はじまり
「うまーい!こんな美味いもん食ったのは生まれて初めてだぜ!!」
「ホント、なんて美味しいのかしら」
「少し油っぽくてこれだけだとワシにはキツイが、このコメ?とかいうのと一緒に食えば、なかなかにいけるもんじゃな」
見事な体格の“剣士”のジムが酒を嬉しそうに飲み、
スレンダーでジムよりも背が高い“魔法使い”でハーフエルフのヒルデが舌鼓を打ち、
ドワーフで、見事な髭を蓄えた“重装歩兵”のギルバートが皿に盛られた白米を口いっぱいに頬張る。
彼らが食べているのは、日本で言う“トンカツ”である。
正確には、『スボイフ』と呼ばれている豚とは似ても似つかないこちらの世界の生き物なのだが、調理方法がトンカツと同じなので、面倒くさいというのもあり“トンカツ”と呼んでいる。
「いやー、一時はどうなるかと思ったけど、カイがたまたま通りがかってくれて助かったぜ」
そう、俺の名前は伊勢淮
この世界では、“冒険者”のカイと呼ばれている。
本当は異世界転生ってやつをしてしまった、元・会社員の日本人だ。
この世界に来てしまった原因は、別にブラック企業で働いていて過労死した訳でも、子どもを助けようとしてトラックに轢かれた訳でもないし、どこかのお姫様に召喚された訳でもないのだ。
「何故飛ばされたんだ…」
完全週休2日制、給料も手取りでそこそこ、上司の一人は大っ嫌いだったが、同僚や後輩とも仕事仲間として円満な関係を築いていたのに
「何故よりによって異世界転生…」
目の前に立っている女神が、なんとも言えない顔をしている。
「本当に、何故でしょうか…」
そう言うと、やや幼く見える美女は、白銀の長い髪を耳にかき上げ、巨大な本を真剣な眼差しで調べ始めた。
そんな顔に少しときめくが、今はそれどころではない。
「あの、もしかして何かの手違いですか?」
いきなり核心的なものを聞いて良いか迷ったが、何も進捗が無さそうなので聞いてしまった。
「は、はいっ!すみません。なにぶん新人なもので、今調べていますので、少々お待ち下さい。」
「そうですか…」
普通は自分から『新人です』なんて言わないが、言ってしまうあたり、本当に新人の女神なのだろう。
それにしても、異世界転生カー
夜眠れない時にスマホで小説とか読んでたけど、本当にあるんダナー
すげえナー
とんでもない能力とか貰えちゃうのカナー
「ハハハハ…」
「あ、あの、伊勢さん?どうかされましたか?」
「え、いや、すみません。ちょっと実感が湧かなくて」
「そうですよね…いきなりですもんね。困っちゃいますよね。」
「はい、特にこれといったイベントも無く突然だったので」
「すみません。本当にすみません。」
今にも泣き出しそうな表情で、美女にお詫びを言われたら、こちらは何も言えないし、罪悪感がすごい。
「いやいや、別に女神様が悪いと決まった訳じゃないでしょうし、何か、こう、大きな力というか、プログラムか何かのバグ的なモノが原因かも知れないですし…」
駄目だ。泣かれるとキョドってしまう…
昔から男女関係なく、泣かれると慌ててしまうのは変えられない。
「多分、この教典に載っているはずなんです。絶対に…」
それから、この二人だけの空間には女神が教典と呼ばれる本のページを捲る音と、時折聞こえる困惑に満ちた唸り声だけが場を支配し続けた。
そんな状況が、かれこれ小一時間ほど経っただろうか
さすがに手持ち無沙汰から耐えられなくなった俺は、状況を少しでも進める為に切り出した。
「そういえば、新人ってことは前任者や上司的な女神様はいらっしゃらないのですか?」
「!」
あ、今一瞬、明らかに「忘れていた」っていう顔したぞ
ということは、やっぱり前任者や上司の女神がいるのか
「いらっしゃるのであれば、知恵をお借りしてみてはどうでしょうか?」
「でも…」
「私も、一応は後輩を指導することがありますが、よく指導している後輩に言って聞かせるのは“聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥”という格言です。」
「女神様にも色々と込み入った事情があるとは思いますが、やはり聞かずに後で色々と言われるよりも、必要な時に助けを求めて、少しの小言なり叱責で済ましてしまった方が、顧客にも自分にも有益ではないかと思いますよ。」
しまった…いくら新人の女神相手とはいえ、人間より上位の存在に、社会人のアドバイスを繰り広げてどうするんだ
馬鹿じゃないのか俺は
釈迦に説法、孔子に論語、河童に水練
穴があったら入りたい!
