第六話 出会った二人
戦闘痕が残る境内を後にした冬次とアルコ。
二人は階段を降りた先にある商店街で買い物を済ませた後、三十分ほど歩いた場所に存在する冬次の自宅――狐守市南方の住宅街、その一角へと向けて歩いていた。
辺りは茜色を帯びた光に照らされ、時折吹く風は少しばかりの冷たさを持っている。
周りを見渡せば、帰宅すべく急いでいると思われるスーツ姿の男性や冬次のように買い物袋を腕に提げた和装姿の上品な女性の姿が見え、建ち並ぶ家々からは空きっ腹に響く良い匂いが漂ってきていた。
そんな中、周りへと視線を泳がせていたアルコは、隣を歩く冬次へ話しかける。
「……ねえ、やっぱり重いでしょ、荷物。 一つくらい、私も持ってあげるわよ?」
そう言いながら、アルコは冬次の持つ荷物へと手を伸ばす。
だが冬次は、
「別にいいよ、俺が持つから。 コレ、意外と重いしな」
軽い動作で躱し、アルコから荷物を遠ざける。
空を切った手を見つめ、アルコは少しムッとした表情を見せた。
しかし、アルコを気遣ってのことだということは何となく彼女自身わかっていたのだろう。
「でも、やっぱり悪いわよ。 これからお世話になるのに手伝いもしないなんて」
申し訳なさげに表情を変え、仕方なく行き場を無くした手を引っ込めた。
「別にいいだろ、そんなの気にしなくて。
俺はもちろん、ウチの父さんだって別に気にしないだろうさ。
それに、こういう力仕事は男がやるもんだろ? だから気にしなくていいぞ」
「むぅ……」
白く柔らかそうな頬をぷくっと可愛らしく膨らませたアルコ。
不満げだが、その表情にはそれ以外の感情が見え隠れしている。
照れ、なのだろうか。 それとも、喜びだろうか。
どちらにせよ、悪い感情だとは冬次には感じられなかった。
彼女の纏うそれは負の感情ではなく、どちらかと言えば正の感情だ。
恐らく、一人の女性として扱われているという点と、調子の悪い自分を気遣ってくれているという二つがそうさせているのだろう。
(……ふむ。 こういう顔もやっぱり可愛い。 昔もそうだったけど、美人さんはズルいねぇ、まったく)
言葉にはしないが、やはり自分の友人は贔屓目の有無に関わらず可愛らしい見た目だと思う冬次。
実際、アルコの見た目の良さが原因で、冬次は両手に荷物を抱える破目になったのである。
『おう、嬢ちゃんえらい別嬪さんやなぁ。 これおまけしとくし、冬次くんと分けっこして食べやー』
などと言われ、あらゆる店でアルコの可憐な容姿が猛威を振るった。
その結果、両手の袋には買った物よりももらった物の方が多いのではないかと思うほどの品々が詰められている。
これもひとえに、この狐守の地が人情味溢れる土地柄であることと、冬次が昔からよく狐守商店街に顔を出していたために馴染みの客として覚えられており可愛がられていた、という理由があったからだ。
良くしてもらえるというのは非常にありがたいことではあるのだが、少々過剰にすぎる。
とはいえ、遠慮しすぎるのも返って失礼になってしまう。
それ故の現状、というわけなのであった。
「そうむくれるなって。 そんなに気になるなら、別のこと手伝ってくれたらいいからさ。
ま、どちらにしろ、今日のところはとりあえずお客さん扱いされてろって。
重いとはいえ、こんなのでへばるほど柔な鍛え方はしてねえしな」
そう言って食材やら飲み物やらがたくさん入れられた、いかにも重そうな袋を掲げ、問題ないといった風に力こぶを作ってみせた。
頼もしくはあるのだが、アルコからすれば、これから家に厄介になるというのに何も手伝いが出来ていないというのは実に歯がゆい状況だ。
だが同時に、そんな冬次の気遣いを有り難いとも思っていた。
こちらに来てからというもの、何故か力に枷でもかけられているかのように体が重く、鞄世界にいた頃とは比べ物にならないくらい術の出力も落ちている。
先の魔獣との戦闘も、本来であれば、冬次だけに任せるなどという情けない事態にはならなかったはずだ。
いったい原因は何なのか。
地球世界と鞄世界での環境の違い――空気が合わないだとか、そういうことだろうか。
しかし、自らを一人前の術者として鍛え上げてくれた師匠は、そんなことなど欠片も口にすることはなかった。
いや、あの意外と抜けているところがあったりする師匠だ、単に言い忘れていただけかもしれない。
彼女はそういう性質の人物だったと、アルコは記憶している。
こうして自身の力の減退に関して思考を巡らせるうち、アルコは自らの師の姿を思い出し、疲れたように肩を落としてしまう。
「お、おい。 大丈夫か? 力も出しづらいとか言ってたし、やっぱり体調悪かったりするのか?」
返事もせず、いきなり黙り込んだかと思えば、肩を落として哀愁を漂わせ始めたアルコ。
そんな姿に思わず、冬次は心配そうに声をかけていた。
「え? あ、ううん。 ごめんごめん。 ちょっと考え事しちゃってただけよ。
体調自体は全然問題ないわ。 ごめんね、心配させて」
謝りつつ、にっこりと笑顔を浮かべて体調が悪くないことをアピール。
嘘は言ってないし、体調は本当に問題ない。
強いて言うなら、お腹が空いているくらいのものだろう。
……実はお腹が鳴っても冬次に聞こえないように、こっそりと妖術で防音用の結界を小規模展開しているのは内緒である。
「そうか? それならいいが、しんどかったらちゃんと言えよ?
