第17話 赤き従者の回想
朝日が昇って数刻が経った頃、早々に村を後にし先へ向かう。
「昨晩は随分とお世話になり、ありがとうございました。」
「いえいえ、よければまた立ち寄っていただければ幸いでございます。我々一同、殿下の旅路に幸おおからんことを願っております。」
村の者の大半がまだ眠っているであろう頃、律儀に村の村長と自警団の面々らが見送ってもらいながら出発した。
流石に馬車の中では疲労が出てしまっており、今は大臣も馬車で休んでいることだろう。
夜遅く朝が早いともなれば、慣れていない者は睡眠時間が足りるわけもなく、また欠伸が込み上げてくる。
「カリンは平気そうだな〜。」
欠伸混じりで目の前の従者に聞いてみる。
「アルス様ほど何かしたわけではありませんから。」
眠そうな主人とは反対に、いつもと変わらない顔がそこにはあった。
「そういや昨日はゴメン。呼んどいて寝ちゃったよ。」
黒髪の男と精霊の件で話したかったけど…。
まぁ、何も起きずに一夜を過ごせたから良しとするか。
「いえ、お気になさらないでください。それより、少しお休みになられたらどうですか?次の村まで少しありますから。」
村人達の前で維持していた真面目な顔とは変わり、今はとても眠そうな顔になっている。
「…それじゃあ、少しだけ。何かあったら起こしてくれ。」
静かに目を閉じ、頭を壁に預ける姿を見ながら、「はい。」という返事を最後に、記憶が途切れた。
昨日とは真逆の状況。別段それについて何か思うことはない。
ただ、やはりこの狭い空間で出来ることなんて無いに等しいし、裁縫をしようにも、道具が無い。
必然的に窓の外を眺めるか、主人の横顔を見るくらいしか…。
(って、私ったら!はしたない…。)
まだ彼は寝入ったばかりだというのに、ついついマジマジと視線がそちらに向いてしまっていた。
再会してまだ数年。空白の期間が多少はあれど、彼は変わらない関係を求めてくれた。
しかし、周りに限ってはそう簡単にうまくはいかず、どこか見下したような目で見られたこともしばしばだ。
別にそのことはどうだっていい、というか今更だ。
平均的な生活を送っている中間層ですら、汚物を見るような目で見てくることもあった。
こんな貧民街の孤児院出身な女、身の振り方なんてそう多くはない。
いや、ただ運が良かっただけで、もしかしたら院長自身が私のことを売りに出すことだって考えられる。
もっとも、私がいたところは善意ある真っ当な神父だったから、こうして私も真っ当に生きていられるのだけ。
先ほどの身の振り方の話だが、基本的に女は娼婦、男は単純労働…主には採掘やら荷運びが殆どだ。
冒険者になろうにも、貧民層の人間にはローンが組めず、入会金すら支払えない者が多い。
…ただ、私は少し違った。
いえ、私たち…かな。
幼い頃、神父様が森の中にちょっとした遊技場をお造りになられたことがあった。
前々からコツコツと進めており、私たちの代で完成できたらしい。
そのおかげか、狭い孤児院での生活は大きく変わった。
そこまで遠くにあるわけではないから、皆で毎日のように通った。
小さい私たちにはお城のように感じたアスレチック。最大にして唯一の遊具に、大喜びで遊んだ。
そんなある日、とある少年に声をかけられる。
『君達、いつもどこ行ってるの?』
年に差は感じなかったが、身なりは私たちのそれとは大分異なる感じだった。
青髪の少年は、濁りのない眼で私たちに立ちはだかる。
その眼に耐えきれなくなったのか、一番年長者の男の子がくってかかった。
『…外だよ。…なんだよ!文句あんのか!?』
私もそうだが、基本的に富裕層の子供でなくとも、貧民街の人間以外に苦手意識があった。
良くも悪くも純粋で、様々な悪意に晒されてきたから、仕方のないことでもあったのだ。
『ないけど…。俺もついてっていい?』
彼の言葉に怯えることもなく、淡々と自分の希望を述べてきた。
