僕の宝地図
たーったらたー、たーららー♪
頭の中で昔の某冒険ものの映画のテーマソングが何度もぐるぐると回っていた。ちなみにDVDは観たことがないからサビの部分しか知らない。だからそこばかりがリプレイされる。
僕は暗くて狭い洞窟のような通路を手探りで進んでいた。
灯りの用意もない。道行きを一緒にする仲間もいない。今のところ変な生き物が飛び出してきたりはしていないけど、はっきり言って心細くて仕方がない。
だから頭の中でそんな歌でも流していなきゃ、前に進めない。
真っ暗で視覚は頼れず、手と靴底から伝わる触覚と聴覚だけに頼っている今は、大きな声で歌って恐怖心を追い出す気にはならなかった。本当に怖いときはそんなもんなんだと今、体験をもって知る。カサカサに乾いた壁はゴツゴツしているし、スニーカーのゴムの靴底から伝わる地面はぼこぼこしている。かすかに遠くから水の流れる音と、そして大きくて荒い僕の呼吸音。心臓の音も大きく聴こえる。でもそれだけ。どこまで続くのか。
もしかして途中で分かれ道があったのかもと不安になる。
「迷路じゃ、左側の壁づたいに進めば、出られる……んだっけ」
返事をしてくれる人もいないのに声に出した。僕の声はまるで何かに飲み込まれたように、すっと消える。
どうして僕が冒険に必要な道具も持たず、こんなところを一人で歩いているか。
それを語るには数時間前に遡らなくてはいけない。
「瑞希、今日、お祖父ちゃんのところにお見舞いに行くから、あんたも来なさい」
ベッドにごろりと寝そべって漫画を読んでいた僕に母さんが言った。せっかくの夏休みだというのに面倒くさい。
生返事を返した僕に、母さんは少し苛立ったように腰に手を当てて僕の横に立つと、徐に漫画を取り上げた。
「お祖父ちゃんもう長くないかもしれないのよ。瑞希の顔、見せてあげなくちゃ」
嘘だ。僕はそう思った。
癌で入院したじいちゃんは、病気が見つかった時にはもう末期だった。じいちゃんは積極的な治療をせずにホスピスに入った。
ホスピスに入ってからのじいちゃんは、すっかり変わってしまって、僕どころか娘である母さんの顔さえ時々分からない。つまり老人性痴呆症というやつだ。しかも夢と現実を行き来する斑ボケだって母さんが言っていた。
会社の社長を息子、つまり伯父さんに譲ってからも現役時代に築いた人脈を使って社長になった伯父さんを助けてバリバリ働いていたじいちゃん。
僕が遊びに行けば必ず「勉強してるか」と聞く。そして、「勉強がんばれよ」と頭を撫でながら、目の横にいっぱいシワを作って笑って、「佳月子に内緒だぞ」と言いながら小遣いをくれた。その小遣いっていうのが少し変わっていて、デパートでしか使えない商品券だったり図書券だったりしたんだけど、それがじいちゃんらしかった。図書券で漫画は買えるし、デパートでゲームも売っているから別に不満はないんだけど、子どもが一人でデパートに行けるわけがないから、母さんに連れて行ってもらって、別行動で玩具売り場に行こうとして、結局母さんに見つかった。それからは母さんに商品券を渡して、現金に交換してもらうことになったので、僕としては不満はない。どころか大いに満足していた。
これで畏まった洋菓子じゃなくて、近所のコンビニでお菓子が買えるし、友達とゲーム屋にも行けるから。
だけど、ホスピスに入ってからじいちゃんは小遣いをくれることはなくなった。僕が誰かも分かっていないみたいだから仕方がないよね。
母さんたちはじいちゃんの遺産が目的なんだろう。じいちゃんが入院してから恩を売るようにせっせとお見舞いに行っている。
ばあちゃんに先立たれてからも、子どもに世話にならずに生活していたじいちゃんに、それまでは何ってしてあげられることがなかったから、その反動なのだろう。
でもなんだか、それって浅ましいと思うのは間違っているのかな。母さんに怒られることは目に見えているから、言わないけどさ。
