第四話 出会った二人
ドスンッ! と大きな地響きを起こして現れたのは、二メートルはあろうかという大きさの魔獣。
シベリアンハスキーと似た、狼を想わせる精悍な顔貌をしており、陽光に煌めく銀の毛並みは滑らかに揺れている。
前後合わせた計四本の足の先には、剣と見紛うほどに鋭く研ぎ澄まされた長い鉤爪。
銀に輝く毛皮の下には隆起した逞しい筋肉の鎧を着込んでおり、体の内からは猛る魔力が波動となって周囲へと広がっている。
獰猛さだけで形作られたかのような鋭い眼光は、まっすぐに冬次を睨み付け、口元はニヤニヤと笑っているかのように歪められていた。
そんな魔獣が――四体。
(アルコを抜いて一対四……ね。 ま、この程度の戦力差、どうにかしてみせようじゃねぇか)
「グルゥァアァアアアアアアア!!」
再度、目の前の魔獣は吠える。
まるで冬次たちを威圧するように。
「ふぅ……弱い奴ほどよく吠える。 つってね」
まったく堪えた様子もなく、冬次は呟く。
お前らなんか敵じゃない。 雑魚が群れたところで無駄だ。
そう、言外に示しているかのような不遜な態度で。
「アルコ、お前は下がってろ。
俺が相手をする。 いいな」
研ぎ澄まされた氷の刃。
それが今、冬次が纏う雰囲気を言い現わすに相応しい言葉だろう。
その声は先ほどまでよりも一際低く、底冷えするような痛々しいまでの冷気を放っていた。
「……ッ! う、うん! わかった!」
様変わりした冬次の雰囲気に一瞬呑まれたアルコ。
その姿を尻目に冬次は駆け出し、
「《IRIS》――速度強化」
ポケットに仕舞った起動状態の《IRIS》に命令を下す。
《IRIS》は搭載されている生体情報の認証・同期システムを用い、術者が脳裏に想い描く魔法と同質の魔法を即座に構築。
同期情報を基に最適化された上で構築された魔法は、黒灰色の光の帯となって体の周囲へと展開され、纏わりつくようにして覆っていく。
光の帯は冬次の体に染み込むようにして姿を消し、地を駆ける速度がグンっと加速された。
《IRIS》に備わっている戦闘補助システムが使用者の想像に呼応して発動した、身体強化魔法が効いている証拠だ。
《速度強化》。
数多くある魔法の中でも、時属性と呼ばれる、対象の時間に干渉する性質を持つという属性を使用した強化魔法。
時間への干渉などとは言っても、やっていることは《瞬間移動》や《空間転移》といった大げさなモノではない。
というより、そんなモノは魔法技術が発達した現代においてさえ、今のところ存在していない。
出来ることはせいぜいが若干の時間短縮くらいのものだ。
つまり、この魔法で行っているのは結果的な時間の短縮であり、その結果を得るための身体能力の底上げでしかない。
それ故、先ほどの《瞬間移動》や《空間転移》のような一瞬にして距離を詰める、といったことは本来できないはず。
しかし、冬次の技量を以てすれば――
「――肆ノ太刀 閃迅雷華」
――それに迫る速度を出すことは可能だった。
瞬間、冬次の姿が掻き消える。
否、掻き消えた、そう見えるほどに疾く、鋭く、魔獣の身体を斬りながら駆け抜けたのだ。
《閃迅雷華》。
冬次が修める桜ノ宮一刀流の剣技の中でも、最高の移動速度を誇る技。
幼い頃から鍛え続けてきた肉体の性能、そして身体強化によるブーストが可能にする神速の絶技である。
斬り刻まれた魔獣の体、その四肢は見るも無残な姿だ。
鋭い剣爪を備えた力強い前足は体から切り離され、逞しく太い筋肉の鎧を付けた後ろ足も分かたれている。
四肢を刻まれ、体を支えることが出来なくなったその巨体はバランスを崩し、地面へと叩きつけられるようにして倒れ伏すしかない。
その一連の行動に、斬り刻まれた当人である魔獣さえ認識が追いつかず、他の三体の魔獣さえも動くことが出来なかった。
そうして冬次の剣技によって体から分かたれた魔獣の四肢は、淡く煌めく光の粒子となって空へと溶けていき、
「グルゥ、ルアァァアァアアア!!」
