追憶のバースデー
第3章までお読みでない方には多少のネタバレが含まれます。
気になさらない方のみお読みください。
「めるですー!」
彼は一瞬、鈴入りの手鞠が転がり込んできたのかと思った。いや、確かに杏子色のおかっぱ頭が薄ピンクのワンピースから伸びた短い手足をパタパタさせている。そして彼女は座っている男の膝に手をついた。
この狭い部屋には、静かに時を刻む時計が白壁に掛けられ、同じ色のシーツが敷かれたシングルベットが設置されている。また、反対の壁際にはこぢんまりとしたデスクセットが置かれ、其れには一本の杖が立てかけられていた。
やけに寒々しいこの空間にはその杖の持ち主である男しかいない。彼もまた白いワイシャツに黒いストレートパンツというシンプルでモノトーンな格好をしている。
『めるです』と呼ばれた彼───メルデス=サングシュペリは眼鏡の奥でエメラルドグリーンの目尻を下げた。膝に置かれた小さな手が擽ったい。
「こだま、どうしたの?」
名を呼ばれた少女は悪戯っぽく歯を見せて彼の膝の上をせがんだ。「仕方ないね」とその身体を抱え上げる。
こだま──今の名をこだま=アプリコット。過去の名を天雨こだまという。丁度今日、十二歳になったばかりだ。だが、その体躯は小学校低学年と言われてもすんなり頷けるほど小さく、華奢で、幼かった。
尻の下の温かさに身を預け、しきりに髪を触っていた。彼女の杏子色の髪は勿論生まれつき等ではない。名前といい、彼女は自身の身分を隠匿する必要があった。
メルデスは顎の下の擽ったい感覚──ウサギのように結んだリボン──をさり気なく払い、こだまの顔をのぞき込んだ。
「みてみて! このえがこんなのくれたの!」
目が合うと、彼女は嬉しそうにポケットから櫛を取り出す。プラスチックにウサギの柄が印刷された可愛らしいモノ。ラメが入っていて光が当たるとキラキラと輝いた。光と言っても、太陽のそれではなく蛍光灯が発する人工的な白い光だけだが。
「良かったね、こだま。どうやって使うの?」
「えっとねー、こうやってー……」
ぎこちなく髪をとかし始めたこだま。横髪や前髪は綺麗になったが、やはり後頭部はクシャクシャになってしまった。意地の悪い事をしてしまったかもしれないとメルデスは苦笑する。「貸してごらん」と小さな手からそれを譲り受ける。
他人の髪をとかすなどいつぶりか。いや、殆ど初めての経験かもしれない。少し緊張した。
さらさらと柔らかい手触り。ほんの少しといてやるだけで真っ直ぐになる。
彼らふたりは兄妹でもなければ、ましてや父娘でもない。出逢ってからも、まだ半年くらいしか経たない。だが、どういう訳かこだまはメルデスにとても懐いた。彼自身もそれが不思議でならない。彼の胸中には大きな異物感と罪悪感が渦巻いて無くならない。そこに、ほんの少しの幸福感も同居している事には無自覚だったが。
それに、今の彼はひとつ気掛かりなことを抱えていた。落ち着かない。
「めるですのもやってあげる!」
彼女が腕を広げ、メルデスのブロンドの髪に手を伸ばした。だが、そっとそれを握って遠ざける。少し悲しそうな顔をするこだまに笑いかけた。
「いやいや、僕のはいいよ。そう言えば、レンが何かくれるって言ってたなぁ……」
「ほんと?」
「本当だよ」
勿論、嘘である。嘘と言うよりは、そんな言伝は預かっていない。心の中で白衣を着た銀髪の男に舌を出して謝っておく。
その気になったこだまの行動は素早い。野山を駆ける野兎のようにメルデスの部屋を飛び出していく。ひとつ残念なことに、彼女はメルデスの手中に櫛を残したまま出ていってしまった。
大の大人が追いかければ少女の脚になどすぐ追いつける筈だが、彼にはそれが出来ない。「あ……」と声に出してその場でフリーズせざるを得なかった。
