理由だ。
俺の親父は、この大学の教授として働いている。毎年様々な論文を発表し、成功を果たしている天才の中の天才と呼ばれる存在だ。親父も元はここの生徒で、当時は正に「神童」なんて呼ばれていたらしい。
その父親の息子だからという理由で、俺にも何かあるのではないかと眼をつけた学園の役員共は、そんな俺を無理矢理推薦の枠に入れ、内申や面接からこの学校へと引き込んだ。
今思えば、半端無理矢理入学させられて、即退学とは、本当に勝手な役員どもだよな。
最初は受験するつもりなんてさらさらなかったけど、中学の先生や周囲の友達からの期待もあり、やけくそで受けてみれば、まさかの合格。
学園側も、今後の俺に伸び代があるかもしれないと踏んで合格させたのだろうが、遂に痺れを切らしたらしい。それが今の現状を作り出した発端だ。
ただ、学園側もそこまで鬼ではなかった。退学を無しにしてくれる救済措置を提案して来たのである。『期末テストの全教科のうち、三教科で90点以上を取る』事を突きつけてきたのだ。だからって、
「そんなの無理に決まってるじゃんかよー!」
俺は頭を抱え、天井に向かって叫んだ。
数日前のことを思い出し、学園長が下した条件が頭をよぎる。
今まで赤点すら回避できなかった俺が、90点を取る?しかも三教科でなんて、夢のまた夢だろ。それに、勉強すると言っても、テストまであと二週間ちょっとしかない。今の俺がどうあがいてもそんな点数取れるわけがないじゃないか。第一、今年習った基礎すらまともにできていないのに今から勉強するなんて無理な話しだ。
「はぁ……」
学校での生活にだって、大した思い残しも無い。別に仲が良い友人もいなかったしな。唯一心残りがあるとすれば、両親に迷惑をかけてしまうことだ。親のツテで入ったにも関わらず、退学なんてどう思われる事か。しかも、高校を退学させられたなんて話しは、近所からの悪評も付きそうだ。
コンコン。
そんな事を考えていると、部屋の扉からノックの音が聞こえて来る。
「はーい」
入り口の方へ返事をするとゆっくりと扉が開かれる。
「司くん?」
すると、長い黒髪を後ろで束ねたエプロン姿の女性が入室してくる。
「千尋さん。何かありましたか?」
「いえ、用というほどのことでは。あの、今日も、学校へはいかないのですか?」
千尋さんは、俺の母親だ。
どうして親子なのに互いに敬語なのかというと、俺たちは本当の親子ではない。
「……行きませんよ。もう、意味ないですから」
俺は、その質問になんとか笑顔で答える。我ながら、すぐにバレそうな愛想笑いだ。
「学校の友達だって心配しますよ?」
「そんな仲のいい友人、今の俺にはいませんよ」
「でも、まだ退学が決定したわけではないんですよね?」
「まぁ、そうですけど」
優しいな。千尋さんは。こんな俺でも、母親として見離さずにいてくれる。
千尋さんは、親父の再婚相手だ。
俺の本当の母親は五年前、機材トラブルの飛行機事故に巻き込まれて亡くなった。
俺の母さんは、科学者で教授である親父と共に海外へ研究をしに行っては時々しか帰ってこない転勤族。
事故があった時も仕事で海外に行っていた。スケジュールの都合で一日早く帰ることになった母さんは、日本へ帰国するため、父さんを置いて飛行機へと乗った。
しかし、搭乗した飛行機で突然のトラブル。飛行中にエンジンに異常が発生し、目的の飛行場に不時着を試みて着陸時に、着陸用の車輪が外れ横転。燃料の爆発により、被害は拡大。乗客約400人の内、生存者はたったの数人だけと聞く。
そして、母さんはその生存者の中に含まれてはいなかった。
それから数年後。俺が中三の時に、親父は千尋さんと再婚した。正直、最初は母さんがいなくなってからすぐに新しい家族ができたことを受け入れる事が出来なかった。
ただ、親父の幸せを俺が理由で諦めて欲しくなくて、初めて千尋さんを紹介された時も、別に反対はしなかった。
それに、千尋さん自身が俺のことを実際こんなにも大事に思ってくれている。だからこそ、悪い人とは思えず、本当の親子みたいになれるよう一緒に暮らしていた。
仕事で家を開けることが多い親父のこともあって、仲良くなるのに時間はかからなかったけどな。でも、未だに敬語で話す事だけは互いに慣れない状況というわけだ。
「無理ですよ。今から勉強したところで」
「そんな。分からないじゃないですか。私も手伝いますから」
俺はもう、完全に学園に通う事を諦めている。
それでも、千尋さんは俺をこうして説得しようとしてくれる。ここのところ毎日だ。
「普通の学校でならまだしも、あんな優秀な学校でのテストで高得点を出すなんて、誰の手を借りてももう無理です」
「大丈夫ですよ! 私も一応大学は出てますし、いくら進学校でも少しくらいは力になれると思います!」
千尋さんは、胸を張って自信有り気な表情を浮かべる。
「千尋さん……」
うーん。気持ちはとても嬉しいんだけど、うちの学校の問題って、一般校の大学からしてもなかなか難しい事で評判なんだよなぁ。
手元に、学校のプリントもあるにはあるけど、見せたせいで落ち込ませてしまうかもしれない。いや、決して千尋さんが勉強が苦手そうとかそういうわけではなく。
「それに、」
ピンポーン!
