第1話 日常
寒い通学路を歩き、気の進まない学校への道をトボトボ歩く。
手袋やらマフラーを装備していても、手足の冷えを完全防御するのはままならない。
「マジさみぃ…。」
そこそこ長い通学路って、夏冬の気温がヤバイ日は苦行以外の何者でもないのが辛い。
気を抜けば震えが止まらなくなってしまいそうである。
高校3年の冬。受験も終わり、半ば自由登校に近い登校日が最近は続いている。
もうこの時期になると、真面目に出席日数を稼いでいた身としては、1週間2週間の有給は認められても問題ないはずなんだが…。
どうにも強制登校イベントが発動してしまったらしい。
…なにやら、配布物があるから取りに来いだのなんだのと…。
無碍にするのも後々面倒になりそうだから、本日に至っては素直に投降…もとい、登校することにしたのである。
誰もいない校門をくぐり、下駄箱まで歩く頃には、手足の感覚が殆ど消えきっている状態に陥ってしまった。
やはり手足にカイロを忍ばせなきゃならんと再確認した瞬間である。
「はぁ…」
感覚が乏しい手で上履きを取り出すと、どうにも教室へ行く気力が損なわれてしまう。
誰かと会いたくないというのが1番、暖房が自分にとって丁度いい環境じゃないのが2番。
大体さ、廊下側ってなんであんな寒いの?…廊下に面してるからか。
そんな気の進まない足取りで教室まで歩き、スライド式のドアをゆっくり開ける。
入った教室内には既に半分以上のクラスメイトが登校してた。
そんな中、比較的交友のある男子から話しかけられる。
「おー、久々ジャーン。一週間も休んで、風邪大丈夫か?」
ワックスで髪を固め、なんかガチガチになってるこの男は、…まぁ、友人とカテゴライズしても差し障りない奴だ。
「あー、大したことなかった。」
当たり障りない、真っ当な話題を振られ、適当に返事をしておく。
実はズル休みしてたとか種明かししてやるつもりもない。キャラ的には元生徒会役員で真面目担当なんだし。
「インフルじゃないよな?」
「いんや、違う。」
荷物を適当に置きつつ、チラリと周りを見れば、個人的に苦手な人種ばかりが教室内に多い。
なぜウェイウェイ騒ぐ輩達は、そんな朝早いのか。
「へぇ…、あ、そーいやさ、会長さんが休んでる時に顔出してたぜ?」
唐突に、思ってもいなかった人物の名前が挙がる。
「…は?東雲が?」
一瞬思考が凍りつく。
「休みだって言ったらすぐ帰ってったけど、なんかあんの?」
「…いや、何もないけど。」
平静を装ってはいるが、意外と衝撃が強い。
わざわざクラスにまで来たってところが引っかかる。基本、仕事の話であればメールやLIN○で連絡してくるのが常だ。
そんな彼女が、何の用で俺を訪ねた??
しかし、特に答えが出ないまま彼は会話を続ける。
「えー、実は付き合ってましたみたいなオチはー?」
大凡、この年の男子なら必ず煽ってくるワードだが、俺に至っては特に何の意味もない言葉だ。
「あるわけないだろ」
本当にあるわけがない。ある程度好感が持てる相手なら違ってくるだろうが、相手はあの東雲麗奈だ。
人望が厚く、狡猾で、おまけに人のことをおもちゃ扱いする女。これのどこに可愛げがあると言うか。
カリスマ、そんなスキルがあるならば、それは彼女の為にある能力だろう。勿論、高校生にしてはと注釈がついてしまうが。
そんな男女共に魅了してしまう女性が東雲だ。
そんな彼女と俺が付き合う?ありえない話だ。
俺の実家が金持ちで、文武両道なスペックでも持ち合わせていたとしたら、万に一つくらいはあり得る話かもしれない。
が、俺はどこにでもありふれた男子高校生で実家も平凡。彼女と釣り合う要素なんて皆無と言える。
「そもそも、誰かと付き合ってる噂とか多いじゃねーか。」
「つっても、ほぼデマなんだろ?」
確かにデマだと“本人”から聞いている。
しかし、本人が真実を語っている保証もない。