そうして僕は、父さんの運転する車に乗って、じいちゃんが入院しているホスピスに連れていかれた。
じいちゃんの入院しているホスピスは、大きな病院の敷地の中にある。病院はまるで何かのビルみたいで、たくさんの窓が並んでいて、ゴツゴツして、ロボットに変身しそうなフォルムだ。
国道からそれて、山道に入る。周りは木に囲まれているけど、綺麗に整備された道路を、山肌にそってぐるぐると上がっていくと、大きな駐車場が出迎える。黄色い駐車場の機械のとうせんぼを抜けると、父さんは駐車場のひとつに車を入れた。
ゴツゴツした病院のビルには入らず、公園の遊歩道みたいな道を少し歩けば、淡いオレンジ色の建物が見えてくる。玄関部分は曲線に飛び出していて、窓枠や柱は白い。五階しかないその建物はこじんまりと森の中に建っていて、病院じゃないみたいだ。
これが終末期医療センター、通称ホスピス。
大きなガラスの自動ドアを抜けて、受付で面会の手続きをしているのだろう母さんから視線を反らした。
建物の中は病院とは思えないくらい明るい。太陽の光を取り込む大きな窓。オレンジ色のソファが並ぶ下は、ピンク色の絨毯。
白い制服を着た看護士さんがいなければ、ホテルだと錯覚しそうだった。
「瑞希、行くわよ」
受付が済んで忙しなく歩く母さんに付いていく。本当はここでゲームでもして待っていたいくらいだけれど、本当の本当にこれが生きているじいちゃんと会える最後のチャンスだったとしたら、母さんの思惑はどうであれ僕はきっと後悔するような気がした。木目調のドアの向こうがエレベーターになっていることに少し驚いている間に五階に着いた。
エレベーターを降りたとたん消毒液と排泄物と食事の混ざった匂いがふわりと鼻に届く。白衣の裾を翻したお医者さんの後ろを、ズボンをはいた看護婦さんが銀色のカートを押して付いて廊下の角に消えた。紛れもなくここは病院なのだと、どきんと心臓が跳ねた。
大きな引き戸の向こうにはじいちゃんがいるらしい。僕を覚えていないというじいちゃんに会う覚悟も決まっていないのに躊躇なく母さんが引き戸を開けた。
狭くて短い廊下の正面にソファが見えて、すぐにベッドがある。じいちゃんはベッドの上で、起きているのか眠っているのか、ぼんやりとしていた。鼻にも、そして掛け布団の下からも色んなチューブが延びていて、どきんどきんとまた心臓が跳ねる。昔はもうちょっと丸い顔をしていたじいちゃんだったのに、皮膚はカサカサしていて、別人みたいに痩せていた。眼球が蛙みたいに飛び出しているみたいに見えて、なぜだか僕はそこから逃げ出したい気持ちになった。父さんが僕の肩に手を置いて、励ましてくれてなかったら、きっと僕は病室を飛び出していたと思う。
「父さん、佳月子よ。今日は孫の瑞希も一緒よ。佳月子の息子の瑞希よ!」
母さんがじいちゃんに声を掛けているのを、僕は父さんと並んでただじいちゃんを見つめるだけだった。こんなときどうすればいいのか僕は知らなかった。さすが娘というところか。あんなに変わってしまったじいちゃんに触れるなんて。母さんを少しカッコいいと思った。。
耳元で大きな声で話しかける母さんの声に、じいちゃんの潤んでぼやけた瞳がきょろりと動いた。その瞳がきょろり、きょろりと何かを探すように動いて、僕と目が合った。
じいちゃんが掠れた声で何かを言おうとしているけれど、パクパクと口を開くだけだった。母さんはそれを必死に聞き取ろうとするけれど、僕にはよく分からない。
そのうちじいちゃんは疲れてきたのか、パクパクしなくなって、またトロトロと眠りはじめてしまった。母さんがじいちゃんのベッド横の引き出しをごそごそし始めた。じいちゃんに何かを頼まれたのだろうか。そうじゃなきゃ、そんな泥棒みたいな真似、やめてくれよ。僕は胸がムカムカするのに、その言葉が出なくて窓の外を見た。じいちゃんの部屋の窓側からは病院の森の入り口がよく見えた。
