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彩雲

作者: 果 一

彩雲    


 ―――ざざざぁ・・・ざざぁ・・・ざっぱぁん・・・

 ―――五月蠅い。

 海岸に打ち寄せる波の音が、鬱陶しいほど耳につく。

 ~~~時分は、陽光が西の空を橙赤色に染め上げる、黄昏時。

 降り注ぐ西日が、紅や黄が混じった森の木々を、黄金色に焼いている。

 「ああ、もう! 腹が立つぅ~!」

 この時期特有の、何処か哀愁を含んだ冷たい風が少女の頬をなぶる中、彼女は悔しいやら腹立たしいやらで、地団太を踏んだ。

 栗色の瞳と、カラスの濡れ羽色の黒髪が特徴的なその少女の名は、柿下 彩。

 近所の中学校に通う、一年生だ。

 「まぁ、そう怒るでない・・・」

 隣に並んで歩く祖父が、彩をなだめる。

 実は本日、クラスメイトといざこざが起こり、大層ご立腹な様子なのである。

 そこで、そんな彩を見かねた祖父が“気晴らしにでも”と、彼女を夕方の散歩へ誘い、今こうして二人で散歩をしているのであった。

 「怒るに決まってるでしょ⁉ もうっ!」

 芙蓉の顔を真っ赤に染めて激昂する、可愛い孫娘の姿を一瞥し、やれやれと肩をすくめる祖父。

 ―――ざっぱぁん!・・・

 一際大きな波が、海岸の岩にぶつかり、砕け散る。

 「どうじゃ? 少しは気晴らしになったかの?」

 「ぜ~んぜん。むしろイライラが増したよ。こんなに波が五月蠅いんだもん。」

 ぷくーっと、フグのように頬を膨らませて答える彩。

 「おぅおぅ、そうかそうか。」

 祖父は曖昧に答え、チラッと空を一瞥した。

 「? お爺ちゃん、なんでさっきから空を見てるの?」

 彩は、そんな祖父の行動に、怪訝そうに顔をしかめて問うた。

 彼女がそう指摘する通り、先程から彼女の向こう側に広がる海上の空をしきりにちらちらと見ているのだ―――まるで、何かを待っているように。

 「ん? 何故か? それはじゃな―――

 少し首をひねって考えるような仕草をして、

 ―――秘密じゃ。」

 悪戯っぽく笑って答えた。

 「えぇ~、つまんないのぉ。」

 彩は不服そうにほっぺたを膨らませる。

 ~~~おもむろに日は沈んでゆく・・・

 既に日は、その体の一部を水平線の下に隠しつつあった。

 (しかし、機嫌を直してくれるのかどうか・・・)

 再びちらりと空を見る。―――《アレ》は、まだのようだ。

 機嫌を損ねてしまった彩を元気にするために、気晴らしの散歩へ誘ったのは事実。

 だが、この程度のことで機嫌を直してはくれないであろうことは、彩の性格を知っているからこそ、容易に予想がつく。だから、本当の目的は、彩に《アレ》を見せること。そう、晴れた日の夕方にのみ見られる、《アレ》を。

 祖父は、己が目論見が上手くいくことを願いつつ、約二時間前の出来事に思いをはせる。

 

 バタァアアアン!

 突如、ものすごい音を立てて開け放たれた玄関の扉。

 その音に、室内で読書をしていた祖父は、びくりと肩を震わせた。

 「ああ~もう! うざいうざいウザイ、ウザァアアイッ!」

 〈ただいま〉も言わず、暴言を連呼しながらずかずかと家に入ってくる孫娘の姿を見て、祖父は目を白黒させた。

 「どうしたんじゃ・・・ご機嫌斜めじゃが・・・?」

 怒りで顔が真っ赤の彩に問いかける祖父。

 「お爺ちゃん、聞いてよ・・・実はね、今日、後期の学級委員決めがあったんだ。それでね、私、学級委員に立候補したんだけど―――」

 そこまで言うと、彩は、ただでさえ怒りで真っ赤な顔を、爆発しそうな程赤くして言った。

 「皆、私に向かってなんて言ったと思う⁉ 「お前には向いていない。」とか、「やめた方がいい。」とか、全員が否定してきたんだよ! ひどいと思わない⁉」

 「・・・そりゃ、確かにひどいな。」

 うんうん、頷き返す祖父であったが・・・正直に言うと、クラスメイトたちの意見に賛同していた。

単刀直入に言うと、彩は学級委員に向いていない。なにせ、これと言って特出した点がないのだ。五教科の成績は、どう贔屓目に見ても、優れているとは言えない。むしろ、下から数えた方が早いくらいである。おまけに、極度の運動音痴であり、体育の成績が良くないことも、火を見るよりも明らかだ。それに、普段生活態度を見ていても、いろいろな所でだらしのなさが目立ち、とてもリーダーシップを取れそうとは思えない。―――もちろん、本人はそれに気づいているのだが。

「あ~あ~。学級委員、なりたかったなぁ~。」

彩は無造作にスクールバッグを放り、四肢を投げだして畳の上に仰向けになった。

 大きな窓の外には、見渡す限りの蒼穹が広がっている。

 何処までも青く澄んだ午後の空を、、面白みのない白い《雲》が流れてゆく・・・

 「―――私ってさ、《雲》みたいだよね・・・」

 「ん?」

 ふと、彩の口から洩れた言葉に、祖父は怪訝そうに顔をしかめる。

 「だってさ・・・私、何の特徴も個性もないんだもん。私を私たらしめる《色》ってゆーかさ・・・ほら、《雲》も白いでしょ。なんてゆーか、《赤》とか《青》みたいに、人の目を引き付ける色じゃないじゃない。」

