妖怪変化の鬼
日が暮れ始めた頃、人間や獣の声とは違う生物の
声が辺りに木霊する。
「ニンゲン! コロス!」
「ムラ! コワス!」
山の斜面を、まるで何かに追われるような
不格好な走り方で下ってくる。
その二つの影は、二体ともに額の中央に歪な形をした角があり
肌の色は灰色と土色と、おおよそ人のものとは思えない
色をしていた。
彼らの双眸は、太郎らが待ち構える村を見据え
彼らが持つ長い手足を使って、真に最短距離で迫る。
一方村に居る太郎も、その鬼達を視界に捉えていた。
村のあちこちに松明を用意し、明るさを確保しており
太郎が戦うのに不自由しないように準備していた。
かき集めた丈夫そうな木材や竹は
戦いのさなかにも武器を補充しながら戦えるようにと
あちらこちらに配置してある。
そして太郎の手元にはこの村で最後のまともな武器となり得る
『包丁』を腰に括り付けている。
太郎は包丁の柄に手を添え、目を伏せる。
「おユウさんの包丁は、使わずにすめば良いが……」
太郎は顔を上げ、用意していた木の棒をしっかりと握り
鬼達を見据える。
その傍らではハチが気丈にも、鬼を威嚇している。
「ハチ、無理しないでくれ。もう立っているのが精一杯だろう?」
「何……言ってるのさ、だからこそ無理でも何でもしなきゃならないん……でしょ?」
太郎の言うとおり、ハチは限界だった。
今だって、太郎に運んでもらってここにいる。
歩くことさえ侭ならないのだ。
「僕に怪我の影響が……無いって思わせられれば、奴等にも隙が出来るはずだよ。死ぬその瞬間まで、隠し通して見せる! ……だから太郎、奴等への止めは君に任せるよ」
太郎はハチの鬼気迫る覚悟をうけ、自身もまた
必ず鬼を倒すと誓うのだった。
「コロス! コロス!」
「コワス! コワス!」
鬼達は村に入ってようやく、太郎達の存在に気付く。
「イヌ……マダイキテル」
「シラナイニンゲン」
鬼達は顔を見合わせて頷き合う。
「ニンゲンコロス!」
鬼は二手に別れ、太郎を挟撃する進路を取る。
それはご丁寧に、ハチの介入を避けるような位置取りだった。
太郎もそれを察知し、動く。
ハチに、より近い鬼へと一気に距離を詰め
動物と話す要領で、灰色の鬼に話しかける。
「そこが鬼! なぜ人里を襲う!」
太郎は鬼の正体が獣の妖怪変化かもしれないと言う
ハチの言葉を信じ、言葉が通じるならば、殺さずとも
撃退までもっていければ安全は確保できると考えていた。
しかし、灰色の鬼は一瞬だけ反応したが、すぐさま
太郎へ襲いかからんとする。
太郎は、全身に鳥肌が立つのを感じる。
「何だあれは……呪詛めいたもう一人の誰かの声が、彼等の意識にまとわりついている……?」
太郎がほんの僅か足を止めた隙を見計らって
灰色の鬼は、その長い手で捕らえようと手を伸ばしてくる。
太郎は、手にした木の棒で打ち払い難を逃れる──が
今度は土色の鬼が背後から飛びついてくる。
それを体を捩って躱すと、次は灰色の鬼、次は土色の鬼と
鬼達は交互に、そして間断なく太郎を攻め立てる。
かろうじて攻撃を凌げているものの
躱せる回数は目に見えて減り、武器で受ける度に
鬼の怪力で、木材や竹は易々と砕かれ
このままではジリ貧であることは明白だった。
「くそっ! なんっとか! 打開策は無いかっ!」
鬼の猛攻を避けつつ、太郎は必死に思案する。
すると、鬼達の連携が突如として崩れる。
ハチが土色の鬼に噛み付いたのだ。
太郎は一瞬だけハチを見遣り悟った。
──立つだけでもやっとのハチが、決死の思いで作ってくれた隙
無駄にするわけにはいかない!!
