散文詩、目的
さいしょ、その白い三角錐が何なのか、まったくわからなかった。
そもそもあまりにもぼんやりとしていて、遠近感がわからない。
余が抱えている画家どもは、遠近法という美術技法について賢しげに語っていた。
余は三日月にかすかに雲がかかった夜、魔法の使い手たちをどのようにして、戦場に投入すべきか、夜襲が成功するとすればどんな属性の使い手たちを揃えればいいのか、それについて大いに語ってやったものだ。
そのことはいい。
余が目の当たりにしている白い三角錐が、すぐ目の前にあるのか、それともはるか遠くにあるのか、そのくべつができなくなっていた、ということだ。
考えてみれば当たり前かもしれない。
シャルルが繰り出した長槍はおそらく余の頭を貫いたことだろう。
顔の何処に刺さったのか、まったくわからない。
17フリアルほどしかないはずの、長槍の直径が人の頭ほどに思えたのだが、その後に強烈な衝撃を頭に受けていらい、意識を失ってしまった。苦痛を感じる暇もなかった。頭の何処かに刺さったというのも、後付にすぎず、じっさいには頭そのものが吹っ飛ばされたと最初は思った。
しかし、哀れなのはシャルルのことだ。ロペスピエール侯爵シャルル3世。彼は遠く余の血、すなわち、ナント王家の血を引く彼のことだが、過失とはいえ王を亡き者にしては生きていられないだろう。願わくば安楽死を賜ることを、余の妃とその係累に心して頼む、いや命令すると言わねばならないのだろう。
言い忘れたが、余はナント王ピエール三世。竜上試合の最中に、彼は手元を誤ってしまったのだ。言うまでもなく余が勝利するはずだった。こうなる前にちゃんと手順を踏んだはずだ。このような結果に終わった理由は偶然によらぬなんらかの力が働いているにちがいないが、旅立つ今となってはそんなことはどうでもいい。
死とは肉体が朽ち、そこから魂が抜け出ることだ。
余はすでにその経緯のかなりに部分をこなしているはずなのに、どうして意識がはっきりとしていくのか?
白い三角錐は、自分のすぐ目の前、ちょうど腕を伸ばせば手が届く距離にあることがわかってきた。
そして、それが生き物であることがわかった。笑っている。あきらかに余を嘲笑している。肉体から魂は抜け出ているはずなのに、なおもその桎梏に縛られている。何と情けないことか。余がナント王である、などというのはあくまでも肉体の桎梏にすぎない。
思えば情けない人生だった。シャルルとはそれほど懇意にしていたわけではないが、すくなくとも余の死によって悲惨な最期を強制されるほど悪人であるはずもない。すくなくともロペスピエール侯爵領を無難に治めていたはずだ。
そういう青年貴族をむざむざ死なせるのか?
余は存在そのものが虚しいと決めつけるべきではないか。
戦場を駆けずり回ってきた半生は何のためだったのだ?
いや、つい数か月前まで余は戦場にて竜の上にあった。
半生どころではない。戦場で産湯につかり、戦場で洗礼を受けた、そういう余はおくり名のとおりに武王の名前にふさわしい人生を送った。要するにほとんどは陣地を張っているか、あるいは戦場から戦場へと移動する人生だった。
こうしているうちにも白い三角錐はそのかたちをはっきとさせていく。
みるみるうちにウサギに成り代わっていく。
まるで鼠のような長い二本の前歯で何かに被りついている。
いや、その何かはあくまでも錯覚だった。
じっさいその鼠、もとい、ウサギが噛みついていたのは余だった。
余をネタに笑っている。
余の人生をカタカタと笑っているのか?
