村落の番犬
あれから太郎は、何事も無く最初の集落に着いた。
……着いたのだが、どうにも人が少ない。
太郎と同じように街道を歩いていた者達も
仕方なくという色を強く浮かべた表情で
足早に集落を去って行く。
「どういう事だろう?」
太郎は事情を聞こうと、旅籠と思しき建物の
のれんをくぐり、中へと入る。
しかし、中へ入っても人の気配は無く
呼びかけても、返事は無い。
「あんた、旅の人かい?」
突然背後から女性の声がする。
太郎は驚きながらも振り向き肯く。
「ということは、村の入り口の看板を見なかったんだね……」
「すみません、見落としていたようです」
「いや、良いさ。どうせそれも今晩で終わる。あんたはさっさとこんな所を離れて、宿の工面をした方が良いよ」
女性はどこか、疲れた顔をして遠くを見る。
「何があったのか、聞いても良いでしょうか……?」
女性は不貞腐れたような笑みで振り返り
太郎の目を見て言い放つ。
「この村は『二体の鬼』に目をつけられちまったのさ。日が暮れるたびに、山から下りてきて、奴等は村人を殺していく……。村がこんな様になったのは、鬼に殺された者も大勢居るが、殺されたくなくて村を捨てた奴等のせいさ!」
村を離れた者の部分は特に強く
吐き捨てるように言い放つ。
それは先程まで、こんな所などと言っていたとは
思えないほど強く、恨みのこもった言葉で
太郎も迂闊には口を挟めない。
「こんな状況だ、村を捨てるだけならまだ良い、だがあいつらは、人ん家の食いもんまで持って行っちまいやがったのさ! 今夜鬼に殺されなくても、遅かれ早かれってとこだよ」
そこまで言い切った女性は肩で息をするほど
怒りに燃えていたが、直に静かになり
今度は泣きそうな顔で呟く。
「今朝、あたしの家以外で残っていた家族が出て言ったよ……。今、村に残っているのは、見捨てられた年寄りと、あたしの家だけさ」
「あなたはなぜ逃げないのですか?」
太郎が尋ねると、女性は俯いてしばらく黙り込んだ後
語り始める。
「『逃げたい気持ち』も勿論あるよ。でもね、大恩のあるお義母さんを置いては行けないよ……。お義母さんは逃げろと言ってくれるけど……ね。それに逃げたって、暮らしていくための食料も、金になりそうな物だって無い。躰を売るには歳も取り過ぎている。もう、詰んじまってるのさ。都に助けを求めに行った旦那が帰ってくるまで、私も『ハチ』も頑張るつもりだったのだけどね……、ハチは夕べ、鬼に負わされた傷で長くないし、あたしももう、疲れちまったんだよ……」
「『ハチ』とは息子さんですか?」
女性はふふっと小さく笑い教えてくれる。
「ハチは、家で飼っている犬さ、何度も何度も鬼を追い返してくれた、自慢の『子』だよ。そういや、あたしも名乗ってなかったね、あたしは『おユウ』って言うんだ、短い間だろうけど、よろしくね」
おユウは自虐的に笑う。
太郎は居住まいを正して、自身も名乗る。
「私は太郎と申します。あの、宜しければハチ……さんに会わせて頂けませんか?」
おユウはきょとんとした後、今度は心底楽しげに笑う。
「あんた変わってるね、犬に『さん』付けする奴なんか、初めて見たよ、はははっ!」
「変わってる……のでしょうか?」
「気を悪くしたなら謝るよ! 変わっちゃいるけど、あたしはあんたを気に入ったって事さ。ついておいで!」
「はい」
太郎はおユウに連れられて、一軒の家に辿り着く。
その家には犬小屋はあるが、犬の姿は見て取れない。
「ああ、ハチは家の中だよ。小屋で一人で死ぬのは寂しいと思ってね」
太郎はなんと言葉をかけて良いか分からず黙ったままだ。
しかしおユウは、そんな事は気にせず、家の中へ案内する。
家の戸をくぐり家に踏み入れば、寝たきりの老女と
彼女に寄り添うように横たわる一匹の犬が居た。
また、自身も寒くないように
ぼろになった着物を掛けて貰っている。
その犬が『ハチ』だ。
ハチはおユウが、帰ってくる少し前から
その帰りを待つように、家の戸を見つめていた。
おユウも、きっとそうであろうと思っていたのか
