旅立ち
あれから、太郎は都に行きたい旨を
両親に伝える場を作り、事細かに説明した。
森での一件以来、森に踏み入れられないほど
恐怖を抱いてしまったこと。
それを払拭するため猪狩に教えを請い
剣術の才を認められ、都で『巽家十本刀』なる組織の
候補として誘われたこと。
それらをすべて伝えた上で、太郎は
松吉とおハツの目を見てから、頭を下げる。
「父上、母上、私は自分の『弱さ』を克服するため、都へ出て剣術の鍛錬を経て、心身共に成長したいと思っております。どうか、お許しをいただけませんでしょうか!」
松吉は難しい顔で腕を組み考える。
「なるほどなぁ、それまでの経緯を聞き、太郎の様子を見てきた上で判断するならば、悪い選択では無いのかもしれんが……」
「なりませんっ!」
突然のおハツの叫びに、太郎のみならず松吉も驚く。
「だって太郎は、まだ七歳ですよ!? 都まで、どれ程の道のりがあると思って居るのですか!? 一番近くの町でさえ、森を抜けねばなりません、森に入れない太郎にどうやって行かせるおつもりですか!?」
「わ、わしが怒られてるのか? ちょっと落ち着けおハツ!」
「これが落ち着いていられますかっ! あれほど望んでも出来なかった子供が、漸くできた子供が、瞬きする間に成長して、それどころか! もう私達の元を去ると言うのですよ!? それを松吉さんは、『悪い選択では無い』なんてっ! わたしは、わたしは……ううっ」
ついにおハツは泣き出してしまう。
流石にこれは松吉も困ってしまうが、おハツの背をさすり、宥めながらも
太郎に向き直り、松吉は本来伝えようとしていた内容を
おハツを刺激しないように言葉を選びながら伝える。
「太郎、気持ちは分かるが、わしらにも時間をくれ。突然の事過ぎて、わしもおハツも心の整理が出来ておらん。だから、答えは、今しばらく待ってくれるか?」
「分かり……ました」
そうして、この場での説得は上手くはいかず
松吉達の判断に委ねるほかない状況になってしまったのである。
それから数日間、松吉とおハツは、どこかギクシャクした
様子で、交わす言葉も最低限に留め、松吉は朝早くから
出かけたきり昼も帰って来ず、おハツはおハツで
太郎を矢鱈と構い、食事は好物ばかり、着物も毎日洗濯し
着替えまで手伝う始末。
松吉がおらず、農作業などは大変に思えて
太郎が手伝えば、満面の笑顔で
大袈裟とも言えるほどの感謝をされてしまい
どこか居心地が悪い。
そんな空気から逃げるように、太郎は鍛錬に没頭する。
それでも、太郎は両親の様子に堪えきれずに
二人を前に自分の気持ちを打ち明ける。
「父上、母上、私のわがままから、この様な状態になってしまい、申し訳ありません。二人の関係が悪くなることを私は望んでおりません。都に出るには幼すぎるというのであれば、二人が立派な大人になったと認めてもらえるまで、この地で励みましょう。だからどうか……」
太郎が深く頭を下げる。
すると松吉とおハツは、顔を見合わせて少しの間、沈黙し
その後、申し訳なさそうな、それでいて、どこか諦めたような
笑顔を浮かべ太郎に向き直る。
松吉は太郎の肩にそっと手を置く。
「太郎……要らぬ心配をかけてしまったようじゃな。わしらは何も『仲違い』をしていたわけではない」
「ご免なさいね……」
「どういう事でしょう……?」
太郎には、まったく理解が追いつかない。
それを察して、松吉が話し始める。
「まず、太郎の都行きの話だが。おハツには早い段階で話をつけ、許可する方向でわしらは動いていた」
「松吉さんに諭されて、それが必要なことだって分かったの。松吉さんや私は、この場所以外の想い出があるけれど、太郎にはこの家と森の想い出しかない。にも拘わらず、森へ行けなくなってしまった太郎を、家に留めておく事は、一生家に閉じ込めておくのと変わらないことに、松吉さんに言われて気付いたの」
「じゃから、太郎の弱さを克服するためにも、世の中は広いと言うことを知ってもらうためにも、都行きは必要な事じゃ」
