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うねり


ブブ。


昼休憩中、マナーモードのままだった遥の携帯が小さく震える。


2人で映画を観たあの日から既にふた月程経ち、ほんのりと秋の気配が混じる季節となっている。


あれから時折、大海原の何処にいるのかは知り得ぬ高橋からメールが届くようになったのだが。


内容は、艦から見える夕焼けがいつに無く綺麗だったとか、今夜のカレーは一段と美味しかったから新しい隠し味を見つけたんじゃないかとか、流星群を見たとか、じゃれつく同僚がいい加減暑苦しいとか、娯楽用のDVDがマンネリだとか、とか。


そして、必ず記されているのは



――ハルちゃんは、今日は何が一番楽しかった?――



高橋の随所から滲み出るあの優しさも自衛官だからこそのものだろう、と遥は経験値から判断している。


そんな高橋の、どこかしら業務連絡のようでいてそうでもない、呼び名もいつの間にか変わった微妙なメールからは元気な様子が伺え安堵し、くすりと笑いを落とすのか常だったが。


今日は



――お疲れ様です。明日は仕事だと思いますが、晩の予定はありますか?――



のみ。


どきりと跳ねる気持ちに戸惑いながら、帰港を知る。



――お疲れ様です。明日は仕事ですが、夜は特に予定無いです――



明日は金曜日。


最近業務も落ち着いている為、残業の可能性は著しく低い。



――会える?――



直ぐに折り返されるメールに迷いなく答える。



――はい、大丈夫です――



休憩時間の終わり際、何とかそれだけ返し、そっと携帯をしまう。



* ・・・ * ・・・ * ・・・ * ・・・ * ・・・ * ・・・ *



翌日、遥は指定の場所へ駆け足で向かう。遅れるとメールは入れたものの、焦りは増すばかりだ。



『よりによって何で今日!』



前から時折ご飯に誘われていた外商の飯田から、何故か今日は殊の外しつこく誘われ。それを振り切るのにいつも以上に苦労をした。


ぶつけようの無い怒りと疲弊感に苛まれながらも目的地に着いた遥は、息も絶え絶えな様子で



「お、遅くなって、」



と漸く言葉を絞り出す。


一瞬目を見張った高橋が、笑いながらも人の波から守るべく、咄嗟に遥の手を掴み自分の方へ引き寄せる。



「お疲れ様。そんなに走らなくても大丈夫なのに」



直に会うのはひと月ぶりなのに、不思議と久し振りという感覚は湧かない。



が、高橋が心底待ち遠しかったのは間違いが無い。



「わ!待って、汗!」



触れてしまいそうな距離感に遥が顔を赤く染めて抵抗するが、意に介さない素振りの高橋は嬉しそうに白いハンカチで優しく汗を拭う。



「またお化粧着いちゃいますからっ」



目を白黒させる遥が純粋に愛おしく。


うっかり柔らかい頬に触れた指先は、まるでそこに心臓があるかのように熱くなる。