そしてその時、机上の電子機器が音を立てながら震えてメルデスを呼ぶ。
「間に合ったのかい!」
耳につけるや否や、電話の向こう側の相手を問い詰めるように発言した。勿論、相手は不機嫌そうに嘆息を漏らす。
『っるせェな……目当てのモンは手に入れたぜ。最後のひとつだったがな』
「流石、岸野だよ。ありがとう。君ならどんな状況でも手に入れてくれると思ってたよ」
『そりゃあどういう意味だ』
「それ以上でもそれ以下でもないよ?」
フフッと肩を竦めて笑うメルデスの耳に深い溜息が聞こえた。「冗談だよ、ごめんごめん」と心にもない謝罪を受けた彼の名は岸野充という。
『で、どうしたらいいんだ。こっから』
岸野は今、ミュートロギアのアジトの外からメルデスに電話をかけていた。メルデスからとある頼まれ事をした為だ。
その依頼主は「ふぅ」とひと呼吸おいてから答える。
「あまり目立つとまた睨まれるから……僕か君の部屋でって思うんだけど」
『後者は却下だ。D.E.の整備中で部品をバラしたまま出て来ちまった』
「それなら仕方ないね。僕の部屋にしよう。直接持ってきてくれるかい?」
スピーカーから聞こえた「わかった」という短い返事。
それから十秒も経たないうちに、ドサッという音がメルデスの座る脇から聞こえた。
そこには一人の大柄な男。肩幅も広く、胸板も厚い。腰掛けたベットがギシッとしなった。咥えた煙草の先が燻っている。黒いサングラスで顔を隠したつもりなのだろうが、頬にかけて伸びる傷痕は隠しきれていない。着ている赤いシャツや耳、指などを装飾する金属のアクセサリーはどれも派手で、一言で言えばガラが悪い。とても悪い。警察に職務質問をされても文句を言えないような風体だ。
だが、そんな男が突然傍らに現れてもメルデスは動揺しない。むしろ、にこやかに「おかえり」と告げる。
その人物は短い舌打ちと共にサングラスを外した。この人物こそ、メルデスの電話の相手。岸野充である。
「面倒なモン頼みやがって」
「ごめんごめん。ところで、岸野は?」
「何が」
「何がも何も、君も何か買ったんだろう?」
メルデスの視線の先には二つのビニール袋。ベットの上に置かれているのだが、ひとつは四角い箱が中に入っている。メルデスの求めたものだった。だが、もうひとつはそうではない。彼は灰皿を手渡しながら、それを不思議そうに眺めた。
「何がいいのか見当もつかなかったンだよ」
そう言って、岸野はそれをメルデスに渡す。中を見たメルデスの口元が引き攣った。手に持ってみるとずっしりと重たい。それもその筈、赤紫の液体を入れたそれは硝子瓶で、ラベルには【Alc.13%】の文字。
「コレは……僕達用、だよね?」
「彼奴も飲むに決まってんだろ」
「いやいや、この国じゃお酒は二十歳から……」
「ンなもん建前だろ」
しれっと言ってのける岸野。至って真面目な顔をしている。寧ろ、固まるメルデスに首をかしげていた。
「岸野って、もしかして誕生日を御祝いしてもらった事とか無いのかい」
その酒瓶をデスクにコトンと置きつつ尋ねるメルデス。すると、岸野は虚空を見上げ、指をひとつ、ふたつと折りながら考え始めた。
「十二の時に初めて酒は飲んだが……ありゃあ誕生日とは関係なかったな。あぁ、そうだ、長ドス一本貰った覚えがある。ンで、その次の年はそれ一本でカチコミに混ぜられて……」
物騒な単語の羅列を、さも当たり前のように語る岸野を手で制したメルデス。聞く相手を間違えた。幼少期から青年期にかけてはごく一般的に育ったメルデスだったが、寧ろ彼のような存在は此処では希なのかもしれない。尤も、岸野の境遇は群を抜いて奇抜なのだが。