ようやく事態を認識した魔獣が、泣きわめくように、怒り狂ったように叫んだ。
その血走った鋭い眼光は、自らの体を斬り裂かんと切っ先を向けている冬次に射貫かんばかりに向けられている。
しかし、それに動じるような男であるはずもなく。
「悪いな。 お前に恨みはないが――消えてくれ」
言葉と共に冬次の姿は掻き消え、再び姿を現したかと思えば。
その姿は先ほどと同じ魔獣の正面――最初に立っていた場所にあり、既に太刀が振り抜かれた状態だった。
一瞬遅れて身体が斜めにずれ、大きな音を立てて地面に落ちると、魔獣は断末魔の悲鳴すら上げることなく消滅した。
(……妙だな、見た目に反して反応速度が思ったより遅いぞコイツら。 とはいえ――)
「まずは一体。 さあ、次行くぞッ! 魔獣どもッッ!」
視界の先では残り三体の魔獣が鋭い眼光で睨んでいた。
「グルゥァアアアアア!!」
仲間を殺された怒りからか、強い殺意を乗せた叫びと猛り狂う魔力の波動が飛ぶ。
そして叫ぶと同時に全ての魔獣が冬次に飛びかかり、その鋭い鉤爪を振りかぶってくる。
冬次は三体を視界に収めたままバックステップで下がり、迫りくる凶刃をかわす。
飛び去った冬次の前方で地面がその刃の如き鉤爪の一撃を受けて深い溝を作った。
削られた地面の砂利は舞い、視界は薄っすらと遮られる。
目に入ってしまえば無防備に体を晒し、魔獣たちに攻撃される隙を作ってしまいかねない。
そんな状況に陥らないよう、冬次は魔力を《蒼之守夜桜》へと纏わせ、高速でその蒼き刃を振るうことで斬撃を飛ばし対処する。
速度の乗った魔力の斬撃たちは宙を駆け、魔獣へとまっすぐに飛翔。
それはさながら、風を生み出しながら飛ぶ斬撃の絨毛爆撃と言ったところだ。
空を舞う細かな砂利たちは鋭き斬撃に吹き飛ばされ、斬撃はそのまま魔獣を肉体を裂くべく直進する。
だが、魔獣たちもただ佇み、待っているだけではない。
隆起した筋肉に覆われた前足から繰り出された必殺とも言うべき剣爪が、飛翔する斬撃を斬り殺した。
霧散した斬撃はただの魔力となって空へと還る。
先ほどの一撃もそうだが、こんなモノを喰らってしまえばいかに領域顕現者といえど重症は免れない。
(あぶねぇ。 思ったより能力が低そうとはいえ、さすがは魔獣。 威力はなかなかのモンだな。 ……ま、それでも父さんの方が恐ろしいとは思うがね)
目の前の魔獣以上……いや、比べるのも烏滸がましいほどの実力を有する父の姿を思い出し、軽く身震いする冬次。
その姿を好機と感じ取ったのか、一体の魔獣が冬次目がけて疾駆する。
冬次は刀の切っ先を魔獣に向け、先ほどと同じように素早く駆け出す。
駆ける魔獣と迎え撃つ冬次。
両者の影は交わり、襲い来る魔獣の真横ギリギリで避けた冬次の太刀が、その皮膚を斬り裂いて深い傷痕を刻み込む。
すぐさま二の太刀を浴びせ、左右から迫っていた魔獣たちの鋭く尖った牙の一撃を上に跳んでかわす。
途端、魔獣たちは勢いを殺せずに激しくぶつかり合った。
「グルゥァァアア!? グガァアアアア!」
互いに強かに頭を打った魔獣たちは頭を振り、見失ってしまった冬次の姿を探している。
その姿は既に空中には無く、魔獣のすぐ足元にあった。
太刀を持った右手は限界ギリギリまで引き絞るようにして構えられており、凄まじいまでの気迫が冬次を包んでいる。
「さあ、次は二体同時だ。 ――肆ノ太刀 閃迅雷華」
静かなる声が戦場に重く響き、冬次の姿が消える。
その速度は未だ衰えを知らず、むしろ先ほどよりも若干速い。
境内を疾く駆け、冬次は二体の魔獣の足を斬り刻む。
振るわれた蒼刃は全く抵抗を感じていない。
滑らかに魔獣の体を裂き、その鋼の如き肉の鎧を斬り刻む。
移動速度も目を見張るモノと言えるが、何よりも太刀の振るわれる速度が尋常ではない。
事の成り行きを見守るアルコからすれば、全く、これっぽっちも、微かにも見えていないほどだ。
(な、何よこれ……今のトウジってこんなに強いの!? あの可愛らしかったトウジはどこいったの!?)
