猿との遭遇
クルミは老人に言われた通り、太郎に小瓶の中の液体を飲ませる。
「まったく! 蓋外すのは、雉子のウチにとっては、だいぶ骨が折れたよ」
「母さん、おつかれさまぁ」
雛の言葉に、少しだけ救われたクルミだが
すぐにその表情は翳る。
「あの化け鴉につけ狙われることは無くなった訳だけど、ウチの子は一羽になっちまったし、ウチ自身、こんな傷だらけだ。やっぱり雉子は雉子らしく、山奥に隠ってるのがお似合いなのかね……」
そんな折に太郎が目を覚ます。
「うん……私は一体……?」
クルミは驚きのあまり、体の痛みを忘れて跳び上がる。
「痛たた! もう目覚めるのかい!? 何なんだいあの『水』は!?」
クルミが騒いでいるのを聞いて、太郎は飛び起き鉈を手に構える……が
直ぐに様子が違う事に気付き、クルミを見て言う。
「鴉昏は……倒したのでしょうか?」
「アンタ……本当に覚えてないのかい? それはもう、とても人とは思えない動きで、あっという間だったよ」
「そう、ですか……」
太郎はまったく身に覚えの無いうちに
問題が解決していて、それも自分のおかげだと言われても
どうにも腑に落ちないが、仕方なく彼や是や言いたい気持ちを
のみ込むことにした。
そんな様子を苦笑しつつ眺めていたクルミが切り出す。
「アンタは、これからどうするんだい?」
「私は都……人が大勢住んでいる所を目指して旅をしてきました。だから、ひたすらに目的地を目指すだけです。そう言うクルミさん達は……どうするのですか?」
クルミは視線を逸らして、少し考えた後
太郎へ自分の考えを告げる。
「ウチは……山奥に隠ろうと思う。子供もこの子ひとりになっちまったし、ウチも傷だらけ。傷が癒えるまで……いや、この子が独り立ちするまでは、森に隠れて住もうと思ってる」
「森も危険は多いのでは?」
「そりゃあね。しかし、あんな化け物にさえ一矢報いたウチだよ? そうそうやられるつもりは無いね!」
太郎は自信満々なクルミと、その側を離れないようにしながらも
遊んでいる雛を見て、静かに頷く。
「確かにそうですね。雛も沢山食べるし、あっという間に大きくなるのかもしれません。ただ……」
「ただ……?」
「今回、協力してくれた方達には怒られるかもしれませんが」
「違いない!」
太郎達は互いに笑い合った。
「さて、皆さんにも挨拶しましたし……ここでお別れですね」
太郎はクルミと雛を見て言う。
「ああ、アンタには世話になったね。本当に、ありがとう」
「太郎! ありがとう!」
クルミと雛は、晴れ晴れとした表情で礼をし
太郎は守り通せて良かったと、心から思うのであった。
「そうだ! これを受けとって下さい」
太郎は黍団子を取り出して、クルミと雛に渡す。
「団子……かい?」
「はい、母上が作って持たせてくれました。どうぞ食べてみてください」
クルミと雛は黍団子を口にすると、笑顔になる。
「ありがとう、おいしいよ」
「おいしい! もっとちょうだい!」
クルミは欲しがる雛をたしなめる。
「思いのこもった食べ物だから、太郎の分はとっておかなくてはいけないんだよ」
雛に伝わったのか分かったのかはあやしいが、納得したようだ。
「そろそろウチらも行くよ」
「はい、どうかお気をつけて」
「太郎も、今回の旅を無事に終えたら、母上の元へ帰ってやりなよ? きっと寂しがっているから、さ」
太郎は無言で頷き、クルミも満足げに頷く。
「じゃあ、またどこかで」
「はい、またどこかで」
たがいに、もう会うことは無いだろうと、心の片隅で思っていたが
それは言葉にせずに、再開の約束で別れた。
──クルミ達と別れてから太郎は
遅れた分を取り戻そうと懸命に歩いた。
脇目も振らずに歩いて、都から一つ手前の村に到着したのだが
「若人、その『猿』を渡してくれぬか?」
訳あって浪人然とした者に殺気を向けられていた。
「この猿は、私と共にこの村を離れます。だから! どうか命だけは助けてやることは出来ませんか?」
