開戦
《開戦》
朝、法螺貝の音と共に各軍勢は前日の評定で定められた位置についた。これ以降は各大名や従属領主たちが自らの判断で戦をすることになる。一応、攻撃開始の合図は総大将、古河成氏が行うらしいが……
「どうせ誰かが抜け駆けするんだろうな……ま、我らには関係ないことだ」
小山田有信は樫鳥糸肩赤縅の胴丸に、鍬形と日輪の前立の三十二間筋兜という出で立ちであった。よく分からないと思うが、それなりに目立つ甲冑であると思っていただきたい。また小山田家では、騎馬武者の甲冑は自由であったが、徒歩武者・足軽の鎧は茶色の熏韋包腹巻に統一されていた。包腹巻とは中古の腹巻(鎧の一種)の上に皮革を加工したものを巻いたもので、安い割に高い防御力を持っていた。さらに煙でいぶす熏韋の手法で色付けしたため、耐久性にも優れている。有信は同じ色の包腹巻を大量に発注したため、歩兵の軍装には統一感があった。
「同じ柄の兵が大勢並ぶと足軽でもなかなか立派に見えますな。小山田の名を敵味方に広く知らしめることが出来ましょう」
信成が満足げに言った。
「俺は功名に興味はない。名声で飯が食えるわけではないからな。所領と民の安全が守られるならそれで御の字だ」
「さて。お屋形様や甘利様はそう思っておられるか……」
甘利龍泰は重臣の筆頭に挙げられる重鎮で、性格は主君と似たり寄ったりである。残念ながら、信龍と龍泰が武田氏の中枢にいる限り戦そのものを求める武田の家風は変わらないだろう。小山田氏や春日氏のような一所懸命を最重視する豪族たちにとっては迷惑な話であったが。
そういえばあの男はどうしているかと、有信は木村達也を名乗る謎の男の方を見た。彼には服を着替えさせ、小袖に股引、籠手を着け、揃いの包腹巻に陣笠と打刀、持鑓で武装させた。男は「これ、何の映画ですかね」と意味不明なことをいっていた。一夜考えた末、やはり放逐することも考えたが、恐らくこの男はすぐに別の軍勢に捕まり、下手をしたら殺されるだろう。それも哀れといえば哀れと思い、結局足軽として陣に加えてしまった。
有信の横で鑓を立てている男は、「スタッフとかいなくていいのかな」と呟いていた。まあいい。戦が終わり、兵が退いたら放してやろう。どうせ近くの村の住民なのだから、勝手に帰るはずだ。そうこうしているうちに、ピューと甲高い音が、風を切って聞こえてきた。鏑矢だ。戦が始まる。
まずは矢戦である。弓兵たちが楯による防護を受けながら矢を放ち、敵の動きを牽制する。その後頃合いを見て突撃が開始される。多くはそこで決着がつくが、そのまま乱戦にもつれ込むこともある。
「今日は間違いなく乱戦になるな」
物見から聞いた敵味方の兵力規模を考慮すると、一回の突撃で勝敗が決まるとはとても思えない。乱戦が続き、多くの将兵が死傷するだろう。有信としては、このまま高みの見物を決め込みたいところであった。
小山田勢は軍勢の後ろに配置されたため、馬上からでも前線の様子を確認することは出来ない。物見の報告が確かならば、この先には五万から六万の敵が待ち構えているはずである。武田勢の正面の敵は、朝廷方の有力大名・土岐勢のようであった。兵力は少なくとも一万以上。このため五千の兵力である武田は、右隣の宇都宮・毛野三党の軍勢と連携する必要があった。
やがて、東、すなわち中軍の方から鬨の声が起こった。やや遅れてあちこちから陣太鼓や銅鑼の音が鳴り響き、大勢の将兵が動く気配がした。
「申し上げます。佐々木勢の武藤十兵衛殿、抜け駆けし一番鑓の功を挙げた由にございます」
「御屋形様からの伝令にござる。当方の先陣甘利、内藤勢が敵と交戦を開始。敵将は明智秀家、長井義秀とのこと。小山田勢は待機せよとの御命令にござる」
有信の元へ次々と物見や使番が駆け込み、戦況を報告する。明智と長井は土岐氏の宿老であり、有力武将である。
ふと左隣の小笠原勢を見ると、有力豪族の小谷保方が動こうとしていた。小笠原の『三階菱』の旌旗の動きは慌ただしい。やや押され気味か。なら右はどうかと宇都宮勢の方を見ると、有信は口をあんぐりと開けた。
「これはまずい。旗色が悪すぎる」
宇都宮勢は、馬廻衆(親衛隊)が前へ出ようとしていた。大将の位置を示す赤い流れ旗が、前方へと進んでいく。大将自身が打って出るという事は、無論形勢不利を意味している。
「宇都宮の馬鹿親父め!何やってんだ」
やがて使番が駆け込んできた。
「御屋形様より伝令!小山田勢は至急宇都宮定綱殿を救援せよとのこと!」
「……承知仕った」
表向き平静を装って有信は答えたが、内心は苦虫を三十匹ほど噛み潰していた。
(くそっ!何だって馬鹿の尻拭いをせにゃならんのだ!我が兵を無駄死にさせる気か?)