「瑞希、これ」
母さんが白い封筒を差し出した。
「なに……これ」
僕はすぐには受けとれず、母さんの手にある封筒と母さんの顔を往復して見た。
母さんは少しつまらなさそうな顔をして、手から封筒を取られるのを待っていた。
封筒を受けとると、とても軽い。表には『瑞希へ おじいちゃんより』と読みにくい字で(つまり大人でいうと達筆な字で)書かれており、糊付けはしっかりされていた。慎重に開けようとしたけど、結局はビリビリになってしまった。封筒の中には、紙が一枚。
じいちゃんがもう少し元気な時に書いたのだろう。黒い線が何本かと小さなバツの記号。そして『いつも頑張っている瑞希に。これからも勉強に励みなさい。佳月子には内緒だぞ。』いつものお決まりの一文が書かれていた。
最期のじいちゃんからの小遣い……。
なんだかそんな言葉が頭に浮かんで、最近習ったばかりの『最期』の漢字の意味するところを思い出し、じいちゃんに申し訳ないような、泣きたいような気持ちになった。
「なあに、私に内緒って」
母さんが手紙を覗き込みながら、いつまでも子どもみたいね、と呆れた顔をした。
「これは宝の地図じゃないか?」
父さんは手紙を覗き込みながら、少年のように楽しそうに言った。
「宝の地図ですって?」
「ほら見ろよ。この線と線の交わり。さっき上がって来た道にそっくりだろ」
「そんなこと言われても分かんないわよ。それより宝物って何かしら」
母さんの声に期待が混じり始めた。僕はそっとじいちゃんの方を見た。じいちゃんはもうすっかり目を瞑っていて、寝ているみたいだった。
父さんが苦笑いをしていう。
「さあ、どうだろ。義父さんが瑞希にって用意したんだから、お前が期待するような宝じゃないと思うがな」
「あら、あなた。私がいつも瑞希が父さんにもらっているお小遣いの上前をはねているみたいな言い方じゃありませんか。瑞希だってデパートの商品券なんて使いようがないっていうからお金に替えてあげているだけなのに」
「ちょっと落ち着けよ。そこまでは言ってないだろ」
両親の雲行きが怪しくなってきた。僕は、宝の地図らしきものに視線を落とした。
確かにこの病院に上がってくるときに通った道みたいなぐねぐねの線がある。そのぐねぐねに交わらない場所に線があって、その位置関係からどうやらそれはこのホスピスの周りに広がる森のなかの道のようにも見える。窓越しに目を凝らしてみたけれど、生い茂る葉が邪魔で道なんか見えない。
「僕……行ってみてもいい?」
両親が一斉に僕を見た。身動ぎしたいほど落ち着かない心地だ。
「じいちゃん寝てるし。どこかで珈琲でも飲んできたら? 僕、このバッテンのところに行ってみたいし」
「父さんも付いて行こうか?」
僕はブンブンと頭を横に振った。
「一人で行ってみたい」
両親は顔を見合わせた。二人とも心配そうな顔だ。もしかしたら、やっぱりダメって言われるかもしれない。そう覚悟したとき、父さんが言った。
「よし、じゃあ行ってみろ」
「え!? ……大丈夫かしら」
「瑞希ももう半年もしたら中学生だ。男には冒険が必要なんだよ」
「でも……」
「今日はそんなに早く帰らなければならない予定もないし、義父さんが用意した地図だ。そんなに危険ってことはないだろう」
母さんはそれでもまだ納得はしきれていない顔で、「暗くなる前には帰るのよ」と言いながら、もしかして母さんは人類最後のユーザーなんじゃないかと常々思っていたガラケーを少し迷いつつも「何かあったら連絡しなさい」と僕に握らせた。
そして僕はじいちゃんの病室を出た。来たままのの装備で。装備とはつまり、携帯ゲーム機と漫画が一冊。何故か入っていたうまか棒もんじゃ味一本と母さんのガラケー。服装は半袖Tシャツにジーンズ、スニーカー。