「いやいや、よく考えてみろよ。あのスペックだぞ?放っておく男がどれだけいる。」
顔良し、外見よし、スタイル良し、死角なんて全くないパーフェクトな人間だ。(内面?知らない子ですね。)神様は一人に二物も三物も与えすぎていると訴えたいね。
「いねーわな。なんならとっくに大人になっててもおかしくない。」
サラッと、…まぁあり得なくもないが、とんでもない事を言いやがる…。
「だろ?バスケ部の…名前忘れたけど、あのイケメンとかと付き合っててもおかしくないって。」
「あー佐々木かぁ…、一時噂になったもんな。」
一番信憑性が高い、割と今も尚語られている噂である。バスケ部のエース?的な人物で、顔も悪くないとの事。バスケ漫画なら主人公やれちゃうレベルだ。
「結局、俺たちみたいなモブキャラには高嶺の花なんだよ。」
モブはモブ。主人公なんてなれないのが現実。高望みはしないのが信条。
「…けどよー、それでも付き合いたいって思ってる男子多いと思うぜ?」
しかし納得がいくまいと食い下がって話題の方向を少し変える。
「それは…まぁ、そうだろうな。」
確定情報でもないのだから、「可能性が僅かでもあるなら!」とか考えてる奴もいるだろう。
「あんな娘ってそうそういないし、卒業を機に告る男子もいるんじゃね?」
「…まぁ、ありえなくもいない。」
確かに、そんな僅かな砂粒よりも小さい可能性に賭けて、行動を起こす奴もいないとは言い切れない。
「だろ?だからさ、ここは仲のいいお前が真っ先に呼び出してーー。」
少しキメ顔で、得意げに指差しながらーーー。
「告らねーよ?」
言い切る前にセリフをぶった切ってやった。
「えー?つまんねーなー。」
「そもそも無理なんだよ、東雲と付き合うなんて。」
砂粒以下に期待を馳せて動くほど、俺はもう愚かじゃない。
「お前がそう言っちゃーー?」
渋々、ようやく引き下がり、別の会話に移れると思ったその時。
なぜか俺の後ろに視線が向いて、表情が固まってしまってる。
「ん?」
何事かと振り返り、その原因を見ようと思った瞬間、まさか俺も同じ目にあうとは思いもしなかった。
「あら、どうしたの。続けたらどう?」
背景に吹雪でも吹いているような、そんな凍てつく冷気を纏いながら、外用の笑顔を装備して後ろで腕を組む人物がいる。
笑顔って、時に凶器になるんだな…。
「…い、いつから?」
少し上ずった声で、被害の確認を断行。これを英断と呼ばずしてどうするか。
「貴方が私の根も葉もない噂話しを始めた辺りからよ。」
それって後半のヤバい部分、全部ダダ漏れじゃねーか!
「いや、あれはーー。」
咄嗟に何か言い訳しなければならないと思考が働くが、何か言う前に彼女に先手を打たれてしまう。
「いいのよ?確かに噂自体は蔓延してるもの。それを陰で話されたところで仕方のないことよ。」
さして気にしていないと言っているようで、その声はどこか怒りを孕んでいた。おそらく、この違いは常人にはあまり理解できないだろう。…というか目が言っている。「信じてなかったのね?」と。
「ま、まてまて待ってくれ!」
「あらぬ噂で談笑された私に、何を待てと言うのかしら?」
ドスッと正確に何か貫かれ、俺の頭は即座に一つの答えを導き出した。
「スマンっ!俺が悪かった!」
そう、謝罪だ。
できる限り頭を下げ、誠意を込めて。合掌の力を類に見ないほど込めながら、謝罪する。
「…いいわよ別に。大して気にしてないから。」
そう言われ、薄眼を開けて彼女を見ると、フイッと少し目線を外し、口元に手を当てている。
「けど、…貴方に誤解されているのは、少し心苦しいのよ?」
少し潤んだ目で、弱々しく発せられるそれは、俺の心をーー。
「し、東雲…。」
「ーー、もしかしなくても脅しのネタにする気だろ。」
正気に戻してくれた。
この手も何度目だよ。いい加減学習したわ。その潤目卑怯すぎんだよ。
「あら心外ね。今更増やしたところで意味ないでしょ?」