「あら、お客さん?」
千尋さんが何か言いかけていたが、突然家のベルが鳴った。
「俺が出ます」
「……司くん」
俺は逃げるようにして部屋を出た。
ずるいよな。怒ってるとか、そういう訳ではないけど、これ以上この話をするのに耐えられなかったのだ。
「……ちょっと悪い事したかな」
千尋さんに言ったことを後悔しながらも、階段を降りる。
それにしても、不登校中の身でありながら、出てくるなんて来客にどう思われる事だろう。
こんなに若い男が日中に家にいるなんて珍しいはずだ。せめて宅配便とかであればいいけど、回覧板とかだったら近所からの家を見る目が余計に変わってしまうかもしれない。それこそ、千尋さんにも迷惑をかけてしまう。
だけど、部屋を出てしまったからには引き返すことはできない。なるべく早く帰ってもらえるように長話は避けよう。
そう思い、玄関へ。そしてもう一度ベルが鳴らされたのと同時に扉を押し開ける。
「はーい。どなたでしょうーー」
「あなたが篠原司さんですか?」
……え。
久しぶりの外の空気が俺の頬を撫でる。突然訪れた思わぬ来客を前にして、身体が硬直した。目の前には人の姿など見受けられない。声がしたのはもっと下の方からだ。
確認するべく恐る恐る視線を下へと持っていく。
「なーんだ。センセーが言うくらいだから、とんだ変人さんかと思ってたのに普通の人ダー」
「こらこら駄目よ、ミーシャちゃん。初対面の殿方にそんなことを言っては」
「もうっ、マミーみたいなこと言わないでよカレン!」
「どっ、」
そうしてようやくその人物が。いや、人物たちが視界へと収まった。
ドアの前にいたのは、小学生くらいの小さな女の子。しかも三人。制服姿の少女たちは、固まっている俺を上目遣いで見つめている。
「どちら様!?」
思わずそんなことを口にした。
思いもよらない来客に激しく動揺し、少々腰が引ける。
その子たちはどこからどう見ても、紛れもない子供。近所のおばさんでもなければ、宅配業者のお兄さんですらない。俺とは全く縁のないような子たちがそこにはいた。
「き、君たち、どうしたの? ま、迷子かなにか?」
ひとまず、この子たちの用件が何なのか確かめることにする。
顔も知らぬ少女たちがうちに来るとすれば、それくらいしか思いつかなかった。
というか、混乱していてそれ以外に考えることができなかった。
俺は腰を落として、目線を合わせる。
見たところ、持っているのは通学用のカバンくらいで、目立ったものは他に何もない。
それにしても、なぜこんな時間に。俺が言うのも変だが、今の時間帯はすでに学校が始まっている時間だ。なのに、外を出歩いているのは不自然だ。
「何も聞いていないのですか?」
「えっ」
切れ長の瞳をした黒いショートヘアの子が、赤い縁のメガネ越しに俺の顔を見て言った。
最初に俺の名前を呼んだ子だ。少し大人びた印象を受ける。
あれ?名前を知られていると言うことは顔見知りなのか。
「あ」
そこでようやく彼女たちの制服に気付く。白を基調とした、フリルのついた長袖のワンピース。胸元で結ばれる赤いリボン。
これ、うちの学校の初等部の制服だ。
ということは、この子たちは神聖学院の生徒ということか。ならむしろ、そんな子たちがうちに何の用だろう。
「あら?もしかしてあなた達が修さんが話していた生徒さん達かしら?」
「千尋さん!」
後方から千尋さんの声。
千尋さんが口にした「修」とは俺の親父のことだ。この子たちと大学教授の親父に何の関係があるのだろうか。
「あ、篠原教授の奥様ですか?」
「ええ、妻の千尋よ。早かったのね〜」
「ワオっ!先生のオッカさん、わっかーイっ!」
「ミーシャちゃん、おっかさんじゃなくて、奥さんよ。申し訳ありません、つーくんのお母様」
「あらあら、いいのよ〜。みんな可愛いわね〜」
な、何だ。あっという間に溶け込んだぞ。
淡々と千尋さんと少女たちは会話を交わす。完全に俺は置いてきぼりだ。
「あ、あの、千尋さん。この子たちのこと知ってるんですか?」
顔見知りという訳ではなさそうだけど。
どうやら、お互いに俺には分からない意思の疎通ができているらしい。
「司くん、ごめんないね。こんなに早く来ると思わなくて伝えるのが遅れてしまいました」
「は、はぁ」
確かに、さっき俺の部屋で何か言いかけていたようだけど、この子たちが来たことによって聞けずじまいだったからな。それと関係があるようだ。
「じゃーん!この子たちは、司くんの家庭教師です!」
「……へ?」
それを聞いて、一瞬時が止まった。
「俺の、ですか?」
聞き間違いではないかと、それを確かめるように聞く。
「はい!」
「はあああああああっ!?」
俺は玄関の前で近所迷惑になるくらいの大きさで叫んだ。
俺の不登校の引きこもり生活が揺らぎ始める。