結末
《結末》
その早馬が語った内容に、小山田有信は驚愕した。
「………垂井城が落ちただと?」
垂井城とは、古河氏の領地の東、西濃郡の重要拠点であり、古河成氏にとっては都・清安京攻略の足掛かりでもあった。早馬の報告によれば、垂井城は三万以上の朝廷軍の奇襲を受け一日で陥落したらしい。三日前のことだという。こちらが城攻めに苦慮していた頃だ。
「朝廷は二つの戦略を練っていたということか……」
相府における今川救援と古河本軍の殲滅に主力を割く一方で、古河方の拠点垂井城の奪取をも図る。相府では失敗に終わったが、それが古河軍の東への備えを薄くし、結果的に西濃郡失陥へとつながった。
「敵将は名和頼年、相馬義胤らであるとのこと。敵勢は垂井城に詰めの兵を残し撤収。武山郡(古河氏の本領)への侵攻はありませぬ」
「そうか、相馬か……あそこは帯方に対抗するために騎馬隊を編成していたな。機動力で制したか」
恐らく垂井城の兵は目にもたまらぬ速さで突然攻め込んできた相馬勢に耐えられず、後続の軍勢の進入も許したちまちのうちに城を奪われたのだろう。
(疾きこと風の如く、動くこと雷の如し……か)
「若、相府で長居する必要はありませぬ。急ぎ甲山へ戻るよう進言いたしましょう。もし朝廷軍が境を越えてくるのならば……」
駒橋信成が半ば青ざめた表情で言った。
「いや、それはない。相府での戦で朝廷は大きな被害を出した。土岐、最上の援兵なくして朝廷が動くことはあるまい。ところで西濃郡は元々……」
「土岐のものでございます。此度の垂井攻めにも、土岐勢が加わっておりました」
「若、朝廷、というより土岐は相府で負けて将を失い、垂井で勝って城を得たというわけですな」
「そういうことだな。世の中何がどう転がるか分かったものではないわ」
これで、状況は振り出しに戻った。西濃郡を失陥した古河成氏は本拠・武山郡を脅かされ、下手に動くことが出来なくなる。元々全領土の三分の二を治める朝廷方の優位は揺らがない。
(ならばこの戦は何であったのか。結局上様が得たものは差し引き零。状況は何一つ変わらぬ。駿相郡と西濃郡の勢力が入れ替わっただけではないか)
有信は虚しさを感じながら、黒煙を上げる城をあとにした。
「お待ちくだされ、どういうことでしょうか?」
「そのままの意味だ。小山田家の働きには見劣りするものがある。このまま軍役は解かぬ。甲山へ戻ったらすぐに帯方へ行け。村の一つでも焼いて財物食料を奪うのじゃ」
武田信龍は厳しい面持ちで有信に言い渡した。腹の底から深く低く響いてくる声には、逆らうことを許さないものがあった。
「この有信、先日の合戦で赤坂大膳を討ち取りましてございます。さらに城攻めでは憎き相府屋を捕らえました。自ら手柄を誇るのは武士としてよろしくない行動であることは承知しております。しかし、何の手柄も立てておらぬかのように言われるのは心外でございます」
「黙れ……」
信龍の言葉に、有信は黙るほかなかった。信龍の追及は他の将にも及んだ。
「内藤家、板垣家は此度の戦では敵に散々に破られ、挽回したといっても武田の不名誉を一時でも晒したことは事実。今年中に長尾(隣国・熊襲の大名)の村二つを焼き払え」
「そ、それはあまりに……」
「致し方なかったことでございます。そもそも宇都宮と毛野衆が……」
内藤康豊と板垣頼方は抗弁しようとしたが、彼らも信龍のひと睨みで黙り込んだ。
「言い訳は聞かぬ。小山田有信、甘利龍泰には上様から恩賞が下るであろう。しかし、儂からの恩賞は、春日昌信を除いて無い。欲しければ自力で得るがよい。小山田、板垣、内藤。貴様らの所領の隣にはそれがあるではないか。あと各々(おのおの)の戦利品は全て己の所有としてよい。ただし有信。相府屋の者ども並びに財産は儂が預かる。代金は払おう」
陣払いの後、有信は昌信のところへ向かった。
「相府屋一党の代金は破格の安さであったぞ。御屋形様は何に不満であったのだ」
「恐らく、上様から八つ当たりを受けたのではございますまいか。上様は此度の結果にひどくお怒りのご様子。小笠原信後守(政秀)様も叱責を受け消沈しておられたようでございます」
「それでご機嫌斜めになって、腹いせにあのような仕打ちを?いかに御屋形様とて勝手すぎるだろう」
「一番勝手なのは上様にございますよ。それがしや有信殿、龍泰殿の恩賞が上様から下るのも、上様の近臣浦上直家様のお計らいあってこそでございます。直家様の口添えが無ければ、我らの手柄も無視されていたでしょう」