『え…いや…。』
どうするかみんなに意見を聞こうと、震える瞳が訴えてくる。
ここで良いよと言えば、彼はおそらく仲間に入れる。大体、1人が言い出した意見がみんなの意見にもなることが多いからだ。
『やだよ!知らない子だもん!』
しかし、誰が言ったのか、否定的な言葉が繰り出された。
『そうだよ!僕らと違うし!』
『えぇー、いいんじゃない?』
『神父様に怒られちゃうし、やめとこうよ。』
『俺も、嫌だ…。』
口々に意見が飛び出るが、基本的に男の子が彼を拒絶している。
…私は、どっちだったっけ。忘れちゃったな。
曇った顔で残念そうに『そっか…。』とだけ言って素直にどっか行ってしまった。
その時だけは、『あ、私…間違えたんだ。』と思った。
多分、皆んなも同じ気持ちだったと思う。
子供心ながらに、私たちを差別してきた奴らと同じことをしたと思ったからだ。
いや、そんなハッキリとそう思ったのではなく、仲間はずれにしたこと自体が心に刺さったのかもしれない。
『い、いこーぜ。』
先頭切って歩き出したのは、一番年長者の男の子だった。
彼はあまり勇気がないのに、無理に威張ろうとするから、たまに泣きそうな顔になることがある。
みんなも、そんなに人を引っ張る器じゃなかったから、なんとなく彼に従って生活していたんだ。
その日、私は心から笑って遊べなかった。
モヤモヤしてたから、こっそり神父様に話してみたけど、神父様は『自分の思うようにしてみなさい。』とだけアドバイスをして、それ以上は何も言ってくれなかった。
その次の日。
『やぁ。』
また遊びに行く途中で彼に会った。
『今日はついて行ってもいい?』
まっすぐ私たちを見つめてそう言った。
『なんだよお前!昨日ダメって言っただろ!』
声を荒げて拒んだから、内心ビクッとしてしまった。
それでも、彼は何かするわけじゃなく、また悲しそうな目で『そっか…。』と帰っていった。
また何もできなかった。そんな罪悪感に心を苛まれ、昨日同様に心から楽しめなかった。
さらにまた次の日。
また門の前で彼は待っていた。
『お前…またなんなんだよ!いい加減諦めろよ!』
3日連続で彼は同じ様に待っていた。
『いいじゃないか。俺も仲間に入れてくれよ。』
淡々と、怖気ずに彼は言う。
こうもしつこいと、色々とみんな彼に興味を持つようになってくる。
『なぁなぁ、アイツ、なんで僕らの仲間になりたいんだろうな?』
『んー?さぁ、分かんない。』
当然のように生じてくる疑問、なぜ私達の仲には入りたがっているのか?
自分で評価するのもなんだが、私たちは貧民層だ。富裕層の彼なら、私たちと違って友達なんて幾らでも作れるはず。
『ねーねー、なんで仲間になりたいのー?』
そんなみんなの共通の疑問を、アッサリと1人の女の子が聞いた。
『なんで…。楽しそうだったから?』
単純明快、しかし納得のいかない答えだった。
『もー、いこーぜ!構う必要ねーよ!』
こんな問答に時間を費やしたくないのか、待ちきれなくなった1人が声を上げる。
『そーだよ、無視していこー。』
今思えば、子供って残虐だったと思う。無視とかイジメとか、割と平気でやっちゃおうとしなんだから。
『お、おう。ほら、どけ!』
ズイッと彼の前に立ち塞がり、威嚇する。手を出したら問題になるから、私たちのできる最大限の抵抗だった。
すると、彼はすんなりと道を開け、また悲しそうな目になった。
正直、この時は迷った。手を差し伸べるべきか、ほっとくべきか。
結局、何もできず、この日もただ流されてしまった。
一昨日から、何かモヤモヤした感じが残っている。理由はわかっているけど、勇気が出ない。
夜になると、なぜか彼のことが頭に浮かぶ。
彼はまた明日もいるのだろうか?また明日も同じことを言うのだろうか?もしかしたら、もう彼も諦めてしまって会えなくなるのではないか?
