遭遇
初めての投稿になります。誤字脱字などがあればお許しください。
初回は本当に導入部のみです。合戦は始まりません。
《行軍》
十月末のこの時期としては珍しく霧の深い山道を、軍勢は進んでいた。天候に合わせて小山田甲山介有信の気分もまた陰鬱なものとなる。
有信の主君、甲山郡と飛場郡を治める武田信龍といえば、この王国で知らぬ武士はいない。古河将軍家に従う大名家では屈指の軍事力を誇り、戦で負けたことはほとんどない。そのため、将軍家が戦を始める際には必ず出陣要請が来る。
今回もわざわざ王国の南西部、駿相郡まで出向き、将軍家の軍に加わり敵対する今川氏を攻めるのである。
「相府(駿相郡府の所在地)まで行っても何の得にもならんではないか。意義も収穫もない戦など、やる気が出ん」
いよいよ有信は馬上で愚痴をこぼし始める。
「若、兵の士気に関わります。おやめくだされ」
家臣の駒橋信成が諌める。この男は有信より七つ年上で、長く有信の傅役をを務めてきた。そのため有信が家督を継いだ後も『若』と呼ぶ癖が直らず、有信が三十一歳となった現在でもそう呼び続けている。
「いいや、言うね。そもそも、北方の守護たる武田が、何でまた五千もの兵を引き連れて相府まで出張る必要があるんだ?帯方が北に兵を送っていることは知っているが、それでも無防備に過ぎるだろう」
帯方は武田の北にある異民族・ハン人の国家で、武田ら和人の支配するここ難波や西の熊襲とは宿敵の関係にある。もっとも、小山田領と境を接する帯方の在地領主は昵懇の間柄で、有信には彼らを憎むべき理由が見つからないのだが。
とにかく、一応隣国の脅威を引き合いに出してみた有信であったが、信成はその可能性をきっぱりと否定した。
「あり得ませぬ。これは確かな情報筋です。帯方は主力軍のほぼ全てを北方へ向かわせており、こちらに兵を割く余裕などありませぬ。よって北の兵を引き抜いても防備は盤石。問題ありませぬ」
「では質問を変えよう。なぜ将軍家が今川ごときに大軍を動員する必要がある」
信成はしばらく考えた末に、
「このことは他言無用でございますぞ。兵の士気にかかわる問題でござる」
と念を押した上で答えた。
「恐らく、今川は既に朝廷と手を組んでいるのではござるまいか。将軍家は朝廷との一大決戦を望んでおられるのでしょう。それゆえ朝廷と今川の同盟を知りながら、相府攻めを始めるのでござる」
「アホらし」
有信はげんなりした。
「結局それだ。将軍家は自分さえよければ満足なのだ。動員される方の身にもなってみろ。前線の侍大将の気分を奴も味わってみたらどうだ」
「将軍家の悪口を言ったと御屋形様の耳に入りますぞ。まあ確かに、我らには何の分け前も無さそうですな。相府城に一番乗りでもせぬ限りは」
「七百の兵を危険に晒すわけにもいかん。よし、我らは後方で高みの見物といこう。この際諸大名の戦をとくと見てやる」
そんな主君の様子を見た信成は
「ようやく若も元気が出てまいりましたな」
と言うと前方へと馬を進めた。どうも兵の動きが鈍いので、先手の兵を急かすのである。小山田勢七百は、武田軍の遊撃部隊として、駿相郡に入ろうとしていた。
―駿相郡南部、相府城の手前に広がる平野に敵が集結している。
報告を聞いた武田信龍は、勇躍して全軍に進軍速度を上げるよう命じた。彼自身は戦好きであり、手柄をあげて武田の名を全国に轟かせることに人生を賭けていた。
「そこが御屋形様の悪い癖だ。前線とか俺は御免だね」
有信はそう言いながら最後の野営地に着いたが、既にそこは各地から集まった大名や豪族の兵であふれていた。
「将軍家の兵に加えて宇都宮、里見、佐々木……小笠原もおりますな」
「将軍家の力も相変わらず衰えんな」
有信は信成と話しながら、先行する本隊に続いて宿所とすべき場所を探した。
最終的に、小山田勢は池のほとりにある集落に宿所を置いた。
有信は村長に乱暴狼藉を禁止する旨を通達し安心させた。別に慈悲の心があるからではない。反抗を防ぐためである。
その夜は何事もなく過ぎるかと思われたが、ここで問題が起こった。
「殿!殿!怪しい奴を見つけましたぞ」
接収した民家で一眠りしようとしていた有信の元に、そそっかしいことで家中では有名な大月小三郎が駆け込んできた。
「何だ、騒々しい」
「怪しい奴を見つけたのでひっ捕らえました。妙なことを口走っておるので殿の判断を仰ぎたく、参上した次第」
「お前の早とちりという事もあるからな。乱暴狼藉の禁止を約定した手前、無辜の者に危害を加えるわけにもいかぬ。確認しよう。案内しろ」
確かに、怪しい男であった。上等な羽織を着て下に白い筒袖の服を着、下は股引のような細い袴。髪はぼさぼさで髷を結っていない。明らかに武士ではないと判る。
「この者、池のそばで我らの様子をじっと見ていたのでござる。すぐに怪しい奴と見破り、縛り上げました。幸い、盗られたものはありませぬ」
小三郎の話を聞いても当てにならないので、有信はうつむいたままの男に問いかけた。
「お主、名は?どこの者だ。何故我らの陣を見張っていた?」
男は答えない。周囲の足軽が「こら、答えろ」と男の頭を無理やり上げさせる。二十代半ばと思しき顔が松明に照らされる。やがて男はぼそぼそと答えた。
「木村達也、住所は神奈川県平塚市……」
早速有信の頭は混乱した。
「待て、どこだ、そこは?郡名で答えろ」
「いや、平塚は郡じゃないんで……」
「郡に属さぬ地などないぞ。帯方か?済州か?それとも大輪田か?」
郡制の存在しない周辺国の名を立て続けに口にすると、男はその中の二つに反応した。しかし……
「済州島ですか?そこは韓国でしょう。オオワダは常務ならわかりますけど」
こいつはだめだ。頭がいかれている。間者でも何でもない。
「あの……腹が減ったんですけど、何かありませんか?」
有信の中で危険度が大幅に低下した男は、状況がよく分かっていないのか飯を要求した。
「小三郎、こやつどうする?」
「少し可哀想になってきましたな。飯をやる代わりに軍役を負担させますかな」
「そうしよう。この妙な男には興味がある……。おい、お主、飯をくれてやるから我が軍列に加われ」
「え……いいんですか?ありがとうございます!死ぬかと思いましたよ」
どこまでも呑気な奴だ、と有信は思った。一応手元に置いておくつもりだが、戦がどのようなものなのか、このいかれ男は本当に分かっていないのではないだろうか。しかしこのご時世、そんな人間は存在しないはずであった。
ご購読いただきありがとうございます。次回から本格的に戦いが始まります。
十回以内に終わらせるつもりです。どうか最後までよろしくお願いします。