 ―――確かに、そう言われてみれば、そうかもしれない。

 《赤》という色は人に情熱を与え、《青》という色は冷静さや落ち着きを与える。もちろん、《白》という色にも、何処か冷たさを感じさせるという、色としての効果はあるのだろうが・・・この状況では、言うが野暮だろう。

 《白》という色は、見る人によっては【無】を連想させる色にもなり得る。

 「―――それにさ、《雲》は風の流れに抗えない。私もそう・・・みんなの意見に、反論できなかった・・・」

 ―――いつの間にか、心を焼き焦がす憤怒は、心を冷たく満たす悲哀へと変わっていた。

 (そうか・・・《雲》か・・・)

 祖父は神妙な面持ちで、思案に耽る。

 ・・・どうしたら、彩ちゃんは元気になるのだろうか? 立ち直ってくれるのだろうか?

 ―――ここで、「彩には、ちゃんと特徴があるよ。」と言っても、「具体的に?」と返されたらまずい。誠に愚かしいことであるが、十三年間も傍で見ておきながら、彩の性格はよく理解していたが、特徴に関しては、何一つ見つけられなかったのだ。(強いて言えば、器量が良いことであるが、そんな外見の特徴を伝えても、何の慰めにもならないだろう。)

 故に、別の手段で立ち直ってもらうしかない―――

 (《雲》みたい、か・・・ッ! そうだ!)  

 閃いた。素晴らしい考えを。

 (彩ちゃんは、自分を《雲》みたいだと揶揄した。なら―――)

 ―――一つだけ、手段があった。

 (《アレ》をみれば、彩ちゃんもきっと元気を取り戻してくれるはずじゃ!)


 ~~~おじ・・ちゃん? ・・・お爺ちゃんっ!

 「⁉」

 数時間前の出来事へはせていた意識が、現実へと戻された。

 「どうしたの? なんかぼ~っとしてたよ。私の世にかけにも、ぜんぜん応えなかったし。」

 「すまんのう。少し、考え事しちょったわ。」

 「ふ~ん。」

 祖父は、ちらっと空を流し見る。

 (ほぅ、そろそろ頃合じゃな・・・)

 祖父はしわの刻まれた頬を僅かに吊り上げ、彩へ話を切り出した。

 「なぁ、彩ちゃん。彩ちゃんはさっき、自分のことを、《雲》みたいって言っとったなぁ?」

 「え? うん、そうだけど・・・」

 突然の質問に、彩は目を白黒させる。

 「じゃろぅ? つまり、《雲》もまた、《彩ちゃんみたい》ということに等しいはずじゃ。ということはじゃ・・・今見える《雲》も、彩ちゃんみたいってことじゃ。」

 「え?」

 拍子抜けして、反射的に、祖父の目線の先―海の方を振り返り、空を見上げて・・・

 「ッ⁉」

 ―――息を飲んだ。

 橙色と紺色のグラデーションが鮮やかな西の空に。

 沈みゆく陽の光を浴びて、美しく照り輝く《雲》が、空を泳いでいた。

 そう。祖父は、彩にこれを見せたかった。

 先程からちらちらと空を確認していたのは、《雲》が最も美しく照り輝く瞬間を見つけるためだったのだ。

 ・・・赤、桃、橙、青、紫・・・

 真っ白な画用紙にクレヨンで色を塗ったがごとく、鮮やかに。

 雨上がりの空にかかる虹のように、淡く。

 これを、《たかが日に照る雲》とあざ笑うことなかれ。

 陽が沈んでいくにつれ、その雪のように真っ白な体に纏う極彩色の衣は、ゆっくりと色を変えてゆく。

 事ここにあり、彩の心は、陽光に彩られてた《雲》に、心奪われてしまっていた。

 ―――やがて、日は、完全に水平線の彼方へ姿を消した。

 あとに残ったのは、えも言われぬ感動と、《雲》から彩が消えた儚さだけ。

 「どうじゃった? 綺麗じゃったろう?」

 彩が《雲》を見ている間、ずっと黙っていた祖父が、おもむろに口を開いた。

 「うん・・・」

 彩は、未だ感動冷めやらぬ表情で、言葉を漏らした。

 「今のみたいな、朝日や夕日に照る《雲》のことを、《彩雲》と言うんじゃ。」

 「さいうん?」

 「そうじゃ。彩ちゃんの《彩》と《雲》で、《彩雲》じゃ。普段目立たない、一見何の特徴もない白い《雲》でも、人々の目線を釘付けにするほど美しい姿へと変身する。それは、人間とて同じことじゃ。」

 「人間とて・・・同じ・・・」

 彩は、祖父の言葉を反芻する。

 「そうじゃ。今、特に特徴がないからと言って気に病む必要はない。ゆっくりと、時間をかけて、自分の個性を探していけばいいんじゃ。じゃから、彩ちゃんも、これからの人生で自分の得意なことを探して、《彩雲》のように、一目置かれる人間になりなさい。」

 そんな、朗々と告げられた祖父の言葉に、

 「うん!」

 彩は、元気良く返事をした。

 「おじいちゃん、ありがとう。おかげで、何かすっきりした。」

 「それは、良かったわい。」

 祖父は、にっこりと笑みを返す。

 ―――ざっぱぁん!

 一際大きな波が、岩にあたって砕け散る。

 ・・・その音は、とても心地よかった。






                                      果 一

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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