「大丈夫、ハルちゃんはいつも通り可愛いし。俺は洗濯得意だから問題無し」



そう微笑む自然体の高橋に、遥はドキドキが止まらない。


が、そんな自分の変化が許されないような痛みを心の何処かに感じた遥は、



「有難う」



と微笑みを返し、そっと身体を離す。



「少し休もうか?」



労わる高橋に遥は笑顔で答える。



「大丈夫。でもお腹は空きました」



明るく振る舞う彼女の様子には触れず、



「今日は俺の行きたいとこで構わない?」



と手を繋いだまま、ゆっくりと歩き出す。



――高橋さんの行きたいとこ?――



不思議そうな遥は、自然と繋がれた手に落ち着かない様子で高橋を伺う。



「いや、ごめん、今日は任せて」



一呼吸置いて、遥は



「はい、じゃあお任せします」



と微笑む。


遥は、繋がれた自分の手が小さく震えている事に気付いていないのか。


無理をさせたくない筈の自分の方がよほど余裕がないと、内心舌打つが、その震えごと包み込みたいという欲求には勝てず。


気付かない振りその手を握りなおす。


程なく、予約済みの小洒落たイタリアンレストランに着いた。



「私、この服でも大丈夫ですか?」



入り口で躊躇する遥は、オフィスカジュアルと言うレベルだが、清潔感のある服装だ。



「大丈夫」



ほっとする、そんな遥の反応を楽しみながらドアをくぐる。


案内された席は半個室のちょっとした隠れ家的なもので、その窓からは少し離れた海が見える。



「綺麗……」



高橋は、夜景に見惚れたままの遙の意識をこちらに向ける。



「ワインで良い?」


「え、あ、ごめんなさい。はい、大丈夫です」



手際よく注文をすませる高橋に、こういうのに慣れているのかな、と遥はぼんやり思う。



「では、お疲れ様でした」


「お疲れ様でした。あと、お帰りなさい」



乾杯の際、ごく自然に投げられた遥の言葉に、思わず目を見張る。



『良くも悪くも横須賀』



名も顔も知らないその相手に、嘗て感じたことのない苛立ちを覚える。



『そいつにもお帰りなさい、って言ったんだろうか』



柄にもなく湧き出す感情を大人気ない、と何とか押し込める、が。



「もう一回、」



どうしたことか、またもや口を滑らせる。



「え?」



乾杯のあと、既に届いていたサラダをŧ‹"ŧ‹"ŧ‹"(๑´ ᄇ ` ๑)ŧ‹"ŧ‹"ŧ‹" (もぐもぐ)と幸せそうに啄ばんでいた遥が顔を上げる。



「い、いや、何でも」



ない、と言いかけた高橋に、サラダを飲み込んだ遥が不思議そうに



「ええと、……お帰りなさい……?」



と首を傾げる。



「!」



高橋は、はぁ〜っと大きく息を吐きガクリとこうべを垂れたまま動かない。



「え、え?あれ?やだ、違いました?あ、あの、ごめんなさい?高橋さん? ?」



困ったのは遥である。


答えが違ったか、自分が何かしてしまったのか、・・・・・・まさか具合悪い?