「そ、そうですよね。すごいです!感動しました!」
「はい?」
「伊勢さんの言う通りですね。“聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥”うんうんっ」
何か、彼女の中のとんでもないスイッチを入れてしまった気もするが、やる気が出てくれたのならばそれで良い気がする。
「私、ちょっと聞いてきます!」
そう言うが早いか、新人女神は突然現れた扉を勢いよく開き、駆けて行った。
「いや、あの、ちょっと!」
何だか突然置き去りにされた気分だ。
「腹減ったなー」
誰もいなくなり、やる事も無くなった瞬間に急に思い出すのが空腹ってやつだ。
今日は朝食が食べられなかったから、居酒屋のおかわり無料のランチにしようと思って、会社近くの繁華街を歩いている時に飛ばされて来たからな…
かれこれ、朝起きてから今の今まで8時間近くも何も食べていない。
いや、晩飯から考えると20時間近く何も食べていない事になる。
「からあげ食べたかったなぁ」
「すりおろした生姜とニンニクを混ぜ込んだ醤油ベースのタレに若鶏のモモ肉を漬け込んで…いや、少し豆板醤を入れてピリ辛にするのも良いな」
新人女神が座っていたデスクと、自分が座っている椅子しかない状況で出来る事といえば、妄想するしかないのだ。
「まずは低温でじっくり揚げ、少し休ませる。それから高温で一気に揚げてサクサクカリカリに」
極度の空腹と、周囲に誰もいないということも相まって、俺は想像でからあげを揚げ始めた。
そして、想像の中で揚げたてを1つ口の中に放り込む…サクカリッとした食感のすぐ後に、じゅわっと溢れる肉汁が口の中に広がる。
「あふっあふふっ」
食べたくても食べられないときは、声も出して自分の脳を騙すしかない。
「ほぅほふほふ」
想像だが、鶏肉独特の食感と油の味を思い起こしながら、1つ目を飲み込んだ。
くぅぅぅ〜
何やら可愛らしい音がするので目を開けると、大量の書類を抱えた新人女神が立っていた。
「い、いつ戻られたのですか?」
「あ、えーと、私には見えない熱そうな何かを口にされた時あたりです」
「そ、そうですか…ハハハ」
はっずかしー!え、めちゃくちゃ恥ずかしいんですけど
誰も居ないと思っている大人の男が、目を瞑り恍惚の表情を浮かべながら一人で「はふはふ」言っている姿を、女神とはいえ女性に見られるとかマジで恥ずかしいんですけど!
多分顔が真っ赤になってしまっていたのだろう、俺と目が合うや否や「あ、通信が、ちょっと失礼します」と扉から再び出ていった。
「いや、気を遣ってくれたかわからんが、逆に恥ずかしいんですけど…」
また一人、デスクと椅子しかない空間に放置された。
時間にして5分くらいだろうか、女神が出ていった扉からコンコンコンッとノックの音がする。
対応して良いものかと一瞬悩んだが、どんでもなく恥ずかしい事をやらかしている後である。
なにも、コワくない。
「はーい、どうぞー」
ゆっくりと扉が開き、その隙間から先程出ていった新人女神がゆっくりと顔を覗かせる。
「失礼しまーす…」
新人なりに気を遣ってくれたのだろう。
「すみません。ちょっと忘れ物しちゃってて…あはは」
抱えた書類をどさっとデスク上に広げ、新人女神はいくつか報告をしてきた。
「伊勢さんに言われて上の者に聞いてみたのですが、伊勢さんがここに喚ばれた理由についてはわからないそうです。すみません。」
まあ、予想していた通りだ。
原因がわかっているのであれば、とっくの昔にこの空間からおさらばしているはずである。
「それでですね。今、上の者が更に上の者に掛け合っていまして、そろそろ何らかの連絡があると思うんですが」
下がわからない事は上の者が、上の者がわからない事は更に上の者が…女神の世界も変わらないな。
ピピピッと、小鳥のさえずりが聞こえる。
「はい。ノエルです。」
アンティーク調の受話器を引き出しから取り出し、新人女神が会話を始める。
「そうですか、わかりました。では、私がそちらにかければ良いのでしょうか?はい、失礼します。」
ノエルと名乗っていた新人女神は、受話器を引き出しに戻すと、最初に見た顔よりも幾分ゲッソリした顔で微笑んだ。
「もう少しお待ち下さいね。」
笑顔が引き攣っている。
「はい、はい、ですから、伊勢淮さんです。」
今度は携帯電話らしきモノで、どこか違うところと会話を始めた。
なんだろう、この既視感は
まるで役所そのまんまじゃないか
これで、次はどこそこへ行ってくださいとか言われたらどうしようか?