「まぁ、誕生日だからどうとかいうのは少なかったか。装飾品も兄貴分からちょくちょく貰ったりしてたしな……って、思い出したくもねぇこと話させやがったな」
「ごめんよ。まぁ、確かに君がいた社会はそういうものだね」
苦笑するメルデス。するとその時、部屋のドアが荒く叩かれる音が響いた。メルデスは彼の能力の波を感じてはいたが、何故そんなにも焦っているのか検討がつかない。岸野と共に首をかしげつつ「どうぞ」と声をかけた。
「てめぇ、メルデス! こだまに何吹き込んでんだ!」
「あ、あぁ……別に?」
すっかり忘れていた。
扉の前に立っていたのは白衣の男。さらさらで長い銀髪を後ろで一つにまとめ、その額には青筋と共に冷や汗を浮かべている。だが、少し頬が赤い気もするのは気のせいだろうか。
「別になわけねぇだろうが! 『んなもんあるか』って言ったらギャン泣きしてなんて言ったと思う!?」
「な、なんて言ったんだい?」
メルデス相手に声を荒らげるこの男、端正な顔立ちでメルデスらと同年代に見える彼こそがレンである。先程、メルデスがこだまを部屋から追い出すのに名指ししたのが彼だった。
状況が飲み込めず呆けた顔の岸野には目もくれずにメルデスへつかつかと歩み寄るレン。
「『おるがなにいいつけるもん! レンのばぁか!』って言って出て行っちまったじゃねぇか!」
「お前が真似ると気持ちわりィな」
「五月蝿い! てかお前もいたのかよ」
「悪いか」
半目でレンを見上げた岸野。気が立っているのか、レンは終始白衣のポケットに手を入れたままだ。
「でも、僕の発言は嘘じゃないんでしょ。そのポッケ、何入れてるのかな?」
「……何も入れてねぇよ!」
サッとポケットから手を出して何も無いことをアピールするレン。しかし、若干の間があったのを見逃す二人ではない。先に意地の悪そうに微笑んだのは岸野だった。
「ほぉー、折り紙セットねぇ……」
クックッ、と笑う岸野の言葉にさらに顔を赤くする。
「馬鹿か! コレは……俺が使うんだよ!」
事実、レンは日頃から手術等で細かい作業をすることが多いためそれが無い日にも感覚を忘れない為ということもあり、折り紙をしていることをメルデスや岸野も知っていた。だが、それでも彼らはニヤつくのをやめない。
「へぇ、こんな可愛らしい柄のをねぇ……それに新品だ」
メルデスの手の上にあるものを見て絶句するレン。平仮名で【おりがみ ひゃくまいいり】というフリガナまでついたそれはウサギやパンダなどの可愛い動物をはじめ、ハート柄などの紙が入ったていた。遂に笑いをこらえきれなくなった岸野が口と腹を抑えて爆笑する。
ポケットを焦ったように探るレンの視線が刺さった。
「岸野……ッ、やってくれやがったな」
実に便利な能力だ。メルデスが持つその折り紙セットは数秒前まで確かにレンの白衣のポケットの中にあったのだが、岸野はそれを自らの煙草の箱と『等価交換』と呼ばれる能力を使ってすり替え、メルデスの手元へと『空間移動』で投げたに過ぎない。
能力の無駄遣いといえば無駄遣いだが、そのくらい軽くやってのけるのが彼の能力の高さだった。
「……噂をすれば、かな?」
メルデスはガミガミと説教のようなものを垂れるレンを尻目に、壁に仕切らへた部屋の外へと目を向けた。
杖を頼りに立ち上がり、そっとドアを開ける。すると彼の予想通りの人物が二人でそこに居た。部屋の一角が凍りつくが、そんな事もお構い無しに中へと歓迎する。
「何だ、この、むさ苦しい、部屋は」
妙なところで途切れる発言。少し低めの声だが、よく聞いてみるととても聞き心地の良い女の声だ。その発生源には先客であるレンと同じ髪色をした人物が仁王立ちしている。カーキ色の戦闘服のようなものに身を包んでいる。何故かその目元は黒い布があてられていた。
「すまないね、オルガナ」