様々な思いが瞬時に駆け巡り、心配の余り高橋の状態を近くで見ようと腰を上げかけた遥の手を、高橋がぐっと握り締め収める。



「何でもない・・・・・・」



突き放すかの様な声音に遥は手を握られたまま、困り果てて腰を下ろす。


握った手から、そんな遥の気配が伝わった高橋は少し赤味を帯びた顔を上げる。



「違う、ハルちゃんのせいじゃないから」



それでも不安そうな彼女の顔に、罪悪感が拭えない。


そんなタイミングで頼んでいた料理が運ばれてくると、高橋の手はすっと離されたが。遥の手と心はまだ疼いていた。


その後、何事もなかったかのように一見和やかに食事を終え、レストランを出た高橋はまた遥の手を取る。


そっと、包み込む様に。


戸惑う遥は一瞬高橋を見上げるが、何も言わず従う。


そんな彼女を導くように、高橋は少し離れた小さな公園のベンチに腰掛ける。


ちょっと待ってて、とベンチの前にある自販機で飲み物を買う高橋の大きな背中を、遥は複雑な想いで眺めていた。



『隼人、私……』



小さな遙かのつぶやきは、高橋のもとへは届かなかった。



* ・・・ * ・・・ * ・・・ * ・・・ * ・・・ * ・・・ *



「流石にホットじゃないけど」



缶ココアを手渡すも、はた目にも無理をしているのが伺える遥の様子に高橋は焦る。



「ごめん、」


「……何がですか?」


「ハルちゃんが可愛いせいで、色々余裕がない」



この人は何を言いだしたんだとばかりに素でぽかんとする遥に構わず、そっと肩を抱き寄せる。高橋の声が微かに震えている気がした遥は、固まったまま動けずにいる。



「正直、自分がこんな気持ちになるなんて思わなかった。ハルちゃんに、今誰も居ないなら俺と付き合って欲しい」



直球の高橋に、ピクリと遥の肩が揺れる。


そんな遥に



――ごめん、――



と身体をそっと離し、



「誰か大切な人が居るなら、」



畳み掛ける高橋を遥が遮る。



「居ません。いえ、居ますけど居ません」



筋の通らない主張を、睨む様な目で訴えた遥の目には涙が滲んでいる。



「……居るけど、居ない?」



意味が分からず困惑する高橋の右手を、今度は遥が両手で包み込む。



「……少し聞いて貰えますか」



それは問い掛けではなく、半ば宣言の様な。その真っ直ぐな深い瞳に高橋は次の言葉を待つ。



ポツリポツリと遥が話し始める。


何処か遠くを見つめながら。


高校生の頃から付き合っていた相手がいた事。

その相手は、子供の頃から海上自衛官を目指していた事。

地道な努力が実り、難関をくぐり抜けて防大へ入った事。


本格的に憧れの艦艇乗りへの道が拓ける、そんな矢先。


久々の帰省で実家へ向けて移動中、道路へ飛び出した子どもを庇い事故に遭い、そのまま亡き人になった事。


そう。憧れだった、海上自衛官の制服に一度も腕を通すことなく。


淡々と言葉を紡ぐ彼女の目にもう涙は見えないが、力の入ったその指先は白く冷たい。



「それで、後援会に?」



遥は首を横に振る。



「確かに入り口は隼人だったと思います。でも、それまで大した縁のなかった自衛隊の事を知る度、このままではいけない気がして」


「このままって、」


「もっと理解され、尊敬されるべき存在だと。そう思った勢いのまま、気が付いたら後援会に入っていました」



その直後に隼人と言う彼が亡くなったのが、今から約5年前だという。


高橋には、自身が防大を卒業してしばらく後に、確かにその悲しい事故の話を小耳に挟んだ記憶があった。



「そうか。辛いのに話してくれて有難う」



そう、遥の頭をそっと撫ぜると、途端遥が決壊した。



「……がう、」



突然大粒の涙が溢れ出した彼女を黙って腕の中に包み込む。



「私、酷い!」



腕の中で震え暴れる遥を逃さぬ様に、しかし遥の負担にはならない程度に、抱く腕に僅かに力を込める。



「何が?ハルちゃんの何が酷いの」


「隼人の事、忘れたらいけないのに!それなのに!!高橋さんに会うとどうしてだか胸が苦しくて!気がつくと高橋さんのこと考えてて!」


「遥、」



うねる心に抗えない中、抱きしめられたその腕は強く優しく。初めて呼ばれた名前に大きな安心感が生まれる。が、その直後にまた例えようの無い罪悪感が芽生える。



「それでいいんじゃない?その隼人くんとの想い出もあって今の遥になった訳だし、だいたい実際に彼のことを忘れた訳じゃないでしょ?隼人くん丸ごと込みでこその遥だと思うけどな。」