とりあえずは聞かなかったことにし、聞くべきことを聞こうと思う。
「…んで、何の用だよ」
「後で生徒会室に来て。少し仕事があるのよ。」
仕事…の内容はさておき、何故それが俺にくるのだろうか。
「それなら橘さんに声かければーーぁ。」
よくある、いつも通りの定番な返しをしたはずなのだが…。
「あー、いや、うん。向かう。昼休みか?」
どうにも凍てつく眼差しで却下され、俺はYesしか回答が許されなかった。
「いえ、放課後よ。」
「了解。」
「それじゃあ後でね。」
それだけの一瞬のことだったのだが、耐性がなければ耐えられないブリザードが一瞬過ぎ去ったみたいで、どうにか凍死は回避できたようだ。おかしいな…あいつのジョブって生徒会長であって雪女では無かったはず。
…というか、クラス違うのになんでいたんだ…。
そう思い東雲が出て行った扉の付近に顔を向ければ、とある女子生徒がこちらに笑顔を向けていた。
…高坂…お前か。何故にドヤ顔でサムズアップしてんだ。
「…プハァ!死ぬかと思った!」
息まで止めていたのか、ゴーゴンの石化から解かれたコイツは、ここぞとばかりに率直な感想を述べる。
「いや大袈裟な。」
「いやいやなにあの目?!アレ人殺せるでしょ!!」
俺に向けられた目であったが、どうやらコイツにも余波があったらしい。
「おまっ、声でけーよ。」
興奮してるのか、クラスメイトがこちらをチラ見するくらいには声が大きくなっている。
「なのにお前何なの?あんな平然とやり取りできて、勇者なの??」
「俺が勇者なら、お前は赤い魔導師だな。」
「なんでゲーム?って、そうじゃなくて!」
混乱のバットステータスでも掛けられたのか、落ち着きがなくなっている俺の友人。
「まぁ落ちつけ、そこそこみんなの注目集めてるから。」
目立たない系男子としては、この状況は恥ずかしくて仕方がないというものだ。
「そーそー、喧しいぞー?」
それに同調するように、諸悪の根源ともいうべき女子が会話に入ってくる。
「それは同意だが、そもそもけしかけたのお前だろ?」
高坂 由美。2次元で言えば天然系美少女とヒロイン格の座を勝ち取れる程の女子である。
ちなみに小4からの腐れ縁であり、黒歴史の一端。
「んー?」
可愛く小首を傾げ、意味がわかってないとばかりに“アピール”をしている。
「タイミング良すぎ。大方、俺が来たら連絡くれって言われてたんだろ?」
そうでなければそもそも待機していたか、どの道一枚噛んでるのは間違いない。
「さっすが私の旦那、名推理!」
「そこまで名推理でもねーよ。」
誰も君の上司になった記憶はないからね。
とまぁ、いつもと変わらないやり取りをしていると。
「え、お前らそういう関係?」
「は?」
そういうとはどういう?
「いやいや隠すなって!」
何も隠してるつもりはないんどが…、勘違いしてるというのは即座に理解できた。
もう、他人のことをいじりたくて仕方ないって感じだな。
「あぁ、お前が想像する旦那って意味じゃねーよ?」
「え、私奥さんだったのー?じゃあ養ってくださーい。」
ちょ、男子の目がちょっと怖くなるから冗談でもやめて。
そもそも君、俺の事振った経験あるよね?
「いや、そんな余裕ねーよ。つうか、そういう意味で言ってないだろ。」
「テヘッ☆」
なんと言うか…、可愛いと何してもオッケーみたいな感じで困る。
それとも憎めない俺の心に問題があるのか。まったく…可愛いは正義だな。
「んだよもー」
あり得るはずもないのに、なぜか残念そうにうなだれる。
仮に付き合っていたとしたら、それはそれでお前にダメージがいくだろ。
「…お前さ、他人の恋愛より自分の頑張れよ。」
何の気なしに、というか矛先を変えるべく、彼へと問いかけるが…。
「相手いねーの知ってんだろ!この鈍感系主人公!」
「え、褒めてんの?貶してんの?」
ラノベなら褒め言葉…だよな?
