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過去の私は逃げ出したい3

思ったよりも過去編が長くなりそうです。

平民で頑張る現在編より長くなるかもしれません。

最初は3話位のつもりで描き始めたのですが、まだまだお付き合い頂けると幸いです。

 息が切れて苦しい。ドレスが破れて、素肌が擦り切れるのも構わずに森の中で馬を走らせていく。途中木の枝に引っ掛けてできた傷から血が滴り、ドレスを赤く汚している。金色の長い髪は無惨にも肩まで切り取られ、不恰好に揺れている。


「駄目だわ。馬だと逃げた痕跡が目立って、追いつかれるわ。それに、もう、手と足が、限界......」


 私は焦りつつも後ろを振り返った。

 森の細道が曲がりくねった見通しの悪い道だったお陰で、まだ姿の見れる距離までは追いつかれていない。

 私は急いで馬を降り、荷物を降ろして、再度馬に鞭打って走らせた。馬は草土を蹄で薙ぎ倒しながら走り去っていく。私はできるだけ足跡や痕跡を残さないように注意しながら細い土道を外れて、森の奥に向かった。木々の中に隠れて追っ手をやり過ごす為だ。


 まだ空が白け始めた明け方、森の木々で更に光が遮られた薄暗い森の中は恐怖しかなかった。だが、怖いからと動けずにいたら捕まってしまう。私は自分を叱咤しながら、無理矢理震える足を交互に出して森の中を進んだ。

 私は一際大きな木の影に蹲り息を潜めた。心臓が早鐘のように鳴り、手足はずっと震えている。呼吸も治らぬ内に、後ろからけたたましい蹄の音が聞こえた。焦った男達の野太い怒鳴り声も同時に聞こえる。


「あの女! どこに逃げやがった! 捕まえたら容赦しねぇ!」


「お前らがあの女を舐めて縛り上げなかったからだぞ!」


「まさか貴族の女が馬に乗って逃げるとは思わねぇじゃないか! こっちに跡が続いてるぞ! 急げ!」


 私は震える手を祈るように胸の前で組んで、目を瞑ってじっとしていた。怒鳴り声と蹄の音が段々と近づいてきて、そして徐々に遠ざかっていった。


「通り、過ぎてくれた......」


 三人の男達の声が聞こえなくなると、私はその場に崩れ落ちて気を失った。



□□□□□



 何故こんなことになったのだろう。途中までは順調だった筈だ。


 孤児院の子供達への寄付だと誤魔化して大きめのカバンを馬車に持ち込み、寄りたい店があるからと人目に付かない指定の場所に馬車を停めさせて、予め開けていた馬車の窓から街で雇った少年にカバンをこっそり持ち出してもらい、私は御手洗いに行くふりをして帽子を被り目立つ金髪を隠して少年と落ち合った。

 そこで少年からカバンを受けとって御礼を渡し、予め街で予約していた業者用の白い天幕の張った荷馬車に乗り込んだ。まさか、プライドの高い公爵令嬢の私が荷馬車に乗り込むなど誰も予想できないはずだ。私がいなくなったことに護衛はすぐ気づいたのか、外が俄に騒がしくなったが荷馬車の中にまでは考えが及ばなかったのか荷馬車は止められることなく出発した。


 違和感を覚えたのは出発して、少し経ってからだ。二頭立ての荷馬車はそんなに大きくないにも関わらず、二人の御者が乗っていた。そして、荷馬車を見張るように馬に乗った男が近くを走っている。

 公爵家の馬車なら数人の護衛が馬に乗って、馬車に着くのは見慣れた違和感のない光景だ。むしろ、いない方が不審である。

 だがここ二ヶ月、頻繁に城下町にお忍びで変装して行き、平民の生活を習い、孤児院などでも生活の知識を身につけた私には分かる。

 たかが小さい荷馬車に御者二人に見張りが入るなど、通常ではありえない。荷馬車の予約をした時も身分を明かしていないのだ。


 私がまず疑ったのは実は私の計画は父様に知られて、護衛を付けられているということだ。だとしたら、向かうのは公爵邸のはずだ。

 だが馬に乗った人物を盗み見ると、公爵家が用意した人員にしては服装も粗雑だし、帽子を深く被って顔を隠しているがチラリと見えた人相が悪い。このような野蛮そうな男を父様が私につけるとも思えない。それに段々と王都の中心部から離れて行っている。