それだけ、古河成氏の落胆と失望は大きかったのだろう。多くの犠牲を払って朝廷軍を追い払い、形勢を逆転させたつもりだった。しかし、状況は振り出しに戻ってしまった。
「上様がどう思おうが、我らの働きを正当に評価してもらいたいものだな。何も悔しいのは上様だけではないのだ。人のせいにしないでもらいたい」
有信は吐き捨てるように言って自分の宿所に戻った。
有信に連行された相府屋の人々は、丸子の北で武田本隊に引き渡されることになった。有信としては心中面白くない。武田信龍は有信の功績を過小評価し、彼らを安く買い叩いた。相府屋は身代金を支払わされた挙句に処刑されるであろうというのがもっぱらの噂であった。奉公人たちは新府城下で売り飛ばされるだろう。この国には制度としての奴隷制はないが、戦争捕虜を対象にした人身売買そのものは横行していた。
「それにしても、相府屋から奪ったものまで御屋形様に納めねばならぬとは。おかげで我らほとんど戦利品がありませぬ」
宿所に着くと駒橋信成が憮然とした様子で言った。周囲の将兵も心なしかいらついているようにも見える。
「まったくだ。この責めは俺が背負わされるのだぞ。信成、向こうから何か仕事の依頼はないか」
「延辺里から道の修復に人手が欲しいとか」
「それだ。承諾しよう。代わりに貢物を寄越せと伝えよ」
「御意に」
有信と信成が話している間に、池のそばで騒ぎが起こっていた。
「貴様、血迷ったか」
「何を言っている」
他の足軽や武士たちが取り囲むなか、鈴木達也は主張を曲げなかった。
「あの人たちを解放するべきだ。売り飛ばすなんておかしい。あの人たちは民間人じゃないか!」
達也は吹っ切れたかのように叫んでいた。
「阿呆!あれは御屋形様にお渡しする重要な戦利品ぞ。御屋形様の気分を損ねてどうする」
大月小三郎が言い返した。
「戦利品?人間をモノ扱いするな!」
「捕虜は売り買いしても良いことになっている。貴様そんなことも知らぬのか?さては敵の間者か」
小三郎は早とちりして太刀に手を掛けた。
そこへ騒ぎを聞きつけた有信と信成がやってきた。
「どうした、騒々しい」
「あ、殿。実はこの足軽めが……」
小三郎が言う前に、達也が割って入った。
「殿さんか!なら話が早い。捕まえた人たちを解放してやってください。奴隷なんて間違っている」
「殿!この者は敵の間者にございます。斬りましょう」
小三郎の妄言を無視して、有信は達也に言った。
「勝者は敗者の生殺与奪の権を得る。それが世の習いというものだろう。あの者たちは我らに逆らった一党に連なる。敵なのだ」
「敵だからといって何をしてもいいっていうのはおかしい!」
「おかしくなどない!我らは昔からそうやって生きてきた。お前は慣習に逆らうというのか?」
「捕まった人たちに話を聞いてきた。自分たちは相府屋にこき使われてきたのに、何故相府屋のためにこのような目に遭わなければならないのかと言っていたよ。けどみんな諦めていた。どうしようもないことだって。けど僕はそうは思わない!人間それぞれには自分のことは自分で決められる権利がある!あんたらは基本的人権ってのを学ばなかったのか?間違っていることは間違っているとはっきり言うべきだ!」
「……どうやら話が噛み合っていないようだな」
あの男は有信たちとは異なる価値観を持っている。会った時からおかしい奴と思っていた。だが違った。
(奴の頭は正常なのだ。個人の意思と価値を重んじるのが奴の倫理なのだ)
人の物を奪い、人さえもモノ扱いして当然の有信達の常識とは相容れない思考。
「殿!もはや我慢なりませぬ。この者の言うことなど聞いてはなりませぬ!」
有信の思索を、小三郎の声が遮った。このせっかちな家臣は太刀を抜き放つと、池を背に立つ達也へ斬りかかった。
「待て小三郎!早まるな」
有信の制止は間に合わなかった。
「わっ」
達也は慌てて刃を避けようとし、そのままどぼんと池へ落ちた。
「あの馬鹿を引き上げろ!」
有信の怒声で我に返った小三郎や他の将兵たちは池を覗き込んだが、そこに達也の姿はなかった。浮かんでくるわけでもなく、泳いでその場から逃げだしたわけでもなかった。
鈴木達也は消えた。有信たちは池を探させたが、彼を見つけることは出来なかった。無論、近くの村にも逃亡兵が逃げ込んだ形跡はなく、有信は釈然としないまま、約定通り捕虜を武田信龍に引き渡し、本隊に続いて進軍を再開し、一路新府へ向かった。
今回もお読みいただきありがとうございます。次回で最終回となります。