病院……は、ちょっとマズイか? ま、とりあえず、知り合いの医者に連絡取ってやるからさ」
妖術自体に馴染みが無いためか、術を使っていることに気付く様子は全くなく、ただただアルコの身を心配している冬次。
彼の口調や雰囲気、立ち居振る舞いなどは、十年という長い時間を経ることでずいぶんと変わっている。
声は低くなり、頼りなかった背中からは頼もしさを感じられるようになった。
魔獣との戦闘時に見せた動きからも相当鍛えているのがうかがえた。
だが、アルコの記憶にある過去の冬次と変わらない部分もあった。
それが、他人を思いやる優しさだ。 これだけはあの頃から全く変わっていない。
やはりどういう成長をしようとも、冬次は冬次なのだと感じ、アルコの顔から自然と笑みが零れる。
「ふふっ、トウジったら心配しすぎよ。 でも……ありがと。
その時はお願いするわね」
「おう、任せとけ――っと、話してる内に着いたな」
力強く返事を返すとと共に、冬次は歩みを止めた。
その瞳は、まっすぐに目の前に立ちはだかった大きな壁――木製の門へと向いている。
しかし、アルコは直前まで考え事をしていたこともあり、周りの状況を把握し損ねていた。
故に、
「あ、ようやく? じゃあここが――え?」
視界に広がった光景に言葉が詰まった。
しかし、それもほんの少しの間だけ。
「……え? ホ、ホントにここなの!?」
驚きの声を漏らし、元々ぱっちりとした丸い瞳はさらに大きく開かれた。
アルコの視界一面に広がるのは、冬次が見つめる木製の大きな門。 そして、それに連なって伸びる白く塗られた塀の姿。
背が百五十五センチメートルほどと低いアルコには、余計に大きく感じられる。
そんな塀の向こうからは背の高い木が見え、枝の先には桜の蕾がいくつも付いていた。
それは冬次が百七十五センチメートルくらいであることを考えてもなお高く、その威容は近隣の住宅たちと比べ抜きんでており、広大な敷地面積を誇っているだろうことは容易に窺える。
「ああ、ここが俺ん家だ。
まあ敷地は広いし、建物とかはちっと古いかもしれないが、普通の家だよ」
「いやいやいやいや。 これで普通は無いでしょ。
これで普通だったら周りの家はどうなるのよ」
全くこれっぽっちも騒ぐ必要性など無いとでも言わんばかりの冷静さで、冬次は淡々とした口調で語る。
だが、どう考えても大きい上に広い。
これが一般的などと言ってしまえば、周りの家は倉庫か何かなのかと言いたくなるほどだ。
「いやー……あはは。
つってもなぁ。 そうは言っても、実際中身はそう変わらんぞ?
ただ単に古くから続く家ってだけだよ。 ま、あんま気にすんな」
中学時代の三年間、目の前にある家――屋敷を離れていたとはいえ、冬次にとっては住み慣れた場所。
当然のように言っているが、居住スペースである母屋の他に、桜ノ宮一刀流の道場として使われている建物や色々な道具などを仕舞っている土蔵がある。
それでもなお敷地には空きがあり、大きく開かれた中庭が存在する。
どう考えても普通というには逸脱しているだろう。
「そ、そう言われてもねぇ……正直、この辺で一番大きくない?
なんていうかオーラが凄いし、もはやただ単に家って言うより、お屋敷って言った方がしっくりくるわよ?
え、何。 トウジって、結構良いトコのお坊ちゃんだったの?」
初めて訪れた冬次の自宅。
そのあまりにも他を圧倒する威容に、驚きを隠すことすらできない。
まさか冬次の自宅がこれほどまでに立派な建物だったとは考えてもいなかった。
それ故にアルコは目をぱちぱちと瞬かせ、唖然とした表情で見つめ続けている。
「別にそういうのじゃねえよ。 今さっき言ったろ、古くから続く家ってだけだ。
まあ、武術を修めてる連中には特に有名な家の一つだが」
「武術を修めてる人には有名? ……あぁ、そういうことか。
魔獣と戦った時に使ってた剣技ってのが、冬次の家が受け継ぐ流派の技とか、そういうことね?」
「察しが良いな、そういうことだ。
――桜ノ宮一刀流。 それがウチで代々受け継がれている流派の名前だ。
ま、言っちゃアレだが、そのままだからわかりやすいだろ?」
「なるほどねー」
納得したように頷き、アルコは物珍しそうに遠くまで続く白い壁を眺める。
「さてと。 ここでいつまでも話しててもしゃーないし、家ん中入るか。
ちっと肌寒くなってきたから温かいお茶でも入れよう」
冬次の言う通り、辺りは次第に茜色から暗い色へと変化し始めていた。
街中を通り抜ける風は暗くなるにつれ、ひんやりとした冷気を運んでいる。
夜の帳が完全に下りるまで、さほど時間はかからないだろう。
「そうね。 荷物も重たいだろうし、早く入りましょ」
二人は門をくぐり、母屋の玄関まで続く石畳の上を歩いていく。