 白い天幕の布が御者台と荷馬車を遮っているので、御者からこちらの様子を伺う事はできない。ボソボソと御者が話をしている気配がするが、よく聞こえない。見張りの男が油断している隙に、私は荷台の前の方にこっそりと身を寄せて聞き耳をたてた。褒められた行為では無いが、嫌な予感がしてこの違和感の正体を知りたかった。


「このまま王都から出て、どこ行くんだっけか?」


「あぁ、いつもの東のラグア男爵家だ。そこに高値で売れたらしい」


「あぁ、あのデブい色好のハゲオヤジか! あのオヤジかなりの飽き性だろ、美少女を買っては散々弄んで捨ててるじゃねぇか。今回はかなりの上玉だし、飽きたらお零れにあずかれねぇかな」


「はは! いいんじゃねぇ? 飽きたら場末の娼館に落とす約束をしているらしいぜ。安い娼館だろうから、せいぜい通えよ。まぁ、その時には壊れて見る影もなくなってるだろうけどな!」


「じゃあ、このまま今夜頂いたいちまぉうぜ」


「駄目駄目、何も知らない無垢のまま連れてこいってさ。自分で調教したいんだと。どうせ明日の昼には到着するし、俺達ゃ近くの娼館にでも行こうや」


「チッ! これだからお貴族様は! 汚ねぇ癖に美味いとこばっかもっていくんだもんな。やだねぇ」


 微かに聞こえてくる会話に血の気が引いた。

 城下町の知り合いが手配してくれた荷馬車の筈だ。丁度東の辺境まで荷物を運ぶ予定があるから、途中の修道院まで送り届けてくれる手筈になっていた。

 城下町で身分を隠して町娘の振りをしている時に知り合った親子だ。御礼の金銭も事前に手渡していた。


「まさか、売られた」


 騙されていたのだろうか、道に迷いかけた時に助けてくれて知り合いになった。それからも、平民の生活を知る為にいろいろと教えてくれた親子だ。いい人達だと思い、信用していた。


 兎に角、それを考えるのは後にして、どうにか逃げ出す方法を考えないとならない。


 休憩時に御手洗いに行くふりをして逃げようとしたが、活気のある城下町から離れた小さな町では私の姿は目立ちすぎる。すぐに見つかった。救いは道に迷ったと思ったのか、逃げようとしたことがバレなかったことだ。

 金色の髪色や瞳の色だけでも目立つし、服装も貴族にしてはシンプルなドレスだが一目で上質だと分かる。どう見ても町に馴染まない格好をしている。

 城下町で購入した平民服もカバンに用意しているが、着替えるタイミングもないし、こんな粗雑な男達の近くで着替えるなど危険すぎる。


 町での休憩も殆どなく、馬車の中で震えながら思案しているといきなり馬車が止まった。


 日が暮れてきたし、森に差しかかる前に野宿するのだという。町の外れだが、町の宿に泊まると私の容姿が目立ち足がつくのを警戒したのだろう。


「殴られたくなきゃ荷馬車で寝たく無いなんて我儘いうなよ」


 無精髭をはやした男の一人が、ポイっと小さな硬いパンと水を荷馬車に投げてよこした。


「ありがとうございます。はい、大丈夫です。おやすみなさい」


 声が震えないように気をつけながら返事をすると、男は愉快そうに笑った。


「はは! おやすみなさいだってよ! お嬢様は気楽でいいな!」


「ちげぇねぇ! これからどんな目にあうかもわかってねぇな!」


 荷馬車の外では男達が酒盛を始めたのか、賑やかな声が聞こえてきた。私はカバンの中から短刀を取り出し、胸の中に仕舞い込むようにして座った。


 母様から護身用にと昔貰った物だ。シンプルな形状で女子供でも扱い易い小さめのものだ。飾りたてるのが好きだった母様からは装飾品やドレスもよくプレゼントされたが、何故かこれが一番嬉しかった。母様の思い出もひとつだけ持っていこうと考えた時。真っ先にこの刀をとった。


 この刀は母様だ。きっと母様が助けてくれる。


 じっと気を張りながら逃げる機会を待ち続けた。夜も更け、男達も休んだのか静かになった。静かに荷馬車から外を覗くと火を焚いて、男二人は毛布に包まり寝ている。もう一人は見張りのなのか座ってチビチビと酒を飲んでいた。


