第一話 出会った二人
――狐守市。
古くより狐の守り神が存在したとされ、狐にまつわる数々の伝承が残る土地だ。
それは善を尊び、人々に災いあれば手を差し伸べ、多くの命を救ったとされている。
姿形は狐のそれであり、その巨躯はまるで山のよう。
体は黄金と見紛う程の艶やかな金色の毛並みを有しており、九つの尾を生やしていたという話だ。
そんな伝承が今に至るまで残っていることもあり、"狐守"という名前が付けられたほどである。
数々の伝承残る狐守市なのだが、狐の守り神が居たとされる当時と比べ、約半分近くの陸地が失われていた。
その理由というのが、数十年前に起こった地球環境の変化だ。
人々の間では歴史の転換点――《変革期》と呼ばれるそれにより、陸地の大部分が水に呑まれ、浸水してしまった一部地域を埋め立てることで新たな都市が造られた。
その都市というのが、現在の狐守市と言うわけである。
この都市には現在、環境変化に適応するかのようにして現れ始めた特殊な力を持つ者――《領域顕現者》が多く集まっており、その存在が世界で初めて確認された場所でもある。
今では一つのエネルギー・技術として確立された、《魔法》に関する研究の振興を行い、新旧含めた文化の発信の拠点・中心となることを目的とした最先端の文化学術研究都市、通称「学研都市」として知られている。
また、世界に名高い《七賢人》の一人「火之宮源十郎」が総帥として率いる「火之宮グループ」や複数の企業による出資のもと、狐守市の南西――沿岸部にほど近い場所に創設された教育機関「狐守魔法学園」があることでも有名な街である。
そして少年――桜ノ宮冬次は、狐守魔法学園への入学を三週間後に控えた、《領域顕現者》の一人だった。
《領域顕現者》。
己の肉体に魔力という特殊なエネルギーを有し、それを基に魔法という超常の力を行使する者。
それぞれが自らの内に秘める理想、魂の具現とも言える固有の武装――《心域兵装》を創造することによって、魔獣と呼ばれる敵性存在と戦っている。
しかし、現代では魔法の研究が進み、本来魔力を持たない者には使えないはずだった魔法は、ごく普通に扱えるようになった。
それを可能としたのが、かの有名な天才科学者にして、自身も領域顕現者としても知られるルルティアス博士だ。
彼女は二十年程前、突如として魔法研究に携わる者たちの前に現れ、自身が主動となって仲間と共に創り上げた特殊な機械――《煌華心装器》を発表し、人々が等しく魔法の恩恵に与ることができる仕組みを作り上げたのである。
そうした彼女たちの功績により、誰もが魔法の力を手に入れることが可能となった現代世界。
普段の生活の中でも魔法は当たり前のように使われており、一般社会に広まっていた。
とは言っても、戦闘等の行為に魔法を用いることは原則として禁止されている。
そのため、《領域顕現者》として活動するためには資格が必要となっていた。
その資格を得るための教育機関の一つが「狐守魔法学園」であり、在籍する生徒は皆、入学時に"準九級領域顕現者"という最低限の資格を取得する。
これにより、彼ら魔法学園の生徒は学内外を問わず魔法の使用が"限定的に"認められることに。
そして在学中に、様々な研修内容を通して領域顕現者として必要な多くの知識等を得ることで、さらに上の資格取得――つまり、"正領域顕現者"を目指すことが主な目的となるだろう。
とはいえ冬次の場合、《領域顕現者》としての資格取得が目的というより、自らが修める剣の流派《桜ノ宮一刀流》の剣技を磨くため、と言うべきなのかもしれないが。
実際、冬次は少し前から自らの剣の道に限界を感じており、その状況を打破するべく父親に相談した結果、魔法学園へと入学することになったのである。
そんな彼がなぜ神社の境内にいたかと言えば、ちょうど狐守市へと帰ってきたところだったからだ。
中学時代の三年間、山奥に存在する学園の学生寮で生活をしていた彼は、懐かしさから街の中を練り歩いていた。
そして粗方見て回った後。 ふと、自分にとって思い入れのある場所を訪れていないことに気付いたのである。
最後にそこに寄ってから帰ろうと決め、境内についた途端――目の前に鞄が現れるなどという妙な現象が起きたのだ。
しかし、それも今では過去のこと。 その現象は既に鳴りを潜めていた。
煌めいていたはずの桜も、強い光を放った鞄も、その姿を消している。
空を舞っていた薄紅色の花びらの姿さえ無く、まるで本当に夢でも見ていたのかと疑いたくなる。
でも、それはできない。 何故なら、その確固たる証拠は他に残っているから。
さて、そんな妙な現象に巻き込まれた冬次が何をしているかと言えば――
「――すみませんでした。 ホント反省してます」
土下座していた。 とんでもなく姿勢の良い土下座だ。
まるでその道のプロかのようである。
「まったく。 久しぶりに会ったかと思えば、女の子のお尻をガン見する変態になっていたなんて……正直、私、すっごく今ショックなのだけれど」
突如現れた鞄から、飛び出すようにして目の前に転がってきた少女。
彼女は服に付いた土などの汚れを、パンパンッと叩いて払うとそう言って冬次にジト目を向けた。
しかし、"ショック"なんていうのは言葉ばかりで。
言葉とは裏腹に、その顔に浮かんでいた感情は負に類するものではない。
それどころか、冬次の顔を見て、何故か懐かしそうにしていた。
「ホントごめんって! 見ようと思って見てたわけじゃないんだ!