太郎はおユウから預かった包丁を抜き放つと同時に
灰色の鬼の首を刎ねる。
振り抜いたその勢いを殺さぬよう
弧を描くようにして土色の鬼へと斬りかかる。
確かに土色の鬼は、ハチに噛み付かれて
狼狽えていた──はずだった。
しかし土色の鬼は、太郎の刃が届く直前には
ハチを振り払い、持ち直し
渾身の一撃を躱してみせ、即座に反撃に出る。
その長い腕を使い、包丁の間合いより外から
太郎を殴りつける。
「ぐあああぁぁっ!!」
吹き飛ばされた太郎は、たまらず叫び声を上げる。
「た、太郎……」
ハチの声を聞き、太郎は気力で立ち上がる。
──ハチが生きているうちに!
おユウさんと、きちんとお別れ出来るように!
私がやらねば、誰がやると言うのだ!!
太郎は包丁を握り直そうとして気付く。
「吹き飛ばされたときか!」
太郎から離れた場所に包丁は落ちており
とても拾いに行ける場所では無い。
歯噛みする太郎に容赦ない追撃が加えられ
再び吹き飛ばされ、空き家の壁に激突する。
「がはっ!」
──立ち……上がらなければ!!
その時、太郎の手に何かが触れる。
「これならっ!!」
止めを刺さんと襲い来る土色の鬼の両腕をくぐり抜け
朽ちた鉈を脳天に叩き込む。
朽ちた鉈は、鬼の頭に深く刺さり
頭蓋の中で致命的な破壊を齎す。
鬼の体がビクンと跳ねた後、倒れ臥す。
「やった……のか? そうだ! ハチ!」
「僕はここに居るよ……」
ハチは振り払われて地面に打ち付けられた場所から
一歩たりとも動けていなかった。
元々、限界が来ていたのだから無理は無い。
「今! おユウさんを呼んでくる!」
太郎は痛む体を引き摺りハチとおユウの家へ向かおうとするが
太郎が辿り着くまでも無く、家からおユウが飛び出してきて
ハチに駆け寄る。
「ハチ! ありがとう……! ありが……とう!」
大粒の涙を溢し、しきりにハチに感謝を述べるおユウを見て
ハチが笑った気がした。
「太郎、もう僕にはおユウ母さんの顔が見えないけれど、おユウ母さんが言っている事、僕にも分かるよ。でも……でもね、本当に感謝しているのは僕の方だって、伝えてくれるかな……?」
太郎はハチの言葉通りにおユウに伝える。
おユウはハチの前でうずくまり、声を上げて泣いた。
「やっと、終わったんだね……何だか僕、お腹が空いちゃった。ふふ……」
最期が近いのか、ハチが今までで一番
弱々しく頼りない笑みを浮かべる。
太郎は涙ながらに、黍団子を取り出し、ハチに与える。
「これを、お食べ」
ハチは匂いでそれを探り、口へ運ぶ。
「うん……おいしい……。ありがとう、太……郎…………」
それっきりハチは動かなくなった。
泣かないと決めていた太郎も、おユウと共に夜が明けるまで
泣きはらした。
次の日、ハチの供養を済ませ
太郎は旅立つことにする。
「本当に動いても大丈夫なのかい?」
「はい、不思議と。所々痛みはしますが……。もしかしたら、道中で貰った『御守り』のおかげかもしれません」
そう言って、太郎は御守りを取り出し
おユウに見せるが、御守りは突如として灰になり
役目を終えたとばかりに風に吹かれて空へと還っていく。
「本当にそうなのかもしれないねぇ」
「はい」
太郎は改めて、謎の老人に感謝し短く目を伏せたあと
おユウへと向き直り、謝罪する。
「本当は、村を立て直すまで、ご一緒出来れば良かったのですが……」
おユウはとんでもないと、首を振る。
「鬼を退治してもらった上に、あんなに大金を貰って文句なんて言ったら、ハチに怒られちまうよ! あんたから貰ったお金で、なんとか繋いで見せるさ! だから、そう心配するんじゃ無いよ」
そう言っておユウは、太郎を優しく抱きしめる。
「ありがとう、全部あんたとハチのおかげだよ。ここからはあたしの戦いだ」
おユウはゆっくりと離れると、決意を込めた笑顔を見せる。
太郎は力強く頷く。
「では、私は先へ進みます。おユウさんも、お元気で!」
「ああ! あんたも元気にやるんだよ! 気をつけて行っておいで!」
太郎は再び都へ向けて歩き出す、もっと強くなる為に。
そして、もう誰も失わない為に。
太郎が旅立った後、討ち取られた鬼が
ただの灰の山になっているのが発見されるのは
もう少し後の事だった。