この日、私はよく寝られなかった。
そのさらにまた次の日。
昨晩考えたことは、どうやら杞憂だったようだ。
彼はまた、変わらぬ格好でそこにいた。
『…また。』
遠目からも、それが誰だか分かる様になっていた。
もうウンザリした感じで、声が出る。
『無視だ無視。いいな?』
話しかけられる前に、素通りしようと、皆で打ち合わせる。
『やぁ。今日はダメかな?』
案の定、声をかけられても、誰も、何も言わない。
それで特に何かあるわけでも無く、ただ素通りする。
チラッと彼の顔を覗き見たが、やはり悲しそうな顔だった。
足を止めようかとも思ったが、止められない。
ただ思うことしかできない自分を歯痒く感じた。
そして、とうとう5日目になった。
あれだけ根気よく毎日いるんだから、入れてあげれば良いのに…。皆頑固だから、一度決めた事を破ろうとは思っていなかった。
夜になれば勝手な妄想で彼の悪口ばかりを言い合ったりした。
私は…、なにか言ったことはないけど、止めることもしなかった。
どうしたらいいのか分からない。
私まで仲間外れにされたらどうしよう…。
そんな考えが、頭の中を占めていた。
仲間に入れてあげたいけど、みんなに嫌われたくない。
子供にとって、それも貧民層の人間にとって、人との繋がりは一層切り離したくないものの一つだった。
『おはよう、今日は早いんだね。』
いつからそこにいたのだろうか、いつもより30分くらい早めに出られたにも関わらず、彼はそこにいた。
それでも、誰も何も口をきかず、彼の前を通る。
そのまま今日も、私は何もできず、みんなについて行ってしまった。
6日目。
少し汚れている感じがするが、変わらぬ身分の差を感じるような衣装で身を包み、門の壁に背を預けている。
皆苦い顔をしたが、すぐに一言『無視だぞ』と行って歩幅が少し大きくなる。
『おはよう。今日も…ダメかな?』
通り過ぎてから、振り返る。
少し立ち止まり、彼のことをじっと見つめてしまった。
そのことに気づいた誰かが、手を引っ張り、私を連れいてく。
誰かにバレないように、そっと優しく、けれど力強く。
『いゃっ!』
少し声が反射的に漏れてしまったけど、それが耳に届いたのは、僅かだったのかもしれない。
驚いた様な表情で手が離れ、そのままポカーンとしてしまっている。
『あ…ごめん。』
『ううん、』
何か言われそうだったから、思わずスタスタと歩いて誤魔化してしまった。
7日目。
今日だけは、少し私はいつもと違った。
朝の与えられた仕事をこなし、朝食の用意を済ます。
男の子たちは水汲みや薪割りといった重労働にまだ時間をかけている。
先に神父様に断り、ご飯を皆より先に食べ、諸々片付けてから門に向かう。
昨日の夜、私は決意した。
彼と話してみようと。
けれど、みんながいる前じゃそんなことできない。できないから、1人先に門で待ち伏せて、彼を待つ。
そうすれば、彼とお話できるし、後でみんなと合流すれば怪しくならない。
当時の私は本気でそう考えていた。
結果として、1時間前にはそこに着いた。
まだ誰もおらず、人通りも殆ど無かった。
まぁそれもそのはず、ここは非常用の勝手口みたいなもので、大人が頻繁に使うものでもない。
物陰に隠れて数分、彼はすぐにやって来た。
『こんな早くからいたんだ…。』
あまりの早さに、様々な疑問が浮かびつつ、意を決して姿をあらわす。
『…あの!』
けど緊張していたのか、少し変な声が出てしまい、彼にも驚かれてしまった。
『…どうしたの?』
それでも、何もなかったという風に声をかけてくれて、なんとか私もそこまで取り乱さずに済んだ。
『あ、あの。私のこと、覚えてる?』
しかし、何を話そうかといった内容を考えておらず、ぶっつけ本番で話しかけてしまっていた。
『?えーっと…。』
当然、日に5分と顔を合わせない私のことなど分かるわけもなく…。
『あ、いつもここ通る人達?』
自分の計画性のなさに後悔しかていたところで、彼は思い出してくれた。
『そ、そうなの、そのちょっとこっち来て!』
取り敢えず、みんなと鉢合わせないように路地に曲がる。
『なに?どうしたの?』
唐突な事に困惑しているようで。
『えっと…。私、カリンって言うの。君は?』
『俺は、…アルス。』
ファミリーネームもあるだろうに、そこを伏せたことに眉をひそめる。
『アルス君か。…えっと、私、君とお話ししたくて。』
『俺と?』
意外感を表に出しつつ、少し嬉しそうだ。
『うん。なんでいつも私たちのこと待ってるの?』
『…それは…、楽しそうだったから仲間に入れてもらいたくて。』
前に聞いたのと同じ答え。それ以上に何かあるのではと疑ってしまう。
『…それだけなの?』
少し、歯切れが悪そうに、心の内を僅かに見せる。
『…。うん、…本音を言うと…羨ましかったんだ。』
『羨ましかった?』
『うん。…』
どういうことだろう?私たちからしたら、彼の方がよっぽど羨ましい環境にいると思うのだが。
『俺には無いものだったから。』
『無いもの?』
何か、彼には無くて、私たちにあるものとは何だろうか?