あんまりにも魅力あふれ……じゃなくて。 とにかくっ、ホントにごめんっ!」
言わなくていい事を口走りそうになった冬次は、誤魔化す意味も込め、さらに深く頭を地面につける。
それこそ、ぐりぐりと額を地面に擦りつけるかのように。
その姿を見て、少女は深くため息を吐いた。
「……ま、今回は許してあげるわ。 感謝しなさい、トウジ」
思いの外、少女からはあっさりと許しが得られた。
冬次はすぐさま立ち上がり、頭を下げて感謝の言葉を口にする。
「おぉ! ありがとう! ホントありが……ん?」
しかし、少女が言った名前に引っかかりを覚え、首をかしげた。
「今、俺の名前言った?」
確かに今、名前を呼ばれたはず。
だが、冬次にとっては見覚えのない女の子のはずだ。
だというのに、目の前の少女は冬次を知っている様子。
(こんな子、会ったことあったっけ? そういや、さっきも久しぶりとか言ってたような?)
改めて視線を上げると、目の前には和装に身を包んだ美少女がいた。
肩くらいまで伸ばした髪は闇夜を思わせる艶やかな漆黒。 それは陽の光によって、いかなる宝石にも負けない輝きを湛えていて。
世の女性が羨むような華奢な体の上には、美しい顔立ちをした少々いたいけに思える童顔がちょこんと乗っている。
美しい顔立ちの中央には、白く美しい肌に映える鮮やかな緋色の瞳。
華奢な体を包む羽織は丈が長く、色は瞳と同じく美しい緋色をしている。
彼女はそれを、まるでロングコートのように羽織っていた。
その下から見えるのは、黒い色をしたベアトップワンピース。
ぴったりと体のラインを強調するかのようにフィットしており、抜群のスタイルの良さを見せつけている。 体に沿うように張り付いていることもあり、豊かに実る乳房が冬次の男を刺激してやまない。
ワンピースの裾からは透き通るような白い肌を持った足が見え、太ももの半ばからつま先は白い足袋風のニーソックスによって包まれている。
その男心くすぐる肉感的な足はすらりと長く、太ももはソックスによって適度に締め付けられることで形を歪めていた。 形を歪められた太ももの肉はちょっぴりソックスの上に乗り、さらに肉付きの良さを主張している。
足の先には下駄が見え、少女の動きに合わせ、カランカランと小気味良い音が鼓膜を震わせた。
「ええ、言ったわよ? あなた、トウジでしょ? ……あれ? 私、間違ってたかしら」
「い、いや、合ってるんだけど……何でだ?」
「何でって。 知ってて当然でしょ?」
やはり、この少女は自分を知っているらしい。
だが、冬次の脳――その中に蓄積している記憶をいくら掘り起こしても、目の前の少女の姿はチラリとも浮かんでこない。
(誰かと間違ってる? ……いやいや、それはねえな。 俺の名前を言い当ててるし。 てことは、やっぱり知ってるやつか? でもなぁ……)
何度も何度も記憶の箱を覗き込もうとも、冬次の頭に該当する人物の姿は現れてくれない。
いったいどうしたものか。 まったく覚えがない。
そうして眉間に皺を作り、冬次が思案顔になっていると、
「もしかして……私のこと忘れちゃった? 覚えてない?」
瞳の端に銀の雫を溜め、潤んだ声で少女が呟いた。
少女の瞳に溜まっていた涙は次第に零れ、頬を伝っていく。
頬を伝う涙は陽の光で煌めき、一条の光となって地へと落ちた。
地面は色を変え、ゆっくりと濃い色に。
冬次はまさかの事態に焦る。
「え? いや、あの!? な、泣くなって!」
「な、泣いてないもんっ! 見間違いよっ!」
少女は冬次に背中を向け、羽織の袖で涙を拭った。
(いや、泣いてんじゃん。 でも、俺が悪いんだよなぁ。 ……マジで誰だ?)