内心でそんな感想を抱いていたアルコ。
こんな余計とも言えることを考えていられるのも、冬次が魔獣を一身に引きつけているからこそだ。
しかしそんなアルコに、冬次と戦っているはずの三体の魔獣、その残された一体の凶刃が迫っていた。
「グルゥゥアアアアアアッッ!!」
妖術によって結界を張っているアルコへと駆け出し、鋭く尖った鉤爪を振るう。
「させるかっ!」
冬次は地に倒れ伏す魔獣たちを放置し、自らが出せる最高速度でアルコが張った結界と鉤爪の間へと割り込んだ。
魔獣の振るった鉤爪の一撃は割り込まれた蒼き太刀に阻まれ、その腹によって受け流される。
しかし、魔獣の力、その勢いは非常に強い。
故に、殺し過ぎずに受け流された凶刃が大地をえぐり、地面に深いクレーターを作った。
砂塵は空を舞い、目の前には凶悪な面構えの怒りを孕んだ魔獣の顔面が視界一面に広がっている。
(厳つい顔してやがんな、クソ野郎がッ。 アルコに手ぇ出してんじゃねえよ!)
「悪いアルコッ、大丈夫かッ!?」
バックステップで距離を取った魔獣から目を離さず、太刀の切っ先を向けて対峙しながらアルコの無事を確認する。
「だ、大丈夫! ちょっと驚いたけど、結界もあるから砂埃一つ被ってないわ!」
結界を張り、魔獣の動きに警戒していたとはいえ、多少の驚きを抱いていたアルコ。
力が出しづらいと言っていたのは本当らしく、言葉とは裏腹に、結界を維持しているその表情はどこかつらそうにも見える。
「了解だ。 悪いがもう少し頑張ってくれ。
――すぐに終わらせるッ!」
魔獣へ向かって疾駆し、未だ健在なその肉体を斬り裂くべく太刀を振るった。
刃は蒼い軌跡を描き、避けようと動く魔獣を執拗に追いかけ、鍛え上げられた筋肉の鎧に傷をつけていく。
幾重にも描かれた蒼き斬撃は魔獣の体を裂き、裂かれたところからは血しぶきが飛ぶ。
地面には血だまりがいくつも作られ、境内は紅く染まっていった。
そこへ残り二体の魔獣が傷ついた体を無理やり動かし、勢いをつけて空を駆けてくる。
口は大きく開かれ、その瞳には冬次の体を喰らってやるという強い意志の焔が宿っていた。
(そう簡単にやられてたまるか、ド阿呆が!)
魔獣をひと睨みし、冬次は内心でそう吐き捨てる。
すると太刀を素早く鞘へと納め、溢れ出る殺気を乗せた一撃を、
「そんなに喰らいたきゃ、思う存分喰らうがいいッ――壱ノ太刀 桜花ッ!」
幾重にも残像を創り出すほどの凄まじい速度で抜き放った。
魔獣たちの命を刈り奪るべく放たれた斬撃の数は、実に十八。
抜刀から納刀までの速度が異様なまでに速く、いつ抜いたのか、いつ納めたのかすらも認識できない程の神速の抜刀術。
それこそが桜ノ宮一刀流始まりの技にして、一度の抜刀で六度の斬撃を同時に放つというおおよそ人間業とは思えない領域に位置する、至高と謳われた剣技――《桜花》だ。
そんな人間離れした剣技を、冬次は僅かなズレはあれど、ほぼ同時に魔獣へと放ったのである。
その結果、飛翔した二体の魔獣による攻撃は彼に届くことなく潰えた。
身体は三度放たれた神速の剣技を以て断ち斬られ、いくつもの肉片へと変わり果てたそれは、魔力の光となって空へと解けていく。
残る一体も《桜花》による苛烈な斬撃の雨によって粉微塵に斬り刻まれ、悔し気に冬次を睨んだのを最後に、命の輝きは失われたのであった。