第七話 出会った二人
玄関を入り、目の前の廊下の突き当りを右に。
そのすぐ右手に見える引き戸を開けると、そこには畳の敷き詰められた居間があった。
「よいしょっと……ふぅ。
アルコ、そこの座布団使っていいから適当にくつろいでおいてくれ。
俺はお茶と飯の用意するから」
居間と隣り合うように造られた台所へ向かい、一度荷物を下ろすと、お茶などの用意をし始めた。
その手際は良く、かなり手慣れているのがわかる。
それもそのはず、幼少期から今に至るまで家を空けることの多かった親に代わって家事をすることが多く、中学時代が寮生活だったことも少なからず影響しているからだ。
「はーい。 それじゃそうさせてもらおうかしら」
返事をしながら、アルコは壁際に置かれた座布団の山から二枚を手に取る。
居間の真ん中辺りに置かれた背の低いテーブルの傍に座布団を置き、もう一枚は対面へ。
そして、廊下側の壁を背にする形で座った。
「……というか、ホントに手伝いしなくていいの?
さっきも言ったけど、手伝いくらいするわよ?
私だってあっちにいた頃は家事とかやってたわけだし、出来ないわけじゃないんだから」
荷物持ちは遠慮されてしまったが、家事くらいは手伝いたい。
そんな思いで再度アルコは手伝いを申し出たのだが、
「だーかーらー、今日のところはお客さん扱いされてろって。
せっかく久しぶりに会ったんだ、多少なりと持て成すくらいはしないとな」
やはり冬次はそれを良しとしない。
持ち帰った食材や飲み物などを冷蔵庫へと入れる手を止め、アルコの方へ振り返った彼の顔には、何度も言わせるなとでも言いたげな表情が浮かんでいた。
「そんなの別に気にしなくていいのに」
「ちげえよ、俺がやりたいんだっての。
だからアルコは大人しく座って待ってろ」
あくまでもアルコをお客さん扱いしたがる冬次。
十年ぶりの再会だ、せめてこれくらいのことはしたい。
自分には大したことが出来るわけではないし、そこまで気の利いたことが言えるわけでもない。
だからこそ、冬次は今回だけは譲ることが出来なかったのだ。
「むぅー……わかったわよー。 大人しく待ってまーす」
モチモチとした頬を膨らませ、アルコはテーブルにぺたりと顔をつけて不貞腐れたような態度をとる。
そんな姿をチラリと横目で確認し、冬次はクスリと笑みを零すと、
「おう、ちゃちゃっと済ませる」
止めていた手を動かし始めた。
広い屋敷の中には冬次とアルコの二人だけ。
そのため、静かにしていると食材を切る音やお茶を湧かす音、時計の針が動く音などがよく響く。
それ以外に聞こえてくるのは、カラスや猫などの動物の鳴き声や木の葉が擦れる音のみだ。
居間との間には障子があるためにアルコの座る場所から外の様子は確認できないが、既に辺りは暗くなっており、太陽に代わって月が顔を出し始めている。
住宅街に並ぶ街灯たちは淡い光を放ち、道行く人々を照らすことに精を出していることだろう。
そうなればもちろん、仕事をしているだろう冬次の親は帰ってくるはずなのだが……誰も帰ってくる気配は無い。
「ねえ、トウジ」
未だ自分たち以外の姿が無いことに疑問を持ったため、アルコは調理の邪魔になるかと思いつつも声をかけた。
「ん? どうした?」
先ほど切った材料などを入れた鍋をかき混ぜつつ、冬次は聞き返す。
「あのね、冬次のご両親っていつ帰ってくるの?
ちゃんとご挨拶くらいしたいし、その前にその……心の準備とかしたいのよね。
ほら、私って冬次のご両親に会うの初めてじゃない? だから、ね?」
「ああ、そういうことな。 えーっと、ちょっと待てよ」
念のため火を止め、ポケットから《IRIS》を取り出した。
ホーム画面にはインストールされているたくさんのアプリたち。
カメラやブラウザ、カレンダー、マップといった基本的なモノから、SNSゲーム――つまりはソシャゲなどという略称で呼ばれるモノまで多種多様なアプリがあった。
そのアプリ群の中から、目当ての《CONNECT》というメッセージアプリをタップし、父親からの返信を確認する。
「お、珍しくもう返信来てるわ。
えーっと……何々、『まだ仕事が残ってて今日は帰れそうにない。 それとお前の友人だっていう……アルコちゃんだったか? 詳しい事情はわかってないが、帰る家が無いっていうなら住んでもらったらいいだろう。 部屋は余っていることだしな。 ……ま、アルコちゃんさえ良ければだが。 とりあえず、後はお前に任せるよ』だそうだ。
ふむ。 今日は帰ってこれないみたいだな、父さんのやつ」
そう言って《IRIS》を仕舞おうとすると、スクロールバーがまだ少し下へと伸びていることに気付く。
(ん? まだなんかあるのか?)
疑問を抱き、冬次はスクロールバーを下へを下げていく。
すると――
『あ、一応言っておくが、俺が居ないからってハメを外し過ぎるなよ?
そういうのはもっとお互いを知ってからだ。
な・の・で。 何とは言わないが、階段を駆け上がるようなことの無いようにな~。
以上、お前の偉大なる父より』
(……あのクソ親父がぁあああああ!! 何トチ狂ったこと言ってやがる! 殴り飛ばしてえ!)