未だわからぬ少女の正体。
思い出せない少女に申し訳なく思い、冬次は肩を落とす。
「……ねえ」
「は、はいっ!」
背を向けて涙を拭っていた少女は、いつの間にか冬次の方へと向き直っていた。
そんな少女から急に声をかけられ、ビクッと体を跳ねさせた冬次。
何か言おうとしているのだろうと思い、冬次は身構えていたのだが、
「……」
少女は一向に口を開かず、静寂が二人の間に満ちる。
あまりにも居心地の悪い雰囲気。
冬次は痺れを切らし、様子を窺うようにしておずおずと話しかける。
「あの……?」
「ホントに覚えてない?」
意外にもすぐに反応は返ってきた。
少女は潤んだ瞳で上目づかいをしていて、その悲しそうな表情に冬次の顔は曇ってしまう。
そして冬次は目を閉じ、じっくりと考え込む。
本当に会ってはいないのか。 欠片でも思い出せるものはないのか。
たった少し、きっかけだけでもないものかと。
そうして考え込むが、やっぱりわからない。
冬次は胸の内に申し訳ない気持ちを抱え込み、顔を少し俯かせながら答える。
「……ごめん。 ずっと考えてたけど、わからない」
「……そっか。 あはは……そうよね……」
少女は悲しげに笑う。
「ごめん。 ホントにごめん。 だって――」
冬次は謝り、顔を上げて真っ直ぐに少女を見つめる。
その瞳は真面目すぎるとさえ思うほどに真っ直ぐで、そして真剣なモノだった。
続きは何なのか。 何を言われてしまうのか。
少女の心に不安が巣くう。
そうして、少女の気持ちなど知る由もない冬次は、
「――狐耳と尻尾を生やした人間なんて知り合いにいないし」
衝撃的な言葉を口にした。
和装はまだいい。 この町であれば、和装はさほど珍しくはない。
だが、やはり――狐耳と尻尾はおかしい。
いかに魔法などという超常の力が一般に広まっている時代とはいえ、普通に考えて確実に不自然だ。
少なくとも、冬次が知り得る範囲の内では。
最初は冬次自身、自分の目がおかしくなったのかと疑った。
あーコスプレね、コスプレっ! なるほど! などと思い込もうともした。
しかし、どう考えてもこれは現実で。
頬を撫でる温かい風も、空から差す温かな陽の光も、何もかもが事実だと語りかけてくる。
そしてそれは、目の前の少女も同じ。
少女の頭には時折ぴくぴくと動く耳があり、腰の辺りにはふさふさと柔らかそうな毛並みの尻尾が躍動感たっぷりに振り動かされている。
やはり目の前の光景は真実であり、現実だった。
「……え?」
少女は呆気に取られたように声を漏らす。
その姿は間抜けそのもので、冬次の視線の先にはポカンとした表情と開かれた口があった。
「だーかーらー! 狐耳と尻尾を生やした人間なんて、俺は知らないんだって!
なあ、なんで生えてんの?」
呆気に取られて動きを止める少女に、冬次は若干苛立ったように声を荒げる。
「……」
だが少女は無言のまま。
しかしその腕は、その指先は、ゆっくりと頭と腰へ向かって動き出す。
まるであってはいけないモノを確かめるように、ひたすらにゆっくりと、怯える様にして。
そしてその時が来る。 滑らかな白い指先が目的地へと到達する、その時が。
「ぃ……いやぁああああああ! ミスったぁあああああああ!
耳と尻尾出しっぱなしじゃないぃぃぃぃぃぃぃ!!」
少女の絶叫が、周囲を囲む木々の合間を駆け抜けた。