この宝探しを僕は学校でやるウォークラリー程度に考えていた。
ホスピスの建物を出ると、僕は地図を確認した。
青い芝生の間をアスファルトの道が続き、木々が影を落としたトンネルを通って総合病院側に出る。
この道を行けば、あのぐねぐね道に繋がるが、僕が行きたいのはその道じゃない。僕はホスピスの外壁沿いに裏手へと足を向けた。
どこかでヒグラシの鳴く声がする。ギザギザした小判形の葉はドングリのなる木だ。こんな森なら大きなカブトムシが捕まえられるんじゃないかとふと思った。病院の敷地と森の間には一段低い木で生け垣がぐるりと囲われていて、緑の中に小さな白い花が咲いていた。名前は分からない。
白い白衣の上に水色のエプロンをした看護婦さんらしき人が、植木屋さんのおじさんが持つような大きな剪定ばさみを手にして、生け垣からせりだした枝をばさばさ切り落としていた。
「……なんだ?」
看護婦さんの仕事ってこんなことまでするのだろうか。僕ちょっと驚いてしまった。足を止めて、口も開いていたかもしれない。
その看護婦さんが僕に気付いてこちらを見た。おや、と眉毛が少し上がって、その後、にっこりと笑った。僕は勝手にここまで入ってきたことを咎められるんじゃないかって少し心配になったから、看護婦さんのその表情にほっとした。
「こんにちは、ご家族の方?」
「はい。おじい……祖父のお見舞いで来ました」
看護婦さんは笑顔のまま、ひとつ頷いた。だから僕は次の言葉を続ける勇気をもらえた。
「あの……何をしていたんですか?」
僕の視線は、鈍い光を放つ黒鉄のはさみに注がれていた。看護婦さんは、そのはさみを僕から少し離すように遠ざけて持ちなおした。
「このね、飛び出した枝を刈っていたの」
そんな仕事は植木屋さんがするんじゃないのかな。学校じゃ校務員のおじさんがやってくれている。少なくとも看護婦の仕事じゃないって気がした。
看護婦さんはそんな僕の気持ちを読んだようだ。
「他の患者さんでね、これが飛び出してるのが気になって仕方がない人がいてね。業者さんも秋まで来ないから、ちょっと散髪するぐらいなら、自分たちでやっちゃうか~ってね」
「はあ」
「君は? お母さんたちと一緒にいなくていいの? ちゃんと言って来てる?」
「大丈夫です」
「ああそう。ならいいけど。探検もいいけど、森には入っちゃダメよ」
どうしてあのくらいの女の人は、誰も彼も母さんみたいなことを言うんだろう。少し面白くない気持ちになりながら、正に今からその森に入るのだとは言えないから、ペコリと頭を下げて僕は進んだ。
「このへんなんだけど」
森への入り口を探していた僕の目に、生け垣が一部壊れた場所を見つけた。辺りを見回しても誰もいない。
今だと僕は地面に這いつくばった。それは僕が四つん這いになってギリギリ通れるくらいの生け垣のトンネル。背中を小さな枝がひっかいてちくちくした。思ったより生け垣は厚くて、どのくらいはいはいで進んだだろうか。トンネルを抜けて立ち上がると、森の中は案外明るかった。葉っぱを透かして入ってくる真夏の太陽は柔らかくて、明るいのに空気はひんやりとしていた。
濃い植物のにおいが僕の肺を満たす。
少しの心細さとわくわくした気持ちを抱えて、落ち葉が積もってふわふわした地面を踏みしめながら、僕は地図を頼りに進んだ。とはいっても目印なんて何もない。ここが森ごと病院の敷地で、いざとなればこのガラケーで連絡が取れる。それが僕の背中を押してくれていた。
やがて小さな鳥の巣箱のようなお社を森のなかで見つけた。でもそれよりも存在感を放っていたのは、そのお社のすぐ後ろにある大木だった。
幹が黒くて、ゴツゴツしている。太くて長いしめ縄が巻かれている。太い根はボコボコと地上に盛り上がっていた。
その根と根の間に僕は、大きな裂け目を見つけた。ウロというやつだろうか。入り口から覗いて見たけれど、ずいぶん奥行きはありそうだった。真っ暗で先が見えないけれど、頬に僅かに風を感じた。