感情を振り切らせる父の余計な言葉により、冬次は静かに怒りの炎を燃やした。
「ど、どうかした? なんだか今、妙に殺気立った気がするけど」
――はずだったが、隠しきれてはいなかったようだ。
アルコに心配されてしまうほどの表情を浮かべてしまっていたらしい。
冬次はすぐさま誤魔化すように言葉を紡ぐ。
「あ、ああ……いや、何でもない。
とりあえず、父さんは今日は帰ってこられないみたいだ」
「ふーん? ま、何でもないならないでいっか」
聞かれたくなさそうな空気を感じ取ったのか、それともただ面倒だったのか。
どちらにせよ、アルコは冬次のおかしな態度については一切言及することがなかった。
実にありがたい。 あんな内容、聞かれても話せなかった。
というか、絶対に話したくない。
そんな気持ちが渦巻いていたからこそ、冬次は心底安心したように胸をなでおろした。
「それにしても、そっかぁ。
出来れば今日のうちに、と思ってたんだけど……お仕事が忙しいなら仕方ないわよね。
確か、境内でトウジが電話してた虹魔局ってとこのお偉いさんなんだっけ?」
言葉とは裏腹に、若干ほっとしたような、残念そうな、そんな微妙な感情がアルコの表情に現れていた。
それも仕方のない事だろう。
いくら彼女が元妖狐であっても、人間で言えば見た目通り十代半ばの歳に該当し、精神年齢も同様に若い少女だ。
そんなごく普通と言っていい少女ならば、初めて会うことになる友人の親との対面に緊張しない、ということはほぼ無いはず。
だからこそ、アルコは事前に冬次の親について少しでも知っておこうと考えたのである。
「お偉いさんって……まあそんなに間違ってるわけでもないのか。
実際、戦闘能力の高い人で構成されているっていう虹魔局内でも、"筆頭執行官"なんて呼ばれてる人だしな」
そう言いながら《IRIS》をポケットに仕舞い、冬次は途中だった調理を再開する。
「筆頭執行官?」
聞き覚えの無い言葉に首をひねるアルコ。
彼女に聞き覚えが無いのも当然だ。 筆頭執行官を始めとした、魔法執行官という存在自体、アルコが姿を消した後に生まれたモノだからである。
「ああ。 簡単に言えば、より高い戦闘能力を持った、特殊な事件を主に担当する魔法捜査官ってとこか。
その中でもウチの父さんは、日本最強の領域顕現者にして、対魔獣戦闘のみならず対人戦闘のエキスパートとしても知られてる最強の剣士だな。
他者の追随を許さないほどに卓越した剣の技量や、基本的に一人につき一つなんて言われてる心域兵装を二つも持っていて、そのどちらもが鮮やかな緋色であることから――《緋の剣聖》なんて呼ばれてる人だよ」
――《緋の剣聖》。
冬次の父にして、剣の師匠でもある人物。
本名を桜ノ宮紅次と言い、その実力は世界最高の魔法使いと呼ばれる《七賢人》と同等か、それ以上と噂される人物。
とはいえ、それは魔法に限定した話だ。
彼の剣技を含めた総合的な戦闘能力を考えるならば、七賢人以上は間違いない。
事実、過去に非公式に行われた七賢人との決闘において、かの剣聖は己が極めた剣技を以て行使された魔法の全てを斬り裂き、焼き払ったという。
そんな非公式の情報に加え、その剣技の冴えを身を以て知っている冬次からすれば、父は憧れの存在であり、いつか超えるべき武の至境に位置する人物だ。
(ちょっとズルい部分もある気はするが、それがおまけ扱いなのがウチの父さんだしなぁ……まったく、いつになったら超えられるんだか……)
鍋の中の味噌汁をかき混ぜながら、冬次は内心でそんなことを思うのだった。
「な、なんか聞いてる感じだと、とんでもない人みたいね。
……大丈夫かしら、私。 会ったらバッサリ斬られたりとかしない?
ほら、私って一応異世界人だし、不法侵入者みたいなものだもの」
冬次の父が思っていた以上の人物であることが判明し、アルコは全く以て心穏やかではいられない。
緊張やら不安といった感情に影響され、白く綺麗な指先がカタカタと微かに震えてしまっているほどだ。
「いやいや、さすがにそんなことにはならねえだろ。
心配しなくても大丈夫だって。 そんなに怖い人じゃないさ。
そうだな、どちらかっていうと……気さくな人って感じじゃねえか?
稽古の時は鬼にしか思えなかったが、それ以外じゃ親しみやすい感じの人だと思うぞ」
「そ、そう? うぅ……だとしてもちょっと不安ね。
聞くんじゃなかったかしら。 ちょっと怖くなってきちゃった。
だから……会う時は一緒に居てね? 一人じゃ心細いもの」
不安な様がありありとわかる声音と口調で、アルコは心細そうに懇願する。
なんとも庇護欲をそそられる頼み方だろうか。
これはズルい。 ハッキリ言って最高に心揺さぶられる一撃だった。
冬次はそんな可愛らしい頼み事に、少しの照れを顔に滲ませつつ首を縦に振る他無かった。
「……はぁ……ったく、わーぁったよ。
もちろん、そん時はちゃんと一緒に居てやるから安心しろ、な?」
「うん、お願いね」
「おう、任せとけ」
そうして数分後。
冬次の作っていた料理たちがようやく完成し、彼らは空腹状態の腹を満たすのだった。