哀れにも家臣に竜上試合で敗れて死んだ武王として。
ウサギはウサギなのか、
あの白い三角錐は本当にウサギなのかと疑問が鎌首を擡げる。
本当は乗り潰した馬ではなかろうか。
竜に乗るまで、乗れるようになるまで子供たちは馬を何頭乗り潰したかで、そのていどがわかると言われるほどだ。
王の息子なのだから、王国一の竜騎士を目指して、幼児ながらも天に向けて指を突き刺したものだ。それが指し示す先には神々が列をなしているはずだった。諸柱はやがて円をつくって自分だけに注目するはずだ。若き、と云うか幼きピエールは並び立つ貴族の子供たちのなかで第一であろうとした。馬に対する惨酷さなど簡単に無頓着だった。強いてそうあろうとした。最初はそうだったかもしれないが、やがてそういう意識すらなくなっていた。自分は強い人間だと信じて疑わなかったのだ。
馬を駆る子供たちは、空を舞う竜に焦がれる。
いつかはあれに乗って戦場を巡るのだと、
訓練に明け暮れる竜騎士たちに羨望の視線を向けたものだ。
皆の目はたしかに天に向かっていた。
しかしピエール少年の目はひたすらに地に向かっていた。
ベクトルがそもそも違っていたのだ。
あるいは空で円をつくって注目する神々の視線を気にすればするほどに、
意識は地、すなわち、自分が乗りつぶそうとしている馬に向かっていく。
無理な乗り方をすればいずれ馬は血を吐いて死ぬ。
それを視て、本当は泣きたかった。
少なくとも、吟遊詩人のように、いや、連中ですらそんな軽い、ふざけた詩はつくらない。だが。少年ピエールは頭の中で無残な死に方をした馬に対して哀悼の詩を歌っていた。もしも吟遊詩人が貴族の館でそんな詩を歌ったら、即座に軟弱ものとして叩きだされるに決まっている。もしも皇太子ピエールがそんなことをしたら、貴族のこどもたちはおろか、両親にすら見捨てられて、荒地に朽ちるほかなかったであろう。もしもこどものひとりがそんなことをしたら、すくなくとも表面上は、第一、その子のために多いに折檻しなければならない。
ピエールは馬を愛していた。
だから、馬に青い血を、人間だけに流れている、けっして、人間もどきたる賤民の身体に流れていないそれを馬の身体に疑似的に、そして、文辞的に流させたのだ。だれにも聴かせられない、彼だけが舞台に立ち、そして、彼だけが観客、あるいは聴衆という構図のなかで。
現実の馬は赤い血を流して死んだ。賤民と同じように。
そのとき笑って言ったものだ。
「農奴かよ、こいつ。見ろよなんて汚い血の色だ?赤だと?リシャール、あの汚らわしい農奴の背中に乗るなんて想像できるか?」
当時、親友であり、いまは大臣を務めているリシャールにそう言い放った。
自分を強く見せるために、馬の頭を踏んでいた。
ほんとうは薄氷を踏む思いだった。
リシャールは青い顔をしていた。
彼は鏡だった。
彼がしていた表情は、本当は余がしたかった表情。
何を思ったのか、彼を殴りつけていた。
許せなかった。それは本当の自分の顔であって、そなたのではない。余はそう虚空に向かって怒鳴りつけていたと思う。馬を馬のままで登場させるのは酷だった。想像のなかでウサギに、愛馬を変化させて訴えていた。ただめちゃくちゃに両手を動かしていたと思う。他のこどもたちに止められるまで殴りつけていた。両手を奪われてしまったら、残された足で、そのときすでに連中の手は片足に伸びていた。まるで屠殺される寸前の家畜のように何処かに運ばれていった。
気が付くと、ウサギは、白い三角錐はすでに笑っていなかった。余の愛馬に変わって、いや戻っていた。あれほどの仕打ちをした余の顔に長い舌を伸ばしていた。これほどの祝福を受ける資格があるのかと、哀れなシャルルの未来を想うと心苦しい。
彼の顔が脳裏を走った瞬間に、
顔のどの部分に長槍が突き刺さったのかを知った。
目だ。眼球を貫いた。
青い血が噴出した。
時間が止まったのか、あるいは遅くなったのか、
青い珠が宙に浮いている。
自分の身体にはこれほどまでに美しい血が流れていたのか?
魂は肉体を卒業しようというのに、
いまだに肉体の桎梏から自由にはなっていない。
どうやら逆戻りのようだ。
今度は王には生まれないかもしれない。
しかし他者への感謝を忘れない人間でありたいものだ。
はるか未来の、何処か、まったく違う文化圏の王がそんなことを言うだろう。
ピエールは再び混濁する意識のなかでそんなことをぼんやりと考えていた。
なおも愛馬に顔を舐められている。
いつのまにか、傷ついた目は治ったし、視力も取り戻した。
他者への感謝。
ピエールは馬に感謝していた。
そして、他の者たちへも。
シャルル。
リシャール。
そして、妃やその一族、黒い陰謀に手を染めた者たちに対してさえも。
今世、すでに過去世のひとつに組み込まれようとしているようだが、
それを生きる目的は果たした。
しかしピエールはその名前が消えても、自身が完遂した目的を思い出すことはなかった。