戸を開けながらハチに話しかける。
「ハチ、あんたにお客さんだよ! あたしは、お義母さんと話しがあるんだけど……」
「では、私はハチさんに話を聞かせて貰おうと思います」
太郎はごく自然に返す。
「ああ、そうかい。……って! ハチと話す? おかしな事言うね! あはは」
おユウは冗談だと思いながらも、老女に向き直り、村の様子を話し始める。
太郎は太郎で、ハチに向き直り、話しかける。
「ハチさん、私は太郎と申します。少しお話しを聞かせて貰ってもよろしいでしょうか?」
ハチは驚いた表情で、太郎を見る。
「驚いた。君、動物の言葉が分かるんだね。そんなに畏まらなくても良いよ、僕もそれほど歳はいってないし」
「じゃあ、お言葉に甘えさせてもらおうかな」
「うん。それで、話って何?」
「何度も鬼を追い返したと聞いたけれど、どうやったのかと思って。私にも出来る事ならば、おユウさんの力になりたい」
「そうか……でも、僕にも良く分からないんだ。鬼が何故か、僕……と言うより『犬』を怖れているみたいで。怖れている相手なら、少し威嚇してやれば、直ぐに逃げ帰ってくれたよ」
鬼と渡り合えるほどの強き者と思い
訪ねた相手が、普通の犬かもしれないという事実に
太郎は僅かに落胆する。
「昨日は、おユウ母さんが捕まっちゃって……。おユウ母さんを助けるために無我夢中で鬼の腕に噛みついたんだけど、振り払われて地面に叩きつけられちゃったんだ。結果、おユウ母さんは助かったけど、僕は立ち上がることも侭ならないし、明日まで保つかも分からない」
「ずいぶん落ち着いているんだね」
「僕は、守りたい人……大切な家族の為なら、この命惜しくは無いよ。今夜、鬼が来たら這いずってても鬼と戦う。そういう覚悟が出来ているから」
「守るために死ぬ、覚悟……」
「正確には、死ぬ覚悟じゃあ無いよ。どんな事になっても守り抜く覚悟、かな?」
太郎の胸に高亥が過る。
高亥が自分の事をどれ程想っていたか思い出され
太郎は涙がこぼれそうになるのを堪えるのがやっとだった。
「ありがとう、ハチ。やっぱり私は、鬼と戦う。庇われてつないだこの命で、ハチを、おユウさんを、村の人達を守りたいと思ったから」
「ありがとう、その気持ちだけでもうれしいよ」
そんなやり取りをしていると、おユウが太郎を見て驚く。
「あんた、泣いてんのかい? 犬と見つめ合って泣いてる奴なんて──」
「──初めて見た。ですよね? 私は泣いていませんし、動物と話せるのも本当です」
少しの間、呆気にとられたおユウだったが
直ぐに気を持ち直して、笑ってみせる。
「言うじゃ無いか。それでハチは何て言ってたんだい?」
「おユウ母さんを守るためなら、鬼が来ても戦う覚悟があるそうです」
それを聞いたおユウは顔を逸らし肩を震わす。
「まったく、馬鹿な子だよ。怪我だってあたしのせいなのに……」
「おユウさん、私は鬼と戦います。私が成長するには、ここで見捨ててはならないと、ハチの生き方を知り、気付かされました」
おユウは驚き振り返る。
しかし太郎の穏やかな表情と、胸に秘めた決意を
汲み取り、太郎の両肩をつかみ言い聞かせる。
「命を……粗末にするもんじゃ無いよ……」
おユウの顔は、涙でぐしょぐしょだったが
その表情には、巻き込んだ事への申し訳なさと同時に
深い、深い感謝が滲んでいた。
「おユウ母さんのあんなに嬉しそうな顔、久し振りに見たよ。お礼と言えるかどうか分からないけど、太郎……気付いたことがあるんだ」
ハチの声を聞き、太郎は振り返る。
「この村に来る鬼は……多分『鬼じゃ無い』、僕は本物の鬼を知らないけれど、噛み付いたときに感じたのは、明らかに獣の匂いだった。だから僕は、狢とかの妖怪変化だと思っている」
「怪異……か、少しは勝ち目が見えて来たのかな?」
「ああ、強敵には変わりないんだけどね。僕は、夜までちょっと休むよ。申し訳ないけど、その間だけ家族の事守ってくれるかい?」
「もちろん!」
太郎は夜まで、武器になりそうな物を集め
ハチは少しでも動けるように、体を休めるのであった。