「じゃ、じゃあどうして、お互いにあのような態度を……?」
「前に言ったじゃろう? 『わしらにも時間をくれ』と」
「私達が太郎のために、やっておかなければ後悔することを、出来る限りやると二人で決めたの。それと、お互いのやっていることに口出しはしないことも」
「お互いが意識しすぎたせいか、どこかギクシャクした感じに見えてしまったのかもしれん」
そこまで言うと、松吉とおハツが一緒に頭を下げる。
「本当にすまなかった」
「本当にご免なさいね」
太郎は徐々に理解が追いついてきて
安堵のため息をもらす。
「良かった……私のせいで父上と母上を不幸せにしていたらと思うと、気が気じゃなかった……」
太郎は涙を一粒こぼす。
つられておハツもしくしくと泣きはじめ
松吉も目頭を押さえ、涙を堪えている。
松吉は気を紛らわすために、あえて大きめな咳払いをして
太郎に語りかける。
「おハツのやりたいことは、親と子として、太郎を目一杯愛し、甘えさせたかったんじゃが……」
「太郎の心も駆け足で成長しちゃうから」
おハツは涙を拭いながら笑うものだから
太郎は思わず謝ってしまう。
「すみません」
松吉は苦笑いを浮かべ太郎の背を叩く。
「成長して謝る者がいるか」
太郎はもう一度謝りそうになったが、既のところで
踏みとどまる。
松吉は頷き、話を続ける。
「わしのやったことは、太郎が少しでも旅立ちやすいように、町への道中の枝葉を刈り、森と意識せず済むよう整えてきた。効果があるかは分からぬが」
「ありがとうございます」
「それと……」
松吉は仕事場へと向かい、一着の羽織を手に戻ってくる。
「具足羽織じゃ、太郎が具足を着て戦うような事があれば、お守りとして羽織って貰いたいと思って拵えた」
松吉が手にした具足羽織は、派手さは無いものの
大層立派な意匠が凝らされており、名品とよんで
差し支えの無い逸品であった。
「これほど立派な物を、私のために……?」
「親が子を心配する気持ちは、これでも足りないくらいじゃよ」
松吉の言葉におハツも頷く。
「ありがとう……ございます!」
それから三人は、抱きしめ合い
これまでの想い出を、笑顔と涙と共に語り合った。
それから三日後、太郞の旅立ちの時はやってくる。
旅装束を身に纏い、雨避けの笠、杖
そして、やや大きくなってしまった荷物。
とはいえ、太郎の怪力があれば
どうと言うことはないのだが。
「太郎、最初の町まではわしも一緒に行こう。最寄りの町とはいえ、そこそこ距離もある、大事を取れば一晩、野宿する事になるだろうからな」
「分かりました、ありがとうございます」
「松吉さん、どうぞよろしくお願いします。それから太郎、これを持って行きなさい」
「これは?」
太郎は首をかしげる。
「それは『黍団子』ですよ、お腹が減ったら食べなさい」
太郎は頷き、腰に下げた巾着にしまう。
その様子を見届けた松吉は、おハツに向かって言う。
「おハツも留守の間、家のことを頼む」
おハツは深く頷く。
そして、太郎と松吉は並び立ち
はっきりとした声で、出発の挨拶をする。
「では、行ってくる」
「母上、行ってまいります!」
「いってらっしゃい、どうか無事に帰ってくださいませ」
そして二人は歩き出す。
少し歩いたところで太郎は立ち止まり、松吉に言う。
「少し待っていてもらえますか?」
「良いが、どうした?」
太郎は答えず、森へ向かって声を張り上げる。
「吾郎! 聞こえているか! 私は高爺さまが死んだあと、森へ入ることが恐ろしくなってしまった! そんな己の弱さを克服するため、修行に出る! もし私が、自分に自信が持てるようになり、再び森へ入ることが出来たなら! また一緒に、角力を取ってくれるか!」
太郎はそこまで言うと、深々と頭を下げる。
「返事は無い……か」
太郎は僅かばかりの落胆を胸に、松吉の元へ戻る。
──太郎が去った後、木陰で黒い影が揺れた気がした。
「もう良いのか?」
「はい。きっと、届いたはずです」
太郎と松吉は今度こそ、町へと向かい歩き出す。