とはいえ主君の命に逆らうわけにはいかない。有信は部下たちに命じた。
「これより宇都宮勢を救援する!者ども、続け!」
「応!」
有信を先頭に将兵が続く。鈴木達也も有信の後ろをとことことついて来ていた。
宇都宮勢は、やはり押されていた。先鋒が散々に打ち破られ、大将定綱自身が前線に出なければならない状態であった。敵将は土岐頼安。土岐氏惣領、頼重の叔父にあたる人物で、武勇名高き猛将である。彼が率いる兵は二千で、宇都宮と毛野勢を合わせた四千の半分であるにも関わらず、押しに押していた。有信同様、林、山田、神保ら毛野の豪族たちは戦に乗り気ではないため、今回の戦が決戦であると理解している頼安の軍勢に押される展開となってしまっていた。頼安の正面にいた宇都宮勢はその影響をもろに受け、混乱状態に陥っていた。
「これは嫌がっている場合ではないな。宇都宮が敗れれば我ら武田勢が危うい」
「若、いかがなされまするか」
「まずは敵の勢いを止めねばなるまい」
有信は自ら馬を走らせ、前線に向かった。
見れば敵は、騎馬武者の集団を敵陣に乗り込ませては引き揚げさせ、敵の混乱を煽っている。この戦術は敵の陣形を乱すのに都合が良く、土岐頼安は頃合いを見計らって全軍に進撃を命じるだろう。そうなれば宇都宮勢は崩壊する。
「騎馬武者を何とかする必要があるな」
有信は右往左往する将兵の中を掻き分けて信成ら部下のところへ戻ると
「長柄を前に出す。騎馬を止めねば埒が明かんわ」
と言って二百人の長柄兵と供回りを率いて前線へ戻った。このころの長柄鑓の長さは二間(約三・六メートル)。後の三間半鑓ほどではないにせよ、騎馬武者に対するには十分な長さであった。
「構え!」
足軽大将の指示で長柄足軽たちは一斉に槍衾をつくった。突進した三十騎の騎馬武者は直前で慌てて停止する。
「突け!」
長柄足軽たちは数人一組で騎馬武者を相手にし、次々と討ち取った。
八騎が斃れた時点で騎馬武者の群れは馬首を返して戻って行った。戦術としての引き揚げではなく、潰走である。
「敵が怯んでおる今こそ好機じゃ!かかれ!」
調子づいた宇都宮定綱は突撃を命じた。たちまち攻守が逆転する。
「とりあえず、五分には戻せたか」
安堵する有信の足元で、鈴木達也が吐いていた。傍には討たれた土岐勢の騎馬武者の屍がある。首はなかった。
「お主、こういうのは初めてか」
有信が問いかけると、達也は
「ほ……本当の戦なんですね、これは……」
「当たり前だ。討たねば討たれる。それが戦だ。この荒んだ世の中では当然の事だろう」
「やめようとは思わないんですか?殺し合いですよ」
「無駄なことだ。戦をせよと命ぜられれば戦に出なければならぬ。そう言う世なのだ。我らが変えようとして変えられるものではない。重要なのはいかに眼前の敵を討ち、戦に勝って生き残ることが出来るかだ」
有信の言葉に、達也はうつむいてそれ以上を語ろうとはしなかった。
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