 火の光を頼りに慎重に外を見渡すと、荷馬車に縄で単騎の馬が繋がれていた。この馬が無くなれば、ここにあるのは荷馬車に繋がれた馬だけだ。荷馬車を引きながらだと追いつくことは不可能だし、荷馬車から離すにしても時間稼ぎにはなる。馬を使って森に逃げれば逃げ切れるかもしれない。


 今すぐ逃げたいが真っ暗な森に飛び込むのは自殺行為だ。少しでも明るくなる明け方に狙いをさだめた。気も緩む明け方、ひっそりと荷馬車を降りた。非力な私では繋がれていた馬の縄を解くことはできない。短刀で削りながらなんとか切った。


「よう、嬢ちゃん。逃げようってのか? そいつぁ、お仕置きが必要だなぁ」


 縄がやっと切れて、ホッと一息ついた瞬間に、後ろから声がした。振り返るより先に髪を思い切り引っ張られ頭に痛みが走る。多々良を踏んで後ろに視線を移すと見張りの男が髪を掴んでいた。

 結局明け方まで呑んでいたのか、男の顔は未だ朱色に染まっている。ニヤニヤと嫌らしい笑みをうかべているのに、ゾッと背中が寒くなった。


 男が私の長い髪を乱暴に掴んで引き寄せようとした。私は反射的に短刀を抜いて、髪を切った。男の手に金色の長い髪だけが残る。まさか刃物を持っているとは思わなかったのだろう。男に向かってブンブンっと刀振り回して距離をとり、男が動揺しているその隙に、急いで馬によじ登り思い切り手綱を引いた。


 そして、一心不乱に森の中を馬で駆け続けた。



□□□□□



 いつまで気を失っていたのだろうか、気がつくと太陽が登りきっていた。草の上に倒れていたからか身体は傷以外に痛い所はない。ただ、腕にできた引っ掻き傷は血は止まっていたがジクジクと痛む。


 なんとか馬で逃げ切ることができた。よく森の遠乗りに誘ってくれたセヴァン殿下のお陰だ。もちろんその森はこんな生い茂った危険な森ではなく、綺麗に整った美しい森だった。


 怖かった。本当に怖かった。

 一人でも大丈夫だと思った自分が甘かった。このまますぐにでもランベルグ公爵邸に逃げ帰りたい。父様義母様に泣きついて、メイドに湯殿に入れてもらって、傷の手当てをしてもらって、温かな寝心地の良いベッドで眠りたい。


 ポタポタと止めどなく涙が溢れてくる。


 町の自警団にお願いして公爵家に連絡して貰えば、

私が公爵家の令嬢だと証明できれば迎えがきてくれるはずだ。


 私は持っていたカバンを握りしめた。公爵家から二つカバンを持って出たが、小さい方一つしか持ってこれなかった。余裕の無い中、このかばんの中身だけは手放せなくて、カバンを握りしめて馬を走らせていた。


 カバンの中身は平民用のワンピースが一着と念のために入れた髪の染料、それから殿下から誕生日や記念日に貰った髪飾りやネックレス等の小物類の入ったポーチ。ついでに昨夜もらった硬いパンと水も押し込まれていた。昨夜は緊張で喉に何も通らなかったから、入れておいたのだ。


 殿下からの贈り物は持ち運びのしやすいものの中でも、特に思い出のある昔貰ったものを厳選して入れていた。

 

 セヴァン殿下の前ではできるだけ綺麗な格好をしようと着飾っていたから、よく宝石を付けていた。殿下は私が宝石好きだと思っていたみたいで、くれたプレゼントには必ず宝石が付いていた。別に宝石が好きな訳では無いが、殿下の気遣が嬉しかった。


 グチャグチャに泣き腫らした顔でそれらを抱きしめていると、不思議と力が湧いてきた。目を瞑ると最後に見た殿下の優しい笑顔が蘇る。最後に見たのが大好きだったあの笑顔でよかった。


 殿下の幸せの為なら、私は何だって頑張れる。


 今戻ったらもう外には出してもらえないかも知れない。それに、私自身の心が折れて二度と実行できそうにない。


 気合いを入れる為に硬いパンを食み、水を喉に流し込んだ。味もしないパンなのに、ジワリと身体に染み渡り、力が沸いてくるような気がした。


 このまま戻らずに、行方不明を継続することを心に決めた。







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