そうして僕は、暗闇の中を手探りで進んだのだ。手のひらから伝わる感触はヌルヌルでもなく、グニュグニュでもないのが救いだった。いつまで僕はこうして進めばいいのだろう。いい加減疲弊してきたころ、水の音が大きく聴こえてきた。行き止まりかと思ったが、足元に屈んでようやく通れるほどの壁の裂け目があるのに気付いた。音はその裂け目の向こうから聴こえる。僕はその裂け目に身体を突っ込み、通り抜けた。そして、やがて僕は不思議な光景を見た。
キラキラと青く輝く空間には、月のクレーターが盛り上がって棚田のようなプールがいくつもあった。そのプールにはどれも水がたっぷりと入っており、中心は白く輝き、その周りは透明度の高い青、そしてさらにその外は深い群青になっていた。
水が注ぎこまれている滝のようなものはなかった。その代わりにプールの中心が少し盛り上がっている。ここから湧き出ているのかもしれない。すごく蒸し暑くて、まるでサウナのよう。
僕はその不思議なプールの縁を、水面を覗き込みながら奥へと歩いていた。だからそこに裸に布を巻き付けただけの格好をしたお爺さんがいることに、すぐには気付けなかった。
「坊主、何をしにきた」
急に声を掛けられて、飛び上がった。心臓がばくばくいっている。お爺さんは痩せこけていて、ふさふさとした眉毛の奥にある瞳で僕を見ていた。誰だろう。
僕は宝探しに来たとは言えず、黙りこんでしまった。
後ずさって、けつまずいて、僕はまるでベンチのように段になっている窪みに座り込んでしまった。地熱だろうか、お尻の下が温かい。
「ふむ……」
お爺さんは、座り込んだ僕を見たあと、ゆっくりした足取りで壁際に移動して、そして丸い岩を持ち上げようとした。僕はそれで殴られるのではないかと戦慄したが、お尻が嵌まってしまったようで動けない。
ポン!!
「うわわぁあ!」
栓が抜ける音と、僕の叫び声が重なった。
そのとたん、僕は得体の知れない力で持ち上げられていた。ぐんぐん身体は持上げられる。天井に頭を打つんじゃないかと思ったけれど、その部分の天井は高く、まるでお風呂屋さんの煙突のように垂直だった。持上げられる速さは、どんどん勢いを増し……。
「あああああっ……!!」
小さな白い点が近づいて、大きくなって、空に放り出されるような浮遊感を感じたとたん、バサバサっと身体を何か小さくて鋭いもので叩かれる衝撃があった。僕は空へ飛ばされまいと必死で手に触れた何かにしがみついた。
僕は気付けば、あの御神木の、それもかなり高い場所の枝にしがみついていたのだ。
「死ぬかと……思った」
何があったのか、理解できない。じいちゃんの地図もどこにいってしまったのか。手の中に無くなっていた。
僕はしがみついていた枝を伝って幹まで戻り、なんとか下に降りようと慎重に足場を選んだ。
「何これ」
降りていく途中の枝に白いものがくくりつけられているのに気付いた。地面からは葉が邪魔して見えないであろう場所だ。
僕はなんとかその枝に近づいて、その白いものが何なのかよく見ようとした。そして、思わず声を上げて足を滑らせそうにになった。
その白いものは、じいちゃんから僕への手紙だったんだ。
中には、いつもの商品券。
「こんなの分かりっこないよ……」
僕はその手紙をポケットに捩じ込んで、そして慎重に木を降りた。脚はガクガクと震えていたけれど、頼れるのは自分しかいないと思った。
そして僕は嗤う膝を宥めつつ、母さんたちの待つ場所に向かって歩き出した。
あの場所はなんだったんだろう。あのお爺さんは誰だったんだろう。じいちゃんが自分であんなところに手紙をくくりつけたのだろうか。不思議なことだらけだ。誰に聞いても夢だと本気で取り合ってくれないだろう。
じいちゃんにもその答えはもう聞けない。