「ならぬ! その猿は、明らかに『怪異』として目覚めておる。それを野に放ったとなれば、この村の立地からして都へ被害が及ぶかもしれん」
「いや! そこは私が責任を持って!」
「若人の気概を買ってやりたい気持ちもあるが、見たところ得物らしい得物も持っておらず、加えてその若さで、怪異を御する程の実力が伴っているとは到底思えない。それで信じるというのは、些か人が良すぎるとは思わぬか?」
「それは……」
すると太郎の背中に隠れるように張り付いていた猿の怪異は
諦めたように太郎に話す。
「太郎、もう良いよ……やっぱりおいらは生きてちゃ駄目なんだよ。体だってどんどん化け物染みていくし、何時までおいらの意識が保つかも分からない。そんな危険な生き物は態々生かしておく意味なんて無いよ」
「そんなこと……あって堪るかっ!」
太郎は、この猿がむざむざ殺されなければ
ならないという現実に納得がいかなかった。
何故こんな事になったかは、少しだけ時を戻し太郎が
この村に着いた、前日の夕方頃までさかのぼる。
「はぁはぁ、やはり寝ずの強行軍は厳しかったか。少しふらふらする」
覚束ない足取りで太郎が目的の村に着いたのは
景色が赤く染まる頃だった。
「宿代……は無いから、一晩泊めてくれる家を探そう」
太郎がもうひと頑張りだと、奮起したとき
けたたましい声が村中に響き渡る。
「泥棒ーーっ! みんなっ! 泥棒猿が出たよっ!!」
一人の叫びから、多くの人に伝わり
家々から手に捕獲用の道具を保った人達が声のした方に集まる。
ざわざわと途端に騒がしくなった村を、何事かと眺めていた
太郎目掛けて、黒い影が一直線に向かってくる。
「そこの人! その『猿』を捕まえてくれ!!」
太郎はその声に反応して咄嗟に構える。
尚も猿は太郎に向かってくるが、直前で一瞬だけ姿が消える。
「なにっ!」
猿は太郎を抜き去り、太郎を凌ぐであろう速度で遠ざかっていく。
呆然とする太郎に村人は残念そうながらも、仕方ないといった顔で
歩み寄ってくる。
「あぁ、あんたもやられたんだな?」
「やられた……?」
村人は忌々しそうに口にする。
「此処いらの猿はあやしい術を使うんだよ。掛けられた者は、相手を一瞬だけ認識できなくなる。掛けられた方は、消えたように見えているが、他の連中には見えているのさ。だから、あまり気に病むなよ? 誰もあんたを責めることは無いからな。皆やられてるんだ」
「は、はぁ。ところで何を盗られたのですか? 手には何も持っていなかったように思いますが?」
太郎が素朴な疑問をあげると、村人は困ったように
目を瞑り呻る。
「そうなんだよ、ここ最近は何も盗って行かないんだ。それが不思議でしょうが無い」
「であれば、追う必要も無いですよね?」
「言ったろう? ここ最近って。以前はあの猿の一家が悪さをするせいで、百姓で食っていけない者が出るほどだった。だが、ある時母猿と一匹の子猿を捕まえて、これ幸いと火に掛けて殺したんだ。それからだよ、奴等の群れから徐々に大きな猿を寄越すようになったのは。はぐれ一家だと思っていたんだがなぁ……」
太郎は丁寧に教えてくれた村人にお礼を言って
村の入り口の方へ向かう。
「すれ違い様、鴉昏と同じ様な気配を感じた。これは、放って置くわけにはいかない。多分、私なら気配で追えるはず!」
太郎は辺りが暗くなっていくのも構わずに猿を捜す。
「この辺りに、居そうな気配はあるのだが……」
太郎は動物と話す要領で、猿に話しかける。
「こちらに敵意は無い! 少し、話を聞かせてくれないか!?」
もとより声を発してはいないが、呼びかけに返事が無いせいか
しんという音が聞こえそうなほど、静けさを際立たせる。
「返事は無い……か」
太郎が諦めかけたとき、小さな茂みからそっと一匹の猿が現れる。
「お前、おいら達の言葉が使えるんだな……人間なのに」