「俺にだってルート入れる女子がいればそうしたいよっ!!」
「だってさ高坂。」
「えー、ちょっと無理かなー。」
「おうふっ!」
流れるように一刀両断され、俺の机に思いっきり頭を叩きつけている。
「まぁ、脱オタしたら良いんじゃないか?」
「いやー、ワックスの使い方からじゃなーい?」
更に追い討ちをかけるかの如くダメ押し。しかも正論だから心に刺さる。
「うっ、うっ…。」
「まぁ泣くなって。」
「そうそう、顔は悪くないんだからさー。」
そこでのフォローは適切なのかは分からないが、何気なく言ったそれに勢いよく食いついてくる。
「ホントかっ!」
「良くもないけどねー。」
「グハッ!」
回復したと思えば傷を負う…、忙しいやつだと思う。また俺の机に向かって頭振り下ろしてるし…。
「うわー、傷口に塩。」
「エヘヘへ。」
あざとらしい笑い方…。俺ら落としてどうすんですかねこの娘は。
「そんな高坂さん。今月は何人に告られましたか?」
「んー?2人…あ、直接は1人だったかなー。」
初見でこう言われたら、清く生きている男子高校生としては絶句物だろう。
「うわー、相変わらずだな。」
直で告るほどの猛者がまだいたとは驚きである。…いやむしろ、時期が時期だからそうなのか。
「それほどでモーゥ。」
「何故牛真似…。こうして何人の男子が死地へと逝ったことか…。」
要所要所に天然アピールを欠かさない高坂さん。流石です。
「そんな振ってないよぉ。」
可愛く小さめに手を振ってはいるが…、数にするとヤヴァイのを俺は知っている。
「いや、知ってる限りじゃ少なくても5人は振ってるから。今ので7人って十分多いから。」
だというのに、クリスマスは友達と過ごしましたって…、マジで非モテメンタルクラッシャー。男子的には期待しちゃうじゃん。
「だってー、カッコイイ男子ってもうこりごりだしー。」
ここでイケメン未満の男子は「おっ!」と思ってしまうが落ち着いてほしい。
「けど、ブサメンもダメだろ?」
「流石にねぇ。男子だってそーでしょ?」
一石投じただけで、儚くブサメンたちの夢は壊れるのであった。
「まぁそうだな。可愛い娘の方がいい。」
内面どうこうとか取り繕うのも、高坂を前にしたら無意味だ。
俺限定の縛りかもしれんけど。
「ほらー。」
そんな無難に談笑してた中、机に顔を載せていた男が起き上がる。
「もう、爆ぜろよお前ら…。」
「はっ?リア充でも無いのに?」
唐突に非リアへ酷い願望である。
「俺の目の前で可愛い女子と会話したる時点でギルティなんだよぉぉ!」
「いや、お前も会話に混ざってたろ。」
「可愛いだなんてそんなぁ〜。」
寧ろ自分で会話から身を引いてたよね。セルフフェードアウトしといて暴言とか。
「あー、はいはい。」
「つか、お前の場合は無条件で爆ぜて欲しい。」
「友達に爆死望むなよ。物理的な意味で。」
童貞のまま死ねって酷くね?いや、童貞じゃなくてもそうだけど。
「そうそう、いつか彼女くらいできるよー。」
ありきたりな、もう聞き飽きたくらいのフォローであるが、なんか高坂に言われると無条件に希望を持っちゃいそうになる。
少なくとも俺的には。
「それはもう聞き飽きましたぁぁ!いつかとかいつだよ!5日かよぉぉ!!」
まぁ、彼には火に油だったみたいだが。
「おい、マジで煩い。」
「みんなこっち見てるよぉ〜?」
あれだけ騒げば…まぁ、クラス全員を振り向かせることなんて容易なわけで、ついでに廊下にまで響いていたようだ。
「なんだ川田ー。大声出してどしたー?」
ガラッとドアを開け、廊下の冷気と共に入ってきたのは、担任の教師だった。
「せんせぇー!」
「また高坂と黒木のラブさに心をやられたか。」
ガフッ!とか口で言いながら、またも机に沈んで行くコントを見ながら、文句の一つを投げかける。
「アンタ教師なのに何言ってんだよ。」
「もー先生ったらー。」
若い先生って生徒とフレンドリーにしてたらオッさんの先輩にいびられるもんじゃないんですかね。
しかも若干、内容がセクハラチック。
「新卒から3年で高3持たされた先生の身にもなれー。お前らのストレスの比じゃないんだぞ。」