『そう。』
けれど、そんな物があるという、少しの優越感が嬉しくなり、当初とは異なる提案をする。
『そっか。…じゃあ、一緒に行く?皆んなのとこに。』
そう言うと、パァッ!と表情が明るくなり、声も嬉しそうになる。
『!…良いの?』
『うん。私、もう、やだったんだ。無視し続けるの。』
コレは本心だ。するのもされるのも嫌だ。神父様曰く、正義感が強いと言われているが、多分そんなんじゃない。
『…でも、それじゃあ君が…。』
いつもの堂々とした態度とは裏腹に、不安げにそんなことを言ってくる。
『いい。でも、みんなとケンカしちゃったら、仲直りするまで私と遊んでくれる?』
この辺りは強かだったと思う。毎日嫌でも顔をあわせる相手とケンカした場合、そう長く続くものでもない。
特に子供なら尚更だ。
『…ホントにいいの?』
まだ不安そうに聞いてくるが、構わない。どうせなし崩しでどうにかする。
『うん。もう少ししたら行こ。みんないるかも。』
この日、空は綺麗な青だった。
ーーーー。
ワーワーと楽しそうに騒ぎ、アスレチックでオークごっこをしている。
『アレ、カリン何しtーーー。』
すぐに後ろの奴に気づき、嫌悪感を露わにする。
『あー!なんでその子と一緒なの!』
『やっといねーと思ったのに!』
『朝いないと思ったら何してんだよー。』
皆口々に悪意の混じった言葉を口にする。
『みんなゴメン!勝手なことしたのは謝る。けど、もう仲間に入れてあげようよ!』
少し、本当に少しひるんでしまったけど、自分の意見をみんなにぶつける。
『カリン、何言ってんだよー。』
『そうだよ、何されるかわかったもんじゃねーよ!』
そんな否定的な雰囲気の中、私が何か言う前に、1人の男の子が口を開く。
『もういんじゃね?』
しかし一人、男の子の中で唯一、肯定的な言葉が出た。
『クライド…。』
『もういいじゃん、仲間に入れりゃあーさ。』
この中で2番目に年長者の寡黙な男の子は、滅多に動くことがない。だから珍しかった。
『お、お前まで何言ってんだよ!』
『なに?逆になんでダメなの?』
そう言えば…、クライドって屁理屈が上手かったっけ…。
『なんでって…そりゃあ』
『あ、怖いんだ?』
あと、挑発も上手かった。
『なっ、別に怖くなんか!』
『んじゃなんで入れてやんねーの?怖いからじゃねーの?ビビりじゃん。』
あ…、それ禁句…。
『っ!!!お前こそっ!カリンが好きだからそんなこと言い出したんだろ!?』
唐突な流れ弾。当然、驚くし顔も熱くなる。
『エッ?!』
そう言えば、子供ってなぜか異性の肩を持つと好きだ嫌いだの話になってしまうんだよなぁ。
流石に効いたのか、少し顔を歪め。
『っ、今関係ないだろ。』
だそうだ。
今思えば、取り乱さなかっただけ彼は大人だった気がする。
『もーやめなよー。入れてあげればいいじゃん。』
流石に2人の言い争いに飽きてきたのか、ラナも入ってきた。
ちなみに、他の子は傍観に徹していた。飛び火を貰いたくないんだろうな。
『…空気操作』
ボソッと何かアルスが呟いた。けれど、目の前の口喧嘩に気を取られてて、ちゃんと聞き取れはしなかった。
次の瞬間。
『少し、話を聞いてほしい。』
そこまで大きくない、寧ろ低くて聞き取りづらいかもしれない声量にも関わらず、ハッキリと耳元で声が聞こえる。
正直ドキッとした。
『僕のせいでこんなことになってしまったのは謝る。ゴメン。けれど、僕はどうしても君たちの仲間に入りたいんだ。』
これが魔法の類だと気づくのに、少し時間がかかった。
『…なんでだよ。』
まだ数えるほどしか見たことなない魔法という概念に、頭を驚きで冷やされつつ、尚もかみつこうとする。
『…俺には、友達がいないからだ。』
ーーー、静寂。
誰が何を言っていいのかも分からない。
『う、嘘つくなよ!お前、貴族だろ?友達いないわけないだろ!』
瞬間、少し怒気を孕んだ声。初めて感情が見えた気がする。
『下手な笑顔で近づいてくる関係を友達なんて言わないだろ?』
言ってから、しまったという顔をして、気まずそうにしている。
『あ、いや…。』
ドサッと何か落ちた音がした。
『っと。…俺クライド。よろしく。』
右手を差し出し、子供ながらに精一杯の歓迎の意を込める。
『あ…。』
中途半端に出ていた手は、握るまで少しの距離があった。
『よろしく。』
少々強引だったが、手を伸ばし、強く握りしめる。
『俺、アルス。よろしく!』
最初は、その行動に呆気にとられてしまった。
しかし、徐々に、その意味を理解した…というか、単純に嬉しかった。
だから、自然と笑みが溢れた。
とても自然で、家族以外へ笑顔を向けたのはいつぶりだろう。
『お前らはどーする?』
それを見た彼らは、互いに顔を見合わせ、一つ頷く。
一斉にアスレチックの様々なところから降り、クライド同様手を差し出す。
『僕はマラン。よろしく!』
『あたしルチア!』
『俺カール、』
『俺トマス、ヨロシク!』
『私はジェナ、無視したりしてゴメンなさい!』
一斉に自己紹介をしてくるもんだから、当然彼は戸惑ってしまい、ついでに嬉しそうでもあった。
『あ、うん!うん!よろしく!!』
「カリン?」
ハッと誰かに名前を呼ばれ、現実に意識が戻る。
「あーゴメン、寝てた?」
寝て…?