「私の、事は、構わん。冷酷、極まり、ない、弟と、違って、私は、この子に、用が、あった、からな」
目尻を下げて謝ったメルデスに対し、クールに返答する彼女こそオルガナ──喚き散らしていた医者、レンの双子の片割れ──である。
その背後。オルガナの足に隠れるようにして佇む小さな影。ズボンをぎゅっと掴んで離さない。
「こだま?」
メルデスに声をかけられたその子供は杏子色の髪をサッと揺らしてオルガナの真後ろへ回り込んでしまう。その胸の前には何かを抱きしめていた。
「何を貰ったんだい?」
出来るだけ優しく尋ねてみるメルデス。ゆっくりしゃがみこんで視線を合わせた。暫くモジモジしていたが、そろりそろりとオルガナの影から姿を現す。そして、てててっと走ったかと思えばメルデスに抱き着いた。不意を突かれた彼は不自由な脚では彼女を受け止めきれずに尻もちをついてしまう。
そんな彼の膝の上に乗ってきたこだまは泣き腫らした目をしていた。だが、口元は笑顔。
「みてみて、うさぎさん!」
そう言って、こだまはピンクのうさぎの人形を掲げてみせた。ふわふわとした毛がついていて、彼女はそれに頬ずりをしている。
「それ、オルガナが?」
「悪いか、この、低脳」
信じられない、といった顔のレンと岸野。オルガナは無表情で肯定し、レンの頭を小突いた。───彼女的には軽く小突いたに過ぎないが、レンは頭を抱えて蹲る事になったのは言うまでもない。
低脳呼ばわりされた岸野も今度ばかりは言い返す気にもなれなかった。
「かわいいでしょ」
「うん、可愛いね。あっ、これ忘れ物だよ」
メルデスは先刻彼に預けたまま忘れられていたであろう櫛をこだまに手渡した。ハッとした顔の彼女はヘラっと笑ってそれを受け取る。そして、大事そうにスカートのポケットの中にしまい込んだ。
人形を愛おしそうにぎゅっと抱き締めるその姿が一番愛らしい。足が痺れそうだ、と思いながらもメルデスは暫くこうしておいてもいいかと結論付けた。
狭い空間に大人が四人と子供が一人。過密な空間だ。シンとしてしまうと時計の秒針だけがいつも通りコチコチと音を立てる。
「あー、こだま」
後ろからかけられた声。ご機嫌だったこだまの表情が曇る。不貞腐れ顔で振り返った。
バツの悪そうな顔のレン。いつの間にか、その手にはあの新品の折り紙セットが握られている。オルガナを押しのけてそっと歩み寄り、しゃがんで目線を合わせる。
「ほら。機嫌直せ……その、悪かったな」
背後の重圧を感じつつ、それを手渡したレン。途端にこだまの表情は明るくなった。その光景に、メルデスは目を細める。
「さ、こだま。ケーキ食べようか」
こだまの顔の輝きが更に増した。早くも、だらしなくヨダレがこぼれている。
「ケーキ!」
「ほら、見てごらん」
「わぁあああ、うさぎさんだ!」
メルデスの目配せを受けた岸野がこだまの側で箱を開く。するとそこには、うさぎを象ったデコレーションケーキが。チョコレートでできた耳。ブルーベリーでできた黒い瞳がこだまを見つめる。
「あぁ、そういや、ワインのボトルにこんなんがついてたぞ」
取り敢えず、とテーブルにケーキを置いた岸野。ふと思い出したように、彼はズボンのポケットから小さなものを取り出す。ビニールの赤い袋、その透明な窓からは……
「あ、ミミタン!」
クリクリとした大きな瞳が更に大きく見開かれた。そして、岸野の大きな手に飛びつく。「ちょっと待て」と一旦こだまを止めた彼は袋からそのマスコットのついたストラップを出してやり、小さな手に握らせる。
「もしかして、岸野……初めから」
「偶然だろ」
オルガナの手を借りながら立ち上がったメルデスが少し意地悪な顔で岸野に問うが、彼はそっぽを向いてしまった。
「ねえ、めるです。このうさぎちゃん食べちゃうの?」