ちょっとマジ顔で苦い顔を隠しもしない。
「けどその割に先生既婚者じゃないっすか。」
「割と家が裕福だからな。」
この教師…そういうことあっけらかんと言うなよ…。忙しいのによくそんな暇あるなって皮肉だったのに…。
世の中金か…って結論になっちゃうじゃないの。
「20代で結婚とか理想的ー。」
「嫁さんのスペック高いとかなり助かるぞ。主に家事と家計が。」
マジかおい、あの若さでハイスペックな嫁捕まえてんのかよ。これで美人なら勝ち組じゃん。いい加減写真の公開を要請したいとこだね。
「やっぱそうなんだなぁ…。」
チラッとクラスメイト(女子)を盗み見るが、…皆さん苦く笑いながらも少し真顔になっている。
「まぁ、そんな女子の大半を敵に回しそうな話題はさておき…、朝礼だ朝礼。日直。」
始業のチャイムが鳴り響くと同時に、朝の朝礼が今日も始まるーーー。
「ーーーーつーわけで、俺は職員室に戻るから、大人しくしててくれー。」
サラっと流すが、2時限目から体育館に集合、それまでは自習との伝達だ。
つまり、1時間は暇だという。
2限から始まるというのなら、最初からそれを目安に登校時間を設定したらいいものを…、融通が利かないのか、それとも他に何かあるというのか。
なんにしても、生徒側としては面倒なことこの上ない。
仕方がないのでクラスメイトと雑談に花を咲かせ、時間を潰しながら、時が経つのを待つ。
主には川田とか川田とか川田とかとオタ話で盛り上がっていた…。べ、別に友達がいないわけじゃないんだからねっ!
高坂?女子とガールズトークに花を咲かせとりますよ
そうしてあれよあれよと時間は過ぎ、体育館に移動を開始する。
諸々、昼頃には校歌やら国家を歌い、卒業式の練習を終えて本日の通常業務は終了する。
後はホームルールと掃除というイベントをこなせば、大抵の生徒は自宅へ帰宅出来るはずなのだが…。
定時で帰れず、残業しなきゃならないのが惜しいくらいだ。
…久々の外だし、本屋とか行きたい。
が、サボったら後が怖くて仕方がない。彼女、平気で人の精神抉りにかかるから逆らえない。
渋々、朝のパワハラに従って生徒会室の方へ向かおうとしたその時。
「あー、黒木、ちょっと待て。」
鞄を持ったところで担任に呼び止められる。
「はい?」
「お前からまだ合格報告聞いてないだろ?」
言われてみれば、そういう名目で今日は来たんだった。
「…はぁ、そういやそっすね。」
「ちょっと書いてもらうものもあるから、職員室まで付いて来い。」
「えー?」
「どうせ暇なんだろ?」
大凡、教師が言う言葉ではないようなセリフだが…。
報告だけならと素直に後をついていった。
「コレだコレ。コレを半分以上は埋めてから帰れよー。」
ガサゴソという効果音でもつきそうな、書類の山から一枚のプリントを取り出し目の前に突き出される。
「は?…いやこれって…、一般組書かないって聞いた気がすんですけど?」
それは受験報告書という、言うなれば後輩たちへの手引書だ。
過去の先輩方はどんな風にこの山だか壁だかを乗り越えたのか、そんな体験談を美談のように書き換え、励みとする、一種の攻略本である。
…が、そんなモン書くなんて頼まれていた記憶なんて全くと言っていいほど無い。
「数人にしか頼まないと言った筈だが?」
「…いやいや、俺じゃなくていいじゃないっすか。」
なんなら国立大受けた奴の方がいいネタ持ってんだろーよ。
「残念だが、役員やった奴らには書かせてるんだよ。村瀬も渋々書いてたんだから、お前も書いてけ。代わりにそこの相談室使っていいから。」
有無を言わさず押し付けられ、逃走のコマンドが封印されてしまう。
「うへぇ…。」
イエスorハイ。またはイエス回答のみのエンドレス質問。
過去の経験から、どうしてかこの教師にはいいように使われてしまう…。不思議。
「んじゃ、頼むな。ついでにこれ、必要書類。」
ついでと言わんばかりに、本来の用事であったはずの書類の封筒を手渡され、そのまま見送られる…。
…仕方なく、自習室兼相談室として使われている部屋に入り、鞄からシャーペンを取り出す。
「たく…メンドクセェ。」