気がつけば、意識がなかった事を自覚する。
どうやら、いつの間にか寝入ってしまっていたようだ。
幾ら平気そうに見えていても、慣れてないことは疲れるもので…。
こんな座り心地が抜群の馬車で寝ないほうがおかしいとまで思ってしまう。
「スミマセン…。」
もう謝罪の言葉以外が口から出ることはなかった。
「いいって、暇なんだし。それより、起こしてゴメン。何か夢でも見てた?」
…夢?…。既にどこからどこまでが夢なのか思い出せない。
もしかしたら、1人でアルスに会いに行ったのすら夢…、何てことはないな。流石に覚えてる。
「はい、少し、昔の夢を。」
とても懐かしく、それでいてもう戻れないあの日のことを。
「へぇー、クライドって呟いてたけど、もしかして森の広場のこと?」
少しドキッとした。まさか当てられるとは思わなかった。
「えぇ、よく分かりましたね。」
なぜか勝ち誇ったような顔でこっちを見てくる。
「そりゃあ、カリンの事だからな。」
どういう意味ですか…。恥ずかしい…。
「あの頃は楽しかったなぁ、ディルクにかみつかれたり、クライドに言い負かされたり…。」
「それを楽しい思い出にカウントしますか?」
マイナス方面の記憶な気がしてならないのは、きっと気の所為ではない。
「けど、そういうのがあって今があるんだ。そう思えば悪くないモンだろ?」
確かにそうですけど…。
「思えば最初なんて無視されたし。」
いや、それは…。
「見知らぬ人を仲間に入れたくなかっただけですよ。」
…多少の偏見もありましたけど。
「服着替えときゃ良かったんだよなぁ〜。今更だけど。」
「それは…。」
否定はできない。少なくとも、色眼鏡で見ることはなかったと思う。
「まっ、割とすぐに打ち解けたから、隠す方が後々問題だったかもな。」
言葉に詰まった私へのフォローだろう。彼はそうやって流すのが上手い。
そこで何か言おうとしたその時。唐突に窓からノックが来る。
「なんだ?」
窓を半分ほど開け、すぐに王子としての声色で答える。
「もう村が見えてきたので、御仕度の方をよろしくお願いします。」
「分かった、ご苦労。」
それだけ終わると窓を閉め、また元のアルスに戻る。
「早いな、そろそろ14時になるのか。」
言われてみれば、若干の空腹を感じる。
昼食は山との中継地点である村で食べる予定となっているので、朝食以外に何も口にしてないのだ。
「アルス様、少々失礼します。」
ストンっと隣に座りだし、頬に手が当てられる。
どこから取り出したのか、身嗜み用品を手に、髪を梳かれる。
「ん…。」
されるがまま目を閉じ、身を任せる。
「少しヘコんでますね…。」
髪を持ち上げたまま、プシュッと霧吹きがかかる。
手際よく癖を直し、慣れた手つきで形を整えていく。
(…近いん…だよなぁ)
内心、慣れない距離感に心を揺らしながら、視覚以外の五感で彼女を感じる。
「出来ました。」
フワッと風を感じながら、どことなく名残惜しさも感じる。
「ありがとう。」
いつからだろうか、彼女との距離感を気にするようになったのは…。
それ以上、隣に座っている理由も彼女にはないので、早々に元の定位置に戻る。
なんとなく、馬車のスピードも落ちてきたことから、もう到着することが察せられる。
窓の外を眺めながら、刻々と近づく村まで、この揺れに身を任せる。