湯上がり事件!?
この濃い一日はまだ終わらない。
入浴を済ませて、本日最後の科目、英語の勉強が控えていた。
夕飯の後、ミーシャが「ツカーサも一緒にお風呂入ろーヨ!」と言いだした時には、飲んでいた飲み物をあやうく吹き出しそうになったものだ。
いくら恩人の頼みとはいえ、もちろんそこは丁重にお断りさせていただいたけど。
そんな俺の答えに納得のいかないミーシャだったが、結芽が彼女を引っ張って行ってくれた事で、大ごとにはならずに済んだ。
もし、トランプの時にその願いを言われていたらと思うとヒヤヒヤする。
そんなわけで、ミーシャたちは現在三人で仲良く入浴中だ。
うちの湯船はそんなに大きいわけではないが、子供三人くらいまでなら同時に浸かることができるだろう。いくら余裕があったとしても、今後も俺は一緒に入ることはないがな。
そんな決意を胸に、俺は自室でミーシャが来るのを待っていた。
すでに俺は入浴を済ませて、英語の教科書や前回の小テスト、中間テストの結果を含めた資料をテーブルの上に揃えてある。いつでも勉強を開始できる状態にある。
あとは、現在閉じられている扉が開かれるのを待つだけ。
そうだ。飲み物くらいは持ってきておこう。ミーシャは風呂を上がったらそのまま来るわけだから、喉が乾いているかもしれない。それに飲み物を飲みながらの方が、勉強も捗るだろう。
「おまたせ!ツカーサ!」
立ち上がった直後。俺が部屋を出るよりも早く、がちゃりと扉が開く。
すると、顔を紅潮させたミーシャが入ってきた。
「そんなに待ってないし、全然大丈……」
パンツ一枚と肩にかけられたタオルだけという姿で。
「…………」
途端、それまでの思考が全て停止する。あまりにも予想だにしていなかったこの状況。
俺は、今から何をしようとしていたことすらも忘れて身体が硬直する。
「イヤー、お風呂が気持ちヨスギて、少しのぼせちゃったヨ」
そんな俺には気もとめず、何事もなかったかのように、ごく普通に俺のところまで距離を近づけてきた。
よく見たら髪も濡れてるし、露わになった素肌からは拭いきれていない水滴。歩くごとにふわりと揺れるタオルと肌の隙間からは、見えてはいけない場所が見えてーーー
「っ!?」
ーーーって、ダメだろ!
すぐさま視線を部屋の壁の方へと背ける。
「ミっ、ミーシャ!」
危なかった。もう少し判断が遅れていたら、勉強どころか、人としてどん底へと落ちるところだった。
「ンー? どしたのツカーサ?」
俺が少し視線を斜め下に下げたら、またそのあられもない姿が見えてしまう位置に、ミーシャは迫ってくる。
そ、それ以上近付かないでくれ!
「 ふ、ふふふふ服っ、服はどうした!?」
「フク? アー、パジャマのこと?暑いからきてないよ?」
おかしいだろ!なんでそんな当たり前みたいなノリなんだ!?
こんな状況でよく平然としていられるものだ。普通、女の子なら恥ずかしがったりするんじゃないのか?
そもそも恥ずかしがるどころか、自ら俺の部屋に素っ裸で来るとは思わなかった。
目を背けながら、ミーシャになんとか服を着てもらうように試みる事に。
「と、とにかく、服を着てくれないかな?」
「エー、暑いから嫌ダー。それより早く勉強しようヨー」
「いやいやいや。それだと俺が勉強どころじゃないから!」
まさか本当にその格好でやるつもりだったのか!
「その格好だと風邪引いちゃうぞ!?」
「大丈夫だヨー。私風邪全然引かないんだヨー。馬鹿はなんとやらってよく言うじゃン」
君は天才じゃなかったのか?そんな疑問が頭をよぎる。
しかし、
「っと!?」
「早く授業しようヨー」
そんな事御構い無しのミーシャは、あろう事かその姿で正面から俺にもたれかかってきた。
顔が熱くなるのを感じつつ、ひとまず俺は何もしていないことをアピールしようと両手を上げておく。まるで小動物が危険を察知した時の本能的な行動に近い。
ミーシャが言っていることは正論かもしれないが、この現状はいささか問題である。
ひとまず、体重を預けてくる彼女を支えるために棒立ちを続けるが、ミーシャは密着したまま腰に手を回して離そうとしない。上目遣いですこぶる嬉しそうな笑顔を向けてくる。
「ぎゅー」
そんなことを口にしながら、無邪気な笑顔で腕に力を入れてきた。
懐いてくれるのはありがたいんだけど、その反面、俺の人としてのリスクが危うい所まで来ている気がするのだが、気のせいだろうか。
俺はされるがままに、この状態を保つ。
うん。格好が格好でなければ普通に可愛いらしい行動だな。……と見ていられるんだけど、今はそんな悠長な事を言っている場合じゃない。
無邪気って、可愛いだけでなく、怖い一面もあるんだな。
「こらっ、ミーシャ! 私が髪を乾かしてる間になに逃げてるんですか! ちゃんと髪乾かしなさいっ…………」
慌ただしく開かれたままの扉から俺の部屋に入ってきた結芽。
この状況を見るや言葉を失う。
「ちっ、違うんだ結芽! こ、これはそのっ」
どうする。この状況をどうにか打破するべく、言葉を模索しながら、手で顔を覆う。
そ、そうだ!転びそうになったのを受け止めたって説明すれば。いや、そんな嘘じゃ通用しない。それだと服を着ていない理由には繋がらないもんな。