ざっと見20行程度、半分で良いのだから10として…、何を書く?確か、先輩のはどう勉強したかとか書いてあった気がするけど、そんなんで文字数稼げねーし…。
当日の心構えでも偉そうにツラツラ書いておくか?いやしかし、俺と同じメンタルを持つ後輩がこの先どれだけいるというのだろうか。
しかし、理解されないことを考えるとやはり無難にそれっぽいことを書き綴るしかないか。
だが、大衆受けを狙って面白くない文を書いたところで、俺が面白くない…。残せるというのならば、奇をてらった内容にしたいというのが芸人魂…。まぁ、そんなもん持ち合わせちゃいないが。
他に書くとしたら生活習慣とか、普段の過ごし方とか、豆知識とか…。ネタに走りすぎて書き直し食らうってのも面倒なわけだしなぁ。
「シンプルイズベストか…?」
素直に志望動機と勉強法だけを中心に、フランクな文体で書き進め、1時間もかからない作業時間と、提出に対応待ち時間とを消費し、購買へ向かう。
待ち時間の方が長かったのは気のせいか…。
時刻はすでに2時過ぎ…。昼飯も食えないってどんな社畜なんだろ…。
ほぼオヤツ的な時間。パンの自販機に残っていた卵サンド片手に、連絡入れずに待ちぼうけ食らわせた会長の元へ向かう。
とりあえず、いびり殺されるのは間違いないと思われたので、ささやかにホットのお茶も購入しておく。
ある程度の覚悟を決め、鞄片手に心音が少し早くなる。
早足で会室に向かい、正直メモだけ残して帰ってくれている未来を期待していたが…。
すぐにそんな期待は淡く砕け散るのであった。
“明かりのついてる”会室の前で、軽く深呼吸して、ドアノブに手をかける。
フワッと顔に吹きかかる暖気を感じつつ、何を言われるのやらと半ば投了した気分で部屋に入るとーー。
(…え、マジかおい。)
予想していた状況とは違った光景だ。
俺としては、椅子に座って足を組み、凍てつく笑顔でで迎えられると想定していたのだが…。
「ーーースぅ…。」
そこにいたのは、可愛らしい寝息を立てて眠っているただの女子生徒の姿だった。
壁に頭を預け、寝入っているようだ。
(…珍しいというべきか。狸寝入り…じゃないよな。)
そんな失礼な思考は露知らず、穏やかな表情を浮かべて眠っている会長。
そんな寝顔をまじまじと見てみる。
(…見た目は、可愛いんだよな。)
ポスッと床の隅に鞄を置きながら見た顔は、中々にグッとくるものがあった。
小柄過ぎず、大柄過ぎず、程よい平均的な背丈。決して太いと思わせない肉付き。スカートから伸びる足はモチッとしており、かなり男子ウケのいい部類の美少女。
ついでに胸も小さくない。…らしい。
いや知らん。女子同士の雑談を仕事しながら聞いていただけだし。人畜無害系男子だから、いないものとして扱われていただけだし。
ただ、性格に関してはお察しなので、そこが残念極まりない。普段は猫被ってる感じだから、人気出るのは頷けるけど。
(まぁ、寝かしとくか。)
シレッと無音カメラで寝顔を撮影し、カタッと少し音がなりながらイスに座る。
よほど深く眠っているのか、その程度で彼女は起き無かった。
カメラで寝顔撮ったのはツッコまないでくれ…。数少ないコイツの弱みなんだ。(…まぁ、どうせ盗撮魔とかなじられるから、ただの観賞用になるけど。)
無防備に眠っている彼女は、男子的になんとも言えない感情を掻き立ててくれる。こう、イタズラしちゃいたい的なね。俺だけか?
まぁ、命が惜しいのでそんな馬鹿なことをするわけもなく、鞄から卵サンドと水筒を取り出し遅めのランチと洒落込むことにする。
細心の注意を払いながら最低限の音だけでセロファンを剥がしつつ、どうしてもカシャカシャなってしまう音に内心ハラハラしてしまう。
値段の割に溢れそうな卵を慎重にパンで支え、一口かじる。
空腹で根をあげていた、もとい、音をあげていた消化器官にしみていく…。
この残業なかったら、適当に牛丼でも買いに行ったものを…。まぁ、最後の晩餐になりそうな気がしないでもないから、表立って愚痴らないけど。
「んん…っ。」
割と可愛らしい声に何故かゾワッ!と神経が集中し、声が上がった方を向く。
(やべ、起こしちゃった?)
