みてみて
ひだまり童話館様 開館2周年記念祭参加作品です。
選んだお題は「ぷくぷくな話」です。
「ママ―! みてみて!」
幼い声が静かな家に響く。
「ねぇ、ママったら! みてよー! ねぇ! ママ!!」
何度呼ばれても健介のママは難しい顔でスマートフォンを操作している。
「ねぇ、マ……」
「ちょっと待ってよ! 今仕事のメールしているんだから! おばあちゃんに見てもらえばいいでしょ」
もう一度健介がママを呼ぼうとすると、とうとうママは怒って睨んだ。そしてまたすぐに四角い画面とにらめっこをする。
「でも……」
口をとがらせてすねる健介におばあちゃんは優しく声をかける。
「けんちゃん、これはそんな見せるようなものでもないから。ほらおじいちゃんが買ってくれたこの車、ここを押すとピカピカ光るのよ」
おばあちゃんに差し出された車に健介の心はすぐに移り、ブーブーと車の真似をしながら遊びだした。
ママはため息をついてスマホをテーブルの上に置くと、おばあちゃんの横に腰を下ろした。
「ごめんね、お母さん、ひどい親だと思ったでしょ? でも最近『みてみて』ばかりで嫌になっちゃってつい怒っちゃうのよ。私ってダメな親よね」
夢中になって車で遊んでいる健介を見ながらママはため息をついた。おばあちゃんはクスクスと笑い出す。
「なーに? 何で笑っているの? お母さん」
「ふふふ、笑ってごめんね。あなたにも『みてみて』の時期があったなぁって思って懐かしかったのよ」
「私に?」
ママは驚いて言った。
「ええ、あなたの小さい頃、私も今のあなたみたいに悩んだのよ」
「お母さんも?」
すると車で遊んでいた健介がママに気付き、車を持ったままママの膝へと座った。
「何のお話しているの?」
健介はもうさっき見てほしかったことなんて忘れているようで無邪気に聞いた。
「ママがけんちゃんくらいだった時のお話よ」
健介は首をかしげた。
「ママも昔は子どもだったの。おばあちゃんはママのママなのよ」
ママも説明したけれど余計に健介は頭がこんがらがっているようだった。
「ママは子どもじゃないでしょ?」
健介はママの膝の上に乗り不思議そうにおばあちゃんのことを見た。
「信じられないかもしれないけどママも子どもだったのよ。この家にはね、けんちゃんのママが子どもだったときの思い出がたくさん詰まっているの」
おばあちゃんは懐かしそうに家の中を眺めて話し始める。
「ほら、あのテレビの後ろの壁。一か所だけ色がちがうでしょ? あれはママが落書きしてね。褒めてもらえると思ったんでしょうね、自信満々に『みてみて』って言って。でも後でお父さんに怒られてねぇ」
ママも思い出したのか「ふふふ」と笑う。
「そうね、そんなことあったわね。よく覚えてはいないけど、その後にお父さんがペンキの色を間違えてあそこだけ色がちがうのよね。親戚が集まるとその話になるから私恥ずかしかったわ」
「それからあの小さな椅子あるでしょ? あれに乗って飛び降りるのがお気に入りの時があってね。いろんな飛び方しては『みてみて』って言っていたわね」
それは椅子と言うよりも踏み台のような木箱に布が貼り付けられているだけの椅子だった。今はその上に読み終わった新聞紙が乗せられている。
「それは覚えていないなぁ。そんなことしてた?」
ママはうーんと思い出そうとしたが思い出せないようだった。おばあちゃんはそんなママをみて面白そうに笑っている。
「していたわよ~。他にも私の口紅を顔に塗っていたずらしたり、お父さんのパンツをズボンと言って履いたり。変な顔をして見せに来るなんていうのはしょっちゅうだったし、毎日のように『みてみて』の嵐だったわよ」
「全部、忘れちゃったわ」
ママは舌をだして肩をすくめて見せた。
「そう、子どもは全部忘れちゃうの。でも親は全部覚えているのよ」
おばあちゃんは頬に手を添えながら昔を思い出して目を細めていた。健介はそんなおばあちゃんを見て思い出したように手を伸ばす。
「ねぇ、ママ、みてみて! おばあちゃんの手ってプクプクしているんだよ」
そうして指さしたのは年老いてところどころ浮き出た手の血管だった。
「やーね、けんちゃん。さっきママに見せるほどのものじゃないって言ったでしょ。恥ずかしいわ。こんなおばあさんの手」
そう言っておばあちゃんは手を引っこめようとしたが、健介はその手を掴んで離さなかった。
「ほら! みてみて!」
おばあちゃんの手にはうっすらと青い血管が太いものや細いもの、たくさん浮かび上がっている。
(私、いつからお母さんのこと見ていなかったんだろう)
ママはおばあちゃんの手がこんなに年を重ねていることに気づかなかった。
「ママも触ってみて。このプクプク気持ちいいんだよ」
そう言って健介はママの手をおばあちゃんの手に重ねた。
「本当だ、気持ちいいね」
久しぶりに触るその手が熱いくらいに温かくてママは少し泣きそうになった。
「お母さん、私いつからお母さんに『みてみて』って言わなくなったのかな?」
「そうね、お母さん以外に見てもらいたい人がたくさん出来てからじゃないかしら。お友達や先生、それに好きな男の子。世界はどんどん広くなっていくもの」
健介がママのことだけを見ているのも今だけかもしれない。そう思うとママは少し寂しかった。
「そっか、今だけなのね」
「あら、そんな顔して。一生懸命何かを見つめる子どもを見るのはとても楽しいことよ。今だって育児に奮闘するあなたを見ているのはとても楽しいわ」
ママが顔をあげるとおばあちゃんの優しい瞳と目が合った。おばあちゃんはママが『みてみて』と言わなくなっても、ずっとママのことを見ていた。
「お母さんはちゃんと見ていてくれていたんだね」
ママがそう言うとおばあちゃんは嬉しそうに笑った。
「けんちゃんだって、いつか気付いてくれるわよ」
名前を呼ばれた健介がママとおばあちゃんの顔を交互にみる。
「ねぇ、みてみて! ママの手にはプクプクないんだよ」
健介に言われてママは自分の手が小さい頃につないだお母さんと同じ手をしていることに驚いた。
「ママもおばあちゃんになったらプクプクができるのよ」
「へぇ! 楽しみだね!」
顔を輝かせる健介にママとおばあちゃんは顔を見合わせて笑った。置いていたスマホからメールの着信音がしてもママは手を離さない。
「みんなで手をつなぐと嬉しいね」
健介は嬉しくて顔中笑顔になっていた。
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