そもそも説明といったって、本人が「暑いから」の一言しか言わないのだから、どう伝えるべきなのか分からない。それに、いかにも正直者っぽさ全開のミーシャがそれを黙って聞いてくれるのだろうか。俺が弁解を試みる間に誤解を招くような事を言ってしまいそうな気がする。
「〜〜〜!!ミーシャ! あなたは何をしてるんですかっ!」
目を逸らしてるので結芽の声だけが耳に届く。
とりあえず、第一声が俺を変態扱いするような発言でない事に安心した。
といっても、今後くるかもしれないから油断はできないが。
「何って、今から勉強するんだヨ?」
「そんな格好でできるわけないでしょ! それよりも、早く前を隠しなさい!」
「エー」
「えー、じゃないでしょ! 司さんを困らせるようなことはやめなさい!」
「別にツカーサを困らせようとはしてないケド」
「あなたがそうでも、司さんは違うの。勝手なことをしない!」
「ちぇー」
結芽がごもっともな意見を言ってくれたところで、ミーシャは俺から離れた。
恐る恐るぎゅっと瞑ったままの目を開き、現状を確かめる。
ミーシャが反対側を向いているおかげで、パンツと背中にかかっているタオルで肌が隠されているため、ようやく正面に顔を向けることができる。
よかった。結芽はちゃんとパジャマを着てるな。これでもし、結芽もタオル一枚とかだったら再び極地に立たされる所だった。
そうして、ミーシャは、結芽が持ってきたであろうバスタオルに無事確保され、それを覆った。
ふう。これで目のやり場に困ることはなくなったな。
「おっ、」
目を開いて視界が良好になり、結芽が先程まで着ていた学校の制服ではないことに気づく。
結芽は上下がピンク色ベースで、猫の顔がまんべんに散りばめられている可愛らしいパジャマを着用していた。
「そのパジャマとても似合ってるね」
「ふえっ! そ、そうですか? ありがとうこざい……ます」
驚いた声をあげて、嬉しそうに反応を示してくれる結芽。
うん。千尋さんが選んだ物だろうけど、不思議とその子のイメージにぴったりだった。
「フーン。ツカーサはパジャマを着てた方が喜ぶのか」
そんな結芽を見つめるミーシャは、聴き方次第では語弊がありそうな発言をする。
別にパジャマ姿の子供を見て喜んでるわけじゃないぞ!
「とりあえず、ミーシャは洗面所に戻って、パジャマに着替えたり髪をちゃんと乾かして来なさい。今は歌恋がいるはずだから」
「はーい。ツカーサ、ちょっと待っててね〜」
「う、うん」
そう言って、ペタペタと足音を響かせてミーシャは部屋を出て行った。
ふう。勉強をする前から、すごく疲れたな。てか、今日の午後からずっとこの疲労感は蓄積されてるのだけど。
「司さん。ご迷惑をお掛けしてしみません」
「ううん。結芽も大変だね」
「ええ、それはもう本当に……」
瞳のハイライトが消えて、死んだ目をしている。
それ程普段からミーシャに振り回されているんだな。歌恋も中々の曲者だし、それをまとめ上げてるのは凄いよな。
「そういえばさ、三人とも大学生だけど、うちの初等部の制服着てるんだね」
俺は、ミーシャが濡らした床を拭いてくれている結芽に問いかける。
実を言うと、大学生だと聞いてからずっと気になっていたので聞いてみる事にする。
「はい。私服でも良いと言われてたんですけど、逆に目立つので」
「ああ、言われてみれば確かに」
「最初は大変でした。大学に通う誰かの妹なんじゃないかって、学生の皆さんが話しかけてくるので」
彼女の言う通り、俺が大学生の先輩たちと同じ立場なら、そう認識するのが普通だよな。
「なので、制服を着る事にしたんです。それなら、最悪でも初等部の生徒が大学の見学に来たと思われるくらいなので」
「色々大変なんだね」
「はい。特にミーシャは探検だと言って校内をウロチョロしますし」
「あはは、」
うん。目に浮かぶ光景だな。
「でも、司さんは私達みたいな生徒がいる事は知らなかったんですか?」
「う、うん」
「自分で言うのも何ですが、私達学園内では結構有名だと思うのですが」
言われてみれば、こんなすごい子供たちがいるのだとしたら噂くらい聞いてもおかしくはない。
あ。
頭の中で思い当たる節を探していると、一つの仮説に辿り着く。
「俺、友達いないからな」
「えっ」
結芽もそれを聞いて驚いた反応を見せる。
「恥ずかしい話なんだけど、クラスの人たちとかって俺なんかとは雰囲気が違ってさ。近寄りがたかったんだよね。だから話す友達とかも居なくて、授業が終わっても速攻で帰ってたから、そういった情報に疎かったみたい」
自分で言ってて悲しくなるな。
中学の頃は、同じ学校に詩音もいた。クラスにも、それなりに友人はいたんだ。道場に通っていた頃の他の受講者の人達とも良好な関係は築けていたし、コミュニケーション能力は人並み程度にはあるつもりだ。
でも、今の学園での生活では友達は未だ一人も出来ていない。中学時代の友人たちとも卒業以来、会ってもいないし連絡も無い。唯一、繋がりが続いているのは詩音くらいだ。
当の詩音は現在の友好関係はどうなのかな?
「そ、そうなんですね」
ほら。結芽だって反応に困ってるじゃないか。
「……私たちと一緒だ」
その時、結芽が小さな声で呟いたその言葉は、司の耳には届いていなかった。