少し寝ぼけているのか、焦点の合わない目でこちらを向き、数秒、もしくはコンマ数秒固まっている。
「っーーー!」
声になってない悲鳴?をあげているのか、驚いているのか。
なんか珍しいリアクションを取っている。
「よ、起きたか。」
何でもないように、平静を装いながら声をかける。内心バクバクしてるのは言うまでもない。
「ーーっ!…えぇ、お陰さまで寝てしまっていたわ。」
寝起きだろうと彼女は隙を晒すまいと努め、地味にトゲのある言い回しを口にする。
「遠回しに責めんのやめてくれませんかね。」
言い方がキツくなきゃ気がつかない位の嫌味だが、よくそんな頭が回ると思う。いや、これが彼女のデフォルトなのか。
「大体、遅くなると言うのなら連絡の一つでも入れてくれないとーー。」
ブーストがかかるのか、責める口調に勢いが増してきている。
「まぁ落ち着け。ホラ、喉渇いてんだろ。」
パキュっとあったかいお茶を開け、そのまま差し出してやる。
「え、あ、ありがとう…。」
今までそんな事してやった経験は殆どなく、不意打ちに近い善意に戸惑っているのだろう。少し戸惑っている。
「あー、遅れたことに関しては悪かった。受験報告書?とか言うの書かされてたんだ。」
隠す事なく、素直に理由を述べる。人間、素直に謝罪しとくのが一番だ。
「んくっ、んくっ、ぷは…。貴方、まだ書いていなかったの?」
「まぁな。聞かされてなかったし。」
悪びれもせずサラリと肯定する。
「そもそも合格報告を怠っていた貴方に問題がーー。」
「いや待て、俺も悪いが伝えてくれない担任も悪い。」
彼女のお茶を握りしめる手を見ながら、長くなりそうな話の腰を折る。
「…そうよ、いつだってあなたは悪いわよ。」
それが不満なのか、折った先から復活するのはなんなのだろう。というか、俺だけが悪いみたいに聞こえんだけど。
「ちょっとー?そこまで俺が何かした?」
「その事を忘れてしまっていることすら最早、悪なのよ。」
「…あー、もー、ならそれでいいや。」
面倒くさい女。そう何度思ったことか。大体、待つのが嫌だって言うのなら素直に他の奴呼べばいいのに。
「それで、俺は何のために呼ばれたわけ?まさか罵倒される為だけなの?」
「いいえ、コレよ。」
トントンっと指先でノートパソコンを示している。
「?」
無論、それだけで理解できるわけもなく、続きを無言で促す。無言というか、表情でだな。
「引き継いだファイルの整理。貴方がやるんでしょう?」
「…あー、…いや、確かに言ったけどさ…。」
「私も探し辛かったファイル整理しているんだから、あなたも有言実行しなさい。」
なんとも強引な理屈…。
(お前のそれとは関係ないだろ…。)
そう思いはしたが、声にすることはなかった。1言えば10帰ってくるのがいつものやりとりだ。
「…って、その為だけにクラスに来たのかよ。」
メールで伝えれば良いだろうに。
「そうね。」
「なに、暇なの?」
「貴方ほどじゃ無いわよ。」
「ぅ、あー、そうですね。」
ポロっと失言してしまった…。クソ、さっきの写真見せてやろうか…。
なんて思うだけにとどまり、渋々パソコンの電源をつけることにする。
今代の生徒会は中々に優秀だったせいか、仕事をする代わりにある程度好きにできていた面もあるので、その時の記念写真やらなんやらのデータが沢山ある。しかし、撮っただけで整理をしてこなかったせいか、ブレた写真がかなり有る。
他にも、イベント毎の挨拶文が彼方此方に無計画に散らかってあったり、文化祭の予算のデータ…。おいマジでゴチャゴチャじゃねぇかよ。村瀬の野郎…、パソコン得意だとか言ってた癖にロクなことしてねぇな。
そんなイラつきから始まり、取り敢えずまとめのフォルダを作成していく中、東雲は東雲で紙媒体のファイルをバインダーにまとめ始めていた。
時系列順にまとめた文章の確認をする為に、東雲のまとめたファイルを拝借したり、紙媒体で残っていないデータを東雲と相談したぐらいで、会話らしい会話は少なかった。
そんな作業中、ふと東雲に違和感を覚える。
口を開こうとしては、開く前に閉じ、強引に理性で縛っているような、そんな雰囲気が感じられた。
面倒だから「どうかしたのか?」と聞いてしまいたくもなるが、自分から言わないということは、俺の気のせいということもあり得る。というか、彼女の性格的に何かあればスパッと言いのけてしまうのが常だ。
そんな気配だけを感じつつ、個人的にまとめた思い出を隔離し、『あ』とだけタイトルを付けておく。
どうせ消すんだし、適当でいいだろう。
そんなことで長々と作業をし、中々の日の傾き加減になった頃。
「あー、…そろそろ帰るか。」
パタンっとPCを閉じ、東雲へと顔を向ける。彼女の作業は殆ど終了しており、今は先ほど渡したお茶で一服していたところだ。
「…そうね。」
何か思うことがあるのか、その顔は寂しげである。
…え、なに、マジでなんかあったの?
