攻城
《攻城》
朝廷軍の撤退により、見捨てられた格好の今川氏元は居城・相府城に籠城する構えを見せた。前日の戦における死傷者を除いた古河軍五万余は相府城を包囲し、軍議で力攻めが決まった。
「朝廷軍が撤退したのだから、気長に兵糧攻めとはいきませんかね」
大月小三郎が愚痴をこぼすと、有信は彼をたしなめた。
「文句を言うな。兵どもを見ろ……もう略奪の段取りを在所ごとに決めている。我らが払う報酬以上の犠牲を払ったのだ。乱取りを認めねば奴らの気が収まらぬ。それに師走も近い。御屋形様は本格的に冬が訪れる前に戦を終わらせたいのだ」
武田勢は前日の合戦で三百人余りの死者を出していた。これ以上の長期戦は軍勢の士気に関わる。また損失の補填を力攻めによる略奪で補おうとも考えていた。これは宇都宮や佐々木など他の大名も同じ考えであった。穏健派の小笠原政秀が一人和睦を主張したが、聞き入れられるわけもなかった。
城攻めは早くも合戦の翌日から始められた。和戦いずれかを問うこともなく、である。前日に奮戦した武田、小笠原、宇都宮、毛野三党の軍勢は後陣に配置され、初日は主に古河本軍と佐々木、里見、そして寝返った千葉勢が攻撃した。
有信は信成を伴って前線へ見物に出たが、相府城は意外に守りの堅い城であるようであった。
城自体は平地にあるため行天橋(攻城用の梯子車)や衝車(破城槌の一種)といった攻城兵器群を展開しやすいものの、城の北から西を丸子川が流れ、天然の水堀と化している。深さ最大七尺(約二・一メートル)幅二町(約二百メートル)の丸子川を越えて攻め寄せるのは現実的でなく、自然と攻め口は東、南の二方向からとなる。とりわけ東の大手口を巡る攻防が激しいものとなった。
「進め!」
成氏が軍配を振ると、法螺貝の音が鳴り響き、古河勢は一列に楯を構えてじりじりと前進を始めた。後方からは弓兵が矢を盛んに射て城兵を牽制する。火矢も放たれたが、一面に泥が塗られた壁に火は通用しなかった。
「かかれえ!」
空堀に近づくと、各豪族の兵たちは我先にと城壁への突撃を敢行した。堀に入った足軽たちが梯子を城壁にかけ、後続の武士たちが次々と梯子をよじ登り、一番乗りを目指したが……
「熱い!」
「うわあああ!」
彼らは城兵が流す熱湯やら投石やらで、たちまち梯子から転落してしまった。城兵は梯子を押し倒し、矢で堀の中の兵たちを狙い撃ちにした。行天橋から城に突入しようとした兵は、橋に油を撒かれた上に火矢を放たれ、慌てて行天橋を放棄し逃げ去った。城壁は『横矢掛かり』といって各所で直角に折れ曲がっており、寄せ手はどこにいても攻撃を受ける羽目になっていた。
「これは駄目だな」
有信はそう言って、城門の方に目を向けた。
大手口は馬出といい城郭から突き出て出丸状になっていた。古河勢は衝車で出丸の入り口である冠木門を破ると、そのまま出丸内に突入した。城兵たちはすでに大手門の中に逃れている。衝車は続いて大手門に狙いを定めた。城兵は戦意をなくしたか矢を射る気配もない。
「がははは。このまま押し破ってしまえ」
豪族の一人佐野頼綱が余裕の表情を見せた時、状況が一変した。
突如銅鑼の音が鳴り響いたかと思うと、城壁や櫓の上に弓兵がぞろぞろと現れた。
「放て!」
弓兵たちは門を守備する武将の下知で、一斉に火矢を放った。火矢は寄せ手の足元に命中する。やけに黒ずんでいる地面に火矢が突き立った瞬間、炎の壁が寄せ手の前に立ちふさがった。
「何だ!何事だ!」
佐野頼綱は狼狽して指示を出せない。城からは続いて無数の矢が飛来した。矢を受けた寄せ手の兵がばたばたと倒れる。梯子で城壁を超えようとしていた兵たちもこの光景に驚き、逃げ出す始末であった。
「こら、勝手に持ち場を離れるな、馬鹿どもが!」
佐々木家中にその名を轟かせる武藤十兵衛は兵を一喝すると、太刀を引き抜き梯子へ取り付いた。
「はっはーっ。一番の……」
勇ましく一番乗りを果たそうとした十兵衛であったが、直後彼の視界は逆さまになった。城兵に梯子を押し倒されたのである。下で梯子を支える兵は逃げており、梯子を倒すのは容易であった。
「あー………」
十兵衛のあまりに無様な転落ぶりに、佐々木勢の将兵はさらに恐れて城壁に近づこうとしなくなった。
一方大手門からは、鎮火を待って城兵が門を開けて押し出してきた。浮き足立った古河勢は押され続け、ついには出丸から叩き出されてしまった。
結局この日の戦闘では門も壁も突破することが出来なかった。それどころか、古河軍全体で四百人を超える死者と千五百人近い重軽傷者を出す始末であった。
「成程、これは一筋縄ではいかんな。ではいかにして城壁を抜くかだが……」
有信は大手口を睨みつけながら考えたが、特によい案は浮かばなかった。
「夜中に行天橋で堀を超えるのはどうでございましょう」
信成が言ったが、有信は首を横に振った。
「だめだ。さっきも見ただろう。狙い撃ちにされる。行天橋は目立つから奇襲には向かぬ」
「火攻めは失敗しておりましたな」
「使い古された手段だ。土壁に火矢は効かぬ」
かといって強行突破しようにも、今日の散々な結果を見れば失敗するのは明らかである。敵の射手は土壁の向こうにいて射倒すのは難しい。結局正攻法では寄せ手に多大な被害が出ることになる。
「おい、お前、何か思いつかぬか」
有信は話を随行する鈴木達也に振ってみた。
「足軽風情に何か思い浮かびまするか?」
信成は訝しんだが、達也は遠くの静まり返った城壁を見て言った。
「大砲とか使わないんですか?あれならあんな壁すぐに吹き飛ぶでしょうに」
言ってから達也はしまったという顔をした。この男は戦闘行動そのものに拒否感を持っていることに、有信は気づいていたが、百姓にしてはどことなく知性を感じさせる達也に訊かずにはおけなかったのであった。
「大砲……難波に砲はないからな」
有信はそう呟いたところで、ある火器の存在に気が付いた。
「そうだ、あれだ!」
「何でござるか?あれとは」
そう言って背後から朋輩の春日昌信がひょっこり現れた。二十代の爽やかな若者である。
「春日殿か。脅かすな」
「城壁を破る手段を考えておられたのですな」
「うむ。時に春日殿、『震天雷』はあるか?」
「ございます。もともと野戦用に持って来ていたものですが……成程、それを使うのですな」
「そうだ。連中に火器の恐ろしさを思い知らせてやる」
「確かにあれならばあの程度の城壁など紙同然ですな、若」
笑い合う武将たちを、鈴木達也は複雑な表情で見つめていた。
今回もお読みいただきありがとうございます。