ずっと優しく撫でられる背中が心地いい。


遥は強張った身体から力が抜けていくのを感じた。



「……隼人ごと?」



しゃくりあげる小さな身体をそっと離し、身を屈めて目線を合わせる。



「そう。沢山の人と出逢って、笑って泣いて。沢山の色んな経験から培われたものなんだから。隼人くんの人生を含めて、今の遥があるんじゃないの?」



遥は答えず、静かに涙を流し続ける。



「居るけど居ない、か。なるほど、上手い事言うね、遥は」



ははっ笑う高橋の、その優しく大きな右手で涙を拭われる。


あの時にも感じたその温もりに、また一筋、新しい涙が零れる。


苦笑いした高橋はハンカチを取り出し肩を抱きながらそっと涙をトントンと掬い取る。



「で、遥の中の隼人くんごと、俺は引き受けさせて貰えるのかな?」



言葉での返事は無かった。


遥は自ら飛び込んだ高橋の胸の中で嗚咽を繰り返していた。



* ・・・ * ・・・ * ・・・ * ・・・ * ・・・ * ・・・ *



――今から行っていいか?――


――構わない――



まだ10時前にも関わらず、相変わらず律儀に連絡を寄越す高橋だが。最近めっきり付き合いが悪くなったというのは専らの噂である。


そして昨日の入港後に怒涛のごとく仕事を済ませ、今朝は午前中から出かける準備をしていたその高橋を、村田も生暖かく見守っていたのだが。



『あいつも漸く踏み出せるかな』



“あの頃”から中々前に進まない高橋には内心ヤキモキしていた村田だが、直に問い質すことはせず。先日訪ねてきた時も、本人からは何も聞かされていない。


嘗て防大で共に学んだ頃、所謂イケメンの部類に入るであろう高橋は殊の外持て囃されたが、寄り付く女の目当てが幹部というブランドだったり制服フェチだったり、やっと付き合えたかと思えば会えない時間に相手が疲れ果て、となかなか出逢いに恵まれないまま……いつの間にか女性自体が苦手になっていた様子は何となく感じていた。


そしてその頑なさは、同じ艦に配属されてからも変わらず。


表面上は柔らかい笑みを湛えるが、その心のうちは“家族”にしか見せない。


その高橋が“あの日”を境に変わったのも、村田をはじめ、これ幸いと“計画”に便乗した、“家族”である上官や同僚たちも感じている。


なかなか、真の理解の得られない職業柄。


近年の災害派遣の活動から思いがけず社会でも存在感を増し、幹部との出会いを求める“ファン”が目白押しと聞く。


その波は、フツメンと自覚のある村田へも度々及ぶほどである。そんな村田自身には、遠距離ではあるが高校から続く相手が居る。


大切な人へメールを送った村田は、もう直ぐ顔を見せる筈である友の、人並みの幸せを願う。



* ・・・ * ・・・ * ・・・ * ・・・ * ・・・ * ・・・ *



実は、自衛官をターゲットとした合コンの影響は実は一部艦長クラスへも波及し、直に口利きを頼まれる事も珍しくはない。が、その相手もピンキリである。


特に幹部の相手ともなれば流石に来るもの拒まずという訳にもいかず、縁故筋相手では豪腕をもってしてもなかなか手を焼く始末だ。


そんなある日。地元の後援会相手の研修会の打合せ後に旧知のメンバーと呑んでいた、高橋が配属されている艦の艦長である水上は、話の流れで後援会の若手メンバーの三枝遥と今は亡き倉田隼人の存在を知った。


水上は居た堪れない気持ちがどうしても払拭できず、呑み仲間でもあるOB2人と共にある“計画”を立て始めた。その水上の脳裏には、着隊して3年目の高橋の生真面目な顔が浮かんでいる。



『俺も焼きが回ったなぁ、』



サクサクと計画を練った水上は、内心苦りながら家族の待つ我が家を目指したのだが。


水上としても“当たればラッキー”程度の気持ちで立ち上げた云わば“棚ぼたトラップ”だったのだが、その後どこからかその話を聞きつけた幹部たちにより艦をあげての包囲網にまで昇格し、準備は万端整い当日も恙無く、というか、高橋の様子一つだけ見れば良い感触だった筈なのだが。その割に、いまだにその効果が形にならない。


後は当人同士の問題だと言いながらも、艦長の水上だけでなく事情を知る“家族”達は、期待を込めて高橋の柔らかい変化を喜んでいた。



「今日こそは決めてこいよー」



水上は、久々の我が家でグラス片手に可愛い部下へと念を送る。



* ・・・ * ・・・ * ・・・ * ・・・ * ・・・ * ・・・ *


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