「残りはまた明日とかだな。」
「まだ終わらなかったの?」
いつもと違う、嫌味を感じられない問いかけだ。
「あー、なんか変なバグがあるみたいでさ。それどうにかするだけだな。」
少し、何かを考えているのか、喋る表情も固く見える。
本当はバグじゃなくてセキュリティソフトの更新だが。…まぁ伝わりやすければ良いよな。
「そう。…じゃあ、帰りましょうか。」
「うっし。」
ジジ臭く「よっこいしょ」と口の中で発し、ノートパソコンを片付ける。掃除を怠っていたせいで溜まっている埃が多少舞ってしまう。
「…さて。」
扉を開けて待っている東雲に続いて、俺も生徒会室を後にする。
ーーーーーー仄暗い小道、いつも通りの最短ルート。
「…。」
夕方ということもあり、暖房の効いた部屋で過ごしていた身としては、中々堪える。
「…。」
駅までの道は遠く、他に残っている生徒も見当たらない。
「…。」
特に会話は無く、彼女の歩幅に合わせながら歩くのみ。
…さて…、せめて口にできない分、モノローグで叫ばせてもらうが…。
空気重っ!!!!!
…いや重い。マジで。なんでよ?東雲ってばどうしちゃったの??こんな無言でいる事って殆ど無かったよね?それが整理始めたあたりから変だぞ?!
余程の事がない限り、こんな無言になるような奴ではないはずなのだが…。人が変わったみたいにシュンとしていて、発しているオーラすら弱々しく感じられる。
そんな状況、ノーマル男子が耐え切れる筈もなく…。
「…あー、そういやさ。」
ついつい話しかけてしまった。
「?」
「東雲は大学どこら辺なんだ?」
「…どこら辺って?」
質問を質問で返される。この場合は大抵後者が優位に立ててしまうのだが…。余計な事も言えないので用意していた話題を投下する。
「いや、ほら、遠かったら一人暮らしとかする奴もいるだろ?」
「一人暮らしなんてしないわよ。」
「あ、…そーですか。」
「…。」
ハッキリバッサリ、それで会話が終了とばかりに無言になる。
まるで、出会ったばかりの時みたいに会話が弾まない。
沈みきってしまう夕日を横目に、チラリと彼女を見れば、マフラーで表情があまり見えない。
(気まずい…。)
弾まない会話を提供したせいで、そう簡単に口が開けなくなってしまったのを感じた。
街灯の下を歩き、改札を通り、5分待った電車に乗り込む時まで、彼女は無言だった。
(近ぇ…。)
多少混み始めている車内だが、朝の満員電車ほど体が密着することはなく、なんとなくお互い顔を背けながら別々の方を向く。
ドアの外には街の光が点々とし、目の端には俯いた彼女が映る。
「っと!」
「…っ!」
不覚にも、顔が近くなってしまった。
電車の揺れに足を取られ、咄嗟に手近な棒に手を伸ばしてしまった。
「わ、悪い。」
罵倒の一つでも飛んでくるかとも思ったが、特に何も言われず…。そのまま彼女の最寄駅への到着アナウンスが流れる。
「それじゃあ、また、」
「あぁ、また…。」
結局、始終様子がおかしかった原因は分からず、正体不明の気持ち悪さだけが、俺の中に残った。