「え?」
「かわいいのに……」
服の裾を掴まれたメルデスは目線を下げる。丸い目と彼の目が合った。真っ直ぐ見つめる黒い瞳に吸い込まれてしまいそうな感覚を覚えるメルデス。不覚だった。
「写真に、残せば、良い、だろう」
「ああ。撮ってやるよ」
今度ばかりは妙に息があったツインズ。レンは既にポケットから小型のカメラを取り出して構えている。何と用意周到な男だろうか──と誰もが思ったが、言えばまた照れ隠しに喚くだろうと皆口を閉ざした。
こだまとケーキを並べて画面の中央に収める。勿論、彼女の両手には折り紙セットと『ミミタン』のストラップ。そして、腕の中にはふわふわのぬいぐるみ。だが、何故か主役の顔色が優れなかった。
「こだま、笑わないのかな?」
心配になったメルデス。何かまた不満なことがあるのだろうか。
「みんなで、はいチーズ! ってしたいな……」
ぼそっと呟いたこだま。長いまつげが瞳孔にかかった。
顔を見合わせる大人達。
「仕方ねぇな」
真っ先に動いたのは岸野だった。
「カメラ貸せよレン、お前はケーキ持て。オルガナはメルデスでも支えてろ」
「え、あぁ」
本人は気づいていないようだが、彼の行動の意外さに周りの反応が遅れる。岸野は当たり前かのようにこだまの小さな身体を右腕で抱えあげて、左手にカメラを構えた。面食らった三人もまたそれに寄り添うように立つ。
「何枚かとるぞ」
彼の宣言通り、シャッター音が三回ほど聞こえたところで「もういいぞ」と良しの合図がかかる。
岸野はこだまを下ろし、机にケーキを戻したレンにカメラを返す。
「器用なんだね、岸野」
「組潰しに行ったら必ず記念写真撮れってあのクソジジイに言われてたからな。慣れてる」
「あ、そう……か」
こっそり岸野に耳打ちしたメルデスだったが、聞かなければよかったと少し後悔した。流石にまだ、過去の習慣や常識のようなものは抜けないらしい。
気を取り直して振り返ると、オルガナが愛用のサバイバルナイフでスポンジと生クリームのウサギの解体ショーを始めている。こだまは顔を小さな手で覆っていたが、指の隙間からバッチリ見ている。メルデスから微笑が漏れた。
「大人は、少し、ずつだ」
「ありがとう、オルガナ」
紙皿に取り分けられるケーキ。メルデスには丁度ウサギの耳と耳の間にあった部分が配給された。やけに薄い。五人で分けるならばもう少し厚みがあっても良いと思うが、彼らはその不満を決して口には出さない。
大人四人にわけられたのはホールケーキの三分の一程の体積。残りの三分の二はと言えば……
「美味しそう……」
「こだま、食べる時はそいつらどっかに置いとけよ」
「はぁーい。えへへ、えへへへぇ」
涎をだらしなく垂らした少女の御前へ。レンの忠告に素直に従い、そして、フォークに手をつけた。彼女の顔のサイズと大差ないのではと思われるケーキを前にして、彼女の頬の紅葉はピークに達している。
「じゃあ、こだま。誕生日おめでとう! 十二歳になったし、こだまがいただきますの挨拶してくれるかな?」
「うん! いっくよー、いただきます!」
ベチン! と勢いよく合掌したこだま。
普段はそんなことをする習慣のない大人達もつられて手を合わせてしまう。満足気な彼女はケーキに勢いよく食らいついた。
「やっぱ、食ってる時のこだまがいちばん幸せそうだな」
「そうだね」
「なんだ、メルデス。浮かない顔しやがって」
たったあれだけのケーキだ。すぐに平らげてしまった岸野がメルデスに話しかける。メルデスは空になった皿を胸の前に持ったままこだまをじっと見ていた。彼と同じように、岸野もベッドに腰を下ろす。二人分の体重がかかったマットレスが大きく凹んだ。
「去年まで、あの子はどんなふうに愛されていたのかな。これで、本当に合ってるのかな」