「はい、はい、はい、ありがとうございます。はい、ええ、そうです。失礼します。」
ふぅ、と一息ついたノエルは、先程の電話の最中に届けられてきた書類の中から一枚の紙を取り出した。
「伊勢さん、大変おまたせいたしました。」
そういうと、彼女は俺の前にテーブルを出現させて紙をおいた。
「結論から申し上げますと、やっぱりわかりませんでした。」
「はあ…」
「ああ、でも安心してください。今、分析に特化した部署が動いてますので、原因はいずれ判明すると思います。」
「そうですか」
「それでですが、一つ問題がありまして…」
「何ですか?」
空腹が今の俺には一番の問題なのだが
「はい、実は調査に思った以上に時間が掛かってしまって、あと三十分以内にここの世界から退出しないと、永遠に出られなくなるんですよ」
唐突に時限ミッションの開始が宣言された。
退出しないと閉じ込められる?そんな馬鹿な話があってたまるか。
でも、そうなるとノエルやその他にいるであろう女神達は永遠の時を、労働という名の十字架を背負わされてこんなところで生きていかないといけないのか…
もう少し優しくしてあげれば良かったな。
「な、なんか色々ごめんね。頑張れなんて言える立場じゃないけど、頑張って」
そんな言葉では何も変わらないと思うが、少しでも慰めになれば…
「ふふ、ありがとうございます。でも、私達は皆様で言うところの女神みたいなものなので、この世界に閉じ込められると言う事はないですよ。」
前言撤回。
「転生者には速やかに次の世界へと転生して頂ける様に、と設定されたルールなのです。」
ちょっと設定の方向がおかしいが、ゴネる人がいたんだろうな。
ということは…
「永遠ってことは、時間切れになった人達はどうなってしまうのですか?」
「時間切れになってしまわれた方は、これまで数名しかいらっしゃらいません。」
永遠という見当も付かない時間の長さに、俺は唾を飲んでいた。
「この世界で働いてもらい、天寿を全うされていますね。」
あ、永遠に出られないだけで、死なない訳ではないのか。
「ですが、私は絶対にオススメしません。」
「いや、別に死ねないとかでは無いのなら、平気なのでは?」
「駄目ですよ!」
そういうと、ノエルは机を叩き、声を荒らげた。
「だって、この世界に一生居なきゃいけないってことは、人間関係とかで悩んでも変えられないんですよ!そんなの耐えられるわけないじゃないですか!」
女神の世界も大変なんだな。
ノエルも確実に何かを内に抱えている。
「あ、それどころでは無かったですね。急いで手続きをしないと。」
「あの、聞きたいことが沢山あるんだけど…」
「質問等は転生後でも良いでしょうか。転生特典として、“神との対話”を付けておきますので」
「あ、はい。」
ノエルの物凄い剣幕に、たじろいでしまう。
流石は女神様だ。オーラが違う…
ぐぅー…
よりによってこんな時に腹の虫が駄々をこね始める。
ノエルは沢山の書類にサインを行っている。
「せめてちょっとでも腹に入れたいなぁ…」
あまりの空腹に、つい声が出てしまう。
「え、あ、ごめんなさい。お腹空いちゃいますよね。でも、あと少しなのでもう少し待って下さい」
あと少しって、どれくらいですかー
げんなりしながら待つしか出来ないのか…
「はい、大変お待たせいたしました!こちらにサインをお願いします。」
俺の前に一枚の紙が置かれる。
ノエルはやり切った充実感と疲労で、椅子にもたれ掛かり、虚ろな目をしている。
置かれた紙だが、文字らしきものが書かれているが、日本語でも英語でもない見たことの無い文字だ。
「えっと、どこにサインすれば良いんですか?」
「えあ?あ、ごめんなさい、読めないですよね。サインしていただくのは、ここと、ここ。それと、ここです。」
ノエルは鉛筆らしきもので、サインするべき箇所に丸を付けていく。
「これ、なんかの契約書ですか?」
「はい。伊勢さんを異世界に“仮”転生させるものです。」
「仮なんですか?」
「今のこの世界に居ると、存在が根付いてしまって一生出られなくなってしまいますが、異世界に一度“仮”転生をしていただくことで、伊勢さんの存在が曖昧なまま存在し続けることが出来ます。そうすると、こちらで原因がわかった際に、伊勢さんを本来の世界への移動がスムーズに行える状態を維持出来るのです。」
「存在があやふやだから、何かあったときに世界間を動かしやすいって事ですね。」
「本当はもっとややこしいのですが、簡潔に言うとそうなります。」
ノエルの説明を聞きながら、サインを済ませる。
「書けました。」
「ありがとうございます。これで伊勢さんは異世界に“仮”転生されます。」
サインをした書類を受け取ると、引き出しからハンコを取り出し、複数の書類に押印している。
「あと、これは控えとガイドブックです。まだ“言語”や“識字”のスキルがインストールされていないので読めないとは思いますが、転生中にいくつかのスキルや特典等と一緒に自動でインストールされますので、現地に到着次第お読みください。あと3分程で転生が開始されますが、何かありますか?」
「あの、転生した先が高難度のダンジョン内とか、いきなり深海とかでは無いですよね?」
転生直後に死亡なんて、死んでも嫌だ。死んじゃうけど…
「その点はご心配ありません。基本的には現地のいくつかの神殿内に存在する祭壇か、比較的平和な街の近くに転生します。」
「そうですか。それを聞いて、少し安心しました。」
「それでは、あと10秒で転生されます。」
そう教えられて、俺は心の中でカウントダウンを始めた。
10,9,8,7,6
「あっ!」
「え?!」
瞬間、目の前が揺らぎ、暗転した。
続けられる様に頑張りたいです。(小並感)