視線の先には、頬や鼻についたクリームをレンに拭われながらケーキを貪るこだまの姿がある。
黒かった髪を染め、家族の名前も捨て、今までの環境も全て奪われた……そういう風に彼女を見てしまう自分が捨てきれない。なのに、笑っているのはどういう事なのか。本当に彼女は心の底からの笑顔を彼に見せているのか。考えれば考えるほど、そうではないと思ってしまう。そんなメルデスの肩を、大きな手が掴んだ。温かい手。
触れれば切れてしまいそうな鋭い目付きが、真っ直ぐメルデスを見ていた。
「んなもん知るかよ。それも全部背負うつもりで連れ出したんだろ。テメェは地位も脚も捨てたんだ。もしテメェの不安が正しかったとしても誰も文句は言えねぇよ」
岸野はレンから取り戻しておいた煙草を出して口に咥えた。高そうなライターからシュボッと火がつく。その側面には【Mitsuru.July.28】と刻まれている。
メルデスからフッと笑みが零れた。
「岸野って、七月生まれだったんだね」
「あ、ああ。そういやメルデスはいつなんだ」
別に、そういうことを聞かれたくて訊ねたのではなかったのだが、訊かれたからには答えるべきだろうと考えたメルデス。
「十二月九日だよ。丁度来月だね。二十六歳になるよ」
「はぁ? 二十六ゥ?」
突然、岸野が素っ頓狂な声を上げる。そんなに驚いたのか、咥えていた煙草を危うく落としかけた。勿論驚いたのはメルデスの方もである。
さらに、対面でこだまの世話をしていた双子もまた振り向いた。
「え、なに。もっと老けてると思った?」
「馬鹿か、逆だ……」
頭痛でもするのか、レンは眉間に普段より深い皺を寄せている。
「オレでも二十二だぞ……!」
「我々は、二十四、だ。まさか、メルデスの、方が、上、だとはな」
「それってつまり、僕が童顔だって言いたい?」
今度は双子だけではない。岸野も含めて相槌がシンクロする。半目もおまけでついてくる始末。目の前のケーキに夢中なこだまを除いては。
「はぁ」と深いため息をついたメルデス。
「知ってるよ……ネメシスでもずっと言われてたんだ。童顔だって……やっぱり此処でもそうなのか……」
文字通り頭を抱えた。
「まぁ、こだまも似たようなモンだし気に病む必要はねぇんじゃねェか」
「それ、別に慰めにもなってないよ……」
───西暦3570年11月7日。今日の日付だ。
ああして、こだまがミュートロギアと過ごす初めての誕生日は幕を閉じた。ひっそりとたった五人だけで行われたパーティと呼べるのかも微妙なそれは、こだまの「ごちそうさま」の声で終わりを告げたのだった。
その瞬間を、メルデスはカメラに収めた。勿論、レンが持ち込んだあのカメラで。
そして今、彼が居るのはあの狭く白い部屋ではない。少し薄暗く、広い重厚な空間。黒塗りの大きなデスクにはたくさんの引き出しがある。その中でも、いちばんに彼の手の届くそこにその写真はあった。二枚の写真をひとつの写真立てに収めてある。ひとつは、少し硬い顔をした四人の大人にかこまれた少女の写真。そして、もう一枚は大きく咲いた向日葵のような笑顔の天使の写真。
ノックの音が聞こえ、そっと引き出しを閉じた。
「めるですー!」
いいよと言っていないのに飛び込んできた姿に目尻が下がる。
そうだ、今日は彼らにとって五回目の記念の日だ。
あの時よりも随分と背が伸び、手足もスラリと長くなったが、やはり彼女は彼女だ。長いまつげに守られた目をぎゅっと閉じ、口元に大きな弧を描く笑い方は全く変わっていない。
そして、彼は言った。彼もまた、エメラルドグリーンの瞳を細めて。
「こだま、お誕生日おめでとう」
こだま、のいちゃん、Happy BIRTHDAY!!
2018/11/07 天雨美姫より